第16話  お前はゾンビにしてあげない

冷湿布がお腹にペタリ。

あぁ……たまんない。

僕は冷たい湿布が大好きなのだ。


熱を持った患部を即座に和らげるヒンヤリ感。

肌を決して痛めないモッチリとした柔らかさ。

医薬品の中では群を抜いて愛している。

それが冷湿布だ。


余りにも好きすぎて、冷蔵庫でキンキンに冷やしてから使ったことがある。

その使用感と言ったら極冷だった。

凄まじい威力に僕は『ぽぇぇえ!』と情けない声を出してしまった。


それは傍にいた妹にバッチリ聞かれ、大笑いが返ってきた。

しかもネットで調べてみると、冷蔵庫での保管は効能が落ちる可能性から、オススメできないとのこと。

恥はかくし効果も弱まる。

僕はその日に禁じ手としたのだった。



「はい。終わったわよ」


「ありがとうジェシカ。包帯までしてくれて」


「良いの良いの。たくさんあるんだから、贅沢に使わないとね」


「それにしてもジェシカは上手だね。サラサラッと巻いちゃうんだもん」


「そりゃそうよ。こう見えても生存者歴長いのよ? ちょっとした怪我なら自力で手当てするし」



まるで看護婦さんのような手つきだったけど、別に本職じゃないらしい。

何度かやってるうちに慣れたんだとか。


僕は包帯巻きってのが本当に下手なのだ。

自分で巻こうとすると、なぜかミイラみたいになってしまう。

その姿をやはり妹に笑われて以来、リトライはしていない。



「さて、手当ても済んだし、そろそろ行こうか」


「そうね。あ、鍵はかけちゃったから」


「うん、わかったよ……!?」



僕はジェシカを手で制しつつ、ドアから距離を取った。

通路側がやけに騒がしくなったからだ。

そして……。


ーードンドンドン!


ドアノブが乱暴に回り、それから叩かれた。

生存者が戻ってきたに違いない。



『開けろ! マークだ! 誰かいるんだろ!?』


「まずいわね。ヤツだわ。銃を持ってる!」


「参ったな。こんな狭い場所じゃ良い的だよ」



部屋そのものは広いけど、中央に居座るラックの行列や、壁際の段ボール箱がひどく邪魔だった。

銃で狙われたら、あとは撃たれるのを待つしかない。



「じゃあさ、ドアが空いた瞬間を襲おう。うまく噛みつければ僕らの勝ちだ」


「それしかなさそうね。銃は使えないんだし」


「まず僕が飛びかかるよ、失敗したらジェシカもお願いね」


「うんうん。ニダンガマエってやつね。ジャパニメーションで勉強済みよ!」


「……それは分かんないけど、よろしくね」



ーードガン、ドガン!


蹴りか体当たりか。

鉄の扉が大きく揺れる。

次第に振れ幅が大きくなり、壊されるのも時間の問題と思われた。

……けれど、その時は来なかった。



『食らえぇ!』


『ガハッ!』


新たな人物の乱入によって、外の様子が一変した。

誰だろう、九三郎かな?

いや、たぶん違う。

彼にはこんなヒーローっぽさがないから。



『このっ! このっ! デイジーを離せ!』


『ぐっ。この野郎、調子に乗んな!』



ーードォン!


銃声だ。

そしてすぐに誰かが駆け去った。

乱入者は撃たれてしまったのか。



『待て! デイジーを返せ!』



もう一人は逃げた方を追いかけていった。

それには僕たちも安堵の息を漏らす。



「……行ったみたいね」


「ジェシカ。君はこれからどうしたい?」


「なぜそんな事を聞くの。あなたこそどうしたいのよ」


「僕は彼らを、あの親子を助けたい。でもそれは危険だと思うから、その」



言い終わる前に、僕の頬に手が触れた。

それは上部だけを撫でるような、微かな感触だった。



「あなた……やっぱり良い人ね。私の直感は正しかったわ」


「何のこと? それからニンゲンじゃないよ」


「こっちの話よ。それから、私も行く。ジョンソンには今まで助けられたし、デイジーちゃんも見捨てたくないしね」


「……わかった。でも、怪我には気を付けて」


「あなたこそね。ミイラっぽいゾンビさん」



軽口を交わしつつ、僕たちも後を追った。

通路に出ると、非常口の扉が開いているのが見える。

そこから先は非常階段になっており、中庭から屋上まで、全階層に繋がっている。


……行方を知るのは苦労するかもしれない。


そう思っていたけど、心配はいらなかった。

屋上から激しく罵り合う声が聞こえたからだ。



「上みたいだ。急ごう」


「待って。私たちは気取られない方が良い。静かに昇りましょう」


「……そうだね。足音に気を付けよう」



はやる気持ちを抑えつつ、一段一段昇っていく。

頂上に近づくほどに声は、争う音は大きくなる。


屋上に着くと、そこでは殺意がぶつかりあっていた。

銃は互いの手元に無いらしく、純粋な殴り合いが繰り広げられている。

蹴って殴って、相手を掴んで給水塔に押し付けて、そして投げる。

素手による争いは中々決着が着かないが、そのぶん凄惨だと感じる。



「どうにかして助太刀したい。でも上手くやらないと足を引っ張っちゃうよね」


「まずはデイジーちゃんを助けましょう。あそこ、給水塔の所に居るわ」



ジェシカの示した所には、確かに彼女が居た。

気を失っているのか、塔の壁に背中を預けて動こうとすらしていない。



「そっちはジェシカに任せるよ。僕は銃を奪うよ。どこかに落ちてるはずだから、今のうちに隠しちゃおうと思う」


「それは良い案だけど、どこにあるのかしら」


「ともかく探してみる」



屋上は給水塔以外にも様々な設備があるらしく、あちこち壁やら小部屋なんかが建っている。

見通しが悪いので、この位置からは銃の所在がわからない。

それでもマークは丸腰だから、どこかにはあるはずなんだ。



『オラッ! オラッ! ふざけんな、クソ野郎!』



暴れる2人に見つかってもいけない。

僕たちの存在が知られたら、大きく場が乱れてしまい、弾みでジョンソンさんが殺されてしまうかもしれない。

そればかりは何としても避けたい。

僕はこれまで以上に神経を張りつめさせた。



「……無い。どこら辺にあるんだろう。せめてヒントでもあればな」



一言で屋上と言っても、かなりの広さだった。

そんな場所で隠れながらの捜索は難航を極めた。



『この! クタバレ!』


『ガハッ! テメェ……』



その間も殴り合いは続く。

僕は必死に探すけど、どこにも見当たらない。

となると、あの2人の近くにあるんだろうか。



『食らえ!』


『ゴフッ!』



ジョンソンさんの強烈な右フックが顔を振り抜いた。

白い欠片がいくつか地面に転がる。

たぶん歯だろう。

戦意をへし折るような、見事な一撃だ。

殴られたマークは地面に手を着いたまま立ち上がろうともしない。


……決着はついたかな?


と考えるのは早すぎた。

その甘い見通しのせいで、大きな犠牲を生むことになる。



『バカめ! これで形勢逆転だ!』


ーーズドン!



ジョンソンさんが肩を撃ち抜かれて、吹き飛ばされた。

マークの手には忌まわしき銃が握られている。

殴られた拍子に、落ちていたらしいそれを手にしたようだ。

僕のアシストは間に合わなかった。



『グアァッ! カハッ!』


『てめぇは簡単に殺さねぇよ。絶望の淵に叩き落としてから死んでもらうからな』


『な、何を。する気だ!』



マークの顔はジョンソンさんから、デイジーへ。

銃身もそちらへとスライドされていく。



『大事な大事なガキの体に、どでかい風穴を開けてやんだよぉ!』


『や……やめろぉーッ!』



ーーズドォオン!


砲身から放たれた凶弾。

それは真っ直ぐデイジーのもとへ向かった。

まばたきする時間もなく、その体は貫かれる、ハズだった。

でもそれは一体のゾンビによって防がれる。



「マァーク。アンタの好きには、させないよ」


「……ジェシカ!」



彼女が身を挺して守ったのだ。

だが、その代償は大きかった。

穿(うが)たれた胸部がみるみる赤く染まる。

銃創から血が吹き出しているんだ。


僕はそれを見て呼吸が荒れ始めた。

視界が徐々に赤く染まり、脈が、息がどんどん早くなる。

怒りが、哀しみが、心を支配していく。

それらの感情が入り乱れ、高め合い、そして破裂した。

もはや自分を制御する事なんか不可能だ。



「グルァァァアアッ!」



感情の赴くままに吠え、そして全力で駆けた。

銃を手にした男。

たくさんの人やゾンビをいたぶり続けた男。

こいつだけは許さない。



『チィッ! こんな時に邪魔しやがって!』


ーーズドン!


弾は運良く外れた。

僕はひるまず一直線に飛ぶ。

第二射よりも早く。



『死ねやオラァーッ!』



マークが銃を逆手にもち、振り下ろした。

それが僕の頭を叩き割ろうとするが、そんな事はさせない。


自分の体にあった包帯を解き、再び巻いた。

すると僕だけでなく、マークの体もガッチリと巻き込まれた。

僕の『ミイラ巻き』はこんな時でも健在なのだ。


そして、僕は飛んだ。

屋上の壁の向こう側、行き先は地上のアスファルトへ。



『うわぁぁぁあーーっ!』



マークの体と共に屋上から飛び降りた。

3階とはいえかなりの高さだ。

このまま落下すれば、この男は命を落とすだろう。



「このまま道ずれだ。お前はゾンビになんかしてやらないからな!」



僕はふと思い出した。

ゾンビの噛むという行為には2パターンあることを。

ひとつは、攻撃。

これは見たまんまだろう。


もうひとつは、信愛の情。

仲間に引きいれたい、傍にいて欲しい、という意味合いがあるようだ。


その事から言えば、僕はマークを噛むなんて絶対に嫌だ。

コイツはこのまま重力で殺す。

絶対に噛んだりはしない。

たとえ世界の誰が反対しても、脅されても、どんなに説得されてもお断りだ。

僕は何があっても、マークを認めない。

コイツだけは、絶対に許さない。



『嫌だッ、死にたくない! 死にたく……』


ーードチャッ!



最後の命乞いを聞き終える前に、僕の視界は真っ暗になった。

痛いのかどうかすら、今はわからない。

ただ凄まじい早さで意識が遠ざかるばかり。


周りが騒がしい。

そのうるささに少しだけ腹が立った。

僕は慣れない荒事をやり、順調に生存者をゾンビ化させたのだ。


眠たい。

今まで味わった事が無いほどに眠たい。


ーーお願い、静かにして。


そんな細やかな願いは伝えず、僕は眠りについたのだった。

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