祝宴の光景

 前世においては幾度か、今世においては初めて見るその煌びやかな世界は、相も変わらず自分には似合わないなと独り言ちる。



「──皆、急な宴というのによくぞ集まってくれた。

 今宵の宴は無礼講だ。慣れぬ者もいるだろうが、細かい事は気にせず楽しんでくれ」



 普段とは声色も言葉遣いも多少異なるが、それでもあいつらしさは消えないようだ。

 開宴の音頭を取ったガヴェインの言葉に応じ、会場にいる者達がそれぞれ手に持っているグラスを軽く挙げていく。

 俺もそういった人々に倣い手近なグラスを手に取り軽く掲げれば、遠く離れた王の席に座るガヴェインと目が合った。


 今この会場には城にいた者だけでなく、他国から外交に訪れた者やランディリアを離れていた魔族の貴族達が大勢いる。

 そんな中で宴の中心たる魔王と会話するなど、殿下の友人で傭兵の人間という身分には少々重い荷だ。

 向こうもそれを理解しているからだろう。

 周囲にはわからない程度の笑みと共に触れることの無い乾杯を交わし、お互いにグラスを傾けた後、魔王は貴族と思われる後ろ姿の人物との会話へと移って行った。



 王族というのは相も変わらずこういった場では最も忙しい立場らしい。

 この宴がランディリアが浄化された事とガヴェインの回復を祝っての祝賀会のため、多少は致し方無いと思うが、それでも多いと思ってしまうほどガヴェインの周りには大量の人が集まっていた。

 見れば少し離れた場所に居るジーアスも同じように人に囲まれていて、人垣の間から見えた彼の表情は俺の知らない完璧な笑みが貼り付いている。


 二人の周りにいる者達は一通り挨拶やら社交辞令やらが済めば離れているようだが、それでも入れ替わるように誰かが入って行くため人の行き交いに暇など無い。

 二人共人付き合いが嫌いなわけではないだろうが、あの人数を相手にするのはそれ相応に疲れるだろうな。

 心の内で声援を送っておき、会場のあちらこちらで賑やかな声に耳を傾け、俺は一人、果実水の入ったグラスを手に壁に背を預けて周囲へ視線を巡らせた。




 ガヴェインの在り方か、魔族達の生来の気質か。無礼講だとガヴェインが宣言した通り宴はまるでお祭り騒ぎに近い賑わいになっている。

 参加している者の大半は魔族の者達で、俺のような人間は一割か二割と言った程度だろうか。

 それも大半が身なりの良い商人やどこかの国の使いといった様子で、誰も彼も魔王や王子といった重要人物と会話する機会を窺いつつ地位の高そうな身なり者との会話に興じている。


 そんな中で人間が一人で参加しているのは酷く浮いてしまうようだ。

 俺の色も関係しているらしく、壁際で気配を薄めようと途切れる事無く幾つもの視線が向けられているのを感じ、時折賑わいの中に紛れるように「あそこにいる黒髪の人間は誰だ」という声が聞こえてきている。


 といっても、話の種にする程度でこちらに関わってこようとする者は誰も居ない。

 こちらとて必要以上に関わるつもりは無いのでこのまま放置していれば良いだけの事。

 しかし一人で佇んでいるだけでこの状態となると、セラやダルクが傍に居ればどうなっていた事か。

 遠巻きにされている現状と容易に想像できてしまうもしもの惨状に、傍らにいない家族と友人との会話へと思考を巡らせた。




 宴が始まる一時間ほど前、ガヴェインが言った通りジーアスが俺の部屋を訪れ、今回の宴についての説明と衣装合わせが行われた。

 父親と似なくても良かった場所まで似たらしく、俺に似合いそうな服を厳選して来たのだと微笑み、幾つもの服をあれやこれやと着せ替えさせられたのだ。

 銀糸が使われた物を中心に、青や赤や金や銀や白や黒と、厳選したという割には随分と多い服を全て着せられ、仕立屋と思われる女性と親衛隊の騎士も交えて彼等は何やら熱く議論を交わしていた。

 俺としては地味な物なら何でも良かったのだが、どうも話は通じそうに無く、早々に諦めてセラと戯れながら言われるがまま着せ替え人形と化していた。


 結局決まったのは、銀糸で彩った黒地の肩掛けに紅の服だ。

 更には服だけでなく髪型まで整えられ、いつもは降ろしている前髪が整髪剤によって上げられてしまいやけに視界が広くなっている。

 ジーアス曰く、「私の友人なのですから、当然着飾っていただきませんと」だそうだが、本当に必要だったのだろうか。

 改めて疑問に思っていると、左耳に着けた真紅の耳飾りの重みが意味はあるのだと主張するように揺れ動いた。



 英雄ジークの生まれ変わりである事を隠すため、俺はジーアスの友人としてこの宴に参加している。

 何でも他国へ国交のために来ていたジーアスがお忍びで街へ出かけた際に事件に巻き込まれ、それを偶然助け、共に事件を解決したのが丁度街に立ち寄った傭兵の俺だった、という事になったそうだ。


 身分を隠していたジーアスとジーアスが何者か知らなかった俺は事件解決後も友好を深め、王子と知った今もジーアスたっての希望で当時のままの対等な関係を築いていた。

 しかし魔王が邪気に倒れ、ジーアスから別れを仄めかす手紙が届き、友の助けになるために駆け付けた、という設定にされていた。

 誰かに探られた時のための設定だが、それを他者に信じさせるための証が左耳の耳飾りである。



 この真紅の耳飾りは宝石に特殊な細工でジーアスの紋章を施した物で、親しい友人や恩人、忠臣といったジーアスが心から信頼している存在へと贈る物だという。

 ある種の身元保証書のような物で、この紋章がある限り、俺はラノール王国王子の関係者である事を誰にでも示す事ができるそうだ。

 遠巻きにされている今、離れた場所から見たところですぐに判断できるとは思えないが、賑やかな酒の席に呑まれた者に絡まれた時にでも使ってくれと言われている。


 酔っ払いの相手ぐらい俺一人でもどうにかできると思うのだが、一応病み上がりで誰も傍に付けないという状況になるためか、やけに世話を焼かれた気がする。

 まぁ、これで厄介事に巻き込まれかけても出自を隠したまま避けられるのだと考えればありがたい話か。



 あくまでも浄化の力は持っておらず、ただ死の覚悟をした友の助けになるために命掛けでやってきた人間。それが今の俺の立場だ。

 魔族は総じて魔力が強く、精霊の力を感じ取る能力にも長けている。

 そのため英霊として敬われているセラが傍に居ると怪しまれるのは確実、という理由からセラとは別行動となっている。


 セラ自身は魔力を押し殺してでも俺の傍にいたいと言ってくれたが、そんな事をさせればセラに負担がかかる。

 明日はフィンを救うのだ。セラには明日に響くからと説得し、どうせなら力を蓄えて欲しいと頼み込んでどうにか精地へと力を蓄えに向かってもらっている。

 水の精地で再会して以来、ろくに休まず無理をさせてしまったんだ。これで少しは休めると良いのだが……あの様子からしてどうだろうな。すぐに帰ってきそうだ。



 ジーアスに守られ、セラが傍に居ない今、俺が宴でやる事と言えば美味い物を食べて英気を養う程度だ。

 このまま遠巻きにしてくれるなら、ジーアス達が考えた設定が表舞台に出る事は無さそうだな。

 温くなった果実水を飲み切り、テーブルに飾られている食事にでも手を伸ばそうと壁から離れた時、近くで騒めきが広がった。



「キョーヤ」


「……ジーアス、挨拶はどうした?」


「一通りは済みましたよ。今は少し休憩です」


「それなら一緒に何か食わないか? どれを手に取れば良いのかわからなくてな、お勧めでも教えてくれ」


「良いですね。私で良ければ喜んで」



 宴の主役ではないけれど、それでも主役に近いジーアスと気軽な様子で会話し始めた途端、周囲の視線が一気に集まった。

 ジーアスに勧められた食事を取り皿に乗せつつ周囲に一瞬目配りすれば、やはりというべきかこちらを見ている者の多くが驚愕の表情をしている。

 中には鋭い視線を向けて来る者もいて、俺は自然に見えるよう左耳の耳飾りを揺らし、先ほど垣間見た物では無い緩んだ微笑みを向けるジーアスに微笑み返した。



 『友人なら、様付けなんて止めてくれ』


 『……では私の事もそうしてくれますね、キョーヤ』


 『そうだな、ジーアス』



 数時間前変化した俺達の線引きは相当な破壊力を持っていたらしい。

 周囲の騒めきから「どこの貴族だ」「王子の友人? 人間が?」といった声が聞こえて来た。

 魔族に俺がジーアスの友人である事をはっきりと示すためにも宴の最中に一度は会話しようと決めていたが、思っていた以上の衝撃となったようだ。

 王子が友人と仲良さげに過ごしているのを素直に喜ぶ声もあったが、中には不穏な気配を滲ませる者もいた。


 人間に対して嫌悪を抱いているだけか、それとも実力主義故の野心か。

 あの程度ではジーアスの足下にも及ばないだろうが、友として忠告はしておくべきか。

 嫌な気配を滲ませた者の顔を瞬時に確認し、後で忘れずに伝えておこうと脳内に刻み込んでいると、ジーアスが苦い笑みを浮かべた。



「どうした?」


「いえ、羽虫がいたので気分を害してしまったのかと思って……楽しめていますか?」



 会場の窓は開いており、灯りにつられて夜の空気と共に虫が入って来てもおかしくないが、ジーアスの言う羽虫は言葉通りの意味では無いだろう。

 不安気にそう訊ねて来るジーアスに俺は緩く首を振り、周囲の人々へと視線を流した。



「……少し視線が鬱陶しいが、それなりに楽しんでいるよ。

 こうして賑わう人々を見るのは嫌いじゃないんだ」



 酒を片手に笑みを零し語り合う姿も、これからのために伝手を作ろうと奔走する姿も、全て未来があるから在る物だ。

 日に日に減って行く人々と共に戦い続けたあの頃は、誰もが自分の命がどこまで続くか分からず、絶望に塗りつぶされた道なき道を駆けていた。

 魔物との戦いに勝ち、英気を養うために開かれた宴は幾度かあったが、終わりに近付くにつれて陰りが一つもない笑みは無くなっていく。


 先の不安に心をすり減らし、忘れようと酒を飲み明かす。

 無理矢理にでもバカ騒ぎを起こして、一瞬だけでも皆を笑わせようと道化を演じる。


 そんな人々を何人も見送って来たんだ。

 例えしきたりに縛られた貴族の戦いが行われる宴であろうと、小さな村で開かれるささやかな宴であろうと、自分の未来を信じて賑わう人々の姿は俺にとって好ましい物だ。

 無粋な羽虫が飛んでいようと、その根幹が揺らぐ事は無い。



「……それは良かった」



 俺の言葉を聞き、俺の表情を見て、ジーアスは心から安堵したように呟く。

 そんな友と一緒に美しく盛り付けられた料理を崩し、束の間の談笑へと移って行った。

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