生者の選択

 希望が一転、絶望へと堕ちる。

 それをこの世界でまさに体現しているのは彼女だ。

 更にはあの頃と違い、ジーアスやマーク神父のように浄化の力を持つ者が生まれるようになった。


 既に銀龍という存在は、この世界にとって必要ない。

 全てを知るだろう女神も彼女を救うのではなく殺そうとしているならば、それはもう揺るがない真実だ。


 だからだろう。カリアが──銀龍が人々から忘れ去られたのは。

 誰に聞いても知らない、見た事も聞いた事も無い。そんな存在になったのは。



「なぁ、ガヴェイン。

 この世界は、カリアが必要無くなったから忘れたのか」


「……忘れたんじゃねぇ、隠されたんだ」



 神父、シスター、村人、傭兵、商人──ここに辿り着くまでの間、カリアという銀のドラゴンを知らないかと尋ねても誰も彼も首を振るだけだった。

 だから永い眠りについたその間に忘れ去られたのだと、そう思っていたのに、ガヴェインは俺の問いに首を振り違うという。

 深いため息を一つ吐き、目を伏せるガヴェイン。

 どうやら語ってくれるらしいと察し、俺は黙って先を待った。



「お前が消えて世界が救われた後、人々は喜びに満ちていた。

 そりゃあそうだ。絶望から一転、世界は救われたんだからな。

 瘴気との戦いで御旗となっていたお前は勿論、銀龍を担ぎ上げて祭りを開こうだとか考えていた者もいたよ。

 だがな……カリアも俺達も、お前を失った直後だった」



 語られるのは俺のいなくなった世界の事。

 ほんの一瞬、彼を浄化した刹那の間、世界の狭間から繋がりを通してその世界を見たが、それは瘴気に包まれていた世界に光が広がる光景だった。

 生き残った人々がその光景を目の当たりにした時、どうなるかなど予想はできていたけれど、カリア達は違ったのだろう。



「あの嘆きの咆哮は今も忘れられん。

 世界のためにお前を奪われたんだ。世界が救われたのを祝うのは、お前の死を祝うような物だった」



 苦々しげに紡がれた言葉に、傷付けて遺していった罪悪感が込み上がる。

 世界が救われたのに、俺を想って手放しに喜ぶ事ができない程、俺を想ってくれていた。

 たった一つの命で数多の命が生きる世界を存続できたというのに、数多の犠牲の果てに掴んだ未来なのに、俺を想って素直に喜ぶ事ができなかったのか。



「カリアを静かに眠らせてやりたい。

 精霊達が願い、同意した俺達は銀龍の存在を隠す事にした。

 世界を救ったのは英雄ジークである。彼は命を代償に世界を救った。彼の英雄に感謝を捧げよ、ってな」



 友は俺を失いたくないと必死に生きる道を探してくれた。

 家族は離れたくないと願いながらも俺の想いを汲み、世界を守る約束をしてくれた。

 愛しい唯一は、自分も共に逝くと最後の最後まで涙を流し、俺の手を離そうとしなかった。


 銀龍は世界を守るための存在だ。

 どんな形であれ世界が存続させるのが銀龍にとって役目であり使命だ。

 今回も無事に守れた、守る事ができたのだと、そう安堵すべき存在なのに、カリアはただ俺の死を嘆いた。


 人々は純粋に喜んだのだろう。

 俺の死を望み、俺が死んだ事を純粋無垢な赤子のように喜び、俺を失い嘆く銀龍を担ぎ上げ、新たな世界を祝おうとしていた。

 けれどそれは、カリアにとって傷に塩を塗り込むような物だった。

 それを防ぐために、銀龍という存在は全てから隠されたのか。



「生き残った者はそう多くなく、物資も生きていられる場所も限られた時代だ。

 種族関係無く身を寄せ合ってどうにか生きていた状態だった生き残り達の記憶を魔法で封じるのも、封じない代わりに誓いを立てさせるのもすぐできた。

 銀龍の存在は歴史の裏側に沈み、民は『神の使い』と呼ばれる存在がいたというのは知っていてもその姿が銀のドラゴンだとは知らずにいる。

 一部の者達はお前が『神の使い』だと信じ、奉っているぐらいだ。

 真実を知っているのは、当時生きていた者以外だとお前の友人の末裔や、各国の王族といった限られた者だけだ」


「……俺が『神の使い』か」



 知らない間に俺は随分と崇高な存在に持ち上げられていたらしい。

 淡々とした口調で語られた内容に嘲笑交じりの笑いが溢れる。



 命懸けで世界を救うために戦ったのなんて、当時生き抜くために戦った者達全てがそうだ。

 命を賭して町を守ろうとした者、死にたくないと叫び戦場を駆け抜けた者──理由は様々だがあの時代は命を落とした者の方が多く、俺もその内の一人でしかない。

 それでも俺が英雄と呼ばれたのは、ただ他にない力を持っていたためだ。


 銀龍に与えられた力を使い、できる全ての事をした。ただそれだけだ。

 世界が救われたのは全て彼女の力があってこそだった。

 それなのに、俺が『神の使い』だと信じられて、カリアは秘された存在になっているとは。



 これ以上カリアを傷付けないためだった、何よりもカリアを想っての事だった。

 遺った彼等の想いも性格も知っている。全てカリアのためを考えての行動だ。カリアもそうしてくれたおかげで静かに眠れただろう。

 そうわかってはいるけれど、カリアも気にしないとわかっているけれど、俺達のような特異な存在に対する世界の在り方につい笑ってしまう。


 時に害だと断じ、時に救世主だと縋り、時に価値ある存在と利用し、時に神だの神の使いだのと奉り、自分の命が救われるために犠牲になれと求める。

 嬉しい時は微笑んで、憤りを感じた時は怒気を露わにして、悲しい時は涙を流して、楽しい時は踊りもする。

 神も、神に連なる存在も、人と何ら変わらない。変わらないのに──



「──好き勝手に言ってくれる」



 自然と思い浮かんだ彼女と彼の姿に、湧き上がる激情を吐き捨てるように呟く。

 俺は心から世界を救うために戦ったわけじゃない。

 ただ求められたから、願われたから、縋られたから──カリアを死なせたくなかったから彼を殺した、ただの人殺しだ。

 そんな俺が現在では彼女より認められ、信じられているだなんて、笑わせてくれる。



「……人々が銀龍を知らない事も、お前が『神の使い』だと思われているのも、全て俺達のせいだ。だから……」


「ガヴェイン」



 全て自分のせいだからと庇うのは、王としての性質か、それとも選択した者としての罪悪感か。

 罪を告白する懺悔の如く、謝罪を告げようとするガヴェインを遮り、俺は腹に力を入れて声を発した。



「さっきのは聞かなかった事にしてくれ。

 俺は一度この世界から離れた。その間この世界で生きて来たのはお前達だ。生者の選択に戻って来ただけの死者が口を挟んで良いはずが無い。

 だから忘れろ、忘れてくれ……お前のようにカリアを大切に想っていてくれる存在が少しでもいるなら、俺も彼女も、彼もそれで良いんだ」



 自分に言い聞かせるように言葉を連ねると、ガヴェインがまるで痛みに耐えるかのように顔に暗い影を落とす。

 こいつは忘れてはくれないのだろう。俺が抱くこの呆れにも似た怒りを、吐き出さずとも察し、その心に刻み付けるのだろう。

 相も変わらずお人好しな友の顔を見ていられなくて、黙って視線をティーカップへと落とし、口を突いて出そうになる想いを紅茶ごと飲み込んだ。



 彼は言っていた。『大切な存在が真実を知っていてくれる、それだけで良い』『それだけで自分は救われている』と。

 彼女は言っていた。『世界のために在る私が、カリアとして大切にできる存在ができた』『それだけで私は幸せだ』と。


 片や存在が消えゆくその刹那に、片や二人で眠る静寂の中で浮かべた微笑みは、どちらも晴れやかで穏やかで、生き写しのように似ていた。

 誰がどう思おうと彼女には関係の無い事。誰が願おうと、祈ろうと、彼女は彼女でしかない。

 誰が否定しようと俺が俺でしかいられなかったように、隠されようと忘れられようと彼女は彼女だ。それは彼も同じ。



 あの親子を、神でも神の使いでもなく、ただ一つの存在として想ってくれている。

 それだけで幸せだと微笑むと、俺は知っている。

 二人がそれで良いと微笑むのなら、俺もそれで良い。そう思いたいのだから。



 俺に対して何か言いたかったのに言葉が見つからないのか、ガヴェインが言い淀んでいる時、慣れ親しんだ水の魔力を感じて俯いていた顔を扉へと向ける。

 同じように魔力を感じ取ったガヴェインが、次いで少し遅れてクラウドが扉へと視線を向けたのが見えたけれど、開いていない扉からふわりとセラが姿を現し俺へと飛び寄って来たので、さっきまで部屋を満たしていた空気に気付かせないよう笑みを浮かべてセラを迎え入れた。



「おかえりセラ。ダルクはどうだった?」


《もう充分回復してたわ。念のため出発まで力を蓄えておくって》


「そうか……良かった」



 憂いの欠片も無く返された言葉に肩の力が抜けたのがわかる。

 ダルクは大量の邪気を取り込んだため、消失する寸前まで魂の核が傷付いており、俺が眠っていた間もずっと精地に潜って傷を癒やしていた。

 そんな状態で精霊化や大規模な浄化といった無理をさせた俺が言える事ではないが、明日の出発までに間に合うかわからない程の傷だった。


 これまで見て来た光景を思えば風の精地にも大量の邪気が溢れているはず。

 本人に直接聞けば心配ないと言うだろうが、これ以上無理をさせれば再びダルクが危険になる。

 どこまでも一緒に、と約束をした手前ダルクには言えずにいたが、状態によっては無理矢理精地で休ませてセラと二人でフィンの元へと向かう事も考えていた。

 精霊同士なら相手がどんな状態か一目でわかるので、セラにはこの事を話した上で様子を見て判断するよう頼んでいたが、あの様子だ。問題無く一緒に行けるだろう。



 ダルクも共に行けるであればセラに掛かる負担が減り、取れる手段が増える。

 何があっても何をしてでも家族皆救う心積もりはしているが、そのために取れる手立ては多ければ多いほど良い。


 邪気を集め続けているというフィンの状態は恐らくダルクやガヴェインの比では無いだろう。

 最悪の状態も考えられるが、セラとダルクが共に来てくれるんだ。水と闇ならばまだ調和も取りやすい。

 いざという時は一つの属性だけではなく二つの属性で精霊化をすれば──そう考えていた時、セラが俺の腰辺りを見て小さな声を上げたため意識をそちらへと移した。



《その剣、ようやく受け取れたのね。

 うん……これなら私達も少しは安心できるわ》


「セラ達も手伝ったんだろう? ありがとう」


《あなたへの贈り物だもの。例え届かなくとも全力でやらないとね》



 懐かしそうに呟くセラの視線は、腰に取り付けた新たな剣へと向けられている。

 いくら腕の良い職人であろうとも、全ての属性を宿した上でどの姿になっても問題無く力を発揮できるほど各属性の調和を保たせるのは不可能だ。

 この剣が創られた時代、その時代にいただろう存在の中でそんな離れ業ができたのは、長い時を共に過ごし、お互いをわかりあっている俺の家族だけ。

 そして何よりも、込められた精霊の加護は俺の良く知る波長で、きっとそうだろうと感謝を述べると蒼い瞳が愛おしげに細められ、短剣となったその剣を一撫でした。



「陛下……そろそろ」


「あー……わかった」



 区切りがついたのを見計らったのか、セラが来てからはすっかり影に控えていたクラウドがガヴェインへと声をかける。

 短い言葉だが意図はしっかりと伝わったようで、残念そうな返事をした後深いため息を吐いていた。

 この様子だと、いつものアレだろう。



「仕事か」


「まだ俺が王だからな。ジーアスが色々片付けてくれてるが、片付けきれない責務はあるさ。

 それに何より、閉じていた分の謁見が山ほどある」


「そんな状態で俺の装備選びに付き合う暇なんてあったのか?」


「今夜まとめて会うから良いんだよ」



 昔と変わらず仕事は嫌いなようで、苦笑い交じりに返される。

 随分と長い時間ここにいたが、まさか全てジーアスに押し付けて来たのだろうか。

 重い腰を上げて立ち上がったガヴェインに率直な疑問を投げかけると、何も問題ないとばかりにそう笑う。


 まとめて会うにしろ今夜とはどういう意味だろうか。

 声には出さずに首を傾げた俺にガヴェインは流れるような所作で焼き菓子を一つ口へと放り込み、紅茶で流し込んでから答えてくれた。



「表向きには俺の回復と王都の浄化を祝した宴を開く事になったんだ。

 急ぎ以外の謁見はその時まとめて済ませる」


《表向き?》


「おう。本当はキョーヤの帰還を祝う宴さ。

 後でジーアスが説明に来るだろうが、ジーアスの友人として参加してくれ」


「……わかった。何から何までありがとう、ガヴェイン」



 どうやら眠っていた間にでも話が進められていたようだ。

 謁見もその場で済ませるという事は、あの時この城にいなかった者も宴に参加するのだろう。

 俺が英雄の生まれ変わりだと知られないように配慮した上で、俺の帰還を祝ってくれるというガヴェインに感謝の言葉を述べると、彼は皺だらけの顔を歪めて俺へと一歩近付いた。



「礼を言うのはこっちの方だ。

 ……なぁキョーヤ、本当にすぐに発つのか? もう少し休んで行った方が……」


「……ダルクがあんな状態になっていたんだ。もたもたしていたら間に合わなくなる」


「それはそうかもしれんが…………何を言っても無駄か」



 その言葉もその視線も、何もかも俺への心配で溢れているのはわかっている。

 だが、これ以上ここに留まる事はできない。

 万が一フィンを失うような事になれば、俺もガヴェインも、きっと後悔してしまうから。


 だから引き止められないと彼もわかっているのだろう。

 それ以上は言わず、扉の方へと足を向けた。



「無茶だけはしないでくれ。本当に」


「わかってる」



 宴にはジーアスの友人として、そして明日の朝にはエルフの城へと転移する。

 こうしてただの友として過ごせる時間はもうほとんど無いだろう。

 何も無ければ再びこの城へと訪れるのはカリアを救った後になるはず。

 その時、俺達が揃っている保証は無い。


 ガヴェインもそれをわかっているのだろう。

 名残惜しげなその後ろ姿がそれを表していて、扉の外へと消える間際、わざとらしいほど明るい笑顔でこちらへと笑いかけた。



「おっと! 大事な事を忘れてた。

 ──おかえり、キョーヤ。今度は二人で酒でも飲み交わそうぜ」


「……ただいま、ガヴェイン。良い酒を用意しておいてくれ」



 あちらの世界ではまだ未成年だが、ガヴェインが迎えてくれたように俺はこちらの世界の存在だ。

 こちらの基準で言えば成人しているため気に留めることなく緩く手を振り交わせば、友は今度こそ魔王として部屋を出て行った。

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