第2話 マイホーム・ラプソディ



 家に帰って、この件を妻と相談した。


 介護の仕事を退職したばかりの彼女は、


「その話聞いたことある。下手したら実験台になるかも」


「うまくいっても実験台だ。だけど、成功する確率が高いと僕は思うよ」


「そうね。いざとなったら、会社のお金ちょろまかして、夜逃げすればいいし」


 そう言って、彼女は笑った。


 私は、宮崎市内に本社のあるスーパーサワダで経理を担当している。経理の専門家ではなく、一般の店員が経理部に配属されたのだ。



 私は、この斬新なニュータウンに住むメリットを訴えた。


「雨が降らない。傘がいらない。街の真ん中に店があるから、傘無しで買い物に行ける」


 そのときは、まさかうちのスーパーがそこに入るとは思わなかった。


「それに急な土砂降りでも慌てて洗濯物をしまう必要がない」


「そうねえ」


「真夏の外でも30度ってことは、家の中なら25度くらい。これは大きいよ」


「エアコン要らないかも。電気代助かる」


 しかし、光線を50%カットしているのだ。ソーラーパネルは難しい。そのときは夢中でそこまで頭が働かなかったが。



 その晩は興奮して、よく寝付けなかった。


 ポリカーボネート・タウン。何て良い響きだ。


 よく知らないけど、これって人類史上初じゃないのか。


 世界中から観光客が押し寄せるかも。


 このまま地球温暖化が進んでも、この街の人間だけは生き延びる。



 などと勝手な妄想が浮かんでくる。



 翌週、設計士に前向きに検討したいと連絡した。その翌週、二人で現場に見学に行くと、ほとんど完成していて、工事業者の人が快く案内してくれた。



 巨大なカーポートを想像していたが、実際に見てみると、たくさんのマッチ棒が立っている上に透明な下敷きを載せたような印象を受けた。ちょうど晴天で、平らにならされた地面をポリカ越しの太陽が照らしていた。きっとそれは本来の太陽より少し暗いのだろう。


 だが、私は普段の太陽より明るく感じた。きっとその時の気持ちがそう見えるようにし向けたのだろう。


 夏真っ盛りとはいえないが、それなりに暑い日だった。おそらく温度計で測ればたいしたことないのだろうが、グレートルーフの心理的効果は大きく、体感温度はかなり低く感じられた。


 設計士も、


「思ったより涼しいですね。宮崎とは思えない」と賞賛した。



 誰でも、真新しいカーポートの下に来れば、そのシンプルな美しさと機能性に、別世界の住人になったような感覚を覚えるはずだ。


「初めての感覚です。未来に来たとでも言うか、それなのにどこか懐かしくて……ここにしましょうか」


 私は彼にそう言った。




 中心部を除けばこの街は、完全な碁盤目状だ。


 住宅地が完売できれば、二千軒の家が建つという。


 宅地は全て同じで、一軒当たり一辺15メートルの正方形。敷地面積は225平米。およそ68坪。隣家との間に支柱用の5メートルの間隔が開き、そこからまた15メートルの住宅用の土地が続く。支柱の直径は1メートルなのに、5メートルも間をとる理由は、高所作業車用の場所を確保するためだ。



 建ぺい率は90%まで認められるとのこと。これは異例といっていい高さだ。


 建ぺい率というのは、敷地面積に対する建築面積(建坪)の割合のことだ。


 隣の火災が燃え移らないための制度で、ここは最初から5メートル離れているので、いくら高くても問題ない。ちなみに建ぺい率100%という建物は存在しない。法的に許されないのではなく、壁の中央の線で考えるので、物理的にありえない。何故、私がそんなことをしっているかと言うと、設計士から聞いたからだ。



 しばらくして、


「販売価格は二千万円という噂です」


 と設計士が告げた。


「土地だけで二千万か……」


 具体的な金額を聞くと、私は考えこんでしまった。


 余計な費用がかかっているので、高めに予想していたが、それを上回った。


 こうなると建物を1500万円以下に抑えたい。


 だが、バルコニーはあきらめたくない。せっかく、巨大なルーフが無料で提供されているのだ。とりあえず二階建てをあきらめ、平屋で検討だ。



 しかし……、


 一階建ての平屋と二階建てでは、平屋のほうが安くつくように思われがちだが、部屋数を同じにするとなると、より広く建てることになり、どちらも同じだけの基礎と屋根が必要なので、平屋は割高だ。


 平屋の良いところは、建物が軽いので、耐震性に優れ、足場を組む必要が少なく、メンテナンスが容易。デメリットはプライバシーが保ちにくいこと。



 平屋のバルコニーだと高くつく。


 それに対し、設計士は、


「一部二階の平屋にしては、どうです?」と提案してきた。「それで二部屋ほど増やせます」


 二階は一部だけで、残りはバルコニーという考えだ。


 ロフト付き平屋より一部二階のほうがいい。



「あと、中庭はあきらめたほうが……」


 中庭を造ることで、窓や壁が増えるなど、何かと高くつく。


「せっかく土地が広いのに」


 私は不満を漏らした。しかし、現実的になって、パティオ(中庭)はあきらめた。




 その翌々週、勤務先の朝礼で、ポリカーボネート・タウンに出店する話が出た。店舗部や商品部の連中はとっくに知っていて、つまり本部社員のほとんどが知っていて、私も知っている振りをした。



 社長の話では、近くにもう一店舗あるので、ポリタウン(社長が勝手にそう略した)の住人が増えなければ、そちらの店を閉店しないといけなくて、もしポリタウンに住みたいという希望者がいれば、住宅手当を増やしてもいいと約束してくれた。


 もとからそこに住むつもりだった私は、


「そろそろ家が欲しいと思ってまして、会社のために、是非ポリカタウン(正式な通称)に家を建てようと思います」


 と社長に訴えた。


 すると社長は、


「林君、そろそろ営業に戻りたいだろう? 店まで傘なしで歩いていける。傘なし徒歩通勤だよ」


 といって、私はポリタウン店の副店長に決まった。



 設計が終わった頃、宮崎市、ゴルフ会社、ゼネコン二社の協同出資による第三セクター㈱ポリカーボネート・タウンが、土地購入希望者の募集を開始した。私はすぐに応募した。


 宮崎県民優先ということなので、間違いなく当選するので、その点は心配ないのだが、


「他に誰も買わなかったらどうするの? 一軒だけであそこに暮らすつもり?」


 妻に聞かれた。


「その場合、土地の値段が下がるはずだから、何の心配もない」


 と私は余裕を見せたが、


「バーカ。それなら値下げしてから買ったほうが得じゃないの」


 と彼女を怒らせた。



 ㈱ポリカーボネート・タウンのほうでローンを組んでくれて、残りの資金は、設計士への支払いや紹介された工務店への前払い金に当てた。



 地鎮祭がすむと、マイホームの建設が始まった。


 雨の影響を受けやすい基礎工事も、当然のようにスムーズだった。その時点で近所、具体的にいうと百五十メートル四方で、建設しているのはうちだけだ。


「これから増えるよ」


 そう強気を装ったが、不安だった。



 同じ不安を社長も抱えていた。商業施設(名称はポリカマーケットを予定)の二階で衣料や日用雑貨を扱うことにしたが、一階の食品売り場だけにしておけばよかった、と後悔しているという噂だ。市との取り決めなので、簡単に撤退できない。



 妻が無事出産を終え、三人家族になった。できるだけ早いうちに狭いアパートを出たい。



 内装の段階になると、四十メートル東で家の建設が始まった。初のお隣さんだ。密集地になればお隣のお隣のお隣さんになる。



 息子が三ヶ月になったとき、マイホームが完成した。


 建坪三十三坪、一部二階の平屋。三人なら充分な広さだ。


 屋根がないので、屋根材は使っていない。外壁は、最新技術の30年保障窯業系サイドボード。普通の白と微妙に違うアイボリー。



 私は無駄が嫌いだ。


 屋根だけでなく、デッドスペースとなる廊下も極力少なくした。それで部屋を大きくとることができ、16畳の吹き抜けLDK、8畳の洋室三部屋、4.5畳の和室を確保できた。



 二階は洋室ひとつと、遊び心から二畳の茶室、残りはリビングの吹き抜け。


 吹き抜けリビングは玄関と直結し、バリアフリーの玄関土間は自転車を収納できるほど広くとった。玄関ドアは引き違い戸にし、片方を開ければ石段、もう片方を開ければスロープだ。車いすも自転車もOK。


 玄関を入ってすぐ右の和室には障子などの仕切りを設けず、靴を脱いで直接和室に上がれる。そこだけはバリアフリーではない。その理由は小上がりの下を収納スペースにしているからだ。



 一階の二つの洋室の間に三畳半のウォークインクローゼットがある。両洋室との間にドアを設け、 兼用の物置として活用する。洋室だけではなく、リビングとドアなしで自由に出入りでき、屋外にも出られるようにする。


 キッチンの前にカウンターテーブルを置き、流行りのカフェ風LDKに。


「本日のおすすめ トマトマリネ、コーンポタージュ、豚キムチ、ライス ¥850」


 などと、その日の献立を記したメニュー板を壁にかける。



 特に優れたアイデアが、トイレとバスの間の間仕切りだ。


 トイレ、バスともに、それぞれ錠のかかるドアがあるが、それとは別に間にアクリルの引き違い戸を入れた。


 一人暮らしアパートなどのバストイレユニットの利用者は、トイレ掃除にシャワーが使えるメリットに気づく。だが、複数人が居住するとなると、プライバシーや匂いの問題で、バスとトイレが別々になる。


 我が家では、普段はトイレとバスが仕切られているが、掃除のときだけ、仕切りの戸を開き、シャワーでトイレを清掃する。シャワー掛けの問題が出たが、浴槽の隅に金属の棒を立て、上にシャワー掛けをつけた。


 万が一鍵のかかったトイレやバスで発作を起こしても、引き違い戸のほうから救助できるし、介護が必要でも戸を開けば楽だ。



 調度品も無駄がない。テーブルは全て収納タイプ。


 背もたれを倒すとベッドになるソファ。


 寝室のベッドの下に衣装ケースが入る。


 照明の数もできるだけ少なくした。


 デザインのほとんどが私のアイデアで、設計士は構造計算をしただけだ。


 あまりに自分の仕事がないので、「ここ化粧柱が要りますよ」と言って、リビングに二階を支える柱の必要性をくどいくらい詳しく説明してきた。



 私の家は、外見上は最近よく見るただの箱形の家だ。箱形はモダンでおしゃれだが、実際住むとデメリットに気づく。だが、ポリカタウンではそのデメリットが帳消しになる。


 雨漏りの心配も、断熱効率の悪さも、ここでは問題ないのだ。


 二階の三分の二を占める広いバルコニーには、ウッドデッキを敷き詰めた。雨が降らないので、腐る心配が少なく、特に防水塗装は施していない。目隠し用フェンスも木製だ。これも腐る心配が少ない。



 結局、建物代は1500万を超えてしまった。それだけの価値があるからいいのだ。



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