第17話  賭けと報酬

ーーシャリ、シャリ、シャリ。


果物を剥く音がする。

正確なリズムが心地よい。


ーー健康診断を受診の方は、受付までおこしください。


部屋の外からはアナウンス。

大病院の中は連日大賑わいだった。

SC事件から半月、まだまだ傷跡は生々しいのだ。



「はい。リンゴのうさぎさん。可愛くできたんだナァ」


「ありがとうチヒロ。いただくよ」


「あー、あー。食べさせてあげるんだナァ。養生するんだナァ」


「ええ? 僕はもうだいたい治ってるんだけど」


「ナァナァ。いいんじゃないかナァ」


「おい、うっせぇぞ! 静かにしろ!」



カーテン越しに怒られてしまった。

ここは個室じゃなく、6人ひと部屋の病室だから。

でも隣に限っては遠慮はいらない。

僕は仕切りを無造作に開けた。


そこに居たのは、かつての苦手な知人。

今は戦友と呼ぶべき男の姿があった。



「ごめんね、うるさかったよね。ジョン93.141592……」


「おい、何百年経っても言い終わらないぞ。止めろ」


「じゃあ、ジョン9π(ぱい)郎」


「それはもっと止めろ」


「ナァナァ。そんなカッカしないで、リンゴさん食うんだナァ」


「お、おう。ありがとうよ」



シャクリ、シャクリ。

チヒロを挟んで、僕と九三郎はリンゴを食べ始めた。

互いの顔は見ず、正面を向いて。

なんとなく絵面が気持ち悪い。



「お前、聞いたか?」


「知らない」


「まだ何も言ってねぇ。例の親子だけど、アイツらは車で北へ行ったらしいぞ」


「そう、無事脱出できたんだね。良かった……」


「どっちも元気だってよ。長瀞(ながとろ)や秩父(ちちぶ)のゾンビたちが散々手を焼いてるらしい」


「あはは。あの人はやっぱり主人公だなぁ……、そうだ! マーク、マークはどうなったの? あのメッチャクチャ嫌なヤツ!」


「ふたりとも、声が大きいんだナァ。また婦長さんに怒られるんだナァ」



それを聞いてハッとした。

九三郎もこちらへ身を乗り出してたけど、咳払いののちに体を戻した。



「マークなら死んだぞ。即死だな」


「死んだのか。じゃあ、そのあとはゾンビになった?」


「ならねぇ。ありゃ適合者だからな」


「テキゴーシャ?」


「オレも詳しくないが……なんでもニンゲンの中には、全く感染しないヤツが居るらしい。相当珍しいがな」


「そっか。ゾンビになってないのか。それは良いニュースだね」



冷静になって考えたらヒヤリとしたんだ。

僕が噛まなくても感染はするし、あの男がゾンビになったら尚危険な存在になってしまうのだから。

僕の事を地の果てまで追いかけるだろうし、他の生存者たちにとっても脅威になり得た。

煮ても焼いても食えないヤツってのは、ああいう男を指すんだろうか。



「そんなことよりお前。約束は覚えてんだろ?」


「確か、突入して互いの芸術点を競い合う……」


「そうだ。ゾンビを生み出した数を競うんだったな」


「そうだっけ。九三郎が5人だから、僕の勝ちだよね」


「なんでだよ、お前は2人だけだろ」


「だって僕はボスを倒したもん。特別ボーナスで10人分に……」


「ならない」


「じゃあスーサイドアタックは? 自爆技だよ、三階級特進とか」


「ならない」


「ならないかぁ」



となると、僕は逆立ちしても勝てない。

勝負に賭けたのは僕の大事なもの。

パッと思い浮かんだのは、庭で丹精込めて育てているヘチマ君である。

別れは辛いけど、一株手渡すとしよう。



「じゃあ今度プランター持って家にきてね。それとも郵送が良い?」


「は? お前何言ってんだ」


「あれ、違うの? 僕の大事なものでしょ?」


「だから! オレとあの娘の間を……」



九三郎が言い終わる前に、病室が急に賑やかになった。

妹とジェシカがお見舞いにやってきたのだ。



「やっほー、お兄ちゃん! 遊びにきたよー!」


「ユウキ、調子はどう?」


「あー。最悪だナァ。めんどくさい女が来たんだナァ」


「あら、アンタ居たの? ごくろうさま。ユウキは私が看(み)るから、もう帰って良いわよ」


「そんな訳にはいかないんだナァ。私が責任もってお世話するんだナァ」



ーーバチバチバチッ!


にわかに火花が飛び散る。

勝ち気な女性と、眠たげな顔の少女。

どちらも微笑んでいるのに、場の空気はかなり冷え冷えした。



「そんなことより差し入れよ。肉持ってきたわ、肉! これ食べて元気になってね」


「バカな女だナァ。勝手にそんなもの食わせちゃいけないんだナァ」


「何よ、アンタはリンゴって。これだから日本人は華奢なのよ。貧相な体の女は発想も貧相ね」


「うっせぇんだナァ。頭にハンバーガーでも詰まってんのかナァ。ケツまいて故郷に帰れだナァ」


「なんですって! ゾンビがリンゴなんて有り得ないわ! 血の滴る生肉を愛してるの、どんな映画を見てもそうでしょ? 地平線乳は黙ってなさいよ」


「これは現実なんだナァ。空想とリアルの区別がついてないおバカさんは乳もいで消えろだナァ」


「この女、言わせておけば!」


「やめなって、二人とも! ジェシカ、お医者さんに止められてるんだから、肉はダメ!」


「うぅ、わかったわよ……」


「チヒロ、君も口が悪すぎるよ。謝りな」


「……言い過ぎたんだ、ナァ」



そこで僕はふぅ、と息を吐く。

ミカと九三郎が小さな拍手をあげた。



「へぇー、お兄ちゃんやるぅ」


「お前ハーレムの才能あるな。簡単に場を治めやがった」


「やめてよね。これはそういうんじゃないよ」


「そう思ってるのはお兄ちゃんだけだって」



ミカの目が三日月のように歪む。

これは絶対楽しんでるな。

居心地の悪さを感じて、九三郎で空気を変えることにした。



「ところで、さっき言いかけたよね。なんだっけ」


「……そうだ。今話した方が都合良い。オレはユウキとの賭けに勝った。だから、一番大切な女をいただくことにした!」


「ジェシカ。短い間だったけど楽しかったんだナァ。新しいパートナーとも元気にやって欲しいナァ」


「とんでもない。やっぱり幼馴染みが一番大切な人よね。私はあくまで二番目の女。最も大切な女性の座はアンタに譲るわよ」


「あのさ、今はオレの番なんだよ。悪ィが謎の空中戦は控えてくれねぇか?」


「そうは言っても、一番はジェシカなんだナァ」


「いやいや、チヒロでしょ」


「違う違う、話を進めんな! オレが求めているのは……!」



九三郎の手が伸ばされ、相手の手を掴み、両手で握りしめた。

ミカの小さな手を。



「えっ……君の言う『大切な人』って、ミカのことだったの?」


「ミカさん、オレは本気だ! どうか今ここで永遠の愛を……」


「えーやだ。だって彼氏いるもん」


「ゴハァァッ!」


「ジョックーー!?」



大変だ、ジョックが心因性の吐血をしてる!

傷は浅いぞしっかりしろ!



「それにさ、この人は乱暴そうだし暑苦しいし。もっとオシャレで優しい子が良いの」


「ゲフッ! ガハッ!」


「ミカもう止めろ! お前には人の心ってもんが無いのかぁッ!」


「人じゃないし。私ゾンビだよ」


「そんな屁理屈はいらないんだよぉ!」



憐れなる純朴青年ジョック。

痙攣(けいれん)した体がビクンビクンと跳ねている。

魚市場の物真似をするほどに辛いのか!



「あとそうだなぁ。音楽に詳しくって、バンドとかやってたりすると良いかなー」


「ミカ、それ以上の辱しめは……侮辱は許さないぞ!」


「そうだぞミカ! 彼氏なんて許さないぞ!」


「父さん!?」


「パパ! なんで窓から?!」


「父親ってのはなぁ、娘のためなら外壁を登るくらい朝飯前なんだ!」



父さんが窓からヒョッコリ。

危なげなく502号室に入ってきた。

明日は筋肉痛だね、父さん。



「ミカ、彼氏って何だ! お父さんは初耳だぞ?」


「そりゃそうよ。こんな風に騒ぐもん。でもママは知ってるから」


「あぁー! 夫婦に隠し事は厳禁なのにぃ!」


「ねぇチヒロ。アンタ言ったわよね。私が一番だって。だからこれ以降身を引きなさい」


「あれは無効なんだナァ。それを言い出したらテメェも言ってたんだナァ」


「さぁて。私にはなんの事だか。訛(なま)りが酷くて話が見えてこないわぁ」


「ユウキ……オレが死んだら、見晴らしの良い丘の上に、亡骸を……」


「ジョック、死ぬな! 君は誰よりも強い男じゃないかぁぁ!」



僕たちの喧騒はピークを迎えた。

そう、いつもの悪ふざけだ。

ついつい楽しくなって場所を弁(わきま)える事を忘れてしまう。

その結果はなんともまぁ、恐ろしいことに。



「るっせぇぇ! 病室はカラオケじゃねぇんだよ、テメェらまとめて立派な患者にしてやろうかぁぁ!?」



婦長さんっぽいゴリラが乱入した。

間違えた、ゴリラっぽい婦長さんだ。



「またアンタたちですか毎度毎度! 大人がついていながらもう……情けない!」


「いや、ほんと申し訳ない。後で強く言ってきかせますんで」


「アンタもだからな!? メチャクチャうるさかったからな?」



父さんは平謝りだ。

大人っていうのは我慢が必要。

率先して怒られなきゃいけないという、辛い立場なのだ。



「それからガキどもぉ! いい加減にしろよなマジで! 治療途中で野ざらしにされてぇのか!」


「はいッ! 申し訳ありませんんー!」



僕たちは反射的に最敬礼で応えてしまう。

この人ほんと怖い。

原初のゾンビと良い勝負だった。


それからゴリラさんはゆっくりと見回す。

そして鼻を鳴らし、捨て台詞とともに立ち去っていった。



「アンタら、良いゾンビにしてろよ!」



こんな風に僕の日々は過ぎていった。

残りの5日間の入院も、同じように。

大勢がお見舞いに来る。

ジョックが玉砕する。

ミカが延々追撃する。

そして父さんが絶叫し、まとめて叱られる。


なんとも騒がしく、馬鹿馬鹿しく、そして愛しい毎日。

僕はいつまでもこんな日々が続いてくれればと、強く願うのだった。



ちなみにこの後、ゾンビ界は大変な騒ぎとなる。

僕たちの寿命が実は短いことが判明したり、過激派組織によるニンゲン狩りに巻き込まれたり、ゾンビ治癒薬が開発されてしまったり。

更には変異体と呼ばれる化け物が誕生し、ジョンソンさんを筆頭にした生存者たちと、僕らは共闘することになる。


でもそれはまた別のお話なのだ。


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