最終話 100億年ぶりの、涙
すべての絶対時間軸上からヨグ=ソトースの氾濫が起こる可能性が消えた世界へ、俺は帰還した。
世界の理となってしまった俺にはもう人として生きることはできなかったが、最期に、自分が生きた時代を人の身で見て、感じておきたかったからだ。
俺のいない世界でも、いまも人は生き続けてその時を刻んでいた。
俺は裏山に降り立つと、豊丘村高校に向かった。最後の別れを告げに。
かつて、違う時間軸の中で、友だった者たちのもとへ……。
校舎に入ると、その匂いに、空気に、喧噪に、懐かしさを感じた。
百億という時間が自分の中にあっても、まだ懐かしいと感じることができることに司は驚いた。
これが、母校。司が入学して、卒業するはずだった豊丘村高等学校。
この時間軸では、司の存在を知るものは誰もいないだろう。
司は、制服に着替えた。もはや念じるだけで服装も自由に変えることができた。
最後に教室でも見てみようかと校門に入り、校庭を歩き始めたとき、懐かしい声を聞いて足を止めた。
「あ、あなたは……」
彩女。よく覚えている。司がヨグ=ソトースに向けて旅立つ直前まで一緒にいた少女。
彼女が気づくと、校庭でたむろしていた生徒たちが次々に集まってきた。……なんだ?
集まってきたメンツは、全員見覚えがあった。
「司さん! ……司さんなんですね!」
少し背の高くなった彩女が、突然抱きついてきた。
どういうことだろう。この時間軸では、司の存在は誰も知らないはずだ。
「あー、司じゃん。ほら、やっぱ司はいただろ?」
大輔が人のいい笑みを浮かべる。
「ほんとに帰ってくるとはな……まあ、あのときはすまなかった」
玲二がクールに、だが少しバツが悪そうに言った。
「ふへへ。司くんが帰ってきた! アヤヤばっかり司くんにべったりしてずるーい。あたしも!」
美波が、彩女と司をまとめて抱きついてきた。
「あ、あの……わたし……」
彼女はディーか? いや、楠木詩帆だろう。
どうしていいかわからず、おどおどとしている。
ディーはもとの時代に帰ったのだろうか。
彼女にも最後に挨拶をしたかったのだが、贅沢は言えない。
それにしても……なぜ?
「僕たちもね。不思議なんだ」
創一が困ったような笑顔で言った。
「僕たちはね、君がいた世界と全く違う人生を歩んでいるはずなのに、その時の――君と過ごしたときの記憶があるんだ」
創一の言葉に、司は驚いた。
そんなことが……あるのか?
「だからね。君が帰ってきたら、この言葉を言おうって決めていたんだ。
……おかえり、司くん!」
「おかえり! 司! イエーイ!」
「……おかえり」
「ふへへ。おかえりなさい。司くん」
「お、おかえりなさい……いいのかな、私なんかが」
「……おかえりなさい、司さん」
皆からの「おかえり」という言葉に、司は胸いっぱいに温かさが込みあがってくるのを感じた。
この百億年の中で、一番の感情だった。
「みんな……ありがとう……」
こらえようとしたのだが、その言葉を言うときには、結局涙がこぼれてしまった。
「……ただいま」
涙をこらえながら、それでもこぼしながら、司は笑みを浮かべた。
「これで……俺は、満足だ。だから、これで終わり……」
これで最後。司が人として生きる、最後の時だ。この時間は、いわばおまけのようなもの。億単位の年月は、人が生きる時間としては長すぎた。
彩女がかぶりを振る。
「司さん……どうして……」
「副王ヨグ=ソトースと戦ううちに、俺はもう十分な時間を生きてしまった」
「でも……あなたは……」
「……もう、十分なんだ。百億年という時間は、人が正気を保つには長すぎる。
ただ、もう一度だけ、人として……人としての目線で、この景色を見たかった」
「そんな……」
彩女も、美波も、司を呼び止めるようにしがみつく。
だが、司の体は宇宙の理として概念に変わりつつあり、わずかずつ、しかし確実にこの宇宙に溶けていく。
「最後に……みんなに会えてよかったよ。あのころ、遠い昔に一緒に過ごした友達に……」
「違う! 私たちにとっては、つい先日なのです!」
「「司……」」
「「司くん」」
「司さん、やめて……行かないで……」
司の体が、光の粒子となって消えていく。
きっとこれが、最後の言葉になるだろう。
「こうして、話ができてよかった――触れることができてよかった。
これで俺は、人として逝くことができる」
「司、さん……」
「さようなら、みんな。友達でいてくれて、ありがとう」
――死。
司は自らの存在を、自らの手で終わらせる。
青春の一ページとして、終わらせることができるだろう。
ありがとう、みんな。ありがとう……見守ってくれた
これで本当に――
「しゃ、写真! 写真とるぜ写真!」
「そうだね。司くんが消える前に」
「そうだよ! それにまだ……あーまって! まだ消えないで!!」
「司くん、卒業おめでとう! これ卒業証書。僕たちも、今日卒業式だったんだよ!」
「まったく、最後まで騒がしいな……」
「司さん、好きです!!」
「え”」
「え、白山さん、ここで言うか? あ、美波ちゃんの目が座ってる」
「アヤヤ~!!」
「すみません……だって、もう最後だと思ったら」
「あーもう、めちゃくちゃだよ!」
――どうやら、消えるのは少しあとになりそうだ。
まったく、最後まで騒がしいやつらだ。
司は苦笑しながら、大騒ぎしている友人の輪に入っていった。
Fin.
学園×クトゥルフ ~The Absolute Time~ 香椎一輝 @Ciele
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