第8話 深紅

 気づいたらすでに夜だった。


「じゃあ、サイトを連れて行きます」

「頼んだ」

「ゼクス様、御武運を」


 ゼクスは最後はアーチャーと目を合わそうとしなかった。


「おい、最後に何か言うことはないのか?」


 サイトはゼクスのそういう態度が気に入らない。


「ボウズ、俺たちの付き合いは長い。すでに伝えたい事は伝え終わっている。…………だが、まあボウズには世話になった。ありがとうな」

「ばっか! そういう事じゃねえ!」


 しかしそう言ったサイトも言葉が出てくるわけではなかった。


「サイト、良いんだ。それに別れだときまったわけじゃねえ」


 アーチャーに促されてサイトは立ち上がった。ゼクスたちを直視できない。そのまま後ろを振り返って歩き始めた。後ろにアーチャーが続いた。一人だけが見張りにたち、それ以外は穴の中に戻る気配がしたが、それが誰だったのかは分からなかった。



 荷物がない徒歩行は登りの斜面であっても楽だった。


「まずは最後の中継地点にもどるぞ」


 いつの間にかアーチャーが先行している。彼も何かを我慢しているのだとサイトは思った。フロンティアは常に我慢を強いられている。アラニアからこれからの事を聞けなかったのが悲しかった。アラニアはこれからの事は考えていないのだろう。サイトは、このまま王都へ戻ったあとの事を考えるのが嫌だった。それは、例えゼフが討伐できたとしても、いつかはゼクスたちが死ぬことを意味しているからだ。


「早いがもう寝よう」


 徹夜で見張りをしていたアーチャーの体力は限界であった。それでも中継地点までは力強く歩いた。まだ夜が明けない時間に、サイトたちは眠りにつくことになった。




 ***




 アーチャーとサイトが出て行った後、夜の間は覇獣の気配は皆無だった。


「できる限り体を休めよう」


 気を抜くわけにはいかなかったが、それでも隠蔽工作は問題ないはずだった。運の良い事に風の方向も問題ない。覇獣がどこまで匂いに敏感なのかは知らなかったが、人間よりも感覚が鋭いのは確実だった。


「ゼクス様、サイトは無事に王都まで帰ることができるでしょうか」


 起きていたカイトはゼクスに聞いた。見張りはアラニアが行っている。


「あいつは運が強いから大丈夫だ」

「それだと俺たちは運が悪いみたいに聞こえますよ」

「実際に運は悪いな」


 くくくっと二人して笑った。朝日が出てから数時間は経っており、覇獣がくるならばそろそろかもしれないという時間帯である。夜の間にそれぞれ仮眠をとったこともあり、あまり寝つけなかった。排泄などはできる限り夜の内に済ませてある。干し肉を少しずつ齧りながら待つことにはもう慣れた。


「ゼクス様!」


 アラニアが声を上げた。慌てているようで、隠れて囁いているようで、それが何を現わしているかは明白だった。

 ゼクスは鼓動が跳ね上がるのを感じた。


 鮮やかな青。かつて見たのと同じく空よりも青い。躍動感にあふれる肢体と全てを包み込むような両翼。着地と同時に天に向かって上るかのような体幹の姿勢に、ただただ美しいとしか思えない。

 恐怖がこみ上げる。今まで多くの同胞がこの獣に殺されてきた。対峙した経験があろうがなかろうが、直観的に自分が獲物であると感じてしまう。その間も常に美しさは損なわれることはなかった。


「落ち着くんだ」


 ガクガクと震える両膝を掴みながら、バリスタに矢を装填する。ギリギリと巻き上げられる音が聞こえるのではないかと不安がゼクスを包んだ。

 ゼフはこちらには気づいていない。泉へ水を飲みに寄ったのだろう。ゆっくりと泉へ向かって歩いていた。


「狙いは首だ」


 翼や四肢を狙ったとしても致命傷にはならない。胴体もそれらに阻まれた場合には次の矢を装填する時間がないかもしれない。

 照準を合わせるのはゼクスの役目であった。アラニアが発射の引き金を引く。カイトは次の矢を準備し、ゼクスとともに装填を行う予定であった。3人ともに今更自分の役割を確認するまでもなく配置についている。

 水を飲む瞬間がもっとも無防備になるはずだった。バリスタの耐久力はおそらく数発はもつ。少なくとも持ってきた3発の矢で壊れることはないだろう。ここからの距離としても外さない自信がある。

 当初から当たろうが外れようが2発の矢を撃つ計画にしていた。1発で倒せるとは思っていない。プレブの時に使ったように斧も持って来ている。3発目を撃つかどうかはその時の判断に委ねるつもりだった。できれば2発までで終わらせたい。


「サイトのバリスタを信じよう」


 カイトとアラニアが頷いた。照準は合った。ゼフは泉に口を付けて水を飲みだした。



「撃て」



 アラニアは言葉ではなく行動で返事をした。サイトが研ぎ、形状を工夫した矢が飛んだ。

 矢はゼフの首に突き刺さった。

 カイトは次の矢の装填を始めている。矢がどうなったかは見ていないのだろう。既に腹をくくっている。それはゼクスもアラニアも同じであった。ゼクスも訓練したように装填を手伝い、次の照準を合わせようとする。

 そこで初めてゼフをみた。


「うおぉぉぉぉぉ!! 撃てぇ!!」


 ゼクスの目には倒れようとするゼフが映っていた。確実に首に刺さった矢が効いている。

 もう一発、首に矢が飛んだ。それはさきほどの矢と拳一つ分だけ離れた場所に突き刺さった。


 ゼフが前のめりに倒れる。首からは大量の血が流れていた。

 ズゥゥンと巨体が音を立てて地に伏せた。その周囲には赤い血が流れ、泉に流れ込んでいった。


「やった……」


 まず、カイトが呟いた。アラニアの所からはゼフが見えないのだろう。だが、カイトのつぶやきを聞いてアラニアの顏にも変化が訪れた。

 ゼクスは信じられなかった。死を覚悟していたのだ。プレブに打ち込んだバリスタはここまでの効果がなかった。おそらくサイトの作り上げたバリスタは首を貫通しているのだろう。矢の尻が肉にのめりこんで見えない。


「倒したぁぁぁぁ!!」


 カイトがらしくもなく叫んだ。その手には斧が握られている。とどめを刺しに行くのだろう。走り出した。アラニアも急いではいないが斧を担いでそれに続いた。

 ゼクスはその場にへたり込んだ


「やったぜ……」


 空が青かった。



 そして、青いそらに一点の赤いそれ・・が見えた。



「なんだ?」


 それ・・はゼフよりも巨大で、赤かった。ゼフの上に降りると、近づいていたカイトを踏みつぶした。


「カイト!!」


 アラニアが叫んだ時にはゼクスは状況を把握できていなかった。

 目の前の光景が信じられない。先ほどまでも信じられなかった。ゼフを討伐できるなんて思ってもみなかったのである。だが、それを越える光景があった。


「二体目の……覇獣?」


 これまで見てきた蒼い体毛ではない。深紅の体毛に覆われた死神である。ゼクスはこんな時にも関わらず、個体名を付けるならば「クリムゾン」と呼ぶだろうなと思った。

 ゼクスからみて右側にアラニアはいた。クリムゾンは突進すると、アラニアを前足で払った。斧でそれを防ごうとしたアラニアは、爪で斧ごと身体をいくつかに分けられて吹き飛んだ。

 クリムゾンはその回転を利用し、ゼクスとバリスタを、尾で払った。ゼクスを認識していたのか、たまたまだったのかは分からない。


 尾の先がゼクスを襲った。このままだとバリスタも壊れるだろうなと最後にゼク

スは思った。

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