灯火の輝き
「そのまま魔力を込めながら短剣になるよう念じてみろ」
そう言われ、鞘に納めた剣へ魔力を込めながら念じると、フッと白い光を放って短剣に姿が変わった。
さほど重くは感じなかったが鞘も剣と同じ材料と技術を用いられているようで、短剣となった剣に姿を合わせ鞘も短剣の形になっている。
「各属性に加えて長剣と短剣、それがその剣が取れる全ての姿だ。
本来の姿は長剣だが、鞘が周囲の魔力を自動的に溜め込むから持ち主が命じない限り短剣の状態も維持できる」
「なるほど……追加で短剣用の剣帯を用意してもらえるか」
浄化の力こそ持っていないが、多種多様な姿に変わるこの剣はあらゆる場面で活躍するだろう。
とはいえ、世界が邪気に満ちている今、常時携帯しておきたいのは浄化の力を宿すあの剣の方だ。
流石に長剣二本を常備携帯するのは慣れていないと邪魔になってしまう。
普段は異空間に入れておき、必要になった時取り出すのでも良いが、それでは無駄な動作が増えてしまう。
その点、短剣の状態にも成れるなら、あの剣と同じく常に携帯しておける。
そう思って短剣用の剣帯を頼もうと思ったのだが、これも想定済みだったらしい。
「そういうと思って用意してある。クラウド」
「はっ」
ガヴェインの呼びかけに短く返答した顔を隠した騎士はどこからともなく取り出した剣帯を手にこちらへと近付き、テーブルの上に一本一本丁寧に並べ始めた。
黒を基調とし、金の金具が艶やかに映える物。銀の刺繍が施された物。金の刺繍がされた物。
色も形も大きさも異なる剣帯が整然と並べられて行き、良く見知った最後の一本が直接俺へと差し出された。
「色々と見繕っておいた。好きな物を選んでくれ」
ガヴェインの言葉を聞きつつ、俺の視線はそちらではなく手にある剣帯へと向く。
手渡されたのは俺があの村を発つ時に彼から譲ってもらった物だった。
記憶にある最後の状態と比べ、まるで新品のように綺麗になっている。
「……修理したのか?」
「一部金具が傷んでいたからな。金具だけ取り換えさせて、それ以外はそのままだ。
この剣帯はあの剣に合うよう作られた物らしいからな。そのまま使っておけ」
「そうか……ありがとう」
礼を言い、剣帯を腰に取り付け、異空間からあの剣を取り出し剣帯に取り付ける。
修理した後大まかには戻していたようだが、こうして実際に着けてみないと分からないズレもある。
しっかりと固定するよう調整し、改めてもう一つの剣帯を選ぶべく、テーブルの上に並べられた剣帯を見比べた。
「利き手は? 変わらずか?」
「あぁ、基本右だがどちらも使える」
「それなら左右に一本ずつでも良いな。片方だけだと重心が偏る。それに紛らわしいだろ」
「そうなると……これが良いか」
ガヴェインと言葉を交わし、俺が手に取ったのは別の剣帯に新たに取り付ける型の物だ。
黒く染色された魔獣の皮に魔力を帯びた銀の金具が部屋の光を受けて小さく輝いている。
見たところ金具には軽量の魔法が込められているようだ。
手に取ったそれはとても軽く、既に着けてある剣帯へ金具を利用して固定する。
次いで短剣となった新たな剣を剣帯に固定すれば、短剣の重さが右側に増えた。
「重さは……こんな物か。動きに支障は無さそうだな」
「色彩が微妙に違うが……同じ黒だからそう目立つわけでもねぇな。それにするか?」
所謂完全装備となった状態で動いてみるが、新たに加わった重みは僅かな物で、ほとんど以前と変わりなく動かせる。
身体を覆っているローブも、短剣に手をかけようと両方に手をかけようと、施された魔法のおかげで邪魔になる事もないらしい。
強いて言えばガヴェインが若干不満げな事だが、それは剣帯の色味が違うため新たに付けているのが明らかだという程度だろう。
「あぁ、構わないか?」
「勿論。クラウド、後は下げてくれ」
自分の事となれば公の場以外では随分と無頓着だというのに、懐に入れた存在に対しては細やかな場所まで気にする奴だ。
どうせ染め直したいとでも思っているだろうがそこまでさせる必要も時間も無いため、これが良いと言外に示せば、ガヴェインは間違える事無く受け止め、クラウドへと片付けるよう指示を出した。
「御前、失礼致します」
クラウドは一礼を行い、音を立てることなく残りの剣帯を片付けていく。
それを何気なく視線で追っていると、ガヴェインが座るよう促してきた。
邪魔になりそうなローブを脱ぎ、腰に剣を下げたまま向かい側の椅子へと腰かける。
テーブルには俺が剣帯の調整を行っていた時にでも淹れたのか、ガヴェインの前に一つ、そして向かい側の空席だった場所にもう一つ、金の柄が入ったカップが微かな湯気を立てていた。
「言っていた食料だが、保存が効く物を中心に用意させている。
後で持って来させるから、遠慮なく異空間に入れてくれ」
「わかった」
食料の問題が片付けば俺ができる範囲の準備は整ったことになる。
防具の調整や服の試着などで二時間近く着せ替え人形となっていたからか、知らず知らずのうちに疲れが溜まっていたらしい。
ガヴェインに視線で確認してから口を付けた紅茶は程よく温かく、一口飲んでみればその温かさと香りの良さに自然とため息が出る。
一国の王が飲む物とあって茶葉も良い物に間違いないだろうし、淹れた者の腕もあるだろう。
舌に自信があるわけではないが、それでもわかる味の良さに少し目を伏せ、カップを満たす紅へと視線を落とす。
揺れる紅には真新しい服を着た俺の顔が映り込んでいて、それがどこか幻のように見え、俺は再び紅茶を口に運んだ。
「そうそう、紹介するのを忘れてたな。クラウド」
腰に下げた新たな重みはジークへの想いの結晶だ。
ジークを指し示す明確な言葉が無くとも、俺とガヴェインの隠す事のないやり取りに気付く者は気付いてしまう。
ガヴェインほどの者がそれを見落とすはずがないとはわかっていたが、やはりこの騎士も俺について知っていたのだろう。
呼ばれた騎士は既に剣帯をどこかへ仕舞い終えており、名を呼ばれてすぐガヴェインの横で俺とガヴェインに対して跪く。
そして静かに顔を覆っていた布を取り払い、どこか見覚えのある金色の瞳で俺へ礼を行った。
「こいつはクラウド。俺の影の一人で、ラノールから離れて任務に就いていてもらっていた」
「クラウド、と申します。どうか今一時のみでもこの名を知ってくださいませ」
俺は、彼を知っている。
深い蒼の髪を揺らして恭しく頭を下げ名乗るクラウドに、どこか確信めいた物が頭を過ぎる。
いつだったか会った事がある。ジークではない、俺が会ったはずだ。
「……あんたは……」
思い出せそうで思い出せない彼の顔を見つめてポツリと呟く。
そんな俺の反応は予想通りだったのか、彼を紹介したガヴェインは微かに金色の目を細めた。
力の強さによって鮮やかさが異なる魔族の金色の瞳。
煌々と輝くガヴェインの金色とは違い、剣のような鈍さの輝きを宿す金色。
魔族の証たるその金色の瞳を──俺はこの国ではない王都で見た。
記憶にある瞳の持ち主の名が出てこずにいた俺に、クラウドは微かに笑みを浮かべて答えを告げた。
「以前、クランクという傭兵として、貴方様と同じ護衛任務に就いた者でございます」
「──あぁ、そうだ。俺と組んで、アリオ達と一緒にハンスを護衛した……」
「はい、そのクランクにございます。
その際は偽りの身分故、御身の前にて顔も見せず無礼を行い、申し訳ありませんでした」
「無礼もなにも……俺も似たような物だったんだ。気にしないでくれ」
顔を見ても思い出せないはずだ。あの時の彼は顔を隠していた。
事務的な内容以外ではほとんど言葉も交わさなかったのもあって、はっきりと覚えているのはその背格好と別れ際に見た金の瞳だけだった。
クラウドに再び深く頭を下げられ、気にしないで欲しいと告げると、今度はガヴェインが菓子をつまみながら口を開いた。
「お前の事はこいつから聞いたんだよ」
「もしかして王都に入った時の、王命とやらか?」
「『英雄ジークがいた。今の名はキョーヤ・ミカゲ。色は双黒、銀龍を探している。』って報せがあったからな。
もしランディリアに来るようだったら通すよう命令を出していたのさ。
……またジークを騙る人間かと思ったが、まさか本人だとは思いもしなかったよ」
最後に不穏な呟きが聞こえたが、俺を騙る人間とやらについてはそれ以上言及してくれないようだ。
焼き菓子を齧りながらそう話すガヴェインは、どうやっているのか欠片をこぼすような失態は犯さず綺麗に食べていた。
相変わらず無駄に器用な奴だなと頭の端で思いつつ、少し引っかかりを覚えてクランクとの記憶を軽く思い返す。
「記憶違いでなければ、俺はあんたにカリアの事は聞いていなかったと思うが……」
「アリオ達から聞きました。
貴方様が探しているから知っている事があれば教えてやってほしい、と」
「アリオ達が? ……お人好しだな」
引っかかりの正体に見当がついて疑問を口にすれば、クラウドは少し頭を下げたままそう答える。
俺がクランクに尋ねられていなかったのに気付いていただろうか。
詳細の経緯はわからないが、彼等のおかげでガヴェインに俺の存在を報せる事ができたのだ。
今の俺とそれほど歳の変わらなかった傭兵達の人の良さに、自然と笑みが零れた。
「礼を言わないとな。おかげで俺は実力行使でここに乗り込まずに済んだ、ありがとう」
「おい、そんなこと考えてたのか」
「考えただけだ。実行はしてないだろ。偶然俺と同じ依頼を受けたクラウドに感謝しておけ」
「……キョーヤ様」
あの護衛依頼は元々二人の傭兵が怪我を負って急遽募集をかけた物だった。
その空いた二つの枠を俺とガヴェインの影であるクラウドが受けるなんて偶然はそうそうない。
他国の影が身分を偽りユニエルで何の任務に就いていたか知るつもりはないが、ここまでくるといっそ仕組まれていた方が安心できるほどだ。
軽口で少々誤魔化しつつ苦笑いを零した俺に、クラウドは硬い声で俺を呼んだ。
「偶然では、ありません」
否定と共に迷いも孕んだその声は静かだがはっきりと部屋に響く。
あぁ、こういうのをフラグ回収、というんだったか。
あちらの世界で同級生達が良く口にしていた言葉が脳裏を過ぎり、何とも言えずにいると、クラウドはまるで罰を覚悟したような硬い表情で説明を始めた。
「実は、私共の任務に貴方様が少し関わってしまったのです」
「俺が?」
「はい。子細をお話する事はできませんが、我々が目に付けていた人物に貴方が接触してしまわれました。
我々にとっては見過ごせぬ事態ゆえ、失礼ながら貴方を探るべく同じ依頼を受けたのです」
「……あの依頼は急遽二枠空いた物で、俺がその最後の枠を取った。
となるとあんたは俺の前にあの依頼を受けていたわけだが、それだとまるで俺があの依頼を受けるとわかっていたようじゃないか。
それに何故俺がジークだとわかった? 彼等からカリアを妻だと言ったのを聞いたのか?」
「……ギルドジシス支部長の協力を仰ぎ、貴方様があの依頼を受けるよう調整させていただきました。
貴方がジーク様だと知ったのはこちらを見つけたからでございます」
一体どこから仕組まれていたのやら。
思いつくままに疑問を投げかければ、やはりというべきかあの支部長も関わっていたらしい。
薄っすらと予想はしていた答えと共に差し出された一枚の紙へ視線を落とすと、そこには俺の名と覚えのある文章が記されていた。
「これは……俺が掲示板に残した伝言の、写しか?」
ギルドの施設の一つである掲示板。
『写し』と朱い判が押されているその羊皮紙には、俺がそこに残して来たはずの伝言が記されている。
一字一句全て覚えているわけではないが、前半は翻訳魔法か何かの恩恵で何とか書いた歪な文字が、後半には俺の良く知る文字が綴られていて、筆跡からしても俺が書いた物をそのまま写し取ったようだ。
特殊な羊皮紙だとは聞いていたが、あれはこういう意味だったのだろうか。
写しを手に取りまじまじと見て問えば、クラウドは静かに頷いた。
「貴方様について探っていた際にこれを見つけました。
後半に書かれている文字ですが、今は廃れ、ほとんどの者が読めない古語となっております。
陛下のように古くから生きる方ではなく、短命の人間でこのように自在に扱えるのは教会の一部の者のみ。
そのため写しを取って解読させていただき、貴方様がジーク様であると知ったのです」
300年という長い年月の中で、新たな国が興されたように文字も移り変わって行ったようだ。
クラウドの説明に、俺は黙って写しの文字を再びなぞった。
『俺を知る者へこれを残す。
青鷹が帰って来た。必ず会いに行くから待っていてくれ』
俺を知る誰かに、俺がこの世界に戻って来ている事を伝えられるなら、と残した伝言。
心のどこかでは届かないだろうと諦めていた。
届かなくても良いと、僅かな可能性に縋って残したこの伝言が、こうしてしっかりと届いていた。それがどれだけ幸運なことか。
込み上がるこの感情は何というのだろう。
苦しくもあり暖かくもある感情の名前が分からずにいると、ガヴェインが懐かしげに呟いた。
「青鷹、な。懐かしい呼び名だ」
「畏れながら陛下、キョーヤ様。青鷹というのは一体何なのでしょうか?
以前陛下から聞いていたのでジーク様を指し示す言葉だとは存じておりましたが……」
「アルマ・フィーニスっていう人間がジークの事をそう呼んでたんだよ。
そいつの生まれた地方じゃ鷹は勇士の象徴として親しまれていてな。カリアに乗って空を飛ぶジークをそれに重ねた物だ」
「青は俺の瞳から取った、と言っていたか。
転生なんて現象、信じてもらえるかわからなかったからな……知っている者が少ないその名を残したんだ」
ジークというありきたりな名前だけでは伝わるかどうかは怪しく、響夜と名乗ったところで伝わるはずも無ければ日向達に知られれば厄介な事になる。
何より記憶はそのままで、別の人間として帰って来たのだと公の場で明かすわけにもいかなかった。
だから友人達しか知らない言葉で俺の帰還を表すのが良いと考えて、一番最初に思い浮かんだのがその呼び名だった。
アルマ・フィーニス。遠い昔、俺を恐れることなく接する数少ない人間だった男。
初めての戦場で出会ったアルマは、見た目はただの子供でしかなかった俺に生きる術を教えてくれた大人だった。
やがて人から恐れられていったとしても、彼は最期まで親しみを込めたその呼び名で俺を呼んでくれた人だった。
「良い考えだったと思うぜ? これはお前がまだ英雄と呼ばれていなかった頃の呼び名だからな。
知ってる奴なんざ、当時の人間でもごく一握りだったんだ。これを見ていたら俺もすぐにお前だとわかっていただろうよ」
彼の快活な声と共に響くその呼び名が脳裏に響く最中、隣から聞こえた言葉に目を瞬いた。
「まだ見ていなかったのか?」
「報せが届いた時は俺も王都もあんな状態だったんでな。
無駄に希望なんぞ抱けなかったから、あの命令を出すだけに留めていた。この伝言も見てなかった」
「……だろうな。もし違っていたらお前は……」
「俺だけじゃない。全員に知らせていたら間違いなく王都は堕ちていたさ。
……お前は、今も変わらず俺達全ての希望だからな」
俺自身は力を分けてもらっただけで大層な存在ではないけれど、成した事の大きさは理解しているつもりだ。
一度世界を救った存在が、再び滅びに瀕している世界に戻って来た。
一度救ったなら二度目もあるのでは、と思わない者は少ないだろう。
苦難の中でやっと見えた希望。
その微かな光が潰えれば、希望は一転絶望へと堕ちてしまう。
前も今も何度か経験したその苦痛は、そう幾度も耐えられる物ではない。
特に全てが限界を迎えていた彼等にとっては、絶望へと突き落とす痛みになりかねない。
ついっと視線を窓の外へと向けたガヴェインにつられ、俺もそちらへと視線を移す。
窓から見える王都には、ここへ戻って来た時には無かった数多くの生きる灯火が輝いていた。
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