大人の擬人化

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大人の擬人化

 なにかを擬人化ぎじんかした商品が流行り始めたのは、一体いつからだろう。動物や乗り物、国や星など、本当になんだって擬人化出来る。


 そういえば、最近ったレンタル屋に置いてあった『過去の偉人の擬人化シリーズ!』と書かれたガチャを見つけた時は驚いた。とうとう擬人化は本来の意味を喪失したらしい。


 それとも、過去の偉人は全て人外の存在だったのだろうか。だとしたら何なんだ。そんな稚拙な想像にふけっている間、私の眼の前では午後の定例会議が進行していた。


 そう、私の働く企業でも、擬人化の流行りに便乗してか何かを擬人化した商品を作ろうと言う話が持ち上がっているのだ。


 自社製品を擬人化するか、はたまた全く新しい擬人化商品を生み出すのか。これといった正解が見つからないまま、時間だけが経過していた。


 そして今、新商品の展開を議題にした会議は早2時間が経過し、日頃の疲れのせいか、私の意識はまどろみへと沈みかけていた。


 停滞した空気の中で、思考まで緩やかに停滞していく。流行りを追って流行らない商品の屍が積み上がるのは、ゆるキャラ全盛期にさんざ経験したろうに。



「……なにか……新しい……たくさんの方に……」



 声が段々と遠くなり、そしてついに、私の意識は完全に沈んだ。


「……」


 私は夢の中で、わたあめを食べていた。だけど突然、わたあめがとげあめになった。とげあめとは、トゲの生えたわたあめである。口の中が血だらけになってとても辛かったし、そもそもとげあめってなんやねんという疑問で胸が一杯になった。トゲの生えたわたあめなんて誰が喰うんだよ。子供向けの拷問かな? と、疑問がいっぱいになったところで夢から覚めた。


「……木村係長、何かありますか?」


 名指しで自分を呼ぶ声に、私の意識が現実へと引き戻されたのだ。声のした方に目を向けると、無表情な部長の姿があった。


 心臓の鼓動が強く胸を打つ。あれ? さっきまでとげあめを食べていたのに、なんで会議室にいるんだ私は。


「……えっーとですねー」


 黙っているわけにも行かず、取り敢えず考えている風な声を出す。


「女性の意見も聞きたいと思ったのですが、どうでしょうか?」


 部長がどうでしょうかと畳み掛けるが、居眠りしていたせいで考えがまとまらない。


「……えっと……擬人化といえば……かなり色んなものが擬人化されていますし、やはり、擬人化されてないものを擬人化するべきでしょうね」


 当たり前の事しか言わない私の発言に、部長は続きをどうぞという目を向ける。見切り発車で話す私は、ゴールも見えないまま言葉を繋ぎ続ける。


「……擬人化されてないものといえば、例えば…………概念を擬人化するのも、新しい手ではないかと思います」


 咄嗟に思いついた事を言ってみるが、残念ながら自分でも、何を言っているか良く分からない。


「概念? 例えばなんですか」


 当たり前だが、部長は続きを言うよう促してくる。こいつ、私が寝てたのに気づいて当てやがったな。私は確信した。


 よく考えたら、女の私をどこか見下している部長が「女性の意見も聞きたいのですが」なんて殊勝なこと言うわけがない。


 一瞬の静寂が訪れ、その間を埋めるように、再び部長の声が割り込む。


「大人向け商品という線で話が進んでますので、そっち方面でよろしくお願いしますよ」


 大人向け商品。そんな話が上がっていたのか。私がとげあめを食べていたのはごく数分のはずだが、どうやらその数分で大事な話が行われていたらしい。


 新しい情報を投げつけられ、頭の中が余計に混乱する。


「……そうですね。大人向けの商品ということで、大人向けなので。例えば、大人、大人ですよね。大人………………、の擬人化というのは、なかなか珍しくて、大人の興味を引くのではないでしょうか?」


 そして口から出てきたのは、そんな意味不明な提案だった。こんなの、偉人の擬人化と大差ないレベルだ。


「……それ、考えあっての発言ですか?」


 部長から厳しい意見が投げつけられるが、もちろん考えなどない。


 しかし、ここで今適当に思い付きましたとは絶対に言えない。私は「もちろんですとも」と思ってもない事を自信満々に口走った。


「そこまで言うなら、来週の定例会議までにある程度中身を詰めて来てくださいね。今日中に決裁を上げて、議題として採用されるようにお願いします」


 部長はそう言い、勝ち誇った顔をしながら私から視線を外した。


「はい」と、あくまで無表情を装いながら返事をした私は、そのまま視線を手元の書類に向ける。


「……」


 これは困った。高鳴る心臓の鼓動は、まるで非常事態を知らせる警鐘のようだ。やらかした。後悔は、今更したところでもう遅い。


 誰を恨むわけにもいないので、取り敢えずこの失態は全部、とげあめのせいだと思う事にした。


 ◆


 ここまでが、昨日の苦い思い出だ。私は朝の通勤電車に揺られながら、昨日の出来事を思い返していた。


「……」


 昨日の出来事といえば、あの奇妙な夢は何かの暗示だったのだろうか。私はスマホに「とげ あめ 夢」と打ち込み、検索する。意外にも、数件の夢占いサイトが引っかかった。直ぐに一番上のサイトを開く。


「居眠り中に、わたあめがとげあめになる夢を見た人は、死にます!」


 と書かれていた。どんな夢占いだよ。とげあめって普遍的な存在なのかよ。状況がピンポイント過ぎるし私を狙い撃ちし過ぎだろ。というか、死ぬのかよ。たった一行の占い結果なのに、ツッコミが無限に頭に浮かぶ。


「……とげあめってなんだよ」


 今世紀1番腑に落ちない気持ちだった。


 ちなみに今世紀2番目に腑に落ちなかったのは、ある朝小学生に突然「よお! ウンコキングじゃん! 久しぶ……すみません、人違いでした」と言われた時である。


 聞きたいことが山ほどあったが、少年は人違いした恥ずかしさのせいか逃げるようにその場を後にした。


 私は一生「なにと間違ったんだよ」という疑問を解決できない呪いをかけられたのだ。最悪だった。あまりに気になり過ぎて、ナイトスクープに少年の捜索依頼を出した事もあった。


 3年経った今も採用されていない。ナイトスクープだけが最後の頼みの綱なのに。助けて。


 ダメだ。もやもやした思い出なんて、振り返っても仕方がない。今は目の前に大きな課題があるじゃないか。私は大人とは何かを知るべく、通勤電車の中、ひたすらスマートフォンで関連ワードを検索し始めた。


「子供 大人 違い」「大人 擬人化」「大人 特徴」「子供 特徴」


 そうしてほとんど行き当たりバッタリに検索を続ける中見つけたのは、小学生4人がやけにテンション高く黒ひげ危機一発で遊ぶ動画だった。


 狂ったようなテンションで剣を刺し込み、飛び出た黒ひげを見て、子供達はあやしい薬でもやってるのかと疑うほどのテンションで笑い転げる。


 ツイッターに載せられたこの動画は、なんと1万リツイートを突破していた。ちなみに、私の投稿に付いた最高リツイート数は1である(リツイートしたのは、自分である)。


 さみしい。


「……」


 しかし正直、黒ひげ危機一発みたいな遊びにここまで真剣になれるなんて羨ましい限りだ。


 そういえば、大人になって以来、すっかり何かを本気で楽しむ事がなくなった気がする。


「……子供、かぁ」


 気づくと、私は自分の子供時代へと思いを巡らせていた。思い出さなくて良いことまで、思い出してしまうのに。



 ◇



 私の子供時代の、最も印象深い出来事は間違いなく、玩具やゲームを差し押さえられたことである。


 当時熱中していたポケモンや、大切にしていたお人形も、全てがこの手から離れることになった。


 子供が遊んだ後の傷付いたゲームや人形など、ロクな値段も付かず、ネットオークションも無かった当時ならおそらく売る労力の方が高かったはずだ。


 しかし、ほとんど無益な差し押さえに近い状態で、家の片隅まで、これから引越しでもするのかと思うほど空っぽに持って行かれた。


 無益な差し押さえが法律で禁止されていることを知った今となっては、法も守らずに何もかもを持って行った彼らが非合法な連中だったと理解できる。


 しかし、そんな連中から金を借りなければならないほど、当時の私たち家族は追い詰められていた。


 私の実家はかつて、商店街で小さな電気屋を営んでいた。そして私は、商店街の友達と遊び、商店街で買った食べ物で作った料理を食べ、生活していた。

 

 食卓には笑顔が絶えず、とても楽しい子供時代だったと思う。父はよく、口癖のように


「大きくなったらこの店を継いでくれるか?」


 と言っていた。私はいつも、笑顔でもちろんと返事をする。すると母は


「女の子なんだから、こんな汚い店継がなくて良いわよ」


 と言い、父は「本人がやる気なんだから、別に良いだろ」と反論するのだ。


「じゃあ、翔子のお婿さんに継いでもらいましょう」


 ある時こう母が言うと、父は婿という単語に反応したのか、やや震えた声で「バカ言うんじゃない」とそっぽを向き、ビールへと手を伸ばした。


「ともかく、翔子が大きくなるまでに、もっとこの店を大きくしないとな」


 酒臭い息を吐きながら言う父に、私は笑顔で応えた。そんな当たり前の生活が、いつまでも続くと思っていた。


 そんな生活に暗雲が立ち込め始めたのは、大規模商店舗規制法の廃止された2000年頃からだ。


 大規模商店舗規制法(通称:店舗規制法)は商店街など主に小型の店を守ることを目的とした法律である。


 その内容を簡単に言えば、商店街の近くに大型店舗が進出するのを規制するという内容だ。


 しかし、時の流れとともに、時代に合わないこの法律の撤廃を求める声は高まっていた。そして2000年という世紀の区切りを迎えたこの年遂に、店舗規制法は廃止された。


 大型店を縛る鎖は失われた。大型店が次々と私の店の近くへと進出して来たのは、案の定と言うほかない。


 巨大な資本を持った企業からすれば、個人商店から客を奪う事など容易い。ゲームで例えるなら、まさに初心者狩りにも近い行為である。


 私たち家族の電気屋も、まるで真綿で首を絞められるかのように、ゆっくりと黒字幅が縮小していった。そして規制法撤廃から2年後のある月、ついに業績は赤字へと転落した。


 頼みの銀行も金を貸し渋るようになった。貸したところでどうにもならないと、そう分かっているのだろう。プロの行員の目には、我が電気屋の行く末など手に取るように見えていたのだ。


 グレーゾーンな組織から借金をする羽目になったのは、こういう理由である。そして経営が完全に行き詰まった瞬間、彼らは差し押さえにやって来た。


 土地も家も失い、なんとか借金だけは返し終えた私たち家族は、父方の実家、私から見れば祖父母の家に厄介になることになった。


 幸いにして農業に勤しむ祖父母は、母親とも仲が良かった。嫁姑よめしゅうとめのいざこざなど、それこそ影も見えない。


 祖父は職を失った父に対しても「ちょうど良いじゃねぇか。長男なんだから、ウチの家業を手伝えよ」と笑顔で迎えてくれた。


 それから6年。高校生になり、進学や就職について考え始める時期になった私に、父は言った。


「翔子、翔子は好きなように働いて、立派な人間になれよ」


 普段から口癖のように、店を私に継がせるのが夢だと言っていた父親。


 俺が認める男なら、婿にウチの店継がせるのも悪くねぇと渋い顔で、だけど楽しそうに言っていた父親。


 すっかりシワの増えた父親。


 そんな父の横顔からは、なんの感情も読み取れず、なにを考えているかは全くわからなかった。しかし、たった一つだけ、私にも分かる事実があった。


 この瞬間、老いた父親が夢見ていた未来は、終わったのだ。



 ◇



 そして私は、父の言うような立派な人間になった。いや、立派な人間かは分からない。しかし、私は誰もが知る大企業に就職し、実績を上げ、現在係長という肩書きを持っている。


 男女共同参画社会とやらの影響だろうか。まだ二十代の私が中間管理職になれるなんて、正直想像もしていなかった。電話で昇進を報告した時の、父の嬉しそうな声は未だ鮮明に覚えている。


 そんな、過去の思い出に浸かっていた私の思考を現在へと引き戻したのは、聞き覚えのあるアナウンスの声だった。降りるべき駅に到達したことを滑舌の良い声で伝えている。私は人波に揉まれながら、電車の外へと流されていった。


 ホームを抜け改札へと向かう途中、私の頭の中では先ほど見た黒ひげの動画が再生され続けていた。


 そういえば、私は一体いつ大人になったのだろう。大人とは何なのだろう。大人になればなんでもできると思っていた。しかし、実際にはどうだ。小さな感動や小さな喜びが、段々と少なくなっただけじゃないのか。


 楽しそうに遊ぶ子供達の動画を冷めた目で見る私は、じゃあ何に楽しさを感じるのだ。


「……」


 人波から逃れた私はいつものルーティーンのように、改札横の自販機の前へと向かう。毎日ここでお茶を買い、会社へと向かうのだ。財布から百円と十円玉6枚を取り出し入れる。


「……」


 そういえば、自動販売機でジュースを買わずお茶を買うようになったのはいつからだ。


 子供の頃はお茶とジュースが同じ値段だなんて、一体誰がお茶なんて買うんだと疑問に思っていた。しかし、今ではお茶か水しか買わない。


「……」


 私はほんの思いつきで、一本のコーラを買った。久々過ぎて、前にコーラを買った日さえ思い出せない。かばんに冷えたコーラを入れ、私は改札を抜けた。


 コーラを振ってはいけないという簡単な事実さえ忘れていた私は、鞄を思い切り揺すりながら会社へと向かった。



 ◆



 目まぐるしく働いていると、時間なんてあっという間に過ぎる。なるほど、これじゃあ子供時代なんて一瞬で過ぎ去るはずだ。時計の針が12時を指しているのを確認した私は、昼食を摂るべく近くのショッピングモールへと向かった。


 飲食店が立ち並ぶ一角へと向かい、いつもの喫茶店へと入っていく。混み過ぎないこの店は、私のお気に入りなのだ。角の席へと腰を下ろした私はメニューに手を伸ばす。


 メニューを見、いつも通りナポリタンを注文しようと決めた私の視界の端に、ふと別のメニューが飛び込んできた。


『当店自慢の半熟オムライス』


 オムライス。子供の頃好きだったな。そう思っているうち、私の気持ちはオムライスへと傾いた。店員を呼び、半熟オムライスを注文する。


 電車内と同じようにスマホで「大人」について検索しているうち、オムライスはすぐに運ばれてきた。待ち時間が少ないのも、この店の魅力だ。


 席に置かれると同時に、半熟の卵が震える。美味しそうだ。ケチャップが付いていないが、これは自分でかけるのだろうか。


 店員にケチャップの場所を聞くと、個人個人で量を調節できるよう、調味料が置かれた一角にボトルが置いてあるとの事。私は席を立ち、ケチャップを取って来た。


「……」


 そういえば、オムライスを食べる時、ケチャップで文字を書かなくなったのはいつからだろう。ふとそんな考えが頭をよぎった。


 子供っぽくて恥ずかしいから書かなかったわけじゃない。いつからか、書こうという気持ちすら、欠片も心に浮かばないようになったのだ。


 子供の頃はハートやら自分の名前やら、はたまた可愛いネコさんやらを毎回書いていた。


 そういえば、私はケチャップが赤いのを利用して「呪」と書くのが好きだったなぁ。母に怖いから止めてくれと泣かれたのでやめたが。


 まあともかく、昔は文字を書くのが楽しかったのだ。


「……」


 書いてみるか。ひょっとしたら、ここにも「大人」の手がかりがあるかも知れない。私はケチャップを構え、オムライスの上に掲げた。


「……」


 しかし、なにを書けば良いのか思いつかない。昔みたいに無邪気に名前や猫やじゅを書こうか。


 ダメだ。それだと子供の頃となにも変わらない。「大人」を知るためには、大人にしか書けない単語を書かなければ。


 しかし、そう思うとやけにプレッシャーがかかった。そもそも、大人とは何かを見つけられていない私に、大人っぽい単語が何かなんて分かるわけがない。


 結局私は、一番最初に思い付いた単語を書いた。


『毒入り』


 なんだか、下手なシュールギャグみたいになってしまった。大人は馬鹿だから、無駄に頭を使わなければ気が済まないのだ。私は自分のセンスに絶望しながら、オムライスを口に運んだ。毒は入っていなかった。味は、毒にも薬にもならない平凡な感じだった。



 ◇



 昼食を終え、ショッピングモールの帰り道を歩く私は、とあるおもちゃ屋の前で足を止めた。というのも、おもちゃ屋入り口すぐの所に、黒ひげ危機一発が置いてあったのだ。どうやら子供に遊んでもらうのが目的らしく、すでに箱から出されたものが低めの台に置かれていた。


 どうしても、あの動画を思い出さずには居られない。平日の昼間ということもあり、人目は少ない。私は黒ひげへを手に取り、タルの入り口に黒ひげをはめ込んだ。


「……」


 そういえば、黒ひげは一体どんな悪事を犯したのだろうか。タルに入れられ、剣を差し込まれ、痛みに悶えて飛び出る姿を万人に嘲笑われる。そしてそれが、娯楽として広まっている。


 私は心の中で黒ひげに同情した。こんな物悲しい感情も、子供の頃にはなかったものだ。しかし、今はそんな安い同情をしてる時間じゃない。私は考えを振り切り、真ん中の穴に剣を突き刺した。


 ……狂ったテンションで遊ぶ子供達を思い出し、ついそれを意識してしまったのが良くなかった。


 大人の力で思い切り差し込まれたプラスチックの剣は、偏った方向に力を加えられ、テコの原理によってあっさりと、ポキッと軽い音と共に折れてしまった。


「あーあーあー……」


 大人とは思えない情けない声を出す私。しかし、そこで悲劇は終わらなかった。


『ビョン』


 一発でハズレを引いたらしい。黒ヒゲがタルから勢い良く飛び出した。そして飛び出した黒ヒゲが台を超え、地面へと叩きつけられる。バチャという何かが壊れた音とともに、黒ヒゲ本体の細かいパーツが割れ、黒ひげの首が折れた。


「あああ……あーあーあー……」


『あ』以外の言葉を全て失った私は、焦りながら破片を拾い集める。斬首刑に処された黒ひげが、首だけでこちらを見つめていた。とげあめの夢が暗示していた死とは、もしかするとこれの事だったのか。


 黒ヒゲよりも、私の方がよっぽど危機一髪だった。



 ◆



 古いものだから弁償はしなくて良いと言われたが、それは申し訳ないと思い、店長さんを押し切り壊した(遊べなくなるほどの故障ではないのだが)黒ひげを購入した。


 昼休みギリギリに帰ってきた私が黒ひげを抱えているのを見て、案の定同僚は不思議なものを見る目を向けて来た。「大人の擬人化を求めるあまり幼児退行した哀れな中間管理職」だと思われているのかもしれない。流石に不名誉過ぎる。


 まぁ、おもちゃを買うにしても、そりゃ昼休みに買うのはおかしいだろうけど。



 ◇



 終業後、家に帰って来た私は黒ひげを箱から取り出した。斬首された黒ひげを瞬間接着剤で直し、剣も同じ方法で接着する。そして完全に接着されるまでの時間、付属していた説明書を何の気なしに眺め始めた。


 ルールなんてあって無いようなものだろうと、薄い説明書を流し読みでめくっていた私だったが、とある記述を見つけそこで目を止めた。


とらえられた黒ヒゲはタルの中で縛られています。剣を差し込み縄を切り、黒ひげを救出した人が勝利です!」


 説明書には、黒ひげを飛び出させた者が勝利だと書かれていた。


「……逆だったのね」


 その記述を見た瞬間、なんとなく、本当になんとなくだが、胸の中でわだかまっていた何かがピッタリと合わさった。


 昨日まで知らなかった事を、今の私は知っている。


 同じように、子供の頃知らなかったことを、今の私は沢山知っている。


 だったら、昔の私が知らない事を知っている今の私は、間違いなく、子供の頃より、いや昨日の自分より大人になっているのだ。ただし、子供の頃知っていた楽しさやらなにやらを、今の私は幸か不幸か忘れてしまった。


 子供の知らない事を何でも知ってる、でも、子供が知ってる事を知らない。そんな大人のキャラクターがいたら、もしかすると面白いかも知れない。


「……シルシル博士、とか?」


 ふと頭に、浮かんだ。


 なんとなく、これだ。と私は思った。


 私は治った黒ひげをタルにセットし、1本目の剣を突き刺した。


 ビョン。


 黒ひげが飛び出し、柔らかいカーペットの上に落ちる。運が良いことに、一発で黒ひげを救出出来た。


「よっしゃ」


 助けた黒ひげを再びタルに収め、私はメモ帳を取り出そうと鞄をあさった。今の思いつきが消えないうちに、文字にして残しておきたい。どうやら、会議は乗り切れそうだ。


「……ん?」


 鞄を漁るうち、いつもは決して入れることのない、あるものが入っているのに気がつく。


「あ、そういえば忘れてたっけ」


 朝買ったコーラ、そういえば飲むのを忘れていた。丁度喉も渇いたし、今飲んでしまおう。


 子供なら知っている当たり前の事を忘れていた私は、ぬるくなったコーラの蓋を、なんの警戒もせずに開けた。



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