第27話

『それで』

 しばらく走った後、少年が他人事のように言った。

『どうするの? どうも逃げ場なしって気がするんだけど?』

「そのようだな」

 コー・リンも素直に認めて足を止める。前方の薄闇の中から、各々おのおの武器を手にした数人の男たちの姿が見えたのだ。同時に後ろを振り返ると、そこには男衆の追っ手の姿が見える。

「うん。見事な絶体絶命だな」

『感心している場合か』

「何、丁度いい具合だよ」

 コー・リンは、ちらと天井を仰いでから、自分に追い付き、周囲を取り囲んだ男衆と険悪な表情でコー・リンの前に立ちはだかる用心棒たちを見渡した。

「奇妙な侵入者がいると聞いて来てみれば、何だ、お前か」

 用心棒の中から声がした。見ると、コー・リンを娼館まで案内してくれた用心棒が呆れ顔で立っていた。

「あ、先ほどはどうも」

 愛想よく笑いかけるコー・リンに、用心棒は露骨に嫌な顔をする。

「黙れ。一体、お前は何者だ。何だってそんな格好をして走り回っているんだ? 変態か」

『あ、図星』

「うるさいぞ、小僧」

 小声で碧い剣に向かって言うと、コー・リンは改めて用心棒に言った。

「ちょっとした計算違いだよ。……あの、みなさん、危ないのでもう少し下がった方が」

「は? この状況で俺たちの何が危ないって言ってるんだ? 危ないのはお前の方だろ」

「すぐには殺さねえから安心しろ。先ずはとっ捕まえて、姐さまのところひきずって行ってやる」

「あー、それはちょっと……。さきほど殺されかけたところで」

「は? お前、まさか、姐さまの部屋に侵入したのか」

「はあ……。いろいろとありまして」

 へらへら笑うコー・リンに、途端に周囲がざわつく。 顔を強張らせながら、用心棒が言った。

「……こいつ、容赦しねえ。先ずは俺たちで半殺しにして、トドメは姐さまに刺して貰おう」

「それは遠慮しておくよ」

 コー・リンは、そう言うと右手をすっと前に突き出した。何事かと用心棒たちは一瞬身構えたが、その指の間には丸い透明な珠がひとつ挟まっているだけだった。

「何だ、そりゃ」

 用心棒たちは途端に肩の力を抜く。

「そんなもんで何をする気だ?」

「苦しまぎれかよ。くだらねえ」

 コー・リンを取り囲む輪がじりと縮まった。

「覚悟しろよ、この変態め」

「とにかく警告はしたよ」

 言うや、コー・リンは水晶のようなそれを強く地面に叩きつけた。珠は水しぶきを上げて用心棒たちの足元で弾んで砕ける。

 そして……。

「……何だよ、何も起きないじゃないか」

「あれ、そんなはずは」

 珠が砕けた地面を慌てて観察するコー・リンに、用心棒が声を荒げた。

「ふざけやがって! やっちまえ!」

 業を煮やし、わっと押し寄せる用心棒たちに、さすがにコー・リンも素早く『物干し竿』を構え、臨戦態勢を取った、が、その刹那。

「待て」

 群がる男衆の背後から、若い男の声が響いた。途端に彼らの動きは止まる。

「悪いが、そいつに手出しは無用だ」

 現れたのは憮然とした表情のトーイだった。彼は黒髪を片手でかき回しながら、本当はこんなことは言いたくないのだという気持ちを隠さずに言った。

「ダイヤモンド・エルからの伝言だ。そいつに傷ひとつ付けてはならん。無事に帰せ、との仰せだ」

「姐さまが? 何だって……」

「こいつはダイヤモンド・エルのお気に入りということだ。仕方がない」

「お、お気に入りだあ?」

 そこにいる全員が唖然とする。それは勿論、コー・リン本人も含まれた。

「姐さまはこんなのが趣味なのか?」

 天辺からつま先まで、まじまじと自分をみつめる大勢の視線にコー・リンは居心地が悪くなり、助けを求めるようにトーイに言った。

「おい、どういうことだ? 殺しに来たんじゃないのか?」

「俺はそのつもりだ。だが、殺すのは残念ながら今じゃない」

 ぎらりと瞳を光らせてトーイは言った。

「いつか殺してやるから安心しろ」

「安心できるか……!」

「もうひとつ、伝えることがある」

 不意に声をひそめてトーイは言った。

「時々、ここに姉たちの解毒に来い。お前を常連に認めてくれるそうだ」

「常連って……こちらの都合もある。簡単に言うな」

「その代償も払うと言っている」

「代償? 金などいらん」

「そうじゃない。相手をしてくれるらしいぞ。ベッドの上で、ふたりがかりでな」

「……は?」

「その時はもう少し、マシな格好で来いとも言っていたぞ」

 にっと笑われて、コー・リンは言葉がない。

 うーと呻いていると、地面から奇妙な振動が足に伝わってきた。

「ん? 何だ? まさか、地震?」

 怪訝そうに言うトーイをコー・リンはいきなり突き飛ばした。

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