最終話 事の発端
大きな部屋に20人近くの男女が集められている。
歳はまちまちで、20代の若者から、50過ぎの初老の者までと幅広い。
室内に窓はなく、大きなテーブルが横二列に並ぶだけ。
彼らはそこに整列するようにして椅子に座り、目の前に置かれた瓶をそれぞれが呷(あお)る。
その瓶は無色透明だが、大きな文字が描かれている。
A、B、C……アルファベットだ。
そしてAー502というように、末尾には三桁の数字がある。
「うーん、このパターンもダメだな。臭みがひどい」
「M系統はどうです? 割りと香りが良いですが」
「舌触りがなぁ。サラッとしてないと、責任者の許可は降りないだろう」
その奇妙な瓶にはうっすらと色の染まった液体が入っており、彼らはそれを丁寧に味わいつつ飲んでいる。
といっても、楽しそうではない。
眉間にシワをよせ、首を傾げ、ブツブツと独り言を呟いたりしている。
この空間には娯楽性は全く無いと言って良い。
「チーフ。あと30分で仕事納めだ。今日……というか今年はもう良いんじゃないか?」
「まぁそうだけどさ。やっぱり定時までは働かないと」
「ニホン人ってのは真面目だねぇ。母国の連中にも見習わせたいよ」
ため息混じりの笑いが小さく起こる。
常識に則(のっと)って笑われるのは、多少なりとも気分が悪い。
チーフは彼らには取り合わず、次々と液体を口に含んでいった。
ーーピピピッ。ピピピッ。
甲高い電子音が鳴る。
これは終業の合図だ。
その瞬間に若干名を残して、部屋中の人たちが立ち上がった。
「いやぁ、2015年も働いたなぁ! チーフ、また来年な!」
「うん。故郷の人に宜しくね」
「あー、フロリダが恋しいぜ」
筋骨隆々と呼ぶに相応しい男が最初に挨拶をし、部屋から退出していった。
彼を皮切りに、他の人たちも次々に退去していく。
「またね、チーフ。シドニーが恋しいわ」
「また来年。ニューデリーが恋しいよ」
「じゃあな、チーフ。リオが恋しいぜ」
「それじゃあね、チーフ。トロロが恋しいよ」
代わる代わるに別れの挨拶が投げられる。
チーフと呼ばれた男は曖昧な笑顔で見送るばかりだ。
そして最後の一人が立ち去っていった。
ーーバタン。
まるで嵐が過ぎていったかのような騒ぎだった。
今日は年の瀬の12月29日。
外国籍の研究員は我先にと母国へ帰っていった。
さて、ここはどこかと言うと、とある企業の研究所である。
現在は新作の栄養ドリンクを開発中なのだ。
部屋にいた全員で味、匂い、感触を研究している。
さきほどの瓶は、数えきれないほどある試作品の中の一部である。
なぜここまで国際色が豊かなのかというと、それは会社の方針であった。
特に次なる商品は、全世界での同時販売が予定されている。
そのため、多くの国で通用する品質でなくてはならない。
すべての国から研究者を集めることは難しかったので、各大陸からザックリと選んで招聘した。
ちなみに公用語は日本語なので、語学に疎いチーフも大助かりだ。
「ゲンジロウさん。オレたちもあがりましょうよ」
静寂を破って話しかけてきたのは、沖縄出身のカイトである。
チーム内の僅かな日本人同士として、彼らは下の名前で呼び合っていた。
「そうだなぁ。他の部署の人たちも帰ってるし、僕らも閉めますかね」
「じゃあ鍵はオレやるんで。今夜はどうします? いつもの?」
「そうだね、一本飲んでこうか。どうせ暇なんでしょ?」
「明日の午後に飛行機乗りますけど、それまで暇人ですね」
「じゃあ決まりだね」
2人は揃って退室し、入り口を施錠。
それからいくつかのゲートで社員証をかざし、外へ出た。
6時過ぎとはいえ、季節は冬だ。
夜の帷(とばり)は落ちていて、微かに吹く風が体温を奪っていく。
「うぅー、寒い。さっさと飲みましょうか」
「そうだね。一年間お疲れさま」
「お疲れさまでーす!」
遊歩道のベンチで祝杯をあげた。
コンビニで買ったおでん、缶ビール、さきイカや酢漬けのタコなどが所狭しと並ぶ。
彼らが居酒屋を利用しないのも、風避けができそうな場所を選ばないのも、ちゃんとした理由があった。
この場所は高台になっていて、見晴らしがとても良いのだ。
下の方には幹線道路が通っているが、車通りはそれほど多くない。
ここは町明かりを眺めつつ、静かに飲み明かす事の出来る穴場スポットなのだ。
この寒さも酒が回れば心地良いものとなる。
彼らはそれを経験則で把握済みだ。
街灯は少し離れているので、スマホのライトを併用する。
なので、ベンチには2つの灯りが点っている。
「いやぁ働いたなぁ。あんなに毎日薬剤飲んでたら、体壊しちゃいますって」
「まぁ、平気じゃない? 一応健康ドリンクの試作品だし」
「お腹ん中で化学反応起こして、未知のアイテムが生まれたり?」
「未知の……って、例えば?」
「不老不死とか」
「あり得ないよ」
「じゃあ逆に、劇薬とか」
「うっ……。縁起でもない。今おでん君を愉しんでるんだよ?」
「あぁ、これは失礼しやした……。ごめんよ、染み大根さん」
カイトは呟き、目尻を下げつつ大根に食らいついた。
ゲンジロウは玉子を半分だけかじって舌先に乗せ、白い息を撒き散らしている。
ーー劇薬、ねぇ。
ゲンジロウに心当たりが無いでもない。
実際彼は体の異変をなんとなく感じていたのだ。
どこが痛い、ここが腫れたというような、具体的な症状は挙げられない。
健康診断もオールパス、せいぜい太り気味を指摘されたくらいだ。
それでもどこか、変わってしまった気がしてならない。
そう思いつつも、恐ろしい。
不安を分かち合いたいが、現実を知るのが怖いのだ。
なので仲の良い部下相手でさえ、何も相談出来ずにいる。
お互い無言のまま、夜景を眺めつつ、暖かい食事を堪能している。
ゲンジロウはひとまず心配事を他所へやった。
近いうち、何かのタイミングで打ち明ければ良いか。
まぁ差し当たって年明けにでも。
そんな取り留めもないことを考えていた時。
ーーそれは起きた。
ーーガシャァァアン!
爆音とともに地面が大きく揺れた。
道路の方からである。
「え、え、何?」
「ゲンジロウさん、事故ですよ!」
「大変だ……とにかく助けよう!」
「了解です!」
2人はすぐに現場へと駆けつけた。
そこには乗用車2台が停まり、正面が大きくひしゃげていた。
正面衝突の事故だろう。
「大丈夫ですか、怪我はありませんか?!」
「アイタタ。ありがとう、済まないねぇ」
「ゲンジロウさん、こっちの運転手も無事です!」
「すまねぇなアンちゃん。助かったよ」
ゲンジロウ、カイトが運転手を引っ張り出した。
幸い両者とも怪我は軽い。
誰もが安心したのだが……。
ーーカプリ。
ゲンジロウは弾みで相手を噛んでしまった。
男性の腕かうっすらと血で滲(にじ)む。
「あ、ごめんなさい! 僕の歯が……」
「いやいや、気にせんでください。これしき大したことは……ッ!?」
「おじいさん?」
「あ、ァガァァアアーー!?」
ついさっきまで元気だった老人が、泡を吹いて痙攣を始めてしまった。
喉を爪でガリガリとひっかき、顔は苦悶の表情で歪む。
騒ぎを聞き付けてカイトがやってきた。
「ゲンジロウさん、どうしました!?」
「大変だ、事故のせいかな。急に苦しみだして……」
「これはヤバそう。救急車呼びましょう!」
「スマホはベンチに置いてきたよ、カイトは?」
「あー……オレもです」
「ともかく、助けを呼ぼう。僕らだけじゃ手に負えないよ」
「そうですね。大声を出しましょう!」
2人は大きく息を吸った。
ゲンジロウはそのとき、視界がうっすらと赤く染まるのを感じた。
ストレスか運動不足か、あるいは歳のせいか。
様々な言い訳が頭をよぎり、消えていく。
そして肺を存分に膨らませ、可能な限り大きな声で叫んだ。
ーーグルァァァアア!
その日を境に、世界各地で奇病が蔓延し始めた。
感染者はねずみ算式に増え、瞬く間に人間世界を覆っていった。
それはまさに、山火事のように。
人智を越えた病は、何ら対策を見いだされず、どこまでもどこまでも広がった。
そして、ひとつの時代が終わりを告げ、新しい夜が明ける事となる。
次に訪れたのは、多数のゾンビが地上を支配する世界であった。
ゾンビだらけでも、世界は割と平和です おもちさん @Omotty
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