第21話 ようせいさん……7

 先日、斎藤から告げられた話に私はまだ返答をできずにいた。


 向こうは焦らなくてもいいと言っていたが、自分が決断をできないことで答えを遅らせてしまっていることに申し訳ない気持ちを抱いてしまう。今のように決断ができないのはきっと、今まで信用できそうな他人など誰一人としていなかったせいだろう。


 私はあの男――斎藤――に惹かれていたのは確かだった。ただそれは彼の見た目がいいからではない。私が惹かれているのは斎藤の持つ爽やかな知的さや軽やかな弁舌といったものだった。


 私には斎藤が嘘を言っているようには聞こえなかった。受け取った名刺から察するに、恐らく彼はかなりの高給を持っているはずだ。そのような人間が私のような貧乏で底辺を這いずっている女子高生を騙す必要などない。


 騙すつもりならもっと金を持っていそうなのを狙うはずだ。


 私も、裕福な家庭の子もあの男くらいの歳から見れば、騙しやすさなどさして変わらない。それならば金を持っているのを騙すほうがいい。いまの日本にだって金を持っている子供などたくさんいる。斎藤は、それがわからない馬鹿ではないだろう。


 でも、と思うことがある。

 どうして私なのだ、と。


 あの男は何故、私にあのようなことを言ってきたのか、それがまったく理解できない。私にあんなことをいって、斎藤はなにも得などしないはずだ。


 やはりこれは――


 母が自分と明らかに吊り合わないような男を連れてきたこと。

 その男が私の境遇に同情し、なんとか手助けをしたいと言ってきたこと。


 これが『ようせいさん』が呼び込んできた幸せなのだろうか?


 今まで母親が男を連れ込んできてよかったことなど一度もなかった。どいつもこいつも社会では誰も相手にしないような、あの女と同レベルのクズばかりだった。


 しかし、今回連れ込んできた斎藤は明らかにそいつらとは明らかすぎるほどに毛色が違う。逆立ちしてみても、母に吊り合うような男ではない。


 外資系投資会社のトレーダー。学歴も少なくとも東大か京大、外資系の企業に勤めているから、海外の名門ビジネススクールということも充分にあり得るだろう。考えてみれば考えてみるほど、母親と斎藤の差は月とスッポンである。


 偶然でこのようなことが起こるとはとても思えない。


 もしかしたら斎藤の女性の趣味が平均からかなりずれたものということもあり得るだろう。それだとしてもあの母親を選ぶ理由など一ミリもないと言える。仮に変態的な趣味があったとしても、もう少し選ぶのではないか?


 男性がどのような判断基準を持って女性を選ぶのか、私には皆目見当もつかないが、少なくとも私だった母親のような汚い底辺女を選ばないだろう。そして斎藤のような立場なら、そもそも相手の方から寄ってくるだろうし、いくらでも相手を選べるということは想像に難くない。


 考えれば考えるほど、斎藤が私の前に現れたのは『ようせいさん』とおかげだとしか思えなくなってくる。


 いや、そうでなければおかしい。今までどれだけ望んでもこのようなことは起きなかったのだから。


「なに? あんたもあの人と知り合いなの?」


 と、そこでいきなり声をかけられる。ろくに友人もいない私は学校ではいないに等しい存在だ。滅多に起こらないことが起きたので、私は驚きを隠せなかった。さらに驚かせたのは、話しかけてきたのは私とはまったく接点がない女子生徒だった。


「……あの人って?」

「その名刺の人。もしかしてあんたも誘われたんだ。へえ、意外」


 女子生徒は嘲笑するようにそう言った。何故お前にそんなこと言われなきゃならないのだと思ったが、その言葉は呑み込んだ。


「誘われたってどういうこと? 話がまったくわからないんだけど」


 名刺の人――とは斎藤のことだろう。何故こいつが斎藤のことを知っているのだ? というかなんの話をしている? まったく話が読めないぞ――


「あたしの友達がその人に誘われて遊んだんだって。多少歳は食ってるけど、かなり男前で金も持ってるし、女の扱いにも慣れてる大人の男って感じですごくよかったっていうのを聞いてさ。あんたみたいなイモ臭いのもそういうことやるんだね」


 女子生徒は相変わらず見下すような口調でそう言う。その嘲りの中には妬みや羨みというようなものがあるのが感じられた。きっと、下に見ていた相手が、自分には起きなかったこと起きているが我慢ならないのだろう。


「だったらなに? 自分は誘われなかったからって私に八つ当たりしないでくれない? 性格ブスなあんたが悪いんでしょ」


 私にそう言われた女子生徒は図星だったのか、かっと赤くなって震えていた。きっと私がこのようなことを言い返すとは微塵も思っていなかったに違いない。


 しかし、私は同時に言いようもなく動揺していた。斎藤がここの女子生徒と関係を持っている? まさか。


「私のこと馬鹿にしたいだけだったらさっさと消えてくれない? 迷惑なんだけど」

「な、なにこいつ!」


 女子生徒はそういきり立って私の胸倉をつかみ上げた。その光景を見てまわりがざわめくのが聞こえた。


「なにってなによ。自分からふざけた挑発しておいて何様のつもり?」


 胸倉をつかまれても一向に怯まない私のことを見て、女子生徒は怖気づいたようで、すぐに突き飛ばすように手を離して、そのままなにも言わずに離れていった。


 もうすでに私はからんできた女子生徒のことなどどうでもよくなっていた。

 この女子生徒が言ったことが気になって仕方がなかった。


 斎藤が私の同じ学校の女子生徒と関係を持っている? どういうことなのだそれは。しかも、先ほどの女子生徒の口ぶりからすると一人や二人というわけではなさそうだ。


 斎藤のことを信用したところで、思いがけないところから浮かび上がった新たな疑念に私はどうしようもないほどに打ちのめされていた。

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