第十六幕


 第十六幕



 那覇空港のターミナルビルの一階の、到着ロビーの北側。そこに設置されたエスカレーターの正面の吹き抜けの中央に降り立った俺は、肺を構成する肺胞の隅々にまで吸い込んだ空気が行き渡るように、何度も深呼吸を繰り返した。すると本州からは遠く離れた沖縄の暑く湿った空気の中にさえ、ほんのりと醤油とみりんの匂いが混じっているような気がしてならない。

「やった! 日本だ!」

 多くの観光客が行き交う空港の到着ロビーで人目も気にせず大声でそう叫んだ俺は、万感の思いを胸に抱きながらガッツポーズを決めると、ややもすればスキップ気味になってしまうほど軽い足取りでもって歩き始める。

 今を遡る事二十分前、俺を乗せた政府専用機は四基のエンジンの内の一基が停止すると言うトラブルに見舞われながらも、那覇空港の滑走路に何事も無く着陸してみせた。そして一通りの手続きを終えた俺は政府専用機がエンジンの修理か交換を終えるまで、もしくは本州まで飛べる代替機の準備が整うまでは自由の身として、こうして空港のターミナルビル内を一人で出歩く事を許されたのである。

「さてと、何を食べようかな」

 スーツケースやキャリーバッグと言った大きな荷物を抱えた観光客で賑わうターミナルビルの到着ロビー内を手ぶらで歩きながら、スウェットにサンダル姿の俺は呟いた。そしてそんな俺のスウェットのポケットの中には、一万円札が一枚。政府専用機の男性乗務員から借りたこの一万円でもって、これからターミナルビル内の飲食店で久しぶりの日本食を堪能しようと言う魂胆である。

「蕎麦か……。いいな、蕎麦とビールってのも」

 到着ロビーの西側に位置する到着口Aのすぐ脇に店を構える、蕎麦処『琉風』。その店先でそう呟いた俺は、さっそく店内へと足を踏み入れた。そしてカウンター席に腰を据えると看板メニューらしき沖縄蕎麦、いわゆるソーキ蕎麦と生ビールを注文し、暫し待たされた後に運ばれて来た蕎麦とビールを無心に賞味する。

「ああ、そうだ、これだ、この醤油と出汁の味、懐かしいなあ」

 本州の日本蕎麦とは違って麺に蕎麦粉が使われてはいないものの、それでもソーキ蕎麦のつゆに使われている醤油と出汁の味は日本料理を髣髴とさせて、その懐かしさについつい涙が零れざるを得ない。そしてそんなソーキ蕎麦と一緒にごくごくと飲み下す生ビールもまた、日本人が日本人のために醸造したビールの味であって、やはり日本人である俺には郷愁の念を抱かせる感慨深いおふくろの味であった。なんならこのまま死んでもいいと思うほどの、我が故郷ふるさととの感動の再会である。

「?」

 だがしかし、そんな郷愁の念に耽る俺の肩を、トントンと背後から叩く者が在った。そこでソーキ蕎麦と生ビールの余韻を楽しんでいた俺は「誰だ? 俺と故郷ふるさととの感動の再会を邪魔するような無粋な奴は?」などと思いながら振り返ると、文字通り度肝を抜かれるほど驚く。何故ならそこには手斧を携えてトレンチコートに身を包んだ黒人の大女、つまり政府専用機のPW4056ジェットエンジンに吸い込まれて死んだ筈の始末屋が立っていたからだ。

「しま……」

 俺は絶句し、足が竦んでしまって一歩も動けないままその場に立ち尽くす。そしてまず最初は、昨日からこっち命を狙われ続けた事による過度のストレスが原因で、幻覚か白昼夢の類が見えているのではないかと自分の眼を疑った。しかし残念ながら、自分の頬をつねって確かめてみるまでもなく、眼前に立つ始末屋は確かに存在している。その証拠に、彼女のトレンチコートやスーツはズタズタに引き裂かれ、全身至る箇所に負った裂傷や擦過傷からは真っ赤な鮮血が滲み出ていた。つまり紛れも無く始末屋はジェットエンジンに吸い込まれた上で高速回転するタービンによって切り刻まれたのだが、俺が想像していたようにミンチ肉になって果てる事無く、ちょっと流血する程度の軽傷を負うだけで生き残ってみせたのである。なんともはや、常人離れして頑丈な肉体もここまで頑丈だと、もはや驚きを通り越して呆れざるを得ない。

「見つけたぞ、サイト・カヤ。アイシェ・バジェオウルの命により、お前を殺す」

 やはり淡々と仕事をこなす職人の様な無表情のままそう言った始末屋が、手にした手斧を頭上高く振りかぶった。そしてその手斧の鋭利な切っ先によって脳天をかち割られながら、俺は悔恨する。もしここで死ぬ事無く生き残れたのならば、もう二度と絶対に、碌な思慮も覚悟も無く異文化を土足で踏み荒らすような真似はしませんと。

 しかし残念ながら、俺の意識はここで途絶えるのであった。


                                    了

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ハレム!ハレム!ハレム! 大竹久和 @hisakaz

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