友の見送り

 その後、どうにかゲルベーテを立たせ、俺達は暫し会話を楽しんだ。

 騎士の二人が俺とゲルベーテに気を遣ったのもあるだろうが、キリエとゲルベーテの間に何やら気恥ずかしさを漂わせる空気があり、彼等との会話は和やかで有意義な物となった。



 無知故に助かる事もあれば、無知故に死ぬ事もある。

 戻って来たとはいえ、俺が知る頃と比べてこの世界は何もかもが様変わりしていると言っていい。

 あの頃とは違う貨幣が流通しているし、ギルドや教会といった組織が重要な役割を担っている。


 ここ数日、動けない分を補うためにもガヴェインやジーアスにも色々と聞いていたが、一朝一夕で知る事ができるほどこの世界の変動は小さくない。

 一つ聞けば二つ疑問が湧くこともあり、彼等が俺の事情を察しているのも合わさって話題の種には困ることなく、色々と知ることができた。

 しかし、お互いの立場上ずっと部屋で語らっているわけにもいかない。

 ゲルベーテはその地位のため、オルシェとキリエは仕事に戻るため、そして俺は明日の出立のために休憩室を後にした。



「キョーヤ殿、繰り返すが必要があれば私の名も使ってくれて構わない。

 殿下ほどではないがマグリア家は魔導士として他国にも知られているし、教会にも何度か協力している。

 私の関係者とあれば教会もそう手出しはできなくなるはずだ」


「あぁ、もしもの時は使わせてもらうよ」


「貴殿に何かあってはならないんだ。遠慮なく使ってくれ」



 宴の賑わいが微かに聞こえてくる通路の途中。

 キリエの願いを叶える一歩を進めてくれて、更にこの世界について聞けただけで十分すぎるのだが、ゲルベーテにとってはまだまだ足りないらしい。

 自分の名を出して良いと別れ際になっても念押ししてくる彼女に苦笑いで返す。


 ゲルベーテは少し前まで人間に対して明らかな嫌悪を示していた。

 それを思うとまだ会場から離れているとはいえ、着飾ったゲルベーテと王子の友人である人間が親し気にしているのを見られれば妙なやっかみを受けかねない。

 受けたところで俺は問題無いが、ゲルベーテの地位を考えれば変な噂は要らぬ火種になってしまうだろう。



「ほら、もう戻らないとだろう?」


「……ではキョーヤ殿。またいずれ」


「あぁ、また」



 周囲の視線があるとはいえ、宴の光景はもうしばらく目に焼き付けていたい気持ちもあるが、明日はエルフの城へと転移してフィンの元に行くんだ。

 腹を満たし心も十分満ちた今、会場には戻らず部屋に戻って休んで明日に備えた方が良い。

 宴もいつまで残らなければならないといった決まりは無いので、客人が一人部屋に戻ったところでジーアス達の顔に泥を塗ったりはしないだろう。


 名残惜しげなゲルベーテを促し会場へと向かわせ、付き添いを買って出てくれた二人に案内され部屋へと向かう。

 だが、少し歩いたところでふっと慣れ親しんだ魔力が二つ頬を撫でた。



「……やっぱり来たか」


「いかがなさいましたか?」


「迎えが来たみたいだ。付き添いはここまでで良い」



 本体ではなく魔力だけで触れられた感触に頬を指でなぞる。

 気付いていない二人へと断りを入れて彼等の方へと歩き出せば、オルシェは察したらしい。

 通路の先を一瞥した後、今だ不思議そうにしているキリエを制して頭を下げた。



「それでは我々はここで。失礼致します」


「あぁ、殿下達によろしく伝えてくれ」


「承りました」



 一瞬戸惑いの色が見えたが流石は親衛隊というべきか、頭を下げたオルシェに従いキリエも弛まぬ姿勢で礼を行う。

 そんな二人に軽く手を上げて通路の奥へと進めば、しばらくして二人の気配が去り、新たに二つの気配が近寄って来た。


 久しぶりのかくれんぼのつもりらしく、近くにいても姿を見せない二つの気配。

 窓から射し込む月明かりの影に隠れる闇へと片手を伸ばすと、良く馴染む温もりが手を握る。

 温もりを握り返して緩く引き寄せようと腕を引けば、暗がりからダルクが姿を現し、背後からセラが抱き付いてきた。



「精地で休むんじゃなかったか?」


《お前の傍は俺達が生まれ育った場所だ》


《あなたの傍が一番安らぐのよ》


「……そうか」



 精霊の多くは精地で生まれ育つが、俺の家族は俺の魔力に惹かれ集まった力から生まれ、俺の魔力を糧に育った精霊の中でも珍しい存在だ。

 それぞれの属性の魔力が集まる精地も居心地は良いらしいし、今回のように傷を癒やすなら精地の方が打って付けではあるが、心から安らぎを得られるかは別の話だと以前聞いてはいた。

 だが、それでも俺が居なくなってからの300年ずっと過ごしていた精地ではなく、俺の傍を選んでくれるとは。



《キョーヤ、行きましょ》


《ずっと離れていたんだ。俺もお前の傍に居させろ》



 こうして家族と共に温かな気持ちで眠るのはいつ以来だろう。

 何だか気恥ずかしく思って頬を掻く俺に、ダルクは手を引いて、セラは背を押してくる。



「……仕方ないなぁ」



 あぁ、早く家族みんなに会いたい。

 誰一人欠けることなく、みんなであの頃のように過ごしたい。

 足りない家族の姿にそんな思いが強まるのを感じつつ、俺は二人に引かれ押されるまま歩き出した。






 ──心預けられる家族が傍にいるというのはやはり安心してしまうのか、翌朝、俺は近くから聞こえる控え目な呼び声で目を覚ました。

 いつもなら誰かが部屋に入ったりすれば起きるというのに、よほど深く寝入っていたらしい。

 若干ぼやける頭で周りを確認すると、セラは今だ俺に擦り寄って眠っていて、反対側で眠っていたダルクは起きたもののベッドの傍らで困った表情を浮かべるオルシェを見て驚いていた。



「おはようございますキョーヤ殿、英霊様」


「おはよう……寝過ごしたか?」


「いえ、まだ時間はありますが……魔力を収めていただきたく。

 使用人達から『あまりの魔力量に中へ入れない』と泣き付かれまして」


「すまん、すぐ戻す」



 少し寝ぼけている俺達に苦笑いを零すオルシェに言われ、一気に意識が覚醒する。

 二人が過ごしやすいようにと、普段抑えている魔力を解放したまま眠ったのをすっかり忘れていた。

 部屋の隅から隅まで俺の魔力が充満し、ある種の精地にも似た環境と化している部屋の様子に思わず苦笑いが零れたが、一呼吸整えてから溢れる魔力を収めた。



 魔力は意識して抑えないと肉体から溢れ続けてしまう。

 強い魔力を内包する者ほどそれが顕著で、中には制御できず魔力だけで周囲の物を壊してしまう者も居るほどだ。

 幼い頃からダルク達に手伝ってもらい魔力を操る特訓をしてきたので、無意識下であろうと制御できるようになっていたが、今回はその制御を意図的にしなかった。


 魔力が溢れたこの空間は俺自身やこの環境で生まれ育った家族達には心地良いけれど、他の者達には耐え難い場所だろう。

 現に使用人達は入る事もできない場所になっていたらしく、オルシェも喋る余力はあっても少し辛そうに見える。



 魔力を収め、部屋に満ちる魔力を散らすために窓へと向かおうとしたが、先んじてダルクが黙って窓辺へと向かって窓を開け放ってくれた。

 そのまま魔力を操り部屋を満たす魔力を外へと流してくれるダルクに礼を言うと、その声に反応したのかセラが小さく身じろぎする。



《ん~……なによぉ……?》


「セラ、おはよう」


《……ん? ……私、寝てた……?》


「うん、ぐっすりだ」


《……あらまぁ》



 半分寝ぼけて擦り寄るセラを揺り起こせば、セラもまたダルクと同じようにオルシェを見て驚き、少し間を置いて恥ずかしそうに俺の後ろへと隠れた。

 精霊は睡眠を必要としないが、決して眠らないわけではない。

 大精霊が精地でしていたように、力を消耗した時など眠りにつく事もある。

 しかし、人よりも魔力に敏感な彼等が他人が近付いてきているのに気付かず眠り続けるなんて、まずあり得ない光景だ。


 それが間近に近寄られても起きず眠っていたんだ。

 本人達が一番驚いているのが見て取れて、背中にぐりぐりと頭を押し付けているセラを撫でておいた。




 その後、悶えているセラと黙り込んでいるダルクをそっとしておき、使用人達が運んでくれた朝食も済ませた俺は身支度を整え始めた。

 グローブやブーツなど緩みは無いか、動きに支障が出る箇所は無いか。

 一通り確認して剣帯に収まる長剣と短剣の角度を確かめ、最後にローブを羽織って金具を留め、軽く部屋を見渡してから扉の近くで控えていたオルシェの元へと歩み寄る。



「もうよろしいのですか?」


「あぁ。行こう」


「わかりました。ではこちらに」



 親衛隊の騎士殿がわざわざここに来たのは、単に他の者が部屋に入れなかったからだけではなく、俺を転移の部屋へ案内する役目を担っているからだそうだ。

 出立を告げた俺にオルシェは扉を開け、部屋を出るよう促してくるが、俺は少し立ち止まって部屋に控えていた使用人達へと視線を移す。



「世話になった。ありがとう」



 彼等はここ数日、ずっと俺に付いて身の回りの世話をしてくれた。

 ここに配置された者は十中八九勘付いている側だろうに、何も聞かず、ただただ過ごしやすいようにと心配りを欠かさずしてくれていた。

 会話があったわけでも、何かされたわけでもなく、ただ使用人としての仕事をしていただけだろうけれど、彼等のおかげで俺は回復に専念できたんだ。

 こうして今も朝早いというのに、俺達の出立を見送るため全員揃って深く頭を下げる使用人達へ一言礼を言い、肩を震わせる彼等を置いて、俺達は朝の静けさに包まれる城を歩き出した。




 今回の浄化は誰が行ったのか──全てを知っている者は少なく、勘付いている者もそう多くない。

 しかし緊急時に使われるはずの魔法陣を王族ではなく人間が使うとなれば、多かれ少なかれ疑問を抱く者が出てくる。

 宴の翌日ともあって何も知らない者が大勢滞在している今、小さな一石であろうとすぐに大きな波紋となってしまうだろう。


 勘付いている者はともかく、何も知らない者達に黙っていてくれと頼んでも、全員が全員黙っていてくれる保障は無い。

 だから俺は人目の少ない早朝にこの城を発つことにした。



 転移は結界を張って行うため、魔力の反応などで誰かに気付かれる心配は無い。

 更に王族であろうと許可なく立ち入る事ができない場所にあるため、誰かが偶然迷い込んだりする事も無いそうだ。

 そこに辿り着くまでを見られなければ、転移の魔法陣を使った事は知られずに済むだろう。


 空が白んで来たばかりの城内は予想通り人気は全くと言って良いほど無い。

 それどころか見張りすら居ない様子からして、ガヴェインかジーアス辺りが人払いをしてくれたんだろう。

 黙って先を歩くオルシェに付いて行けば、誰にもすれ違う事無く目的の場所まで辿り着いた。



 扉を守っている二人の騎士が俺達を見るなり頭を下げ、静かに扉を開ける。

 ここからは一本道なのか、扉が開くと同時、オルシェは一歩横へと下がり、俺に先を譲った。



「この先が転移の間となっております……どうかお気をつけて」


「ありがとう……またいつか会おう」


「っ、……はい」



 これ以上は同行できないようで、扉を守る騎士達と同じように壁沿いへと控えた彼を一瞥し、俺達は先へと進む。

 侵入者を選別するためか、一定の間隔で張られている結界を通り抜け、道の終わりにある黒塗りの扉に手をかけ押し開ける。

 開いた扉から見えたのは、床一面に描かれた青白く輝く魔法陣とその傍に立つ友人二人の姿だった。



「寂しい見送りですまんな」


「豪華な見送りの間違いだろう」


「そう言っていただけたら幸いです」



 転移の間と呼ばれるこの部屋にはガヴェインとジーアス、そして俺達以外誰も居ない。

 普段立ち入りを禁じられているからなのか、それとも身内だけにしてくれたのか。

 ほとんど気にしていないような状態だったが、言動に気を配らずにいられるのは有り難い。



「……既に準備は済ませてあります。

 魔法陣の中心に立てば、いつでも転移を始められますよ」


「そうか……」



 輝く魔法陣を見ていた俺に、ジーアスが静かに告げる。

 俺が先を急いでいるのは彼等も当然知っている。

 だからこそ忙しいはずの二人が先に来て、準備を整えていてくれたのだろう。


 俺は本当に良い友を持ったな。

 心からそう思い、俺は一歩、ジーアスへと近付きその手を取った。



「ジーアス」



 俺とそう大きさの変わらない、剣を持つ者の手。

 ほんの少し冷えているジーアスの手は、小さく震えた後、力を抜いて俺の手を握り返す。

 そして今生の別れのように泣きそうに目を伏せる彼へ、俺は笑みで応えた。



「色々とありがとう。今度は何も気にせず、どこか気晴らしにでも行かないか?」


「……はい、そうですね。

 その時を心から楽しみに、私もできる事をします」



 微かに息を詰め、一つ息を吐いてから柔らかく微笑むジーアス。

 その言葉に宿る決意を握り締め、名残惜しさを感じながらも両手を離す。

 そしてそれを見守っていたガヴェインへと、俺は視線を移し、片手を伸ばした。



「ガヴェイン」



 ジーアスとは違い軽く肘を曲げた右手だけを持ち上げると、ガヴェインも同じように右手を持ち上げる。

 叩く勢いで合わさった掌は衝撃で熱を孕むが、気にせず力一杯握り締めれば、皺だらけの手が力強く、痛いほど握り返して応えた。



「約束、忘れるなよ」


「お前こそ、な」



 きっとまた会えるから。お互い生きて会うと約束したから。

 短く、力強く交わされる言葉を握り締めて数秒、黙って見つめ合った俺達はどちらともなく手を離した。



 それ以上の言葉は無く、俺は二人に背を向け、セラとダルクと共に魔法陣の中心へと向かう。

 魔法陣に足を踏み入れ中心に立った途端、魔法陣が青白く強い輝きを放ち、重力が無くなったかのように全身がふわりと浮かび上がる。

 どうやらこの転移は精霊化のように物体を魔力に変換し、目的地である別の魔法陣へと送り届ける仕組みになっているようだ。

 光が強まるのに比例するかの如く、精霊化に似た現象が指先から広がって行くのを感じる。



「必ず帰って来い」


「いつまでも待っています」



 もう時間は無いのだろう。

 指先や足先だけでなく、体のあちこちが魔力へと変換していく。

 既に腕の一部が魔力となって崩れているけれど、それでも構わず、笑顔を張りつけ見送ってくれる二人へと手を振った。



「それじゃあ、またな」



 今度会う時は皆と一緒に。

 願いと共に友人達の姿を瞼に焼き付け目を閉じる。

 そして俺は遠くへと引っ張られる感覚に身を任せ、精霊達と共に魔力の道へと流れていった。

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銀翼を求める空の英雄 空桜歌 @kuouka

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