想いを届ける鳥

🌻さくらんぼ

想いを届ける鳥

 透き通った白の世界――それが私の生きる、女神さまがお造りになられた場所なのです。


 ここは、素晴らしい楽園です。ほんの少しの濃淡のみで出来ている、清らかな地。

 川のせせらぎ、木のざわめき、キラキラ輝く空気。


 そして、私たちは毎日心を包むこの幸せを歌うのです。

 川を泳ぎながら。地面で踊りながら。空を羽ばたきながら。


 そうです。私たちには、大きな翼があります。足には、水かきもあります。

 どこまでも、どこまでも、心の赴くままにゆくことができるのです。


 それにここにいれば、死ぬことなどない。永遠に生き続けられます。素晴らしいと思いませんか。



 けれど今、私はこの世界を捨てようとしています。

 気がついてしまったのです。私が生まれてきた、本当の意味に。


 私たち鳥は、やはりこの世界と同じように白一色です。

 けれど時々、目にうっすらと色がつく者がいます。ある日突然、なるのです。


 そうなった者は女神さまのお声を聞きます。

 そして必ず他の世界へと旅立ってゆき、二度と姿を表すことはないのでした。


 私は、羨ましかったのです。うっすらとした色は、この白い世界でひときわ美しかったものですから。


 ですので、私は願いました。

『どうか、私にも美しい目を授けてください』

 と。


 女神さまは優しいお方です。こんなちっぽけな私の願いを聞き入れてくださいました。


 翌朝水面に映る私の目は、柔らかいピンク色でした。


 と、その瞬間、心の中で何かが声をあげました。

『届けて。この想いを』


 ああ、私は気づいてしまいました。伝えれなかった誰かの想いを代わりに届けるのが、私の使命だということに。



 この幸せな場所を投げ打ってまで、果たさねばならないことなのでしょうか。

 私は悩みました。


 きっと、ここほど美しい地は、そうそうないはずです。ここに二度と戻ってこれないことが、どれほど恐ろしいか。


 しかし私はもう、想いを預かってしまいました。これを届けず、自分は呑気に生きてゆくなどという残酷なことはできません。


 きっとこれは、早かれ遅かれ、私たちのもとにやってくる使命なのでしょう。

 私はとうとう決心し、飛び立とうとしました。


 すると、声が聞こえてきました。


『自ら、命を投げ捨てることはないのですよ。この世界を出て行けば、あなたの命はわずかなものです』


 ああ、これが女神さまでなければ、何だというのでしょう。

 女神さまは、お優しい方です。こんなちっぽけな私を気にかけてくれるなんて。


 この世界の外では、長く生きられない――

 出ていった者が帰ってこなかった理由がわかりました。


 それでも、私は飛び立ちました。

 いつもより、翼は軽く、どこまでも飛んでゆけそうでした。



 私はまるで、何かに引き寄せられるかのように進みました。ゆき先は、私の中に預かっている想いが知っているのでしょう。




 どこまでも続くはずだった白い世界は、あるとき不意に終わりを告げます。

 代わりに、黒が私を待っていました。一面の黒の中、時々キラキラと何やら輝いています。


 私の目に痛みが走りました。今まで白い世界にいたのに、突然別の色を見たからに違いありません。


 それでも私は、真っ黒な世界に光る小さなものたちそっくりの涙を流しながら、ひたすら飛びます。景色は次々、ヒューと後ろへ流れていきました。




 飛んでいるうちに、想いがどんどん私の中でハッキリしてくるのを感じます。

 それは優しく温かな、強い想いでした。


 どんなに疲れが出てきても翼を動かし続けることができたのは、この想いの強さがあったおかげなのです。




 目が悲鳴をあげるような、青く丸い巨大なものの所へ来たとき、そこに届ける相手がいることを私は悟りました。今までどんなに巨大なものを見つけても、泊まろうなどとは思わなかったからです。


 もうすぐ私は消えてしまう。それは、とても恐ろしいことのような気がします。けれどその反面、こうして目的を果たせることを嬉しくも思うのです。




 勢いよく巨大な青へと飛び込むと、そこは信じられないほど美しい世界でした。なにもかもがそれぞれの色を持ち、自由に生きているためなのでしょう。


 私はゆっくりと飛びました。目の痛みに耐えながら、想いを届ける相手を探します。




 ああ、いました。

 透明な板――窓の奥から、こちらの方をぼんやり眺めています。


 茶色の髪の、少女です。澄んだ大きな瞳は、悲しげに美しい世界を映していました。

 少女もまた、引き寄せられるかのように窓を開け放ち、私へと手を伸ばします。

 私の中で、想いは熱く燃え上がっていました。


「お母、さん……」

 ぷくりとした唇が、小刻みに震えています。


 私は少女の手のひらに着地しました。温かい、小さな手でした。

 私は大きな鳥だったはずなのに。きっと長旅の間に、縮んでしまったのでしょう。


 私は心地よさに、歌を歌いたくなりました。声は、今まで発したことのない言葉となって、飛び出します。


〈お母さんはいつでもエリを見守っているよ。お母さんがいなくても、お父さんの言うことを聞いて、いい子にできるね? エリはこれから先もずっと、お母さんの大切な宝物。毎日を大切に過ごしてね――〉


 子守唄のような柔らかいメロディを歌い終えた私は、自分の中にあった想いが、少女の中へ溶けていったことを知りました。少女の悲しげだった瞳に、温かさが滲んでいたためでした。


 ああ、やっと、届けることができたのです。


 温かな少女の手の中で、私は目を閉じました。

 もう、役目は果たしたのです。


「お母さん、大好きだよ」


 少女のつぶやきを最期に、私は自分が消え始めていることに気がつきました。

 それは、雪解けのように穏やかでした。


 どうやら、消えるというのは、考えていたよりも悪くはないようです。



 少女に幸せが訪れますように。



 静かな願いを心に浮かべた途端、私は、自分の背から新たな翼が生えてくるむず痒さを感じました。


 どうやら私は消えるのではなく、どこかゆくべき場所があるようです。

 ゆき先は、この翼が知っているのでしょう。




 こうして私は、次の世界と羽ばたいてゆくのでした。

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想いを届ける鳥 🌻さくらんぼ @kotokoto0815

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