第3話 執行部の本業?

 体育祭まで残り1週間を切り、学園生達もふつふつと熱意を温め始めている。その一方で、執行部はバタバタと忙しそうに動いていた。

「ドッチボール担当ー。打ち合わせ始めるぞー」

「バドミントン担当、集ー合ー」

 各競技の名前が叫ばれ、それぞれの担当者達が足早に集まってゆく。笹原もグラウンドのスタッフとして、いくつかの打ち合わせに参加していた。

 部員達が右へ左へと動き回っていると、にこやかに笑っている初老の男性──学生主事の高柳が訪れた。その姿を見て、部員達が「こんにちは」と挨拶をする。高柳は一言「やあやあ」と返事をすると、

「金沢君はいるかい?」

 と部長を呼び出した。金沢はすぐに入口へ駆けつける。

「どうしたんですか、高柳先生」

「いやね。ここ最近、靴の盗難が相次いでるらしいんだけど──君、何か知らないかい?」

「いえ、知りません」

 金沢が首を横に振る。

「そうかい。なら仕方ないね」

 高柳は終始にこやかな顔でそんな物騒な世間話をすると、にこやかなまま「ではでは」と手を振って出て行った。金沢はそれを見送ると、大きく肩を落とす。

「この忙しい時期に……。誰か、手の空いてるヤツはいるか?」

 金沢が部室に向かってそう振り返ったが、目の前に広がるのはどれも打ち合わせ中の群れだった。部員達が暫く顔を見合わせる中、広瀬が声を上げた。

「グラウンドの競技はそれぞれで打ち合わせするから、高松行ってきなよ」

 それを聞いた高松が、露骨に嫌そうな顔を広瀬へ向ける。

「え? なんでだよ」

「高松はグラウンド本部に固定だったはずだから、最悪出る必要ないよな?」

「いやいや…… 全体を知っておくために、俺もグラウンド競技全部の打ち合わせには出ておかないと…… な?」

 高松が苦笑いを浮かべていた。一方の広瀬はわざとらしく澄ました顔で話を続ける。

「だから、あくまで『最悪』だよ、サ・イ・ア・ク。最悪出なくてもいいよな?」

 広瀬の笑顔に高松が黙り込む。高松自身も分かっていたのだろう、すぐに「分かった」と溜息混じりに答えた。

「でもよ、もう1人は誰にするんだよ」

 高松がそう言いながら考え込む。すると、すかさず広瀬が笹原を指さした。

「笹原なら空いているんじゃないかい? 確かまだ、どこの配属にもなってないんじゃなかった?」

 笹原が入った時にはすでに体育祭の担当分けも済んでおり、どの競技にも笹原の名前は無い状態だった。

「よし、笹原やるか」

 高松が笹原に声を掛けた。高松は面倒くさそうな表情を浮かべていたのに対し、笹原は何が何だか分かっていない顔をしている。

「やるかって、まさか靴の──」

「ああ、捜査だ」

 高松の言葉を聞いて、笹原はひとり目を丸くしていた。



「ったく、かったりーな」

 高松が倦怠感を込めながら廊下へ出た。何故か広瀬の指名を受けた笹原も後に続いて執行部室を出た。

「先輩はともかく、なんで僕まで行かないといけないんですか」

 ベテランの高松はともかく、入部したての笹原の『捜査』とやらに参加する意味が、笹原は理解できない。それどころか、笹原にはこれから何が起こるのか見当もついていなかった。

「現場行動のときは、基本的にツーマンセルで動かねぇといけねぇからだよ」

「ツーマンセル?」

 高松の言葉に笹原が首をかしげる。

「──ツーマンセルてのは、2人1組で動くことだ。不測の事態が起きても対応できるように、わざわざペアで行動させるんだとよ。1人だと突っ走ったら死ぬが、2人だったら片方がブレーキ掛けれるからな」

「不測の事態って、例えば何なんですか」

「あ? ……そりゃあ、通信が途絶えたり、学生と揉めたり、事故ったり──色々だな」

 高松が廊下を歩きだす。少し遅れてから笹原も高松の後を追った。

「っていうか、何で僕たちが調べないといけないんですか?」

 笹原が不満そうにしながら高松と廊下を歩く。高松は笹原の少し先を歩いている。

「学主事からのお達しだからな」

「お達しって、さっき金沢さんと先生がしていた話ですか? そうは見えなかったんですけど」

 高松の言う『お達し』があの『世間話』であることは笹原にも分かったのだが、指示をしているようにも頼んでいるようにも見えなかった。その笹原の質問に、高松はこれまた面倒臭そうに頭を掻く。

「あれが、調べろって命令なんだよ」

「ただの世間話がですか?」

「早い話が、学校はこういう事に一切関与しねぇ。あくまで、たまたま執行部員が捕まえた──そういう体にするために、ああいう方法で指示が降ってくる」

 盗難ともなれば立派な刑事事件だ。警察、少なくとも学校が動くものではないのか。そう思う笹原にとって、そのどちらでもない執行部の仕事であることが違和感でしかなかった。そんな苦い顔を向ける笹原をよそに、高松は話を続ける。

「学校は学園生の不祥事を表沙汰にはしたくないんだとよ。だが、放っておいたら学園生の不満も溜まって、誰かが学外に漏らすかもしれない。だから、俺たちに都合よく片付けさせるってワケだ」

 そして、高松は『学生課』と書かれた札の扉の前で立ち止まると、取っ手に手を掛け

「誰が何したか残らないからな」

 と鼻で笑い、扉を開いた。

「すいませーん」

 2人は学生課の部屋に入ると、高松がカウンターに声をかけた。すると、1人の中年女性がやって来た。

「アラ、執行部さん。いらっしゃい」

 彼女は高松に笑顔を向ける。すると後ろの笹原にも気づいたらしく、今度は物珍しそうに笹原を見た。

「アラ? 見ない顔ねぇ。どうしたの?」

「新しい、うちの後輩です」

 高松がそう紹介すると、女性は「アラアラ~」と笑った。

「新しい部員さんねぇ~。よろしくお願いします~」

 と彼女が笹原に会釈したので、笹原も「よろしくお願いします」とお辞儀を返した。その隣に立っていた高松が、慣れた口調で事務の女性に話しかける。

「いつもの、お願いします」

「はいはいー。奥の部屋へどうぞ」

 彼女は学生課の隅にある扉を指さした。高松が鳴れた足取りでそこへ向かって行き、笹原がそれを追ってゆく。笹原が部屋に入ると、そこは何の変哲もない普通の応接室だった。

 高松が椅子に腰かけ、その横に笹原が座る。よく見ると、この応接室は教室よりも華やかで慎ましい。笹原が部屋を見渡していると、さっきの事務員が分厚いファイルを持って部屋に入ってきた。

「はい、いつものですよ」

 事務員は高松にファイルを手渡し、高松がそれを「どうも」と受け取った。高松はファイルを開くと、『相談内容』と書かれた1ページ目をめくる。

「靴の相談は……っと」

 相談者の名前や相談の内容が掛かれた欄を、高松が確かめるように1つひとつ指で追ってゆく。一番下の列まで辿り着くと、次のページをめくり再び指を走らせる。

「全部で5人か」

 3ページほど素早く見ただろうか、高松がそう呟いた。そしてポケットから手帳を取り出した高松は、相談者のクラスと名前を書き記す。さっと書き上げると、高松は手帳を閉じた。

「ありがとうございました」

 高松がファイルを返すと、事務の女性は「頑張ってねー」とにこやかに笑って部屋を出て行った。高松も立ち上がると、部屋の外へと足を進める。

「これからどうするんですか?」

 その後を追いながら笹原が尋ねた。すると高松は足を止め、手帳の中を笹原に見せ

「こいつらに聞き込みに行くぞ」

と言って手帳を閉じた。


 まず2人は、靴を盗まれた最初の被害者の元を訪れた。沼津と言う彼は自身のクラス──1年1組の教室で友達と共に、グラウンドへ行くところだった。

「失礼しまーす」

 そこへ高松と笹原が入ってきた。高松は教室へ入るなり、辺りを見渡しながら

「執行部です。沼津君は居ますか?」

 と彼を呼び出した。

「な、なんですか?」

 沼津は突然の出来事に驚いている様子だ。周りにいる他のクラスメート達が教室を去り際に、高松と沼津を物珍しそうな視線を向ける。

「靴の件についてお伺いしたことがありまして」

 高松のその言葉を聞いて、沼津は一転して呆気にとられた。そして沼津が友達に先に行くよう伝え、教室から出て行かせる。

「で、今更何ですか?」

 教室が3人だけになるや否や、沼津が本題を切りだした。その言葉には執行部へのいら立ちや軽蔑がうかがい知れた。

「今更ってなんですか」

 沼津の態度に笹原が少し腹を立てた。そんな笹原に対して沼津が更なる不満を表す。

「学生課に届け出たのは4月の初めなのに、1ヶ月以上経ってようやく動き始めるなんて、今更だねぇと思っただけですよ」

「何だと……?」

 笹原が沼津に食ってかかる。沼津も笹原も、共に今にも飛びつきそうな勢いだ。

「やめろ笹原」

 高松が笹原を強く抑える。

「出来る限り早急に解決するよう努めますので、ご協力いただけませんか?」

 高松が笹原に代わってそう下手に出ると、沼津は

「最初からそうしろよな」

 とふんぞり返った。それを見た笹原は悔しそうに沼津を睨み付けている。

「では教えてください」

 高松は手帳を取り出すと、1つひとつ質問し始める。

「……どんな靴でしたか?」

「上は暗い茶色で下は明るめの茶色のゴムでできた、ふつーのスニーカーだな。あ、ヒモも茶色かったな。サイズは……26cmくらい?」

「何処で盗まれました?」

「授業の前に情処理の靴箱に置いて、授業後に見たら無くなってた」

「盗まれたのはいつ?」

「もう憶えてないですよ。4月のはじめじゃないんですか?」

 高松が沼津の答えを素早くメモに取ってゆく。そして、質問を終えると高松は最後にもう1つ尋ねた。

「他に何か思い当たることはありますか?」

「何もないですね」

 すると、高松は「こんなところか」と手帳を畳んだ。

「以上になります。ご協力ありがとうございました」

 高松が軽く頭を下げ、笹原を連れて教室を出て行った。癪に障る面持ちの笹原が高松の後に続いて廊下を歩いて行く。すると、2人が教室から少し離れたとき、沼津の声が廊下に響いた。

「しっかり仕事しろよー! 執行部!」

 その高松と笹原を小馬鹿にした叫び声を聞き、笹原はあまりの怒りから呆気にとられて振り返ろうとした。

「放っておけ笹原」

 高松にまたしても制された笹原が、呆れた顔のまま「えぇ……」と溜息をつく。

「あんなヤツと関わっていても時間の無駄だ。さっさと行くぞ」

「まあ、それもそうですけど……なんだか腑に落ちませんね」

 高松は手帳を開くと、沼津の名前の横にチェックマークを書き込み、その下に書かれた被害者を確かめる。

「次は、4年機械科のヤツか」

「ということは、5階ですか?」

「そうだな。さっさと終わらせるぞ」

 高松は手帳を閉じると、笹原を連れて5階へと向かった。

 講義棟5階──4年生のクラスが並ぶこの階層は、同じ学年の笹原も見慣れた場所になっていた。もっとも、高松にしてみれば去年を過ごした場所で、既に過去の場所である。特に他の階層と変わらない廊下を進み、機械科の扉を開ける。

「失礼しまーす」

 高松が扉を開けると、そこには4つの机で作られた島を囲む4人の学生がいた。島と言っても机同士で四角形を作っているのではなく、互いが座って向かい合うよう、十字に並べられていた。そして、それぞれの机には、麻雀パイが並べられている。4人は入り口を振り返り高松達を見たが、何事も無かったかのようにプレイを続行する。その様子を見た笹原は、高松の隣で唖然としたまま固まっていた。

「八戸さんは居ますか?」

 高松がそう尋ねると、卓を囲んでいる1人が自身の牌を見ながら答える。

「八戸なら部活に行きましたよ」

と答えた。

「何部か知ってます?」

「野球っすよー」

 牌を置く別の学生からそう聞くと、高松は一言礼を伝え、廊下へ出ていった。

「ちょ、ちょっと! 高松さん、いいんですか!?」

 階段へと戻っていく高松を追いながら、笹原が訴える。

「何が?」

「何がって……麻雀は校則で禁止されてるんじゃありませんか?!」

 技術学園において、麻雀をはじめとした、いわゆる賭け事は校則で禁止されている。このことは、入学者を集めたオリエンテーションでも知らされていた。それを目の前にしたにも関わらず、高松は何の咎めもしなかった。

「あぁ、あれか。カラクリがあるんだよ」

 2人は階段に差し掛かる。

「カラクリ?」

「禁止されてるのは『賭け事』だろ? あれは何もかけてないからセーフってことだ」

「賭けてないって、どうしてわかるんですか?」

 高松は彼らと一言二言しか話しておらず、麻雀については触れもしていない。また、笹原が見ただけでは賭けの有無など分かるようには思えなかった。

「学園生はすぐに対策を練って、それを共有しあうからな。この手の校則なんざ、とうの昔に対策済みなんだよ」

「金沢さんから聞いたことありますね」

 金沢から先月に聞いた、体育祭を毎年作り変えている理由と同じものだ。

「で、どんな対策なんですか?」

「奴等が賭けてるのは、日本円じゃなくて『G』だ」

 学園生が日頃賭けているのは、現金ではないらしい。その賭けられているGというものは、何かの頭文字のようだが、笹原には見当もつかなかった。

「G? ゲームにでてくる『ゴールド』ですか?」

「いいや、『技術学園』のGだ」

「それを賭けたところで、何だって言うんですか?」

「『G』は、いわば得点みたいなもんだ。だから、金銭を賭けてることにはならねぇ。サッカーの得点でメシは買えねぇだろ? ポイント自体は次のプレーへと引き継がれるが、それも『勝ち点だ』と言えば問題ねぇしな」

 金銭や物品が賭けられていないのであれば、規制の対象にはあたらない。学園生達はその穴をついたのだ。その界隈でのみ取引されるのであれば、異常性はないと判断されるのだろう。2人の議論は1階に降り、講義棟の外に出ても続く。

「そのGはお金で買ったりできないんですか?」

「できる。なんなら1Gを1円で換金できる」

「じゃあ駄目じゃないですか!」

「だが、換金するところは押さえられたことがねぇんだ。つまり、現金のやり取りをしている証拠が無いから、どうしようもねぇってことだ」

「でも、やってるなら──」

「てかよ。こんなの取り締まってたらキリねぇし、面倒臭ぇし、厳しすぎても生きずれぇだろ。ある程度妥協すれば、さっきみてーに協力してもらえんだよ。水清ければ魚棲まずってやつだ」

 直接証拠も情況証拠も乏しい今、この『賭けのない賭け事』を取り締まる術も、取り締まる気のある人員も少ない。しかし笹原には、理屈は分かっていても、心のどこかでは納得できないでいた。何故正そうとしないのか──笹原には疑問に思えた。

「着いたぞ、運動部室だ」

 グラウンドの外れに、いくつものプレハブが立ち並んだ場所がある。どれも、サッカー部やラグビー部等の屋外で活動する運動部の部室である。随分と昔に建てられたものであるらしく、それぞれの看板に書かれた部活名の文字は雨風で擦れ、外殻はどこも色褪せていた。高松と笹原は、その一角にある野球部の部室へと向かう。しかし、2人を迎えた薄い扉からは、物音ひとつしていなかった。

「留守か?」

 高松が眉をひそめながらドアノブを回して押し込む。すると、音を軋ませながらドアが開いた。部員は出払っているらしく、中には野球道具や私物で散らかっていた。

 ドアが開いた瞬間に、むせ返る様な汗臭さとニコチンの匂いが笹原腹の鼻を刺す。同時に机の上の成人向け雑誌と壁に掛けられたセクシー女優のポスターが目を引いた。

「先輩、これは──!」

「皆まで言うな」

 引き気味に勢いよく振り向いた笹原に、呆れ顔で高松が答えた。

「煙草も何も全部、事務局へ申告済みだ。それも昔から、何度もな」

「それで、これですか? 学校側の措置は?」

 これだけの、というにはいささか地味ではあるが決して軽くは無い違反だ。しかし、高松の口から出たのはため息だった。

「注意勧告だけだってよ。ちゃんと伝えたから、もう是正されてるって話らしいぞ」

「何度も起きてるのに、言っただけで治るわけないじゃないですか」

「その通り。……まったく、おめでたいやつらだ」

 高松のその言葉は免れ続ける学生へのものか、それとも現実を見ない学校へのものだったのか。それはまだ、笹原には分からなかった。

「とりあえず、ここには誰もいねぇってことは、部員は全員グラウンドか?」

「そうでしょうね」

 高松の言葉に笹原が頷くと、2人は再び外へ出た。部室と部室の間からグラウンドへ出ると、そこではいくつもの運動部が活動に精を出していた。400mトラックでは陸上部が走り、それに囲まれたサッカーコートではサッカー部が練習に励んでいる。フェンスで囲まれた奥では、テニス部のラリーが見て取れた。そして、グラウンド端に大きく広がる野球場で動き回っているユニホーム達がいた。高松達は運動部の邪魔にならないよう、グラウンドの隅を歩いて野球部達へ近づいてゆく。グラウンドの端は殆ど手入れされておらず、雑草と小さな起伏に埋め尽くされていた。野球場の傍までやってくると

「すいませーん」

 と野球場にいる全員へ聞こえるよう、声を張った。その声に、走っていた部員達が足を止める。「なんだなんだ」と顔を見合わせる彼らの元へ、高松と笹原が歩み寄る。高松が執行部と名乗ってから八戸を呼び出すと、1人の男子部員が手を挙げた。高松が彼を手招きで引き寄せると、他の面々は部活動に戻る。高松達3人は野球場のはずれに移動すると、ソワソワしている八戸に高松が説明を始めた。

「靴を盗まれた件で、話を聞きたいんですけど」

「靴……ああ! あの!」

 用件を伝えられ、八戸もやっと納得できたようで幾分か顔が明るくなった。その様子を見て高松が手帳を取り出した。

「どんな靴だったか憶えてますか?」

「あんまり履かずに盗られたから憶えてますよー! 真っ赤な靴です!」

「形的にはスニーカーですか?」

「スニーカー……」

「ブーツとか、サンダルとか、そういうのではない──」

「そーっすね! じゃあスニーカーで」

 八戸は高松の質問に、へらへらと笑っている。笹原は高松の後ろで、八戸の解答の雑さに疑問を感じていた。

「大きさはどれくらいですか?」

「これくらい」

 八戸が両手で輪っかを作って見せた。高松と笹原が八戸に悟られない程度の苦笑いを浮かべる。

「何cmとか、憶えてます?」

「うーん、25.5cmだった気もするし、26cmだった気もします」

「どこで無くなりましたか?」

「体育館の入り口でした! 体育の授業終わりに無くなってたっす!」

「何日でしたか?」

「4月の真ん中くらい……の火曜日の気がします!」

 八戸が終始、頭を悩ませながら続けた。高松はそれを書き記していく。

「他に何か思い当たる節とか、ありますか?」

「うーん……特にないですけど、あんまり履く前に盗ったヤツは許さねーっす!」

 八戸が悩み顔から一転して、高松に睨み付けるような仕草を向けた。高松はそれを軽く受け流すと、手帳を畳んで再びポケットに戻す。すると丁度、野球部のキャプテンらしい部員から

「ハチーー!! さっさと戻って来い!!」

 と大声が飛んできた。

「そろそろいいですか?」

「ええ、ありがとうございました」

 八戸は「じゃあ」と一言残して、ホームベースに集まっている部員達の元へ走っていった。高松と笹原もグラウンドを後にした。

 その後も、高松と笹原は校内中を歩き回って聞き込みを行く。偶然か必然か、どの被害者も違う学年だった。そのため、聞き込みの度に階段を登っていく。高松と笹原が5人の情報を聞き終えたころには、18時をとうに過ぎていた。夏も近づき昼が長引いているとはいえ、この時間になると空が夕闇のグラデーションで彩られていた。

 2人が執行部室へ戻ると、どのデスクも忙しそうに仕事を追い込んでいた。広報課は当日の案内表示の作成に向けてイラストソフトと格闘し、工務課は備品の最終調整を行っている。経理課は、これまでに体育祭の名目で執行部が使用した領収書を処理することに躍起になっていた。体育祭が終われば学内中から体育祭のレシートというレシートが舞い込んでくるのだから、今の間にどれだけ執行部内を処理できるかが決め手と言えるのだろう。しかし、総務課だけが体育祭とは異なる作業を行っていた。彼らは体育祭の先──学園祭に向けた準備に着手し始めていたのだ。そしてさらに、その総務課の1員である高松と笹原達は部外の『捜査』を行っている。部内の様相は、さながら仕事のバイキングとでも言えるような忙しさだった。

 高松は執行部室の中でも大きな作業机の上に、聞き取った情報を書き記したメモを並べた。

「さて、これで一通り話は聞いたんだが──笹原、何かあるか?」

「そうですね……」

 笹原は口元に手を当てるとメモ達に視線を落とす。日時、場所、形状と様々な情報を目で追って行くうちに、笹原はあることに気付いた。

「あ、全部サイズが26cmです。それにスニーカーばっかりですね」

 5人のうち、5人が『26cm』の靴を盗まれている。2人目の八戸だけは曖昧なようではあったが。そして、それだけでなく全ての靴が『スニーカータイプ』だった。学園生の中でもメジャーな部類の靴ではあるが、他にも見栄えの良い物は多く使われている。学園生の中には、ブーツやサンダル、革靴を好んで履く者も少なくない。その中でも、今回の犯人はスニーカーの形を好んでいるようだ。

「よく分かったな。つっても、これくらいなら当然か」

 笹原の分析を聞き、高松が小さく笑った。

「じゃあ、高松さんなら他に何が分かるんですか?」

 笑われた笹原が不満げに高松に聞き返す。すると、高松は面倒臭そうにため息を1つ吐いた。

「どの靴も、ほぼ1色しかない。普通は靴底のゴムや紐の色が、他の布の色と違ったりするだろ? だが、この5人の靴はそうじゃねーみたいだな」

 高松に言われ、笹原もメモを見直す。1人目の沼津は茶色、2人目の八戸は真っ赤、その後の3人も真っ黒、真っ白、青と紺。確かに全員が同じ色か同系色でまとめられた靴を盗まれていた。

「ということは、次に狙われるのも単色系のスニーカーになるんですかね?」

「十中八九そうだろうな」

 ここまで被害情報が一致していれば、犯人の思惑に近付けたに違いない。

「だが、それが分かったところで対処できねぇしな……」

 高松が悩ましげに頭を掻いた。

「そうなんですか?」

「学園生の靴なんて知らねぇし、土足禁止の場所も何か所かあるから警戒もできねぇしな」

「情報処理室、体育館、あとは剣道場と合気道場でしたっけ?」

「それとプールの5か所だ。……被害も全部で起きてる」

 犯人の傾向が分かったところで、次の被害者がいつ、どこの、誰か分からなければ守るのも難しい。これまでに上がった情報だけでは、そのどれも絞ることはできなかった。

 数分間2人で頭を捻っていると、金沢から撤収の号令が響いた。高松と笹原も帰宅の準備を始める。結局、次の手立てを思いつく前に今日の活動はタイムアップというわけだ。外も夜闇に包まれ、廊下の電灯も落とされ始めている。ここまで暗くなると行動も制限される上、見通しの悪さから事故を誘発する危険性もあった。これ以上の活動は避けるべき、という判断だった。

「明日は、実際に現場を回ってみるか」

 面倒臭そうな高松の言葉にうなずくと、笹原も帰路についた。しかし、帰り道も帰宅後も、1つの謎が笹原の頭に残り続けていた。

「なんで靴なんて盗むんだ……?」


 笹原は翌日もその謎に頭を悩ませた。しかし、盗む意味──犯人の動機でありそうなものは1つも思いつかず、結局そのまま進展無く、謎は再び放課後の執行部室まで持って帰って来てしまった。

「おぅ、来たか笹原。考え事か?」

 作業机にいた高松が、笹原と同じ様な顔で腕を組んでいる。

「そうなんです。今回の犯人、何で靴なんて盗んだんだろうって」

「そりゃ、いろいろあるだろうが──似たものが盗られているあたり、転売か、あるいはコレクターってところじゃねぇか?」

「他にはどんなのがあるんですか?」

「特に理由がない愉快犯とか、特定の相手に対する嫌がらせとか、自分で使うためとか思いつくな。が、被害者に共通点は無いから嫌がらせとは考えづらいし、他人の履いた靴を履きたいとは思わねぇだろ」

 高松の推理に、笹原が「なるほど」と感心する。

「となると、どう対処するかだが……どうすっかな」

 どうやら、高松の悩みの種は、動機ではなく対策の方だったようだ。犯人の目的が分かったところで、誰がいつ、どこの靴を次に盗むかまでは分かりようがない。笹原の持っていた問題など、これに比べれば小さなものだった。

 2人が無言のまま頭を巡らす。そのとき、木更津が部室の扉を開けた途端に高松と笹原に声をかけた。

「ねぇ、施設課の人から『ずっと置いたままの靴があるから、回収してくれ』って言われたんだけど?」

 その言葉に、高松と笹原が目の色を変えた。

「どこの」

「土足禁止(ドキン)の場所全部」

 木更津がしたり顔でニヤリと笑う。高松と笹原は顔を見合わせると、小さく頷き木更津の元へと走っていった。

 3人で土足禁止エリアの靴箱を調べに行くと、そこには盗まれた靴の情報と同じ靴が置かれていた。体育館の靴箱からは沼津の茶色い靴が、剣道場からは八戸の真っ赤な靴が、その他にも

合気道場から真っ黒な靴が、プールからは真っ白な靴が見つかった。

「どう、お目当ての物そう?」

「ああ、ビンゴだった」

 執行部室の作業机の上に置かれた靴たちを見ながら、高松が不満そうに木更津に答えた。

「あら、随分不満そうじゃない」

「ずっと置かれてたんだろ? つーことは、転売やコレクターで盗んでた訳じゃねーってことになる。……読みが外れたか」

 高松が腕を組むと、深く考え込む。経験則や記録を基に、他にどんな意味があるのかを探しているようだ。その眉間を歪ませる高松の隣では、木更津が被害者への聞き取り調査の結果をめくっていた。

「あら、1足だけ出てこなかったのね」

「そういえば、情処理で見つかった靴だけ届け出がありませんね」

 木更津と笹原が顔を見合わせる。情報処理の靴箱からは誰の物でもない、灰色一色の靴が見つかっていた。それとは反対に、5人の靴のうち、最後の被害者の物である青色系のスニーカーだけが見つかっていない。すると、その2人の言葉を聞いて何かひらめいたのか、高松が「そうか」と目を光らせた。

「靴が見つかった場所が、靴が盗まれた場所なのか!」

「何言ってるのよ」

「犯人自身の靴がこの『持ち主不明の靴』で、最後に盗まれた靴が見つかってないんだ」

 突然の意味の分からない高松の発言に、木更津が眉をひそめる。しかし、高松には揺るがぬに足りる決め手があるらしい。

「1つ前に盗まれた靴が、次に靴が盗まれた場所で見つかってんだよ。1人目のヤツは情処理で盗まれて体育館で見つかって、2人目のヤツは体育館で盗まれて剣道場で見つかってんだろ?」

 高松がメモ帳と靴を交互に指さす。すると、高松の言うとおり、被害の場所が繋がっていることが笹原と木更津にも理解できた。

「本当ね! しりとりみたい」

 木更津がそう鼻で笑う。しかし、3人の目はどれも真剣で鋭いものだった。

「靴はどれも『長い間置いてあった』……そして、互い違いに置かれてるということは──」

「まさかとは思ったが……コイツ、靴を履きかえてるな」

 前の靴をそこに置かれた新しい靴と入れ替えれば、この『しりとり』のような状況を作り出すことができる。高松が最初の推理で除外した、盗んだ靴を履いているという行動が犯人の動機の様だった。あまりの盲点を突かれた事に、高松が悔しげな深い溜息をついた。

「ということは、この灰色の靴は犯人の靴で、今の犯人は青色の靴を履いているってことですか?」

「そうなるわね」

「それで、どうやって捕まえますか?」

 笹原の質問に3人が黙り込む。今の犯人の靴が分かったところで、青と紺の靴を履いている学生を片っ端から調べていくのは荒唐無稽だ。かといってこれ以上の情報があるわけではなく、このままでは次の被害が出ることは目に見えていた。すると、高松が目をギラつかせながら顔を上げた。その目には、犯人に一泡吹かせる事に燃えていることが2人にも分かった。

「俺の靴を使って、ヤツをおびき寄せる。ちょっと待ってろ」

 そう言い残して、高松は執行部室を飛び出した。笹原と木更津が突然の出来事に立ち尽くす。すると、10分経った頃だろうか、高松が派手な靴を片手に執行部室へ汗だくで戻ってきた。その手にぶら下がっている靴は、ビビットカラーな緑色で覆われた、ほぼ緑一色の靴だった。

「高松……あんた、よくそんな趣味悪い靴持ってたわね」

「うるせぇ。この靴に発信器を付けて、靴箱に放置する」

 高松は息を落ち着かせると、広報デスクで仕事をしている石川の名を呼んだ。すると「ちょっと待ってくださいー」と慌てて作業を追い込ませた石川が、小走りで作業机に駆け寄る。

「何ですか、高松さん?」

「これに、お手製の信号付けれるか?」

「付けれますよ。この布の所にでも刺し込みましょう」

 石川は広報デスクから小さな部品を取り出すと、何食わぬ顔で靴のかかとの部分に刺し込んだ。高松はその状態のビビットな靴に足を入れると「悪くないな」と履き心地が変わっていないか確認してから、作業机の上に緑の靴を置いた。

「よし、行くか」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 まるで当然のように作業を進める高松や石川達を、笹原が驚愕の声で止めた。

「発信器って何ですか!?」

「あぁ? 石川お手製の部品だ。この受信範囲内に入れば、このリモコンが反応する。感度は可変だから、それで徐々に近づいていけんだよ」

 高松が石川の持っているリモコンを指さす。見ただけでは、ただの携帯端末にしか見えない。これなら学園内で使用しても怪しくないが──

「それっていいんですか? こう、プライバシー的に」

「んだよ面倒臭ぇな。俺の靴に俺が細工してんだから問題ねぇだろ」

 笹原の訴えに対して、高松が呆れる。しかし、高松の言う通りでもある。人の物ならともかく、自分の物であれば何をしても個人の勝手だ。笹原もそれを言われると、黙って肯定するよりなかった。

「盗まれるのを願うつーのも、変な話だな」

 高松が石川に渡されたリモコンをいじり、出力を確認しながらほくそ笑んだ。

「どこに置くの?」

「場所は適当でいいだろ。一番近い、情処理の靴箱にして様子を見るか」

 高松は執行部室を出ると、情報処理の靴箱に仕込み済みの靴を置いた。何もない靴箱に、原色の靴が一際目立っている。


 その翌日、体育祭当日まであと3日になった。執行部では体育祭の準備が進んでおり、広報課の印刷機や経理課の電卓の音が軽やかに響く。そんな中で、高松が嬉しそうな顔で部室へ入ってきた。

「どうでした?」

 笹原が総務課のデスクで書類作業を進めながら、高松の顔を見て成功を確信した。

「早いもんだな。きっちり盗まれてたぞ」

 高松の手には、5人目の被害者の靴、青と紺のスニーカーが載っていた。昨日の今日なのに既に盗まれている事に、2人とも嬉しくもどこか驚きが隠せない。そうは言ってもこの体育祭の詰めの時期に、すぐに片が付けられるのは良いことだ。そう頷いた高松と笹原は、発信器のリモコンを片手に、これで最後だと学園へと繰り出した。

「笹原。お前がこれを使ってみろ」

 高松が笹原にリモコンを手渡す。

「どうやって使うんですか?」

「近くになれば、モニターの波形が大きくなる。つまみを変えれば倍率が変えれっから、波形が大きくなったら画面に収まるように調節しろ。それを繰り返すだけだ」

 高松の言うとおりらしく、2人がしばらく歩くと波形が少し大きくなった。しかし、2階の廊下を全て歩いても、波形はそれほど大きくならなかった。

「これは、上の階だな」

 高松の言葉に従って、2人は階段を登ってゆくと、少しずつ波形が大きくなっていく。しかし、4階を過ぎると小さくなっていった。

「小さくなったということは、犯人は4階ですね!」

「その通りだな。そろそろ倍率を上げた方がいいぞ」

 4階に戻ってくると、笹原がリモコンのつまみを1つ回す。画面に映る波形が小さくなるとともに、少しの動きで大きさが変わるようになった。2人が画面を確かめながら、ゆっくりと廊下を歩いてゆく。大きくなるたびに倍率を変えてゆくと、ある1つの教室の前でモニターの波が一段と大きくなった。

「3年電気科、か」

 高松が確かめるように看板を見る。教室の中では何人かの学生が、カードゲームを嗜んでいる。2人は教室に入り「執行部です」と名乗った。どのプレイヤーも、一瞬反応したがそれまでだった。笹原と高松が彼らの足を凝視する。誰も口にはしないが、気味悪がっていることは笹原にも分かる。そして、1人の学生の靴が2人の目を引いた。

「ちょっと、いいですか」

 高松が彼の左から、耳元でささやいた。地味で大人しそうな彼は、訳が分からなさそうな様子で振り返る。両足には、その見た目にそぐわない、緑で派手な高松の靴が履いてあった。



「不思議な犯人でしたね」

 高松と笹原が見つけた犯人──塩谷という男子学生は、何事か分からない様子で大人しく2人について学務課に出頭した。学校の担当者の取り調べもあったようだが、黙秘も偽証もせず、素直に認めているようで徐々に真相が明らかになってきている。

「変な事しやがる奴だから、どう誤魔化すかと思ったんだが。本当、何なんだ」

 高松はこの進みように、どうやら腑に落ちていないらしい。笹原もどこか納得できていない部分があり、首をかしげていた。何故盗ったのか、そして捕まった割には何故あんなにも落ち着いているのか。

「今戻りましたー」

 広瀬が、高松達と同じような悩み顔で戻ってきた。広瀬は学校の担当者に付き添って、取り調べを傍聴してきたのだ。

「どうだった?」

「全く、意味が分からないよ。とりあえず、非常識人だってことは確かだね」

 広瀬が聞いてきた内容を話し始める。

「犯人の動機は何だったんですか?」

「そこに良い靴があったから交換した、だってさ」

「交換って……盗んでおいてよく言えますね」

 広瀬の答えを聞いて笹原も呆れ顔を向ける。しかし、広瀬の言う非常識人の非常識ぶりは、これをさらに上回っていたらしい。

「いや、本当に交換したと思ってたらしい。『自分の履いてた靴を代わりに置いて行ったから、誰も困らないはず。だから問題ない』って言ってた」

 あまりに突拍子もない理論に、高松と笹原が「えぇ……」と困惑する。人の靴も平然と履ける人間からすれば、自分の靴しか履けない人間の方が非常識なのかもしれない。

 しかし、広瀬の考え事の基はもっと深い謎のようで、未だに唸っていた。

「何かまだあるのか?」

「犯人が言うには、『誰も困らないんだから、盗んだことにはならないよ』って聞いたから犯行に及んだらしい」

「誰に?」

「それが、誰かは分からないらしい。所属も名前も知らないんだって」

 つまり、悪知恵を働かせた黒幕がいる。この大元を明かさなければ、今回の本解決とは言えない。

「じゃあ、まだ続けるんですか?」

「いや、体育祭もあるし、実行犯は捕まえたから、一応終わりになるよ」

 3人とも何か気になるところはあるが、これ以上は続けられないようだ。総務課も書類作成の締め切りが近づき、そろそろ本腰を入れて作業に入らなければならない。捜査は完了となり、笹原はまた高松の添削地獄に舞い戻ることになった。体育祭の先に、うっすらと学園祭が見えるようになってきていた。


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学舎の下でー技術学園執行部総務課ー 明智 一 @araiguma_hazime

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