第八日目

 そうそう、私は私ではないのだ。「私」という名の色々な物のコピーなのだ。


 私はなりたい物をツギハギに繋げた私ではない「私」だ。


 なりたい物がある。なりたい物の断片がある。なりたい物はなりたい物の断片から創られている。


 じゃあ、断片を繋げばいい。そうやって、色々ななりたい物から断片をコピーした。


 また、このコピーが失敗したコピーなのだ。失敗したコピーはなりたい物ではない。しかし、オリジナリティーが出る?否、社会が求めているオリジナリティーではない。よって。オリジナリティーではない。


 話を戻そう。断片を選ぶセンス、繋げるセンスが私にはどうやらないらしい。


 よって私は不完全な私だ。どうやら、その不完全さは全てに滲み出ている。いや、そもそも不完全なのだからそんなものはないのだが。


 それは完全な人から見れば異常に醜いものらしい。それは私にひしひしと伝わってくる。


 別に気にしなければいい、そういう問題だろう。だが、私は比べてしまう。比べなければいけないのだ。


 比べなければ私の存在価値はないのだから。比べられ、比べて、やっと、私の存在価値は生まれる。


 これはまるで私が好き好んで比べているように思われるだろう。だが、これは社会が私達にかしたのだ。比べるように、比べられるように。


 私はこれは醜いと思う。でも、これによって私は成り立たせられているのだと思う。そう、これによって。


 人と比べて自分を卑下して、人と比べて尊大だと思い込み自分を成り立たせる。また、人に比べられて存在価値が生まれてくる。


 それが私を縛り、離さない。誰か、この紐をほどいて欲しい。


 そんな比べるという行為によって損な役回り、得な役回りが生まれる。そして、損な役回りの私は悲劇のプリンセスになりたがる。


 悲劇のプリンセスは最初は悲劇だ。その後、人生の逆転をする。それは誰もが羨み、妬むほどのものだ。


 だが、そんなものにはなれない。なれないのは分かってる。分かっていながらも望む。


 だって悲劇の人物は悲劇のまま終幕を迎えるのだから。


 あなたは知っていますか? 悲劇が逆転したものを。


 えぇ、知ってます、という答えが聞こえてきます。ですが、よくよく知っていると言う答えはないと思います。


 それに私達が逆転したと思い込んでるものは逆転してない可能性もあるわけですよ。


 気持ちの問題だと言われるかも知れない。だが、悲劇のプリンセスでいられるのは悲劇でないといけないのだ。


 悲劇のプリンセスになれないと分かっていながら、悲劇のプリンセスを望むこの姿は滑稽だろう。





 君は何を望んでいる?望むものになりたいのだろ?だったら、それを掴みに行かないと。

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少女の独白 綿麻きぬ @wataasa_kinu

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