第9話 国
サイトもアーチャーもあまり眠ることができなかった。寝始めたのが早かったという事も影響し、まだ日が高いうちに起きてしまった。
「ここからはまだあそこが見える」
近くからは相変わらずに襲撃予定地の泉が見えた。さすがにゼクスたちが隠れている茂みが確認できるほどの距離ではない。
「起きていたのか」
アーチャーも起きてしまったらしい。もしかしたらサイトよりもこの男性がもっともあそこから離れたくなかったのかもしれないと、サイトは思ったがそこでサイトは自分はあの場所に残りたかったのだと気づいた。
「ゼフだ」
アーチャーをぼんやりと眺めているとそう言われた。最初は意味が理解できなかった。だが、目を見開いてサイトではなくその後ろを睨みつけるアーチャーの顏を見ているうちに気づいた。
サイトは首を振り返った。同時に身をかがめるようにとアーチャーが上からのしかかってきたが、首の動きは制限されなかったためにゼフらしき蒼い巨体が泉へとゆっくり降りていくのが見えた。
「アーチャー、あいつら大丈夫かな」
「大丈夫だ。サイトの作ったバリスタがある」
アーチャーの体は震えていた。もし何らかの刺激が加われば走り出しそうである。気持ちは痛いほどに分かる。だが、もうここからでは何もかも間に合わない。
ゼクスたちを信じるしかない。自分はやれる事をすべてやった。
だが、二人はさらに信じられないものを見た。
「あ……あ……」
サイトの指差した方角をアーチャーは怪訝な顔でみた。
フロンティアは、この世界は理不尽である。
その赤い
「まさか、……覇獣?」
サイトのつぶやきで、急に上から抑えられていたものが消えた。アーチャーが走り出したのである。
「待てよ! アーチャー!」
「あいつらは! ゼクス様たちは矢を3本しか持ってないんだ!」
指摘されるまで気づかなかった。少なくともゼフに2本使う計画なのである。ならば、泉に降りたゼフを倒していたとしても、もう一体の覇獣に使うことのできるのは1本だけだった。よほど急所に当てない限りは、殺すことは難しいだろう。
「待てよ!」
簡単な荷物だけ持ってサイトは跡を追いかけた。アーチャーは弓しか持っていない。頭ではサイトとアーチャーが追い付いたところで戦力にはならないという事がよく分かっている。それに泉まで坂を駆け抜けたとしても1時間くらいはかかる。だが、アーチャーは耐えられなかった。今まで苦楽を共にした仲間が死んでいく。覇獣にはそれを決定づけるものがある。
「待てよ!」
アーチャーはサイトを振り返ろうとせずに斜面を降りて行った。日が出ている時はこんなに歩きやすいんだなと、こんな時でもサイトは感じた。
だが、心臓が喉から出てくるのではというほどに鼓動が強い。
そしてこのままだとアーチャーも死ぬことになるだろう。
あの赤い
サイトはアーチャーが無策で単純に突撃しないかだけが心配だった。それほどに取り乱し方が違った。だが、坂をある程度降りた時点でアーチャーは体力が尽きた。フラフラと歩きながら、追いついたサイトの水筒を受け取るとぐびっと水を飲んだ。
「すまない、取り乱した」
「アーチャー、とりあえず泉を目指そう」
ここまで来て中継地点まで帰るという選択肢はなかった。ここからならば茂みが多く樹々が生えているところを伝っていけば泉まで上空から見つかることなく行けそうである。
さらには覇獣は二体ともに泉にいるだろう。それがどんな状態だったとしても。
「息子よりも年下なお前に諭されるとはな」
「アーチャー、息子がいたのか?」
「いや、いない」
ニヤリと笑ったアーチャーの顔はいつもの顏だった。頼れる覇追い屋となったアーチャーの跡を、サイトはついて行った。
泉がもう少しで視界に入るところまで来た。ここからならば泉よりもバリスタが隠されている場所の方が近い。
「何か、音がする」
人差し指を立てて音をだすなという意思を伝えるアーチャーが言った。
グチャリ、グチャリ、という音が聞こえてきた。
今まで聞いたことのないような音である。だが、サイトはそれを見ずとも何なのかが分かってしまった。
「と、共食い……」
驚愕の顔のアーチャーが顏を上げ過ぎないように腕を引っ張る。
そこにはゼフを食らう深紅の覇獣がいた。ゼフを上回る巨体である。もしかしたらゼフを追いかけてここまで来たのかもしれない。
「カイト!」
足元にはカイトが倒れていた。ピクリとも動かなければ、明らかに潰されていた。アーチャーの目から涙がこぼれる。
他にも、地面が血だらけな場所があった。そこに散乱している革鎧には見覚えがあった。アラニアのものである。
「アラニア……ゼクス様は?」
バリスタが隠されている場所へと移動した。深紅の覇獣はいまだにゼフに食らいついている。
「バリスタが……」
バリスタは隠された茂み事壊されていた。弓は大丈夫そうであるが台座と弦が壊れてしまっている。
「使えるか?」
「台座の代わりがあれば……」
弦は予備があった。気づかれないように弦を張り替えるが、斬れた弦にはかなりの量の血がついている事に気づいた。周囲にもいくつか血痕がある。
「まさか、ゼクスのか?」
サイトのつぶやきを聞き、アーチャーが一瞬動きを止めた。ゼクスの安否を気にしている。だが、二人とは別にここにも血がついているということは、ゼクスも襲われていたに違いなかった。
近くに落ちていた石を台座の破損した部分に詰めて、バリスタは使えることができるようになった。
「サイト、話がある」
サイトの両肩をぐっと掴んだアーチャーが言う。言われることは分かっていた。
「俺はこれからゼクス様たちの仇を取る。だが、失敗した場合、お前は逃げろ。だから、あそこまで今から離れるんだ」
中継地点のある方向を指差したアーチャーの手は震えていた。
「矢は1本だ。それにお前を巻き込むわけにはいかない。王都に帰ってバリスタを作って俺たちの仇をとってくれ」
「馬鹿だな、アーチャー。そんな事言われて、はいそうですかと言えるかよ。それにバリスタは一人じゃ打てない」
照準役と、発射役がいなければならない。本当は照準を合わせてから発射場所に移ればよいだけだったが、サイトは見栄を張った。アーチャーももしかしたらそのくらい分かっていたのかもしれない。
「あんたはアーチャーだろ? 急所を狙えよ」
涙で濡れたアーチャーの顔に笑顔が戻った。
「このボウズが、一丁前に」
「あんたも俺をボウズって呼ぶのかよ」
王都で職人をしている頃にはなかった感情がサイトに満ちた。命をかける覚悟とはこれかもしれない。
「覇獣の弱点というのでゼクス様たちと話し合ったことがある。矢が刺さるならば首だ」
腹を食らわれているゼフの首には傷があった。噛み傷には見えないのと、深紅の覇獣が無傷であることを考えると、ゼクスが打ち抜いた痕であり、それによってゼフを倒したかもしくは深手を負わせたと思われた。
「頭はだめだ。頭蓋骨が硬すぎて、おそらくは矢が貫通しない」
サイトも頷く。覇獣といえども獣だ。ならば首には重要な器官が詰まっている。撃ち抜けば十分に勝機はあった。覇獣の頭蓋は加工できなかったために剥製屋に回した。
「だが、なかなかこちらを向かないな」
照準を合わせながらアーチャーがうめく。その首筋には気温とは関係なく大粒の汗が滴っていた。
肉に食らいつく深紅の覇獣の全貌はよく見えない。ゼフの肉体が邪魔となっているのだ。
「くそぅ…」
焦りだけが募る。矢は1本しかない。
その内、風が変わった。
ゼフを食らっていた深紅の覇獣がピクリと動きを止めた。さらにはギロリとこちらを見た。
「見つかった!?」
台座が破損したバリスタは背が低くなっている。サイトの所からも十分に覇獣が見えた。
一瞬で突撃体勢を取る覇獣。頭蓋を正面に突っ込んでくるその巨体は弱点を露出していなかった。一瞬、アーチャーは目などを狙うかとも思ったが、おそらくは当たらない。あたったところで致命傷にはならない。首か、せめて胸や腹が見えていればと奥歯を噛むがどうしようもないい。
今まででこれ以上の恐怖というのをサイトは感じたことがなかった。同時にこちらへ突っ込んでくる深紅の巨体が美しく見えた。
「美しい……」
これで終わるのだなと思うと、時間がゆっくりに感じられた。
人は死ぬ前に今までの人生を振り返るのだという。それは王都で過ごした見習い時代や、親方に認められたこと、職人として仕事ができたこと、悪友ができた事に加えてこの1か月程度のフロンティアでの生活も含まれていた。
帰ったらセリアの母親の作った蒸かし芋が食べたい。シエスタに教えてもらったゼクスの秘蔵の酒を開けて、アーチャーに覇追い屋で経験した話を聞けたらいい。アラニアには答えを聞かせてもらってないと怒らなきゃいけなかった。カイトは一緒に笑ってくれるんだろう。
ゼクスを一発殴らなきゃ。まあ、一発で許してやろう。やっぱり二発いこう。
覇獣が迫ってきた。その巨体に今更恐怖を感じる事はない。恐怖は常にあったからだ。それなのに身体は何故か動いた。
巨体の足音は大きかった。だが、その音ははっきりと聞こえた。
ヒュンッ! トスン!
何が起きたのかも何故か見えていた。
左から飛来した矢が深紅の覇獣の顔に刺さったのである。反射的に覇獣がそちらを見る。
覇獣に刺さる矢はバリスタの矢だけではなかった。だが、それは致命傷にはならないかもしれない。
覇獣の尾の一撃を防ぐことができるのは覇獣の外皮だけだった。だが、それは加工が難しかった。
「サイト!」
「撃てぇぇぇ!!」
誰かの叫びとアーチャーの合図は同時だった。サイトは引き金を引いた。
バリスタの矢は、射掛けられた方角を振り向いたために露出した深紅の覇獣の首に突き刺さった。
***
覇獣という獣がいる。
それはこの世界における生態系の頂点である。遠くからも良く見える鮮やかな青の体毛がそのことを示している。その風貌は獅子を思わせる体躯に立派な翼が付いておりあらゆるものを凌ぐ大きさをしている、とされる。だが、中には深紅の体毛をしたものなども確認されており、その生態はまだ謎に包まれている。
人類にとってこの覇獣の生息域に住むということは死と隣り合わせであった。しかし、建国されて数百年の王国に生きる場所のない人々にとってはこの覇獣の生息域以外には行く場所がなかった
そこはフロンティアと呼ばれた。新天地を意味するこの言葉が本当にフロンティアになるまでには時間がかかったという。
いつしか、人類は覇獣を克服する時がくるだろう。その力は人間同士の戦争に使われてしまうかもしれない。だが、この時代に生きた人間の中に、覇獣を克服し更に西に進むことに力を使った人物がいた。
フロンティアのさらに先、最果ての森のさらに向こうに一つの国ができた。王国で行き場所がなくなった人々が作り上げた国である。覇獣を恐れ、敬い、共に生きるこの国は、周辺に覇獣がいるために不可侵と言われ、数百年以上自治を保ったと言われている。一説によるとこの国は壁で覆われ、その壁の上には見たこともない巨大な弓が設置してあるのだとか。
国の名前は「バリスタ」。初代の代表であるサイト=バリスタは全ての人が生きていくことのできる国にしたいと言った。彼はもともと道具職人だったとか。
覇獣狩りと職人 本田紬 @tsumugi-honda
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