◇


 海から離れてボニート村をも過ぎ去った先には小さな林がある。

 ミルロはそこがお気に入りで、海に比べたら水たまりみたいな池の周りで遊ぶ。


 その時ばかりは子供で、弾ける笑顔につられて笑ってしまう。まさか、こんな女の子が重い運命を背負っているなんて思いたくない。


「あー。楽しかった」


 私が座っていた草原に近づき、当たり前のように寝転がる。私もミルロの頭にくっつくように寝転がる。


 緑色の若々しい葉の間から、強い太陽と真っ青な空が見えた。ミルロが気に入っている景色。愛している景色だ。


「姫巫女なんだろ。もう少しそれっぽく振る舞え」

「あら。ちゃんと正式な場では振る舞ってるわ」


 そういうところが子供なんだ。そう言ってやりたかったけれど、ミルロの言葉に遮られた。


「わたし、ね」

「うん」


 柄にもなく唇が震えてちゃんと返事が出来なかった。喉が渇く。


「魔王を倒すために、勇者様と旅立つわ」


 わかっていたよ。

 生まれながらにして姫巫女の運命を背負ったミルロ。いつか、こういう日が来るんだってわかっていた。

 わかっていて親友になったんだ。


 初めて、この地に降り立った日に。運命に押し潰されそうな顔をするミルロを救いたいと思ったから。


「ベティちゃん、聞いてるの?」


 起き上がったミルロが顔を覗き込む。どうして、こんな時まで笑顔なんだろう。


「笑っていなきゃ、やってられないもの」


 ふとわいた疑問に答えるものだから、姫巫女ってのはすごいと思う。


「何もかも見透かすような目をするんじゃない。気色悪い」

「あら、失礼ね。見透かしてはいるけど、気色悪くないわよ」

「どうだか」


 わざとあきれた物言いをすると、拗ねたように唇を尖らせる。そんな可愛らしい顔を見ると、急に憎たらしくなった。


「痛! いたたたたっ」


 頬をつねると思い通りの反応が返ってくるものだから、可笑しくてたまらない。

 今日、初めて思いっきり笑った。


「ひどい……ベティちゃん」


 青い髪と瞳を持った現姫巫女、ミルロ。

 彼女は生かされている者。魔王が現れた際の生け贄として。


 そんな世間の言葉なんて気にしたくもなかった。

 私はつねるのをやめて、頬を手で包む。


「ねえ、ミルロ」

「……大丈夫だよ。辛くないから。愛してる人がいるの。その人が愛した世界を守りたいの」


 初めてミルロが切ない表情をした。頬を赤らめて、どこか遠くを見るような目。

 ミルロは嘘をついていない。本当に恋をしている。


 私は起き上がり、ミルロと向かい合うように座る。


「それって勇者様? 会ったんだろう?」

「……会ったわ。とても臆病者の勇者様よ」

「大丈夫かよ」

「ふふ。心配? 大丈夫。彼はとても強い。優しすぎるだけよ」


 やはり、ボニート村に魔王討伐をすることを知らせに来ていたんだ。

 姫巫女は全てを報告して旅立つことが習わしとなっている。神聖な儀式をこれから行うのだろうな。


「これ、渡しておく」


 私は人魚たちから預かったお守りを二つ、ミルロに渡す。


「駄目よ。対になるこれをわたしと勇者様にって思ってるんでしょ? 大婆様はわたしとベティちゃんにって渡したのよ?」

「お前という奴は……どこまで知ってるんだ」


 ミルロは迷わずに赤い袋を手に取る。


「姫巫女の力を舐めないでちょうだい」

「はいはい、わかったよ」


 私は青い袋を胸の中にしまい込む。


「対になる人魚の涙。一人の人魚から二粒の涙が出ることはないって言われていたわ。でも……」

「なんだよ」

「奇跡ってあると思わない?」


 奇跡の二粒の涙。それはきっと命を守るだけではなく、もっと違う力を発揮してくれる。

 ミルロがそう言うから、胸が熱くなった。泣きたくなった。


 別れじゃない。だから泣くなと、自分を奮い立たせるだけで精一杯だ。


「またここに来てくれないか?」

「そうね。ベティちゃんが寂しがるから来てあげる」

「子供のくせに、上から物を言うんじゃない!」

「ごめーん」


 悪びれる様子もなく、ミルロは立ち上がる。髪が陽に照らされて、輝いていた。


「一つだけ、お願いがあるの」

「私に?」

「うん。あのね……」


 風が吹き抜けて、ミルロの髪を揺らす。あまりにも強い風。思わず目を閉じた瞬間にミルロの声が届く。


「次に会う時は、ベティちゃんの子供が見たい」

「は!?」


 風のことを忘れ、私は立ち上がっていた。視線の先には満面の笑み。


「お願い!」

「でも、ミルロ」


 その時、ミルロの表情が変わる。怒ったような、切ないような、何かを訴えているような……。


「努力……してみるよ」

「ありがとう、ベティちゃん!」


 また笑顔になる。すごく可愛らしいその顔は、多分私しか知らない。


 ああ、そうか。


 ミルロは私の未来を知っている。今を逃したら、きっと子供には恵まれないんだな。


「ミルロみたいな子供がうまれたら嫌だな」

「え? なんで!?」

「可愛くない」

「ベティちゃん、ひどい!」


 嘘。全部、嘘。

 本当はミルロがずっといてくれたらって思ってる。


「ありがとう、ベティちゃん。あなただけよ。私を友達として見てくれるのは」

「バカ。親友だよ」


 涙が零れないように空を見上げた。綺麗な青が、余計に切なくさせる。


「また来い。約束だ」

「子供もね!」


 それから間もなく、ミルロは姫巫女として勇者とともに旅立つことになった。


 ミルロがボニート村を離れた後は、私の元には噂しか届かない。だから、聞かないことにした。


 私が信じるのは、この青い空。約束をしたあの日の空だけを信じていた。


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