第56話 ヨグ=ソトース


 俺は、旧校舎の外に出た。

 外はいまだに異形の魔物がうろついている。

 俺はそれを3匹ごと消し去り、安全な場所を確保した。

 それから、二人へと振り返る。

 ここまで一緒にやってきた、ディーと彩女のふたりのほうへ。


「……ここで、お別れだ。俺はアイツを……ヨグ=ソトースを消し去らないとならない」


 正確には、消し去ることは不可能だろう。ヨグ=ソトースはそれほどに強大だし、イゴーロナクすらも完全に消しされずに退散させたに過ぎない。

 それでも、できる限り――もうこの時間軸に危険が及ばないくらいには、削らなくてはならない。


「お別れって……そんな……司さん……」

「……ごめん、彩女……もう行くよ」


 小さな出来事だった。俺が彩女と出会って、ディーと出会って……。

 ディーが悲しみをこらえているのも、彩女がこらえきれずに涙を流しているのも、いまの俺にとっては、小さな出来事。

 だが、他の何よりも、世界中のどんな事象よりも大切なことだった。


「……それが、キミの選択なんだね」

「ああ。ディー……彩女を、頼む」

「心得た。……でも、私じゃ約不足だ。彼女にはキミが必要だよ

 だから……」


 ディーは彩女の髪を優しく撫でた。


「帰ってきたまえ……たとえどんなキミ・・・・・になろうとも。彼女も、私も、楠木詩帆も待っているよ」

「……わかった。ディー、いままで本当にありがとうな」

「気にしないでくれ。……私にとっても、かけがえのない経験だ」


 俺は、そらを見上げる。

 ヨグ=ソトースが覆い尽くしている空を。


「司さん……私は、待っています。時間軸が変わって、たとえあなたを忘れていても、それでも待っています……!」


 彩女は、なんとなくこれから起こることがわかっていたんだと思う。

 俺は、その言葉にうなずいた。


 そして、俺は発動させる。デウス・エクス・マキナ。

 俺の精神が、魂が、ヨグ=ソトースを消し去るためだけの概念となる。


 俺と神話的存在の、途方もないほど長い戦いが、始まった。




 ヨグ=ソトース……副王には、いかなる隙もなかった。

 それもそのはずだ。時空すべてを統べる副王に、そんなものがあるわけがない。

 だからこそ、俺は時間をかけてほころびを作らなくてはならない。

 油断すれば、その存在の大きさだけで俺というちっぽけな存在はかき消されそうになる。

 ほころびを作るために、何度もぶつかっていく。


 生死生生死死生生死生死死死生生生生死生生死死死死死生生死生生死死生生死死生生生生死生生死死死死生死生死生死生生……。


 それまでに、丸一日かかった。

 何一つ有効な打撃を与えることができなかった。

 ほんの僅かも、副王には打撃を与えることができなかった。


 生死生生死死生生死生死死死生生生生死生生死死死死死生生死生生死死生生死死生生生生死生生死死死死生死生死生死生生死生生生死死死生生死生生死生死生死生生死死死生生死死生生死生死生死生生死死死生生死死生生……。


 一ヶ月の時間が経過する。

 それだけの時間をかけて、俺はやっと相手の大きさを知ることができた。

 あまりにも大きい、副王という存在。

 だが、それでも――デウス・エクス・マキナならほんの僅かに影響を与えることができる。影響を与えることができるということは、消し去ることも可能なはずだ。

 そう信じなくては、概念存在になってまでこうして戦っている意味がない。


 俺は一年の間、有効打を探し続けた。


 生死生生死死生生死生死死死生生生生死生生死死死死死生生死生生死死生生死死生生生生死生生死死死死生死生死生死生生死生生生死死死生生死生生死生死生死生生死死死生生死死生生死生死生死生生死死死生生死死生生生生死死死生生死死死生生死生死生死生生死死生生生生死死死生死生死生生死……。


 そして見つけた、副王ヨグ=ソトースに通用する一手。俺はそれを打ち続ける。


 生死生生死死生生死生死死死生生生生死生生死死死死死生生死生生死死生生死死……。


 千年の時間をかけ、副王という存在に小さな傷を作る。

 そうして、とうとうできたほころびを、俺は攻め続ける。

 地球は、とうにヨグ=ソトースに飲み込まれている。

 だが、戦い続けなくてはならない。

「ヨグ=ソトースに襲われる未来が存在しない地球という時間軸」を作るために。


生生生死生生死死死死生死生死生死生生死生生生死死死生生死生生死生死生死生生……


 幾万年の時間をかけ、副王ヨグ=ソトースに手傷を負わせる。

 その傷はヨグ=ソトースの明確な弱点となった。

 ようやく生まれた弱点へと、俺はただただぶつかっていく。


 そうして途方もない年月を戦い続ける中で、俺は知った。時間軸による平行世界というものが、いかに狭いものだったかを。

 それほどまでに、宇宙は広大だった。宇宙の果てなど、人間が観測できる限界範囲がそれだったに過ぎない。

 ビッグバンの起きた数は、ひとつではない。人間の知っているビッグバンは、まるで火花が散るように、あぶくのように無数に発生しているもののひとつに過ぎないのだ。

 そして、無限に無限を連ねたような宇宙を統べるものこそ、魔王アザトース。

 人類にはその全貌を論ずることすら困難な、宇宙そのものの存在。


死死生生死死生生死生死生死生生死死死生生死死生生生生死死死生生死死死生生死……


 幾億年の時間をかけ、副王にほころびを作る。

 そのほころびを、十億年の時間をかけ、致命傷へと変える。


死死生生死死生生死生死生死生生死死死生生死死生生生生死死死生生死死死生生死生死生死生生死死生生生生死死死生死生死生生死…………………………………………………………………………。


 …………………………………………………………………………………………。


 ヨグ=ソトースのほころびはやがて全体に生じ、地球をヨグ=ソトースが襲うあらゆる可能性を消し去った。

 実に百億年の時間がかかった。

 その絶対時間の流れの中で、幾度も地球は滅亡してしまったが、もうこれ以降の絶対時間に記録される歴史では、副王ヨグ=ソトースによって地球が滅びることはないだろう。

 あらゆる歴世を眺めてきた俺は、これから起こり得るこの星の悲しい未来も知ってしまったのだが……それはまた別の話だ。

 たとえ逸脱した力を得たとはいえ、もとの自分はただの人間……その手で救えるものには、限りがある。


 もう、長く生き過ぎた。

 帰ろう……もとの時間に。

 悲しい青春を過ごした、あの校舎に――。


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