第28話
「な、何をする!」
尻餅をついたトーイが睨む中、コー・リンは言った。
「悪い。うちの呪具はいつもこれだ。どこかしら不具合がある。こいつの場合は発動が遅いようだ」
「発動?」
「全員そこから動くな」
コー・リンの台詞が終わらないうちに、どんと地面から音がして、次の瞬間、大きな水柱が立った。
「うわあ、何だ?」
「水だと? どうしていきなりこんなところから……!」
そこにいた全員が、激しい水しぶきに
トーイが何とか顔を上げた時には、もうそこにコー・リンの姿はなく、彼を吹き飛ばしたであろうその水柱は、地下道の入口のひとつであるマンホールを水圧でこじ開けて、空に高く昇っていた。
その様子を目で追って、トーイは、ああ、と声を漏らす。
呪具を使って、まんまとこの貧民窟から逃げ出したというわけか。
やってくれるじゃないか、花泥棒め。
水柱が派手に立ち上がっていたのはほんの数秒の間だけだった。たちまちそれは霧散して、何ごともなかったかのように彼らの目の前から消えた。
「……トーイさん、あいつは何なんですか?」
男衆のひとりが、困惑顔で濡れた服を絞りながら問いかけてきた。それにトーイは笑って答える。
「何、気にするな。ただの変態だよ」
水柱に押し上げられて、コー・リンは空を舞っていた。
『これって、上手く逃げたと言えるのかなあ。だいたい、もう逃げる必要もないのにさ』
碧い剣から呆れ果てたと言わんばかりの声がする。
「仕方ないだろう。水晶玉を投げた後でトーイがやって来たんだ。間が悪いのは私のせいじゃない」
それどころではないコー・リンは、突き放すように答えると、水柱がそろそろ消える頃だろうと算段して『物干し竿』を構えた。
「この下に固い物や尖った物がないことを祈っていてくれ」
そう呟き、落下する予定の地面に目をやる。
そこは多くのゴミが山と溜まった集積所だ。ゴミ拾いをしていた子供たちがコー・リンに気が付いて、何か叫びながら空を見上げている。
「おーい、逃げてくれ!」
大声で子供たちに叫んだタイミングで、彼の体を押し上げていた水柱が消えた。コー・リンは落下しながらも竿を地面へと長く伸ばし、それをゴミの山に突立てる。竿はコー・リンの体重を支えながら柔らかくしなり、半円を描いた。
「よし。竿よ、縮め。……ゆっくりとだぞ」
命令に従い『物干し竿』はのろのろと縮み、彼をゴミの山へと静かに降ろしていく。
何とか無事、降りられそうだな……。
コー・リンが竿に両手でしがみつきながら、ほっと息をついたその時、不意に『物干し竿』が彼の手から消えた。
え?
着地まで後三メートルほどのところだった。たちまちコー・リンの体はゴミの山の中へと落下する。
「うわあ!」
叩きつけられるように落ちてゴミまみれになったコー・リンを、一旦、逃出していた子供たちがそろそろと戻ってきて、遠巻きに様子を伺っている。
「人が降ってきたよ」
「死体じゃねえの?」
「気持ち悪―い」
「ちぇっ! 金になりそうにねえな」
言いたいこと言ってくれる……。
コー・リンは苦笑しつつ、自分の体を動かしてみる。運よく柔らかなゴミの上に落ちたようで、どこにも怪我はない。右手を開いてみると、小さな棒きれサイズに戻った『物干し竿』がいた。
「……急激に縮み過ぎなんだよ、お前。……サリに改良を求めないとな」
『おーい、生きているか?』
笑いを含んだ声で碧い剣から声がした。
『ゴミにまみれて大変そうだな』
「うるさいなあ。生きているだけいいだろう」
『確かにね。とにかく早くここから出てよ』
「はいはい」
起き上がろうと手をつくとゴミにずぶりと沈み込んだ。足を踏ん張るとその分、体が沈む。
「わ。何だ、何だ」
『あんた、何してんの』
「いや、ちょっと、待て。何だこれは。底なし沼状態だぞ」
ひとりで柔らかなゴミの中でじたばたと暴れていると、コー・リンの腕をそっと掴んで引き上げてくれた者がいた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ありがとう」
「ゴミの山に登るにはちょっとしたコツがあるんですよ。さあ、私に掴まって」
優しげな男の声だった。コー・リンはその声に甘えると彼の腕にすがって、なんとかゴミから抜け出し立ち上がることが出来た。
「ほう」
コー・リンの立ち姿をまじまじと見て、男は感嘆の声を上げる。
「これはこれは、天空から花だ」
「いや、こんなドレスなどを着ているが、私は女ではなく……」
そこまで言ってコー・リンは、はっと口を閉じた。
帽子を
「お前……何故、こんなところにいるんだ」
「それはこちらの台詞です」
男は帽子の作る暗い影の奥でふっと笑う。
「ようやくみつけました」
コー・リンはぐっと息を呑む。
手を振り払い、彼から離れようとしたが、すぐに腕を掴まれ力強く引き戻された。
「放せ……!」
「それは出来ない相談です。ようやくみつけた麗しい花をそうそう手放すものですか」
男は密やかに笑う。
「しかし、驚きました。若い体を持て余しているのかと思いきや、随分とやんちゃをなさっておられるご様子。さすがというべきでしょうか」
「……お前こそ、その歪んだ性格はそのままのようだな。……放せ!」
逃げようとするコー・リンの手を痛いほどに握り直すと、男は彼の耳元で囁いた。
「私は西の音楽堂におります。リーリオさま」
そして、みぞおちを鋭く拳で突いた。
コー・リンは声を上げることもなく、意に反して男の胸の中に崩れ落ちた。
(天空から花 おわり)
花盗伝 ある花盗人の物語 夏村響 @nh3987y6
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