第5話 異業同社(同業他社の反対語)
オープン前日は早めに帰宅した。
他のフロアは忙しそうにしていたが、疲れ切った状態で営業しても、さして問題ない業種なので、先に帰らせていただく。
こちらはヒト相手の商売だ。眠そうな顔をしていたら、お客様に失礼だ。
挨拶なしで帰るのもまずいので、「これから本部行きます」と嘘を吐いておいた。
ところが外に出る寸前、
「こんなんじゃ明日オープンできないぞ」
という怒号が聞こえた。それを聞いて、山田MDは
「俺、手伝っていく」と言って、中に戻っていった。「林店長、悪いけど一人で頼む」とサポートしてくれたので、
「それでは明日がんばりましょう」
と言い残し、私は堂々と帰宅した。
翌日。
通常午前10時開店のところ、オープニングセール中は一時間早い9時だ。私が7時半に着くと、他のフロアは忙しそうに作業していた。倉庫で一階のフロア長がくたばっていた。徹夜したそうだ。
それを見て私は思った。
オープニングセールが大事なら、万全のコンディションで臨むべきであり、すこしぐらい店内の見栄えが良くなることより、責任者がしっかりしているほうが重要なはずだ。営業時間外にがんばりすぎて、営業時間中に疲労が押し寄せるのは、本末転倒だ。
そのくせお客様第一主義とか抜かすから、始末に悪い。
あなた方はプロだから、わずかな陳列の欠点に目がいくが、一般客はそんなことに一切関心がない。そこらじゅうにゲロがまき散らされているくらいでないと、店が汚いといって来店を避けるようなことはない。価格、品揃え、交通の便、それが全てだ。スーパーレベルでは店員の態度も関係ない。元気のよい挨拶も必要ない。必要なとき以外用はない。顔なし人間だ。
小売業全体にいえることだが、労働力配分が効率的でない。
新規オープンということは、いままでそこで働いていた人間がいないはずであり、よそから来たか、新規のスタッフばかりで、皆慣れていない。その慣れていない状態で、一番重要で負荷のかかる仕事をこなすのは、合理的ではない。
ただでさえ大勢の客が押し寄せるのだ。レジ研修をすませただけのパートと、接客経験のないバイトと、前日深夜まで残業した一般社員や、膨大な商品を掲載したチラシのせいで、店長がクレーム対応に追われることくらい予想がつくはずだ。
プレオープンセールと称してこっそりオープンして、スタッフが慣れた頃、本格的なセールを行えばいい。
その点、六階の輸入雑貨店パティオは賢い。
二日前に店内を完璧にし、副店長は前日休み。店長とバイトも早めに帰宅。当日の朝には、体力気力ともに充実していた。
8時に一階で全体集合がかけられた。三十分を超える長いものだった。社長の話よりも各担当者によるチラシの注意事項の説明に時間がかかったのだ。
6階は店名も業種も違う。服装もエプロンではなく、できるだけシックな私服に大きな名札をつけて、客と区別している。スーパーのチラシ内容を知っても何の役にも立たない。
だが、我々は大判のチラシを渡され、杉谷さんなどはご丁寧に、隣の肉類担当者に、今説明している商品がどれなのか、聞いていた。
さらにパティオの応援に来た山田MDは、2Fの衣料品の担当者に質問をするという暴挙に出た。二人ともその場の空気に飲まれているに違いない。
一応、パティオのチラシも全員に渡された。
店長(1F、2F、3Fの統括。6Fのパティオとは無関係)が、
「担当者の方、何か注意する点はありますか」と聞いた。
注意事項はあるが、スーパーの店員が知ってもどうにもならないので、私は「特にありません」とだけ答えた。
すると社長が、
「林君、ひとつくらいあるだろう?」
と念を押してきた。
「そうですね……六階で接客する時は、スーパーサワダのエプロンは外してください」
と私が答えると、笑いが起きた。
自分のフロアに戻ると、短めに朝礼をすませ、オープンを待った。
六階はうちの他に、眼鏡店とゲームセンターがある。もちろん、資本関係はない。
9時になった。
すぐにエレベータが開いた。
子供連れがゲームセンターに向かう。
五分経っても客が来ない。
六階だから仕方がない。上に上がるのに時間がかかっているんだ、と自分に言い訳し、手持ちぶさたなので、棚の商品を眺めた。
さらに五分。
「バベルの塔、失敗かな」
私は杉谷さんに言った。
「下、見てきます」
彼女は階段を降りていった。
一分くらいして、彼女は興奮した表情で戻ってきた。
「1階と2階は大混雑です。それより上はあまり」
山田MDは、「これから、これから」と言って、我々スタッフを励ました。
大谷君と小山君は、ゲームの話をしている。
開店して20分後、最初の客が来た。
高齢の男性だ。ひととおり店内を見て、そのまま上の階に向かった。
「エステ行くのかしら?」
杉谷さんが笑った。七階はモノを売っていない。
「あそこ、足ツボもやってるらしい」
「本当?」
知らない。
結局、午前中は暇だった。
交替で食事休憩をとる。
七階の一画に従業員用の休憩スペースがある。私が行くと満員だった。複数のテナントが入っているが、今そこにいる八割がスーパーサワダ関係だ。
店のスタッフは全員出勤、取引先関係、他店や本部の応援など、普段の三倍はいる。
座る場所がないが、そんなことは予想済みだ。立ったまま食べられるように、サンドイッチを買っておいた。
店長が慌てて入ってきた。
「すいません。今ひと足りないんで、食事は早めに切り上げてください」
と、他のテナントを含めた全員に向かって言った後、食事中の業者さんと仕事の話を始めた。
彼は、この業者に用事があって、ついでにゆっくり食べている連中にプレッシャーをかけたのだ。
私も十分で自分のフロアに戻った。
すると小山君が、「もう食べ終わったんですか?」といって、驚いた顔をした。
「上は長くいづらい」
「じゃあ、外に食べに行こうかな」
「いいよ。ゆっくり食べてきて」
午後は順調。
下に較べればたいしたことはないが、それでもぽつぽつとお客さんが来る。
山田MDは積極的に話しかける。
「この椅子、小さいけど、座り心地がいいんです。マホガニーチェアといって、マホガニーの木を使ってます。高級家具やギターに使う木材です」
「へえ」
しかし、販売にはつながらない。
午後3時頃、1Fのフロア長が来た。
「すいません。林フロア長」私はフロア長ではない。「パートさん達帰っちゃって、バイト君達レジに回したんですけど、品出しするメンツが足りなくて。バイト君ひとり貸してもらえませんか」
彼は、こちらのあまりの暇さに衝撃を受けているはずだ。断れるはずがない。
「どうぞ。小山君、一階行ってくれる? 商品補充。倉庫の商品を店に並べる。自信ない? 大丈夫、たぶん君ならできる」
この様子を見ていた山田MDは、
「俺も行ったほうがいいな」と独り言のようにつぶやき、
「こっちが混んできたら呼んでね」
と言い残し、小山君と二人で一階に向かった。
この様子では混むとは到底思えない。
通常より一時間遅れの閉店時間だ。だが、アナウンスがない。これも予想済みだ。店を閉めようとしても、次々とお客さんが入ってくるので、閉店時間を延長したのだ。
しかし、六階はガラガラだ。レジを閉めることにした。
予定より45分遅れで一階の入り口が閉められた頃には、することがなくなった。
下の階はこれから忙しい。昨日のように、本部に行きますはもう通じない。暇なのでお手伝いしますも、格好が悪い。正直、今スーパーの仕事をすると、ここ数ヶ月で培った輸入雑貨屋としての資質や品位が崩壊するようで怖い。
そこで、カタログを見て、時間を潰すことにした。
オープンセールが終わると、下の階は落ち着いてきた。反対にこちらは認知度が上がり、客数が増えてきた。もともと客単価が高いので、売り上げは満足できるレベルだ。
週に一度の全体朝礼(そんなもの続ける意味がどこにある?)では、店長から褒められた。(あんた、別の店のはずじゃないのか)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます