懺悔の棘

 周りの視線を感じるが、気に留めないよう意識を意図的に遮蔽しジーアスとの食事を楽しむ事しばらく。

 申し訳なさそうに眉を下げた軍服姿の青年が近寄りジーアスへ何やら耳打ちする。


 残念だが時間が来てしまったようだ。

 青年へと小さく頷いて見せたジーアスが微かに曇った表情をこちらに向けた。



「すみませんキョーヤ。もう戻らないといけないようで」


「仕方ないさ、こんな美人を独り占めするわけにはいかない」


「……その言葉遣い、キョーヤには全く似合いませんね」


「前も言われた」



 眉を下げて申し訳なさそうにしているジーアスに軽口を交えて返せば、ジーアスは瞬きを繰り返してから微笑んで切り捨てる。

 いつも周りを明るくさせていた友人の真似事をしたのだが、相変わらず俺にはこういった言い回しは似合わないようだ。

 思っていた以上にバッサリと切り捨てられ、思わず喉で笑ってしまう。


 まぁ、これで多少気を紛らわせることができたのならそれで良い。

 名残惜しそうではあるものの、表情の曇りが晴れたジーアスが軽く会釈してから親衛隊の騎士を連れて歩き出す。

 しかし一歩、二歩と歩いたところでわざとらしく声を漏らして振り返った。



「そうそう、先ほどの羽虫は気にしなくて良いですよ。こちらでちゃんと処理しておくので」



 一瞬、ガヴェインが悪巧みを思いついた時のような笑みが見えたが、瞬きの間に掻き消え、効果音でも聞こえてきそうなほど完璧な微笑みが貼り付けられる。

 そうやって仮面を着けた彼は計算尽くされた美しくも威厳ある所作で周囲の人々の視線を集め、騒めく人々の波へと進んで行った。



 やはりさっきのアレはジーアスの足下にも及ばない。それよりも問題はこの後の展開だ。

 俺の経験上、こういったタイミングを全員が全員見逃してくれるはずがない。


 王子が動き、老若男女問わず人々が近寄ろうとしていく。

 それを横目に好奇心に満ちた気配を表した者や、下心が見え透いている者といった様々な顔がこちらへと近付いているのが視界に入り、俺はそっと壁の方へと歩き出した。




 姿を眩ませるわけにもいかず、どうあがいても縮まっている背後の気配に溜息が出そうになる。

 周りに立っていたジーアスの護衛達のおかげか、二人で会話していた時は周囲と一定の距離が空いていたものの、ジーアスと別れた今、それは崩れている。

 周囲から見ても親しげに映っていただろう俺達の姿を見て、誰も気に留めず話しかけようとしないなんてあるはずがないのだ。

 単なる好奇心ならまだ良いが、顔見知りになっておいて関係を持とうとする者だと今の俺にとって厄介でしかない。


 壁に辿り着いたところで逃げ道になるはずもなく、むしろ自ら袋小路に入ってしまったような物だ。

 こういった宴は社交界の場でもあるため、幾つかそういった事態になるのは避けられないと覚悟していたが、得意では無いため遠慮したい。



 ここはもう、諦めてあの設定やこの耳飾りを使わせてもらうしかあるまい。

 まさに虎の威を借りる狐のような状態で気乗りはしないが、俺の後ろにジーアスが居る事をちらつかせれば良い。

 社交界に出るような者達ならそれだけで下手な真似はできないはず。

 極稀に自ら地雷を踏み抜き自爆するような者も居たが、この場にはいないと信じ、俺は壁へともたれて受け入れ態勢を整えると、見知らぬ顔ではなく見覚えのある顔がひょっこりと現れた。



「あの、キョーヤ殿」


「キリエ、か?」


「! そうです、親衛隊のキリエです! 覚えていてくださったのですか!?」



 緊張した面持ちで現れたその人物は、俺がランディリアへと着いた時、門番達の詰所から城まで案内してくれた一人である親衛隊のキリエだった。

 一度会ったとはいえ、身構えていた見知らぬ者ではなかったことに拍子抜けしてしまい名前を思い出すのに少し間が空いてしまったが、そんな俺に気付いていないのかキリエは嬉しそうに笑みを浮かべて俺にぐっと近付いた。



「あ、あぁ……案内をしてもらってからそう日が経っているわけでもないだろう」


「ありがとうございます! オレ、嬉しいです!」



 初対面の時はお堅い印象を受けた騎士だったのだが、あの時は状況もあってそう見えただけなのだろうか。

 間近に近付くキリエに思わず一歩後ろへと足がずり下げたが、元々壁際に居たのもあって壁にぶつかってしまい大した距離も取れない。

 後ろに大きく左右に揺れる犬の尻尾でも付いていそうなほど喜んでいるキリエに戸惑っていると、キリエの背後にいた魔族の騎士がキリエの首元を引っ掴んで引き離してくれた。



「キリエ、キョーヤ殿が困っておられるだろう。そうがっつくな」


「し、失礼致しました。つい……申し訳ありませんキョーヤ殿」


「あ、あぁ」



 犬から一転、猫のように首元を掴まれ大人しくなったキリエは、ハッとした様子で謝罪する。

 そんなキリエと似ている若緑色の髪をした魔族の騎士は、呆れた表情でキリエを離し、俺へと向き直った。



「部下の無礼をどうかお許しください。

 貴方様に名を覚えてもらうというのは我らにとって光栄なことなのです」


「部下というと、貴殿は……」


「魔王軍親衛隊第二部隊隊長、ジーアス殿下専属騎士のオルシェと申します。

 貴方様のことはジーアス殿下より窺っておりました」



 俺よりも頭一つか二つ高い身長を使って壁になるようにキリエと並び立つオルシェは、右手を左胸へと当てて目礼と共に微かに腰を折り頭を下げる。

 彼が知っているのは作られた設定もだが、恐らく俺が何者か勘付いているのだろう。

 その上で周囲の注目を必要以上に集めないよう配慮してくれているのが窺え、俺は肩の力を抜いた。



「それなら、そう畏まらないでくれ。

 俺はジーアスの友人以外の何者でもないんだ」


「……では、これだけはお伝えさせてください。

 貴方様がいなければ、殿下もただでは済まなかった。

 殿下の専属騎士として、親衛隊を代表し貴方様に心より感謝申し上げます」



 柔らかさを持った眼差しが真っ直ぐ向けられ、金色の中の焔が赤く煌めき熱を伝えてくる。

 その熱には言葉通り深い感謝が込められていると同時に、隠しきれていない憧憬の念が見え隠れしていて、同じような瞳が隣からも向けられているのに気付いた時は流石に気恥ずかしさを覚えてしまう。



「お互い様だ。俺もジーアスに助けてもらっている。

 それより肝心の護衛はどうした? 彼はもうここに来ないと思うが」


「殿下が順に休憩し、宴を楽しむように、と。

 私とキリエは所謂成り上がりで、こういった場に参加するような知人は居なかったのですが、キリエがキョーヤ殿と顔見知りだということでこちらに来させていただきました」


「……それで盾になりに来た、か」



 国どころか世界が滅亡に瀕している状況で、頭が変わるほどの動乱が起きればそれこそ国はたやすく滅びてしまう。

 ガヴェインの配下を疑うわけでは無いし、そんな馬鹿な真似をする者がいるとは思いたくないが、宴に乗じて王族に手を出す者がいないとは言い切れない。


 最悪の事態を未然に防ぐための護衛が離れていて良いのかと思ったが、全て把握済みなのだろう。

 さりげなく周囲の視線から壁となってくれている二人に苦笑いを零すと、オルシェは否定も肯定もせず黙ってキリエへと視線を流す。

 何かあるのかとキリエを見ると、キリエは俺達から向けられる視線を一身に受けて少し固まったものの、意を決した様子で口を開いた。



「実はそれだけではなく……とある方と会っていただきたくて」


「とある方?」


「キョーヤ殿もご存知の方です。

 我らと違い、人目のある場所は避けた方が良いとの事ですから、どうかこちらに来ていただけないでしょうか」



 この城に居て俺も知っている者となると、ほんの極僅かな魔族だけだ。

 更に人目を避けなければならないほどの要人となるとガヴェインぐらいしか思い浮かばないのだが、当の本人は今も様々な者との会話に勤しんでいる。

 それにわざわざ宴の最中に話さずとも別の機会が沢山あるのだから、あいつでは無いだろう。

 一体誰なのだろうかと疑問に思いつつ、緊張からか強張りながらもそう申し出てきたキリエに頷き返した。




 キリエを先導にオルフェと並び歩き会場を離れ、人気の無い廊下を歩くことしばらく。

 案内されたのは宴に酔った者達へと用意されている休憩室の一つだった。


 待ち人は既に中に居るらしく、キリエがノックをすれば中から女性の声が返って来る。

 対応やキリエの反応からしてこの声の主が待ち人本人だろうか。

 どこか聞き覚えのある声に首を傾げていると、キリエの手によって扉が開かれる。

 オルシェに入るよう促されて中へと足を進めれば、部屋には淡い緑色のドレスをまとった金髪の魔族が一人立っていた。



「あんたは……?」


「……そうか、私は貴殿に顔すら見せていなかったか」



 顔を見ても誰かわからずにいる俺に対し、俯き自嘲気味に笑って呟く妙齢の女性。

 扉越しでは無くはっきりと聞こえたその声に一つの名前が喉元まで出かかった時、彼女は俯いていた顔を上げ、苦い表情で名乗った。



「五大公、マグリア家が長女、ゲルベーテ・ラナ・マグリア。

 魔王軍魔導士団、特務部隊隊長を務めている」



 以前とは多少異なるようだが相変わらず怒りを抑えている声が響く。

 浄化されたところで人間に対する怒りはそう簡単に鎮まらないのかと思ったが、良く見れば彼女の怒りは俺ではなく自分自身に向けられているようで、怒りとは別に自己嫌悪が滲んでいる。

 最後に会ったのはガヴェインの寝室だと記憶しているが、そこから今までの間に何かあったようだ。

 わざわざ人目に付かない場所で引き会わせる理由も思いつかず、黙って様子を窺っていると、ゲルベーテは唐突に膝を突いた。



「……非礼を詫びたいと、殿下に願いこの場を設けてもらった。

 我らが恩人に対しあのような態度を取ったこと、心よりお詫び申し上げる」



 ドレスの裾が床に広がるのも気に留めずに跪き、深く頭を下げるゲルベーテ。

 五大公、というのが何なのか明確にはわからないが、ゲルベーテやキリエ達の態度を見るに高い地位の家柄を示しているのはわかる。

 そんな相手に膝を突かせて謝罪させるなど、いくら殿下の友人とはいえ本来ならさせてはならない行為だ。

 しかし止めようにも顔を上げさせようにも、彼女の身体は硬く強張り、更に深く頭を下げていった。



「本当に申し訳ない。他の誰でもない貴殿に、私はあのような無礼を……何と詫びれば良いのか……!」



 ゲルベーテはただひたすらに自分を責めたてているのか、床に手を突き、横に垂れる髪が着いてしまいそうなほど頭を下げて謝罪を続ける。

 非礼、というと門から城までの間ぐらいしか思い当らないのだが、たかがあの程度でこれほど謝罪される必要は無い。

 言動からして俺が過去の亡霊であることにも気付いているらしいけれど、だからといってここまでされる必要など無いのだ。


 とにかく頭を上げてもらわなければ。全く気にしていない事を伝えなければ。

 今も謝罪を続けるゲルベーテへ、俺も膝を突き、そっと肩に触れた。



「頭を上げてくれ、ゲルベーテ。キリエにも言ったが、俺は全く気にしていない。

 あんたのおかげで城まで何事も無く辿り着けたんだ。感謝こそあれど怒ったりしていない」


「け、けれど……私は……」



 肩に触れ、言葉を掛けることでようやく少し顔を上げてくれたが、それでも跪いているのに変わりはない。

 様子から察するに、俺という存在は彼女の中で酷く大きな重しとなってしまっているようだ。

 魔族は子を成しにくい一族なのもあり、家族の繋がりや恩義といった目に見えない絆を重要視する傾向が強い。

 その上で俺が倒れてしまい、情報も規制され、謝罪することも会うことも出来ず、ただただ自分を責め続けていたのかもしれない。


 いくら俺が言葉を尽くそうと、この様子ではこの謝罪を受け入れ無い限り、彼女はずっと自分を責め続けることになりそうだ。

 いや、謝罪を受け入れたところで、一生罪悪感を抱き続けてしまうだろうか。

 それならば……いっそ、償いを払ってもらった方が、お互いの精神状態にも良いか。



「……どうしてもというのなら、一つ頼みを聞いてくれるか。

 それであんたの言う無礼は帳消しだ。どうだろう?」


「私にできる事であれば、如何様にも」



 言葉を選び、声に真剣さを滲ませて問えば、ゲルベーテは覚悟を決めた瞳で頷く。

 まるで命でも差し出すとでも言いそうな瞳の輝きに、俺は眉を下げ、とても抽象的な頼みを告げた。



「俺の頼みは一つだ。キリエの言っていた本来のあんたとやらに戻ってくれ。

 邪気に蝕まれず、負の感情などに苛まれず、本来のとても優しいゲルベーテ殿とやらに戻ってくれれば、それで良い」



 背後で控える一人の騎士が小さな声を上げても気にせず最後まで言い切ると、ゲルベーテは瞬きを繰り返し、呆けた顔で俺を見つめる。

 抽象的過ぎてしまったか想定していなかったか、その金色はチラリと背後へと移り、再び俺へと戻るが、理解が及ばないのか半ば放心状態のまま彼女は口を開いた。



「……キリエが、私をそのように?」


「そう聞いている」



 ゲルベーテの問いに俺は曖昧な返事を返し、立ち上がって当の本人へと視線を向ける。

 俺が聞いたのはキリエの言葉のみ。キリエの言う『優しいゲルベーテ殿』というのがどういった人物像かわかるはずもない。

 だが、言ってしまえばゲルベーテについて俺は何も知らないのだ。


 俺が求めるのは愛しい彼女と家族達だけ。

 みんなの元へ辿り着くために必要な物はガヴェインとジーアスのおかげで揃えられている。

 そのため、俺がゲルベーテに求めることなど無いに等しいのだ。

 ならばゲルベーテへの望みを明確に持っている彼の願いを叶えて貰った方が、誰も損はしないだろう。



「そ、の…………オレの知る、貴女に戻っていただきたい、と……思っていて……」


「……そう、だな。あの頃の私達に戻るのは無理だが……努力はしよう」


「……はい、それだけで、もう……十分です……!」



 突然渦中に巻き込まれてしまったキリエだが、彼は数度息を整えゲルベーテへと望みを口にする。

 やはりただの魔導士と騎士という関係ではなく、何か深い繋がりが二人の間には在ったのだろう。

 一度俺を見て、小さく頷いたゲルベーテの答えに、キリエは涙を滲ませ笑顔を浮かべた。

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