第22話 ようせいさん……8

「連絡をくれたのはありがたいけれど、どうかしたのかな? 随分と妙な顔をしている」


 私に呼び出された斎藤はにこやかにそんなことを言った。


 私はあの女子生徒が言っていたことが気になって、斎藤に真相を聞いてみることにした。


 恐らく、これを知らん顔している方が賢いことなのは違いない。


 しかし、そうだとわかっていても私は訊かずにはいられなかった。あの男は二枚舌で私のことを騙そうとしているのではないか――そのようなことを考えれば考えるほど払拭することはできなくなっていった。


 私は性的なことに関して強い嫌悪感を持っている。それは強く自覚していた。それは昔から母親の連れ込んできた男から性的暴行の被害を何度も受けそうになったことが原因だろう。


 だから――


 だから私は斎藤があのようなことをしているかもしれないということを看過することができなかったのだ。


「失礼なことかもしれないんだけど……」


 そこで少しだけ言葉に詰まる。これは本当に言うべきなのか、と逡巡する。そんなこと適当に黙っていれば、お前が望んだ幸せを手に入れることができるんだぞ、と自分の頭の上の方から何者かが語りかけてくるような気がした。


 それでも――


 それでもあの女子生徒が言っていたことが本当だったのなら許すことができない。

 それは男女が行う行為として当たり前のものであったとしても――


「斎藤さんが、私と同じ学校の生徒と、関係を持ってるって聞いて、それ、本当なの?」


 そう言ったあと、恐る恐る斎藤に視線を向ける。


 それを聞いた斎藤が身に纏う雰囲気はまったく違ったものになっていた。優しく穏やかで知的な雰囲気は確かに残っているものの、そこには明らかすぎるほど凶暴な肉食獣のような危険なものが存在していた。


 私はそれを直感してしまって、思わず後ろに後ずさった。こちらが恐れを感じていることを理解しているのか、斎藤は獲物を狙う獰猛な獣のごとく私が後ずさったぶんだけ近づいてくる。


「驚いたな。まさかこんなに早くきみに知られるとは思わなかった。知られるかもしれないとは思っていたが。やはり女子高生にまともな口止めなど期待するべきではなかったな」


 斎藤はそう言ってまた一歩距離を近づけてくる。私は逃げるように後ずさった。その私の様子を見て、斎藤は相変わらず獰猛な笑みを浮かべている。


「ほ、本当なのね?」

「ああ。そうだよ。きみのことを調べるついでにちょっと遊んだだけさ。で、どうしてきみはそんな顔をしているんだい? 別に僕は彼女らに無理強いはしてないぜ。

 きみについての話を聞くついでに、そこそこいい食事を奢ってやって、ホテルに行った。僕も楽しんだが、当然彼女たちも楽しんだはずだぜ。あのくらいの年頃の娘にとって、僕くらいの年上の男に誘われて相手にしてもらうのは勲章のようなものなんだぜ。まあ、きみは違うだろうけどね」


 斎藤はさらにまた一歩近づいてくる。私はこの男から逃げるように後ずさって距離を取ろうとするが、獰猛な捕食者さながらの斎藤は逃がしてくれない。


「前に、私に言ったことは嘘だったの?」


 私は斎藤に対する恐怖に震えながらもその言葉をなんとか絞り出した。その声は明らかに恐怖で震えている。


「おいおい。そんなの本当に決まっているじゃないか。きみのことをなんとかしたいっていう気持ちは嘘じゃないぜ。当たり前じゃないか。アホ丸出しで知性があるのかどうかも疑わしい、カビが生えているうえにババアよりも、貧しくはあっても誇り高く、若くて知的なきみのほうが万倍はいいに決まっているだろう」


 また斎藤は距離を詰めてくる。私は何度も別の方向へ逃げようと試みたが、斎藤はしっかりとそれを塞いでいて、後ろに下がること以外できなかった。それは狡猾な狩人そのものだ。


「嘘よ。そんなの信用できない」


 それを聞いて斎藤は大声で笑う。


「どうしてだい? ただ僕はきみのことを調べるために、きみの同級生と遊んだだけじゃないか。それは僕の言葉を否定する根拠にはならないだろう。何故それと、きみに話したことを繋げる必要がある?

 なにも関係ないじゃないか。僕がきみと関係ないところで火遊びをしただけのことだろう。どうしてそれが許せないんだ? そんなに僕が誰かに寝たりするのが許せないのかな? 最近の娘にしては珍しいくらいおこちゃまだな、きみは」


 獰猛で狡猾な狩人のごとき斎藤はじりじりと近づいてくる。いつの間にか私はアパートの奥まで追い詰められてしまっていた。もう逃げる場所がない。恐怖と焦りがさらに強くなる。どうする。どうするべきなのだ? 背後を手で探る。なにかが手に触れた。


「困ったな。きみがそういうことに嫌悪感を持っていることは予想していたけど、まさかこれほどとはね。まあでも安心しろよ。今のところ僕はきみに性行為を強要するつもりはない。そういうことは時間をかけて解消していくべきだと思っている。どうしてそんな顔をしているんだ、きみは? そんなに僕のことが怖いか?」


 斎藤は相変わらず笑みを浮かべている。しかし、その笑みは見れば見るほど異質なものになっていく。まるで目の前にいるこの男は、人間の感情を一切介さない宇宙人かなにかのようだ。どうしてこのような笑みを浮かべていられるのか、私にはまったく理解できなかった。


「しかし、このことについてきみが知らないふりをするのなら構わないと思っていたが、この様子を見ているとそれはできなそうだ。非常に残念だが仕方がない」


 斎藤は心底残念そうに言って、懐からなにかを取り出して私に襲いかかってきた。その手には注射器が握られている。私はなんとかそれを押さえることに成功したが、私と斎藤では体力の差がありすぎて長く持つはずもない。注射器はじりじりと私の腕へと近づいてくる。この男の魔の手から逃れようとした私の手がなにかをつかんだ。ほとんど反射的に私は斎藤に向かってそれを振りかぶった。私の反撃をまったく予期していなかったのか、斎藤にそれは直撃した。斎藤は二歩ほどたたらを踏んで後ずさる。


「ちっ、この……」


 斎藤は額から血を流しながら体勢を立て直そうとする。だが、その崩れた一瞬を私は逃さなかった。今度は手に持った『それ』を両手で持って、斎藤の頭めがけてもう一度振りかぶった。体勢を立て直す途中だった斎藤はそれを思い切りくらい、今度は二メートルほど吹き飛んだ。


 私はその隙を逃さずさらに追撃した。倒れ込んだ斎藤に馬乗りになって『それ』を真上から振り下ろした。そのとき、斎藤の顔に恐怖の色が見えたものの、そんなものは身を守るためにがむしゃらになっていた私を止めることはなかった。


 振り下ろされた『それ』によって斎藤の鼻骨が砕ける嫌な感触と音が響く。思わぬ反撃を食らった斎藤は鼻が潰れ、頭から大量の血を流しながら昏倒していた。それを見た私はなんとかひと息つき、手に持った『それ』を無造作に投げ捨てた。


 そうしたところで、斎藤を殴りつけたものがなんだったのかが気になった。とてつもなく嫌な予感がした。


 斎藤を殴ったのは――

『ようせいさん』が入っていたあの瓶だった。


 そのことに気づいて、身を守るために自分が行った行為がとんでもない過ちであったことを自覚した。


 先ほど投げ捨てた瓶に視線を向ける。あれほど強く殴ったというのに、瓶は割れていなかった。


 しかし、殴ったときの反動でふたが外れていた。そこから、中にあった光がそろそろと外に出ていく。私は光に向かって無意識に手を伸ばしたが、その光は無慈悲にも私の手をすり抜けて消えていった。


 くそ、どうする。どうする?


 そこであの道具のことを思い出した。倒れている斎藤など気にも留めず、『ようせいさん』を捕まえるための網と眼鏡と検索機を手に取った。検索機の電源を入れる。すると、黄色い光がいくつか浮き上がった。


 それらを持って外に駆け出した。


 だが、浮き上がった黄色い点はどれも離れた場所にあるものばかりだ。いま逃げ出してしまった『ようせいさん』のものとはとても思えない。


 どこだ。どこにいった。逃げ出した『ようせいさん』を戻さなければ……戻さなければ……。


 そこで背後から物音が聞こえた。その音の思わずどきりとする。もしかしてもう斎藤が目を覚ましてしまったのか――?


 恐る恐る部屋の中へと戻る。

 そこには――

 倒れていたはずの斎藤の姿が消えていた。


 その光景に私はさらなる困惑に囚われる。どうして斎藤が消えているのだ。目を覚ましたのだったら、まず私のところに来るはずである。


 一体なにがどうなって――


 ぞわり、と嫌な気配を察して背後を振り返る。そこには誰もいない。いないはずだが、なにかがいるような気がしてならなかった。


 突如、先ほど手に取った検索機がけたたましい音を鳴らす。

 そこには――

 画面を覆い尽くすほど大量の黄色の点が灯っている。


 私は手に持っていた『ようせいさん』が見えるようになる眼鏡をかけた。

 いまそこにある、大量の光を目撃した私は、そのまま暗黒に包まれていった。

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