最終話

 朝比奈さんは、それからもずっと平司さんを使い続けた。

 3度目の席替えの時も、もちろん彼女が放課後こっそり机の交換をしにやってきた。



 そして、秋になる頃から、彼女は次第に下校時刻ギリギリまで教室で勉強をして帰ることが多くなった。


「朝比奈、家に帰ってやったほうが環境いいんじゃないか?」

「いえ、先生。ここがいいんです。家に帰っても私ひとりなんで」

「そうか。……まあ、お前がそう言うならな」


 秋が深まり、冬が近づき、次第に寒さが加わっても、朝比奈さんは平司さんの側で勉強を続けた。

 そんな彼女を、平司さんは自身から発する僅かな熱で温めながら、ひたすら支え続けた。



 そして——

 いつしか、クラス中の机たちが、自分の出せる限りの熱を、底冷えのするその教室に放散させていた。


 彼女と彼の想いが、この寒さで熱を失うことのないように。






 やがて、冬休みが終わり、厳冬の中の大学受験を経て……


 3月。

 彼女は、希望する大学へ見事合格した。







 卒業間近の、放課後。

 誰もいない、静かな教室。

 その、一番後ろの窓際の席。


 朝比奈さんは、平司さんの上に静かに上半身を伏せ——両腕で彼を抱きしめた。



「——ありがとう。


あなたが、ずっと側にいてくれたから——私は頑張れた。

これは、本当よ」


 平司さんにそっと頰を寄せるように、彼女は囁く。

 そして、コツンと当てた額を、彼に甘えるように微かに擦り付けた。



 クラスの全ての机が——平司さんと彼女を静かに見守り、祝福した。





✳︎





 卒業式も終わり、生徒たちが巣立っていった、がらんと静かな教室。

 淡く優しい早春の日差しが窓から差し込む。



 平司さんは、今年度で退職——つまり、廃棄処分が決まっていた。

 彼女のために力を尽くしたせいか、彼の身体のあちこちの劣化が一気に進んだように俺には見えた。



 この一年のほとんどを隣で過ごした尊敬すべき先輩が、あと数日で退職する。

 俺にとっては、身を切られるように悲しく、辛いことだった。


「平司さん……本当は、もう少しここにいられたんじゃないですか。

この一年で、力を使い過ぎちまったんじゃ……」


「何言ってる。想う誰かのために命を使うほど幸せなことはないだろ?」

 彼は、そう言って淡く微笑んだ。





 そして、3月31日。

 平司さんと過ごせる、最後の日が来た。



 その日は、平司さんの送別会をクラスの机たちで企画していた。


「平司さん、今まで本当にお疲れ様でした……俺、まじで悲しいっす。……ううう。行かないでください〜〜……」

 クロが、耐えかねたようにそう涙混じりに訴えた。

「クロ、仕方ないわよ。私たちに決められることではないんだから。

平司さん、本当に今まで、ありがとう。あなたのおかげで、毎日仕事が楽しかった。最高に幸せだったわ」

 タカコが、そう静かに微笑んだ。

「平司さん、私まじで好きだったのに〜〜〜……また、絶対どこかで会えるよねっ!!?」

 冗談なんだか本気なんだか、真帆がそんなことを言って周囲を笑わせる。

「真帆ちゃん、君は俺が絶対幸せにするから!

平司さん。俺、あなたをお手本にして、これからも頑張ります!そしていつか絶対、あなたみたいなリーダーになりますから!!」

 ジミーも、いつになく男らしくそんなことを平司さんに約束した。


「みんな、ありがとうな。

俺も、このクラスで仕事ができて、本当に幸せだった。

——まあ、内緒にしていた恋がバレたときはどうなるかと思ったが」


 平司さんの言葉に、クラスが笑いに包まれる。



「明日からは、将がリーダーだ。

お前たちも、将の下なら安心して仕事ができるだろう。こいつになら、俺も安心して後を任せていける。

だから、みんなこれからも——」


 平司さんがそう言いかけた時、教室のドアがガラッと開いた。




 一斉にそちらを振り返ると——そこには、朝比奈さんが立っていた。

 これまでよりも一層凛とした、清々しい表情で。



 彼女は、平司さんのところへまっすぐ歩いて来ると、その正面へ膝をつき、優しく囁いた。



「散々迷ったけれど——来ちゃったわ。


卒業して、ここに来なくなって……気づいたの。

あなたは、私の恩人だって。


傷ついて、ひとりぼっちで、寂しくて歩けない……そうやって縮こまっていた私を、あなたは元気付けてくれた。

あの夏の夕方、窓際でね。……覚えてる?


あなたに励まされて——私は、自分の意思であなたを選ぶことができた。

自分の意思で、あなたの側で過ごすことを決めた。

自分の行きたい大学を自分で決めて、あなたの側で努力して——自分の力で、勝利を勝ち取った。

私はもう、自分の道を自分で選べる。

母親が、周囲の人が、自分をどう思っていようと——私は、自分が幸せになるための方法を、自分で選べるわ。

——あなたは、私にその力をくれた。


だから、これからも。

私は、あなたの側で過ごすことを選ぶ。


先生に依頼して、学校を何度も説得して——やっと、許可をもらったわ。

あなたを譲ってもらうことを。


4月から、一人暮らしを始めるの。

私と一緒に——新しい部屋へ、来てくれる?」




 その瞬間——

 平司さんの全身から、見たことのない色に輝く温かな空気が溢れ出た。









 あれから、もう3年。時間はあっという間だな。



 彼女と彼が、今どうしているのか。

 そんなこと、俺に分かるはずもない。


 けれど……恐らく、これだけは間違いない。


 誰が何と言おうと——彼らは、幸せだ。




 俺も、一度くらいそんな恋をしてみたかったなーとは思うけどな。

 まあ、まずほぼないだろう。人間の女の子と学校の机が、見事ゴールインしちまうなんてハッピーエンドな話は。




 ただ、俺は思うよ。


 誰かを、心から深く想うこと——

 それは間違いなく、自分の中の宝物になる、と。


 たとえそれが、実を結ばなかったとしても。

 全力で誰かを愛し抜いた記憶は、いつまでもその仄かな熱を失わずに、自分自身を温め続けてくれるに違いない、と。


『——想う誰かのために命を使うほど幸せなことはないだろ?』


 平司さんのあのシンプルな言葉が、全てを物語ってるなあ……なんてな。



 ありゃ。ポンコツな机が、何言っちゃってるんだか。




 俺の知ってるとんでもなく甘いコイバナは、これでおしまいだ。

 どうだ?腹の足しにでもなればいいが。





 おっといけねえ、あいつらが呼んでる。

 リーダーは最後の最後まで忙しいもんだな全く。


 じゃ、そろそろ行くな。




 またいつか、どこかで。




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ダンディなおっさん机と女子高生 aoiaoi @aoiaoi

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