しんぞう。
「好き、ねえ、大好き」
彼女が僕の胸に顔を埋めて何度も呟く。うん、僕も。そう答えながら、彼女の頭を撫でた。
君の胸はいつも余裕綽々って感じだね。何だか、私ばっかりどきどきして、ばかみたいだなってときどき思うよ。
それが、僕に抱きしめられた時の彼女の口癖だった。そんなことないよ、と言いって、僕は彼女の額にキスを落とす。僕の心は恋人であるはずの彼女にうまく反応しない。身体と心がまるで別人みたいだ。彼女を組み敷いて、自分の好きなように蹂躙することに、喜びを得られない。彼女にそんなことを言いはしないけれど、もしかしたら気づいているのかもしれない。だから口癖のふりをして僕を責めている。そんな邪推をしてみたところで何も変わりやしないことはわかっているけれど。
今でもそれは変わらない。太腿を擦り寄せてきた彼女をあしらうように、片手で一度押しやる。それでも、ふくふくと息を漏らしながら再び足を絡めてくる。もう一度したいときのお決まりの仕草だ。仕方ないな、と表情で語って、僕は彼女を力いっぱい抱き竦めた。気づかれないように手早くコンドームを装着する。そのまま隆起した中心から彼女に進入し、大きく、時には小刻みに、腰を動かす。僕が腰を抜き差しするたびに、彼女は小さな息を漏らし、短い声をあげた。高い声を耳で聴きながら何度かピストン運動を繰り返し、僕は目を閉じて薄皮一枚隔てた彼女の中で果てた。
こんな風に体力を使えばもちろん心臓はどくどくと脈打つ。けれど、僕の心臓は言うことを聞かない。鼓動は速くならないままだ。彼女は顔も身体も真っ赤に火照らせているのに、僕は全身が冷たい。誰も愛せないのかと不思議に思って、女性との出会い系サイトに登録したことも、男性と出会うコミュニティに参加したこともある。男性とは、彼女に対する感じ方と大差なかった。何も思わない、身体の様子も変化しない。けれど、彼女以外の女性とやり取りすることには、妙な高揚を覚えた。顔も知らない女性と駆け引きをすることは、得も言われぬスリルと楽しみだった。とはいえ、それらの女性に愛情があったわけではない。会ったところで身体は反応しないことはわかっていた。僕には寧ろ、彼女のことを大切に思っているという自負があった。いつも決まって、まるでシーツが真綿であるように、そこに彼女を優しく横たえて、すべてを愛撫した。
「好き……」
すべてが終わって、僕の胸を枕にしていた彼女が上目遣いに僕を見遣る。彼女の吐息が髪を揺らす。小さな小さなそよ風に揺られて睫毛に絡んだ。規則的に吐き出されるそれが尚も僕の髪を揺らめかせても、絡まった髪はそこから動こうとしなくて鬱陶しかった。彼女の視界を僕だけで埋め尽くすように馬乗りになった。彼女の首に手を掛ける。一度目を泳がせたけれど、僕と目が合うとすぐに柔らかく笑った。その笑顔を見て、僕は手の力を強めた。ぐうう、と普段の涼やかな声からは想像もつかない低くくぐもった声が彼女の喉奥から掌に響いた。彼女は目に涙をいっぱい溜めて、僕の胸元をドンドン叩いた。僕はやっぱり力を緩めない。叩く腕のリズムが変拍子になって、強弱もめちゃくちゃになる。深い黒の眸が涙で歪んでいた。顔中が汗と涙と涎でぐしょぐしょになって、ぶるぶる震えていた彼女の腕は皺だらけのシーツに落ちた。吐息も僕の髪で遊ぶことをやめた。動かなくなった彼女を、首に手を掛けたまま見下ろす。彼女の生死をこの手で左右してさえ、僕の心臓は高鳴らない。おもむろに手を離して、彼女の涙を払う。彼女の目を縁取っていた雫で濡れた手をシーツで拭って、薄暗く部屋を照らしていた照明を落とした。
ねえ、ごめんね。僕は君を、愛せないみたいだ。
燃え上がるように打っていた彼女の心臓はもう動かない。真っ暗な部屋の中、冷ややかに規則的なリズムを刻む僕の心臓だけが、時間が進んでいる証明になった。
からだ。 桜々中雪生 @small_drum
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