第三話 だけど奇跡は起こせない
大学生になってしばらく経った時、君から届いたメッセージは僕を突き飛ばした。気付いたら、僕は自分の身体が新幹線の中に乗り込んでいるのを発見した。
――彼氏が浮気をしていました。……別れちゃいました。
急いで鳴らした音声チャットで、君の声は嗚咽に揺れていた。僕を支配したのは、ただ彼女のもとに駆けつけたいという衝動だった。
新幹線で二時間ほど、在来線乗り換え含めて追加で一時間ほど。夜の八時には君のアパートの前に立っていた。
インターホンに応じて、君が扉を開けた。そして、僕の顔を見た君は涙で腫れた目で、僕を視界に捉えると、その瞳を驚きでまん丸にした。
「……え? なんで」
「なんだか、大変そうだったし、少しでも話し相手になろうかな、なんて思って。……来てしまいました」
「ありがとう……。ゴメンね。彼氏でも無いのに」
「いえ、僕は君の『神様』ですから」
僕がそう言うと、君は可笑しそうに頬を膨らませた。今にも笑いを吹き出してしまいそうな様子で、泣きそうになりながら微笑んだ。
僕は大真面目だ。僕は君の彼氏じゃないけど『神様』なんだ。信徒の危機に新幹線を使って降臨した神様なんだよ。
でも君が、僕の胸に飛び込んで、両手を僕の背中に回した時には、さすがの『神様』も驚いて、冷静では居られませんでしたよ。
その晩、僕は君の部屋に泊まった。
でも、男女の営みのような事は何も無かった。
なんてったって神様だから。無償の愛こそが、神様の本質なのだとか、当時の僕は考えていたのかもしれない。病める時も、健やかなる時も、神様は自らを信じる人の上に、愛を降らすのであると。
その出来事があってから僕達が付き合いだした――とか、そんなことは全く無かった。彼氏が居なくなった分、僕とのLINEの量は少し増えたが、その程度だ。東京と関西という距離の遠さもある。それぞれの生活がある中で僕たちは、付かず離れず、変わらぬ日々を送った。
僕自身、今更、彼氏に立候補するというのも、何だかしっくり来なかった。僕は彼女の『神様』なのだ。『神様』になるために様々な努力はしてきたつもりだ。
だから僕は、少なくともしばらくは『神様』として、彼女の事を大切にして行きたいと思っていた。
そんな僕のささやかな思いは、風の強い冬の日の落ち葉のように、無常のアスファルトから中空へと吹き飛ばされた。
僕たちは大学三年生になっていた。ずっと繋がっていた彼女との連絡が、しばらく途絶えたな、と思ったらLINEでメッセージが届いた。
――余命一ヶ月って言われちゃった。ドラマみたいだね。
そのLINEのメッセージを見た時に、僕の思考回路はショートした。何の冗談だろうか。白血病だと彼女は言う。発見が遅かったのだ。症状はかなり厳しいらしい。
そんな運命を、何故、神様、彼女に与えるのだろうか? 僕は、そう両拳を握りしめ、手のひらに爪を立てたが、ハタと気がつく。
――彼女の『神様』は僕なんだ。僕が彼女の『神様』なんだ。
週末、僕は、彼女の難病という事実に向き合うために、そして、君にひと目会うために東京に向かった。
病室のベッドに座る君は、随分とやつれ、やせ細っていた。でも、その顔は、その瞳は、僕の大好きの君のままだった。
この存在がこの世から消える?
僕は震えた。彼女の病状はかなり厳しいものであり、もはや、手術は諦められて、病院での対応は、人生の最期に向き合う
「来てくれてありがとう。顔、見たかった」
彼女の笑顔に力は無かった。その儚ささえも、美しさだった。
「うん。僕もだよ」
彼女はもう現実を受け入れていた。静かに今の自分とこれまでの人生を噛みしめるように、窓の外の風景を眺めていた。
それでも彼女はポツリと言った。
「神様もヒドイことするよね……」
「ゴメン」
僕が謝ったことに、一瞬、彼女は「どうして?」という表情を浮かべたが、すぐに僕の言葉の意味に気付いたようだった。
「……そっか、そう言えば、あなたが私の『神様』だったわね……」
彼女は力無く笑う。
「うん。僕が君の『神様』なんだ」
「……じゃあ、『奇跡』を起こして……。神様なら……、奇跡を起こしてよ……」
ただ、隣に座る僕の前で、君の頬に涙が伝った。
高校二年生の時、校舎の外を窓から眺めながら、僕は言っていた気がする。
――奇跡を起こす力は神様に必須じゃないよ。奇跡を起こしてくれるのが神様だ、みたいな功利主義的な宗教観じゃぁ、宗教の先生に怒られるよ。
でも、僕が今、欲しいのは『奇跡』を起こせる力だった。彼女の病気をどこかへ吹き飛ばしてしまう奇跡を起こせる力だった。
もちろん『神様』の僕に、そんな力は無かった。
「……ごめん」
「ううん、……こっちこそゴメン」
君はパジャマの袖で、頬の涙を拭った。
「神様だって、何でも出来るわけじゃないもんね。本当に何でも出来たら、この世界に病気も何も無いはずだもん。一つ一つの病気にも、人生にも意味がある。その中で、私は私の意味を、最期まで生きるの」
そう言う君の横顔を僕は憧憬の眼差しで見つめた。
君は僕の理想そのものだった。
それから、二週間後、看取る家族と僕の前で、君は逝った。
「ありがとう……神様」
旅立つ朝に君の唇から溢れた言葉は、僕に向けられたものだったのか、それとも他の神様に向けられたものだったのか、今となってはよく判らない。きっと、その両方だったんじゃないかな。
僕は今、君と一緒に通った、高校の前に立っている。
高校の前の車道から、僕達がよく一緒に外を眺めた二階の窓ガラスを見上げている。そこには、確かに高校二年生の僕と君の姿が見える。
僕は君の『神様』になれたのだろうか?
君が居なくなったこの世界で、『神様』じゃなくなった僕は、ただ冬空を眺めていた。
僕は君の神様になる 成井露丸 @tsuyumaru_n
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