第4話 喜びと悲しみは表裏一体

「彼女と会ったんだってね?」

 街田のそれは、半ば落胆にも似た意味合いを含んでいた。

 彼に対して隠し事をするのは至難の技だった。本気で心を読めるんじゃないかと思うほどに。

 故に、自分は首肯することで、出来るだけ曖昧に答えた。

「まあ、出会ってしまったなら仕方ないね。それはそれである種の運命だし」

「運命ですか?」

「ああ。医者が運命なんて言葉を使うと煙たがられるけどね」

 そう言って、街田は定期健診を続ける。

「……それで、君は彼女の事をどう思った?」

「どうって。元気そうだなって思ったぐらいですけど」

「まあ、元気には違いないけどね」

 街田は足の状態を確かめながら、視線だけをこちらに向ける。それは、暗に『そういうことを聞いているのではない』と訴えていた。

 確かに、自分自身も彼女に対して思う所はある。

 その一つが彼女の病気について。

 元気な時の彼女だけを見ていたとしたら、特に気にはならなかっただろう。

 しかし、あの『面会謝絶』のカードを見てしまった。

 街田はいつまでたっても答えない僕に業を煮やしたように喋り始める。

「実際、彼女はたいした病気ではないとも、そうではないとも言える」

「なんですか、それ」

「言ってみれば何の病気か解らない病気って奴だね」

「それ、結構重大なことじゃないんですか?」

「まあ、そうなる。だから病院は彼女を手放したくない」

 その言葉が何を意味しているのか何となく理解できた。

 その病状が解明されれば、発見したこの病院は脚光を浴びることになるだろう。

 しかし、それではまるで――。

「確かに彼女は元気で入院する必要は無いのかもしれない。世の中ってのはそんなもんさ」

 先手を打つようにそう言って、「今日の検診も異常なし」と立ち上がる。

 その表情からは彼の感情を読み取ることができない。

「せっかく出会ってしまったんだから、今の関係を大切にしてみてもいいんじゃないか?」

「……どうですかね」

「まあ、きみ次第だよ。それじゃ、またね」

 結局、いつものように半分話をはぐらかす様に会話を締められる。

 そこに悪意は感じられないが、その態度だけは好きになれなかった。

 かくいう街田もそこまで僕に好かれようとは思っていないだろう。

 病室を出て行く彼の背を見送ってから、体をゆっくりとベッドに横たえた。


   ◆◆◆


 待ちに待った面会の日がやって来る。

 顔に満面の笑みを浮かべたお父さんとお母さん。そして、手には綺麗な花束。

 前に届けてもらった花は結局枯れてしまったけれど、そんなことはもうどうでもいい。

 お母さんの暖かい手。甘い香水の匂い。お父さんの日に焼けた腕。

 ――すべて、今だけは私のもの。至福の時間。

「今日はとっても調子がいいの!」

「そう、よかったわね」

「もうすぐ退院できるかもな」

 両親の言葉と、温かい眼差し。

 両親の笑顔は私の望むもの。

 今の私はとても幸せ。幸せという言葉が陳腐なぐらい。

 でも、たった二時間の面会時間。

 ……ああ、この幸せがずっと続けばいいのに。

 ずっと一緒に過ごせたらいいのに。でも、今の私にはそれが許されない。

 初めは、それが酷く苦痛だった。

 どうして私だけが……。何度も何度もそう思った。

 担当医に当たり散らしたこともあった。

 でも、今はそれが酷い我が儘だった事を知っている。

 そう、彼――士朗と出会ったから。

 有り体な不幸比べなんて意味が無い。

 そう思わせるほど圧倒的なまでの絶望感。それを持った彼。

「私ね、友達が出来たの」

 そう言うと、両親は少し驚いた様子で目を見開いた。

 両親が見せる驚きの表情は、とても新鮮だった。

「……そうか、それは良かったな」

「ええ、個室だから寂しい思いをしているんじゃないか、っていつも話してたのよ」

 そう言って笑う両親。私もそれに答えるように笑う。

 確かにそうなのかもしれない。

 この個室という私のお城。それに閉じ籠ろうとしていた私は他の人を拒絶していた。

 でも、私はそこから飛び出したんだ。

 その理由が小さな好奇心だったとしても。

 ……なら、どうして私は部屋に閉じこもっていたのだろう。

 そんな疑問が、不意に脳裏をかすめた。

 ――何か忘れている事があるんじゃないの?

 そんな自問自答は降って湧いた。

 何か忘れているような、それでいて思い出したくないような嫌な感覚に表情が歪む。

「どうしたの? 大丈夫?」

「……うん、大丈夫、大丈夫!」

 そうあわてて取り繕う。それが一番賢いやり方だと思った。

 両親からは普段は嗅ぐことの出来ない外の香りがする。

 両親と一緒に居るという実感。それは、私が病院に居るのだという悲しみと表裏一体。

 今は、それでいいと思う。

 花を飾る理由もそう。それが両親と私を繋ぐものだと思うから。

 その香りがあれば、離れていても繋がっていると思えるから。

 両親から受け取ったお見舞いの花束をベッドの脇の机へと置く。

 面会時間が終わったら、看護師のお姉さんに活けて貰うつもりだ。

「私の友達はね……」

 何故だろう。そう言った瞬間に両親が見せた苦虫をつぶしたような表情。

 それが何を意味しているのか私には解らなかった。

 気のせいだったのかもしれない。

 今はそう思うことにした。

 今は一秒でも長く、両親と話をしていたかったから。

 私は少し大袈裟な脚色を付けて、シロ君の事を説明する。

「それは大変だね」

「あんまり、迷惑をかけちゃ駄目よ」

「わかってる」

 他愛も無い言葉。勿論、私だってシロ君に迷惑をかける気なんて無い。

 でも、知らず知らずの間に迷惑をかけてる場合だってある。

 それは、私も知っている。知っているはずだった。

 ……どうして知っているのか?

 それは思い出せないけれど。

 そうして、他愛も無い会話が続く。

 ああ、この時間が永遠だったらいいのに。

「病気が治れば、また一緒に暮らせるじゃないか」

 その一言。毎回、毎回繰り返されるその言葉。魔法の様なその言葉。

 私もその言葉に縋って頷く。

 でも、それはいつ?

 もうすぐ?

 それとも、もっと先?

 もっと、もっと、先?

 ずっと、ずっと……?

 ずっと、ずっと、ずーっと、ずーっと……………………永遠に?

 ――ダメ。

 今はそれを考えちゃいけない。

 ――どうして?

 それは考えなくていいことだから。

 ――どうして?

 今が幸せだから。今の幸せを守りたいから。

 ――どうして?

 どうしても。そうじゃないと、私が……。

「どうしたの、有利子。やっぱり具合が悪いの?」

「ううん、何でもない」

 そう笑ってごまかす。考えすぎるのは、最近覚えた悪い癖。

 考えるよりも行動。それが私らしいと思う。

 私は変わらなくたっていいんだ。


   ◆◆◆


「絶望的だ、なんて甘い台詞は吐けないな」

「どうしてですか?」

「どうしてって……」

 ――僕はもうすぐ死にますか?

 その問いに対して、街田は不愉快そうに眉を潜めて見せた。

「あのな、君はあんまり過保護にされ過ぎたせいで、自分の病状をしっかり自覚してないんだよ」

「何ですかそれ。自分の病状は一番よく解ってます」

「ほぅ、そうかい」

 そのぞんざいな言い方が、酷くしゃくに障った。彼の言いたいことは解っていた。

 こうして、部屋に一人で閉じ籠っていた所で意味が無いということ。閉じ籠っていた所で病状が改善する訳でも、悪化する訳でもないという事実。

 僕が目を瞑ろうとしている真実だった。

「確かに、根本的な治療法は無い。だが、だからと言って病室から出てはいけない訳ではないんだよ?」

「……今日は、やけにはっきり言いますね」

「そりゃね」

 街田はそう言って、伸びをして見せる。

「君は自分の意思で彼女に会ったんだろう? つまり、行動したのは君だ。でも、その後はいつも通り、部屋から出ようとしない」

「必要なら、行動します」

「ほら、そうやって逃げてる」

「逃げてません」

「少なくとも、私にはそう見えるよ」

 いつもより積極的な街田の言葉に、自分は睨み返すことしかできない。

「残念だけど、睨まれるのには慣れてるんだ。色々ね」

 街田はつまらなそうにそう言うと、疲れた様子で自分の肩を叩く。

 ……この人は会うなと言ったり、逆に行動しろと言ったり、よく解らない。

「当面の間は、彼女が会いに来てくれるだろうさ」

 言葉を返さないこちらに業を煮やしたのか、街田はにやりと嫌な笑みを浮かべる。

「でも、彼女が病室から出ようって言ったら、君はどうするのかな」

 そんな問いかけを残して、街田は病室を後にする。

 僕の答えを聞かないまま。いや、きっと自分には答えられなかっただろう。自分でも、その時が来ることは重々承知している。それは可能性なんて生易しいものではなく、ほぼ確定した未来として。

 そして、僕は目を背け続けていた。完全に耳を塞ぎ、その時が来るのを一生懸命に遅らせようとしている。何の意味もないのに。

 そんな自分が滑稽だった。

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『私』と『僕』の傷跡 白林透 @victim46

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