第7話 バベルの街



「あれだけ探したのに、どこに行っていたんです?」


 翌日、杉谷さんに怒られた。


「端の方にいったら、煙を吸い込んだみたいで、気持ちが悪くなって」


 我ながら見事な言い訳だ。


 バベルの塔ではなく、スーパーサワダ本部でのことである。



 結局私も、他の救助者より三十分遅れて、梯子車のバスケットに乗ることになった。


「すいません。勝手にその場を離れる人達がいたので、探していて、気づくのが遅れてしまって」



 地面に降ろされると、そこは濠の外だった。数百メートル先の火災の煙が、ルーフの端からもうもうと上がっているので、ルーフの下に戻ることは禁止だ。


 避難者の数が膨大だったが、隣のゴルフ場に収まった。


 妻は私を見つけると小声で、


「もしかしてあなたが原因?」と馬鹿なことを聞いてきた。「体に悪いから、タバコやめろって言ったでしょ!」



 おにぎり二個と紙パックのウーロン茶が支給された。


 その日は自宅に帰ることができず、避難者の数が多すぎて宿も手配されず、そのままゴルフ場で野宿した。実家が市内にあるので、そちらに行くことも出来たが、ゴルフ場で一夜を明かすという体験は滅多にできるものではない。


 暇なので、その場の多くの人間が、エアーゴルフを楽しんでいた。



 深夜、運の悪いことに雨が振ってきて目を覚ました。顔が痒い。虫に刺された。ルーフのありがたみを痛感する。



 そのまま良く眠れず、翌日、その場にいた社員全員で本部に向かった。


 社長は、受話器相手に怒鳴っていた。 


 私達はどうしていいかわからず、社長の長電話が終わるのを待った。


 電話が終わると、


「あ、ご苦労様。大変だったみたいだね。また、青空営業お願いします」


 今度は火事現場の隣なので、同情を買うこと必至だ。



 本部の休憩室のテレビで、昨日の火事の報道を見た。ローカルではなく全国区の放送だ。


 すでに火は鎮火していて、建物内部の悲惨な様子が映し出された。


 さほど大きくないビルの中身が燃えただけで、死者ゼロ人なのに、もの凄い取り上げ方だ。お堅い報道番組から下劣なワイドショーまで、このネタで持ちきりらしい。一平方キロを越えるルーフの下全体が煙に包まれる映像は、強烈なインパクトを全国民に与えた。



 火元は予想通り、焼きうどん店だった。近くにいた客の証言によると、店主が客と話をしている隙に、包装用紙と思われる紙がひらひらと飛んできて、運悪くコンロの炎に触れ、それが油に引火。木製の屋台、ガスボンベの爆発へとつながったようだ。


 商品を買って会計をすました客が、入り口を出る直前に、中身を見たくなって、包装紙を剥がし、放り投げたか、ついうっかり手を離してしまい、風が運び、コンロの炎が見事キャッチしたのだろう。


 店主は大やけどを負った。




 ろくに寝ていないので、家でゆっくりしたい。昼食を終えると、家に帰ることにした。


 煙で燻され、ルーフが以前より黒くなっている気がする。それも中心に近づくほど、ひどくなっている。それ以外は、事故前と変わらないと思う。白い壁の家などは、よく見ると煙の影響があるのだろう。 


 我が家のアイボリーの壁もくすんで見えた。


 妻と子供は先に戻っていた。


「会社大丈夫だった?」と聞かれ、「わからない」と正直に答えた。


 無闇に希望を持たせないほうがいい。



 青空営業すらなかなか再開出来ず、他店の手伝いに回った。


 帰国して事態を知った山田MDは、店長始めあの店のスタッフ全員を非難した。


「商品売るだけが仕事じゃないぞ。店では常日頃から安全で清潔をこころがけなさいと社長から言われてたよね。お客さんに何かあったらどう責任とるんだ。オープン終わって、意識がたるんでたんだろう? もうすぐフランス製の陶器たくさん届くけど、どうさばけばいいんだよ」


 あんたがあの焼きうどん屋を連れてきたせいで、火事が起きたんだろうが。



 火災が鎮火してから、一週経っても、一月経っても、バベルの塔とその周辺は放置されたままだ。


ポリカは難燃性で、金属フレームが溶けているような箇所以外は燃えていないが、その周りの板は形が変形している。


 塔付近以外でも、街のかなりの部分の板が煙で黒ずんでいる。屋根の下側なので、高所作業車を使うか、鳶職のような高度な専門家でないと清掃できない。


 管理棟に問い合わせても、辞める社員が続出して、手が回らない。しばらく待って欲しいと突き返された。



 しばらくしてその理由がわかった。


 最初のポリカマーケットを元を取る前に取り壊し、莫大な費用をかけたバベルの塔はすぐに崩壊し、㈱ポリカーボネイト・タウンは負債に耐えきれず、事業を精算した。実は関西にもうひとつポリカタウンを建設する予定で、すでに用地を取得済み。工場で建設財の製造を開始していた。それが話が立ち消えになれば、経営センスが良くてもどうにもならないだろう。



 我が社のダメージも甚大だ。


 社長は辞任。大手に身売りするはめになった。


 結局、ポリカタウン青空店の営業はなく、私はユニオンスーパー西都店の総菜担当になった。元はスーパーサワダだったが、店長、次長ともに、ユニオンから来た人だ。


 新会社の冷遇人事が原因で、社員の二割ほどが辞めた。山田MDも、「馬鹿にするな」といって辞表を叩き付けた。


 半年後、彼から連絡があった。一緒に雑貨屋やらないかと言われ、不満たらたらだった私は話に乗った。場所はポリカタウン。火災以来、街を出る人が続出し、安値で借りられた。



 運営会社が解散したので、市にルーフのメンテナンスを依頼したが、予算不足を理由に断られた。住民の負担になりそうだ。


 その後も街の衰退は止まらず、ご近所が次々と引っ越していく。私もいつまでもここに残っていいのか迷っている。


 空は薄暗く、道も汚れ、空き家が増え、ホームレスの宿となった。警官は減らされ、治安は悪化。息子が通う予定だった保育園は閉鎖され、それなのに妻は再就職し、買い物をする場所が少ないので、他の地区まで遠出しないといけない。



 ポリカタウンの素晴らしさをじかに体験した身からいうと、私は残念でならない。


 度を越えた欲望が、全てを台無しにしてしまった。


 ルーフの高さを越える建物を造っては、いけなかったのだ。


 あれは、その名の通りバベルの塔だった。


 結局、失敗したプロジェクトとして世間の記憶に残るのだろう。





 あれから三十年。宮崎県に新しい名所ができた。薄汚れたポリカの屋根は、それでも近未来感にあふれ、ほとんどの建物が取り壊されず残っており、廃墟マニアにはたまらない。夏の夜ともなると、肝試しの若者達が集団でやってくる。


 ドアの壊れた管理棟を抜け、ルーフの上に上がる強者もいる。そういう私もときどき上に上がり、鳥の糞や虫の死骸を片づける。



 自分でも信じられないが、私はいまだにここに住んでいる。


 息子は福岡の会社に就職し、妻は一昨年亡くなり、一人暮らしを満喫している。


 住民票の上では、この地区に暮らしているのは、私一人だけだ。ホームレスが居着いてしまうので、街を取り壊すという議論が毎年市議会で交わされるが、予算がないので、放置されたままだ。市の担当者から、他の地区に移るよう勧められているが、思い出深いここを去るつもりはない。




 こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。これによってその町の名はバベルと呼ばれた。(口語訳創世記11章8-9)



 街の住人達は散っていった。彼らは街を建てるのをやめた。これによってその街の名はポリカタウン跡と呼ばれた。



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ポリカーボネート・タウン ~ 雨の降らない街 @kkb

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