第二話 君の後ろを追いかけながら

 『神様になる』と宣言したこの日から、僕は宗教系の本や、奇跡や伝承に関する本を読み漁った。日本の新宗教の成り立ちに関する本も読んだ。「日本の10大新宗教」は、有名な新宗教の成り立ちを運営や経営的な視点も加えながら分析して書かれており、とても勉強になった。宗教団体の立ち上げ方について皮肉たっぷりに書かれた「完全教祖マニュアル」なんて本も読んだ。教祖になって、宗教を興していくプロセスが具体的にイメージ出来た。

 三ヶ月くらいは、図書館から怪しげな本、小難しそうな本を借りてきては読み漁った。世界のいろんな宗教やその歴史や教義に関しても詳しくなった。

 しかし、勉強を通して十分な知識を身につけた後に気付いた重要なことが一つだけあった。


 ――僕がなりたいのは『神様』であって、『教祖』ではないっ!


 そうだ。教祖になって宗教団体を作っても仕方無いし、彼女を僕の宗教団体の信者にしても仕方無いのである。僕の目標は「君の『』になる」ことなのだ。


 僕が図書館から宗教やオカルトに関する本を大量に借り出して、先生からも学校司書さんからも心配される異様な図書館貸出履歴を積み上げている間に、サラサラと月日は流れた。如月にがつが過ぎ、弥生さんがつが過ぎた。彼女の彼氏である先輩も卒業し、東京の大学に進学していった。


 遠距離恋愛になっても彼女は、毎日のように先輩とLINEでやり取りを続けていた。彼氏の東京での動向に一喜一憂する彼女の姿は、僕の心を一喜一憂させる。

 僕じゃない恋人とのことであっても、君の笑顔を見れるのは嬉しいし、君の辛そうな表情を見るのは悲しかった。僕は君の『神様』だから、君にはいつも笑顔でいて欲しいと思うのだ。


 春が過ぎて、本格的に、受験勉強の日常と葛藤の中に、僕たち高校三年生は放り込まれた。


 僕は以前より心に決めていた関西の国立大学が第一志望だ。彼女も、高校二年生の時には、同じ大学が志望校だって言っていた。しかし、想像に難くない変節ではあったが、気付いたときには、彼女の志望校は東京の大学に変わっていた。少し残念だったが、だからと言って僕が自分の志望校を変えたりはしなかった。神様が信者の後ろを追いかけて移動するのもおかしいでしょう?


 いくらスマートフォンがあっても、遠距離恋愛はやっぱり大変みたいだった。


 彼氏も時々はこっちに戻ってくるみたいだけど、数ヶ月に一度くらいのようだった。バンバンと新幹線の往復チケットが買えるほど、大学生は裕福ではない。高校生で受験生の彼女が週末一人で東京に行くようなことは、親も許さないし、お金もないし、時間的余裕も無いのだ。

 基本的にはLINEと音声チャット、時々、ビデオチャット。そして、たまに彼氏が新幹線に乗って戻ってきてデートする。彼女と先輩はそんなお付き合いを続けているらしかった。

 あらためて言っておくが、僕はその先輩を恋敵こいがたきとして憎んだことはほとんどない。高校時代の先輩は本当にいい人だったし、僕自身も何度かお世話になっていた。「二人が幸せで居てくれたら、それはそれで良い」と僕は考えていたし、そう自分自身にも彼女にも言っていた。


 あれは高校三年の、夏の日のことだった。


 高校はすでに夏休みに入っており、僕たちは塾の夏期講習や、学校の勉強合宿と、受験生らしく、忙しくもどこか退屈な日々を送っていた。僕の塾と、彼女の塾は別だったので、彼女には夏休み中あまり会えなかった。


 僕の通う塾は繁華街の側にあった。昼休みは塾の校舎をブラブラと抜け出して、繁華街のカフェでランチを食べるか、コンビニでお弁当を買っては塾に戻って食べる。

 その日も、午前中の講習を終えた僕は、気分転換に繁華街のお気に入りのカフェに向かっていた。その時に君を見かけた。


 君は空色のワンピースを着ていて、麦わら帽子をかぶっていた。その隣には、先輩が歩いていた。随分会っていなかったし、卒業して高校の制服も着ていなかったので、それが先輩だと、すぐには判らなかった。大学生になって半年経った先輩は、どこか垢抜けていて、ある意味で軽薄そうな雰囲気になっていた。先輩は左手で、君の手を引いていた。先輩に少し強めに手を引かれて、君はちょっと戸惑っている様子だった。


 一瞬声をかけようかと思ったが、デートの邪魔をするのも良くないし、僕は寧ろ気付かれないように、道路の右側に寄って微妙に身を隠した。

 二人は僕に気付くことなく、繁華街の道を右に曲がり、小道へと入っていた。


 ――何処に行くんだろう?


 小さな好奇心が頭をもたげる。僕は、気付かれないように、二人の後を追いかけた。小道を覗き込むと、その先に、プラスチックの白い塔体にピンクの文字が踊った看板の掲げた建物が見えた。先輩は彼女の手を引いて、その建物の入口で折れ曲がり中に入っていく。君は先輩に手を引かれて、俯きながら、少し戸惑っている様だった。君が左手で抑える麦わら帽子が、建物の中に消えた。


 それは、所謂いわゆるひとつの、ラブホテルだった。そんな赤裸々な場面に遭遇して僕がショックを受けなかったと言えば嘘になる。でも、彼氏彼女がラブホテルに入っていくことは、それは、まぁ、よくあることだ。二人が付き合うことを認めた時から、こうなることは決まっていたようなものである。「まだ、高校三年生じゃないか!」と言って抗議を試みることも出来るが、それも虚しくしか響かない抗弁だ。


 僕は彼女の『神様』だから、そんな情事の一つ一つにお小言を漏らしたり、嫉妬をおぼえたりするような存在であってはならない。それは、彼女の『彼氏』になろうとする人間の在り方だ。僕は彼女の『神様』になるんだ。


 僕は、カフェに入って、ハムとチーズのパニーニと、アイスコーヒーを頼んだ。そして、今朝買った雑誌を読みながらランチを食べて、塾に戻った。


 昼からの塾の授業は化学と英語だった。

 もちろん、僕の頭の中の妄想は簡単には抑えられず、二人の姿がまぐわい、昼からの授業の内容はほとんど頭に入らなかった。僕もまだまだである。



 僕達の高校三年生という時間は、あっという間に過ぎていった。

 修学旅行や、高校最後の体育祭、高校最後の文化祭に、高校最後の球技大会。どれをとっても高校最後という希少価値プレミアムバリューが付与される。そんな非日常のイベントを僕たち楽しみながらも、日常は受験勉強とそのプレッシャーに飲まれていった。

  

 そして、冬が訪れ、大学受験が終わった。

 予定通り僕は第一志望の関西の大学に合格し、君は東京の大学に合格した。


 いつもの廊下の窓際で、僕たちはいつもの他愛の無い言葉を交わしていた。


「彼氏とは仲良くやってるの?」

「……うん。正直、秋口にちょっと危険な時期もあったんだけど、東京の大学で一緒になれるし、遠距離恋愛も終わるから。……楽しみ、かな?」

 君は、心から嬉しいというよりかは、少し複雑な心境を交えた笑顔を浮かべていた。


「僕達、離れ離れになっちゃうね」

「……寂しい?」

 君が僕の顔を覗き込む。一体、何を言って欲しいのだろう。彼氏でも無い男が、寂しがって、だからといって、それを確認して、君はどうするというのだい?


「そりゃあ、寂しいよ。中学からずっと一緒だったからね」

「……だったら、あなたも東京の大学受ければよかったのに」

 彼女が冗談っぽくおどけて見せた。

 少し前に、彼女は、友達と離れて、地元を離れて、東京の大学に行くのは不安だと言っていた。僕を連れていけば、不安も少しは軽減されるということだろうか。


 ――でも、こっちにからすれば、志望校を勝手に変えたのは君の方なのだ。


「そっくりそのままお返しするよ」

 僕がぶっきらぼうに言うと、君はエヘヘと笑った。なんだい、惚気のろけかい。


「でも、別に恋人じゃないけれど、あなたと遠距離になるのが寂しいっていうのは、本当よ。恋人じゃないけど、LINEとかでこれからもよろしくね」

 何度も『恋人じゃない』と強調する君の言葉に耳を傾けながらも、君が『寂しい』と言ってくれることは僕の胸の奥の小人を踊らせた。


「まぁ、僕は君の『神様』だからね。そもそも、神様が信者の近くに居るのがおかしいんだよ。祈りは遠くからでも出来る。僕は変わらず君に恵みと加護を与えるよ」

「はいはい。ありがとうございます。神様っ!」

 君は信じてもいないのに、不真面目に僕のことを神様と呼んだ。


 受験を乗り越えてスッキリとした僕達の視線は未来に向かい。そして、新しいカレンダーが捲られていく。そして、君は東京へと引っ越した。

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