第3話 ディーゼル車に揺られて
ディーゼル車のハンドルを握って、ロンドン郊外を走っていく。後部から吐き出される煤煙が風向きによって車の方へと吹き付けられ、ただでさえくすんだガラスにさらに煤がついた。
「まったく、確かに自動車は速いけれど、こんなに揺れるのなら馬車のほうがまだ幾分かマシね。馬車は馬車で獣くさいから好きではないのだけど!」
「はあ、それでは次回から馬車で送り迎えしましょうか」
「馬車も好きじゃないって言ってるじゃない、このポンコツ!」
舗装されていない道のせいでがたごとと揺れる車内に、マリィの偉そうな声が大きく響く。ちらりとミラーで後部座席を見ると、マリィに睨み返された。とても怖い。
慌てて前方へと視線を戻し、車を走らせ続けることに集中しはじめる。何しろこんな荒れた道だ。事故を起こして彼女に傷一つでもつけようものなら、彼女の保護者に何をされるか分かったものではない。
体を一度ぶるりと震わせ、ぐっとハンドルを握りなおしたその時、後部座席から彼女の冷たい声が飛んできた。
「ところでトニー刑事」
「は、はい! 何でしょう!」
背筋を正し、再びミラーで彼女の顔を確認すると、彼女は顎に手を当てて考え込んでいるところだった。
「その問題の絵画って、その家に元からあったもの? それとも最近買ってきたものかしら?」
「え、えっと、確か最近購入されたものだったはずです。捜査資料にはそう書いてありました」
「……ふぅん」
彼女はそれだけを言うと、突然足を持ち上げ、運転席の背もたれをガッと蹴りつけてきた。その衝撃に手元が狂いかけ、自分は慌ててブレーキを踏む。車は甲高いブレーキ音を立てて無事に停車した。
「な、何するんですかマリィ様!?」
「行き先変更よ。引き返しなさい」
「へ? え?」
「いいから、引き返しなさい」
振り返ると、彼女の険しい目つきとばっちり目が合い、自分は慌ててハンドルを巡らせて車体の向きを変えた。ギアを入れ直し、ゆっくりとアクセルを踏む。
「それで……どちらへ向かえばよろしいので……?」
「決まってるじゃない、その絵を売った画商のところよ」
突然の指示に混乱した自分は何度か目をぱちぱちとさせる。マリィは著しく機嫌を悪くしたようだった。
「私は絵のプロフェッショナルではないのだもの。どうせ検分させるのなら、プロを連れていったほうが手っ取り早いでしょうに、そんなことも分からないの? それだからあなたは駄目なのよ!」
「ひぇぇ……!」
後部座席でガンッと足を踏み鳴らされ、自分はびくっと肩を震わせる。マリィは当然のごとく言葉の勢いを止めてはくれなかった。
「ほら、無駄話をしている暇があるならもっと馬鞭を当てなさい! 私はもう一秒だってここで揺られていたくはないのよ!」
「ひぃぃ、馬車じゃないので鞭は当てられません……」
「だったらアクセルを踏むのよ、ほら早く!」
くだんの画商は、ロンドンはウエストエンドのはじっこにあった。
道端にディーゼル車をつけ、エンジンを止める。マリィは自分からは絶対に降りようとしないので、急いで運転席から出て、後部座席のドアを恭しく開けた。
「遅い! なめくじだってもう少しきびきび動くわよ!」
「はひぃ、すみません……」
かわいらしい声で叱りつけてくるマリィに肩をびくりと竦ませる。本当にこの子は理不尽だ。何をしたって不機嫌だし、いや、上機嫌の時のほうが罵倒にキレがあるので、どちらにせよ自分はそれに翻弄されるしかない。
「お邪魔します」
彼女のために開けた粗末なドアから、マリィは足音荒く店内へと足を踏み入れていく。店内の奥にはカウンターがあり、その近くで作業をしていたらしき少女がこちらを振り返った。
少女は、真っ赤なドレスに薄いケープを羽織ったマリィの地位を一目で察したようで、帽子を取って深々と一礼をした。
「いらっしゃいませ、お貴族様、本日はどのようなご用向きで?」
彼女の身なりは、一言で言うならば粗末そのものだった。着ている服はそこらに転がっている貧民と大差なく、前にかけたエプロンも絵の具で汚れ切っている。
そしてこれは本当に失礼な感想なのだが――彼女の顔はあまり整ってはいなかった。口は横に大きく、顔には大きなあざが。唯一、ヘーゼルの瞳だけは美しく、こちらをおそるおそる窺っていた。
「すまない、店主を出してもらえるか。聞きたいことがあるんだ」
彼女はぱちぱちと目を何度か開け閉めした後、申し訳なさそうな顔で言った。
「ええと、私がこの店の店主です。何かご用ですか……?」
目をしばたかせるのは今度はこちらの番だった。てっきり画商の下働きか何かかと思ったが、そうではないのか。
「店主? あなたのような子供が?」
「あ、いえ、私、今年で十九歳です。背が小さいのでよく間違われるんですが……」
それでもまだ若いだろうに。
困惑の目を向けられていることに気づいたのか、少女は恥ずかしそうに顔を伏せた。
「元々は祖父の店だったんですが、祖父が倒れてしまって……それで私が引き継いだんです」
「なるほど……嫌なことを聞いてしまってすまない」
「い、いえ! お貴族様のせいでは!」
あわあわと挙動不審になる少女に、申し訳なさがつのる。そんな自分をよそに、マリィはつかつかと彼女に歩み寄り、低い位置から彼女を睨みつけた。
「あなた、名前は?」
「テ、テイミーです。テイミー・ジェイメル」
「そ。じゃあ行くわよ、テイミー」
「へ? ええっ!?」
マリィは彼女の手をひっつかむと、つかつかとかかとを鳴らしながら店の外へと出ていこうとした。
「マ、マリィ様! せめてご説明を!」
「そんなものあちらについてからでいいじゃない。さっさと車を出しなさい、このノロマ!」
「はひぃ……!」
廃嫡令嬢マリアステラの悪辣なる推理 黄鱗きいろ @cradleofdragon
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