第5章 それぞれの思惑

 スクリーンには、刻々と移り変わるGalaxiaの現況データが映し出されている。どうやら、船は目的地近くに到達しているらしい。絶えず変化する数値を見つめながら、イレニスは、じっと「時」を待っていた。Galaxiaが目的地へと到達し、その意識が「大地の守護者」たちの手により封じられるその「時」を。

 Galaxiaは、通常のコンピュータとは異なり、自分自身の考えやある種「意志」とも呼び得るものを持っている。Galaxiaは、時に、人に反論するだけでなく、実際抵抗しさえする。

 ファリスであれば、執政委員会の承認を得て最優先指定で指示を与えれば、全体的に動作を変更することもできる。しかし、Galaxiaの場合は、そうは行かない。Galaxiaには、通常のコンピュータの中核にあるようなプログラムは存在しない。Galaxiaは、プログラムを「読む」能力を持っているが、読んだからといってGalaxiaの動作が変わるということはない。丁度人がプログラムを読んだところでその行動に変化が出ないのと同じように。Galaxiaの思考や行動を意図的に変更するのは、容易なことではないのである。だからこそ、Galaxiaの開発陣は、最上位システムとしてシステムDを設置した。いざとなれば、Galaxiaから船体制御システム群を切り離し、船体を人の管理下に戻せるように。

 Galaxiaの思考や行動をある程度意識的にコントロールできるのは、育成を担当した水嶺ただ一人だろう。その彼女でさえ、完全には把握しかねるものらしい。ましてや、「大地の守護者」たちに扱えるはずもない。地球人スタッフの中に内通者がいるのなら、その辺りのことは、彼らもよくよく承知しているはずである。

 彼らが船を得て初めにすることは、Galaxiaの意識を封じることだ----イレニスは、そう踏んでいた。Galaxiaの意識がなくても、船は動かせる。システムDは、通常のコンピュータ・システムと変わらない。そこそこ時間があれば、操作法の習得は可能である。

 本来なら、船のコントロールは、もっと早い段階でシステムDに移っているはずだった。計画では、「大地の守護者」が仕掛けてきた時点で、乗員に指示をして、Galaxiaを船体制御から切り離すことになっていた。ところが、「大地の守護者」たちは、内部に密航者を置き船を直接乗っ取るという手段に出た。全くの想定外である。

 どれほど綿密にシミュレーションを行っても、地球人の行動を完全に予測することは難しい。だからこそ、ファリスの出した「停滞予測」を打ち破る鍵と見做されているのだが、他方、それが故に危険極まりない存在なのだとも言える。

 何故執政委員会が地球人と関わろうとするのか、イレニスには全く理解できない。攻撃を受け全てを失うリスクを思えば、少々の停滞など問題ではないように思われる。そもそも、ファリスの予測自体、絶対に正しい保証はない。

 それでも、執政委員会は、地球人と関わり、彼らに手を貸し続ける。

 古い時代を知るマルスは、今も頑強に地球人と関わることに反対し続けている。彼は、大禍----地球人が言うところの『贖罪の百年』----以前の時代を知っている。地球人たちが地球において栄え、強大な力を持っていた時代を。それがどんな世界であったのか、彼は一切語ろうとしない。しかし、語りはしないものの、彼ははっきりとした結論を述べている。地球人と関わってはならない、と。地球や地球人には関わらず、ただ、自分たちの仕事に専念すべきだ、と。

 古い時代を知る彼が地球人と関わってはならないと強く主張する以上、それ相応の理由があると見做すべきである。その程度のことは、執政委員会の連中とて良く分かっているはずなのだが。

 無論、リスクを承知である以上、全くの無防備でいるわけではない。例えば、地球の周りには、12個の破壊用人工衛星が地上に狙いを定めて回っている。これら全てを同時に用いれば、地球上はほぼ、死の世界に逆戻りするだろう。そのために必要なのは、たった一つの指令、それだけである。執政委員会が認めさえすれば、今すぐにでも用いることができる。

 元々この危険な人工衛星を開発したのは、旧文明時代の地球人たちである。地上の人間があらかた滅びた後もなお、静止軌道上で2機、来ない司令を待って地上を狙い続けていた。現在地球上空を回っているのは、その2機を回収して調査し、その結果を踏まえて設計し直したものである。

 また、火星にいる地球人は、原則として、ギゼ以外のドームへは移動できないようになっている。いざという時すぐ切り離し隔離するためである。通常の居住用ドームとは異なり、ギゼ自体には、環境管理システムが存在しない。ギゼの環境管理システムは、火星の心臓部、コードリアルに置かれている。

 ピリピリと通知音がし、一斉に皆の目が第二スクリーンに注がれた。Galaxiaの外殻に取り付けておいたセンサが人工建造物を感知したらしい。

「半地下に小型の居住用ドームがあるようだ」

センサから送られて来たデータを処理しながらウルファン7が言った。第二スクリーンに解析画像が表示される。ルクリス3が言った。彼は、居住用ドームに関する専識者である。

「S-323をベースにしたものだろう」

「どういうものだ」

とイレニス。イレニスは、居住用ドームについては、あまり詳しくない。ルクリスが答えた。

「地球のレベル9環境エリアを調査する時の基地用に開発されたものだ。サイズは二番目に小さく、定員は最初期のαタイプで8名、最終形のγタイプは12名。この画像だけでは、どのタイプかは分からないが、基地が作られた時期を考えれば、γタイプである可能性が高い。ただ、かなり拡張されているから、いずれにせよ元とはかなり異なっていると考えるべきだろう。ウルファン、透過できるか?」

「先刻から試しているが、上手く行かない。遮蔽機能を持っているな。これで精一杯だ」

ウルファンは、全体の外郭を出して見せた。一部内部構造が見えるものの、ほとんどは真っ黒で中の様子は窺い知れない。イレニスが尋ねた。

「地球の調査基地用に開発されたということは、重力場の調整機能がないのではないか?」

基地のある小惑星は、差し渡し20キロ程度しかない。質量も小さいので、そのままでは、ほとんど無重力に近いはずである。火星で用いられる居住用ドームは、通常、重力場調整装置が付属しており、内部を1G環境に保つようにできている。ルクリスが言った。

「その通りだ。だが、選択としては悪くない。地球封鎖前に作られたものでは、いちばんコンパクトで組み立てが簡単だ。最も厳しいレベル9環境に対応しているので、ドーム内の環境維持システム性能も高い。ドーム自体に重力場調整機能がなくても、調整装置を別途使えば一応環境は確保できる。ただ、地球人向けの機能は何もないから、通常、地球人は使おうとしない。地球人なら、RE系統を使いそうなものだが」

機能的に必要な条件を満たしていれば、それ以上のことは気にしない火星人とは異なり、地球人は、やれ暑いだの寒いだの、狭いだの、においがするだの、と何かとうるさい。仕切りをなくせば、プライバシーがどうだの落ち着かないだのと騒ぎ、といって仕切れば狭いと文句が出る。

 地球人に詳しいロスハンは、これは、彼らの能力が環境に大きく依存するが故だろうと言っていた。もっとも、ルクリスは地球人自体には関心がないので、本当かどうか確かめたことはないし、そのつもりもない。ただ、ルクリスは、地球人たちの文句や苦情の類いが好きである。

 例えば、彼らはある程度広い空間を好む。全体を広くするためには、ドームサイズを大きくせざるを得ないが、空間が広くなる分、環境維持にまつわるシステムも大きなものになる。そうなれば、当然、設置や撤去作業に時間がかかるようになるが、そうすると今度は、設置や撤去に手間がかかるのは嫌だ、と文句が出る。

 より「快適」に、より使いやすく、より簡便かつ堅牢に。おかげで、居住用ドームは著しい発展を遂げた。もし地球人がいなければ、Galaxiaのような宇宙船が作れるようになるのは、ずっと先の話になっていたかもしれない。形状こそ異なるものの、Galaxiaの船内住環境は、居住用ドーム技術をベースに作られている。

 イレニスが確認するように言った。

「S-323でも、地球人の生存に問題はないんだな?」

「ないはずだ。内部環境は基本的に地球型になるよう作られている。合成食しか供給できないが、生存に必要な栄養はそれでまかなえる。初めに十分な物資を確保してあり、エネルギー供給に問題がなければ、定員最大かつ完全閉鎖状態で用いても、20年は持つだろう」

とルクリス。

「なら、機能が増える分大がかりになるRE系統よりS系統を選んでもおかしくはない。火星に気付かれないよう基地を築くために、極力少ない手間で設置できることを優先させたのだろう。それに、機能が増えれば、それだけ維持管理は難しくなるしな。地球人は、『快適さ』を気にするが、必須条件なわけではない。特にエクスたちは、ドーム都市の住人よりはるかに耐性が強い。基地の外壁を解析できるか?」

聞かれて、ウルファンが答えた。

「今やっているところだ。間に遮蔽膜があるから、外側の外殻部分しか解析できない」

ルクリスが尋ねた。

「イレニス、破壊する前に少しでいい、基地内部を見ることはできないか?」

一体彼らがどう改造し、どのように使っているのか、ルクリスとしては、是非とも知りたいところである。

「内部を見る時間を取るのは難しいな」

時間がない----イレニスは、心の中にそう独りごちた。

 Galaxiaの意識が封じられたら、後は、時間との勝負になる。とにかく最速で艦隊を基地に到着させなくてはならない。

 そう、Galaxiaがまだ基地に囚われているうちに。

 Galaxiaは、危険にすぎる代物である。Galaxiaが敵の手にある間なら、Galaxiaを破壊することも許容される。イレニスとしては、基地共々破壊しておきたかった。

 Galaxiaを破壊した場合、地球人たちは共同プロジェクトから手を引くだろう。しかし、むしろ安全性という観点からすれば好都合である。宇宙探査は、火星単独でも行える。何も地球人を巻き込む必要はない。

 無論、このことはナーナリューズには知らせていない。この共同作戦それ自体は、あくまで基地を破壊するのが目的である。

 ナーナリューズもこの程度のことは予測し、何らかの対策を立てているに違いない。実際、少し前の通信で、Galaxiaに乗員を守る術があると言っていた。こちらを警戒して、具体的な内容は言わなかったけれども。

 こうした手の読み合いは、決して気持ちの良いものではない。本来ならば、互いに全ての情報を出して最善の方法を探るべきである。それが火星のやり方であり、規範でもある。

 けれども。現状では、それぞれに定められた「仕事」で最善を尽くすためには、互いに情報を伏せ、相手の行動を読み、いわば「出し抜く」ことを考えなくてはならない。まるで地球人たちのように。

 先にGalaxiaに送ったメッセージで、ナーナリューズは、タッチダウンしたら、特殊機器のタイマーを52分にセットするよう伝えていた。恐らく、船を自動的に小惑星から離陸させ、退避させるためだろう。だとすれば、その52分と船の離陸にかかる時間が、こちらの手持ち時間ということになる。

 イレニスは、じっと時を待った。


 無事、船は「大地の守護者」の基地脇に着陸したらしい。ナーナリューズは、時計に目を走らせた。17時14分。後1、2時間のうちに全てが決するはずである。

 Galaxiaが頑張っているため、船から入る情報がひどく少ない。万一を考えて、基本的な情報だけは、GalaxiaやシステムDを迂回してこちらへ絶えず送るようにしておいたが、映像情報等は皆無である。

 計画では、基地にたどり着くより前にGalaxiaは船のコントロールから外れ、システムDに切り替わっているはずだった。システムDを通してGalaxiaの全ての船内・船外カメラやセンサが使える予定だったのである。

 しかしながら、完全に予定が狂い、その方法は使えなくなった。「大地の守護者」たちは、早晩、Galaxiaを船体操作から切り離すだろう。システムDは、彼らの手に落ちることになる。そうなれば、こちらから船体を操作する術は失われてしまう。一応船内にはわかばがいるものの、彼女にシステムDの奪還ができるとは到底思えない。

 Galaxiaには、予めシステムDに指令を送る小さなコンピュータを積んである。自動的に離陸に関する操作命令を送るだけの極単純なものである。元々は、乗員がシステムDを上手く扱えない場合を想定して積んでおいたものだが、今となっては、これが船を操作する唯一の手段となってしまった。

 Galaxiaには、着陸したらすぐ、この離陸指令装置のタイマーを52分でセットするよう指示しておいた。指示に従ったかどうか、こちらから確かめる術はない。

 ナーナリューズは、軽く目を閉じた。入って来る情報を一瞬遮断し、改めて思考を整理し直す。

 Galaxiaには、基地の人間の動きを抑える、という任務がまだ残っている。これが完了すれば、この共同作戦におけるこちらのプロジェクトの仕事は完了である。後は、防衛局が基地を破壊するのを妨げない限り、好きに動ける。ただし、それは、防衛局にとっても同じである。作業が終われば、彼らもまた自分たちの思うように行動するだろう。

 そうなれば、彼ら----というより、決断を下すのはイレニスだが----は、必ずGalaxiaを破壊しようとするだろう。ナーナリューズは、そう踏んでいた。理由は簡単。自分がイレニスなら、確実にそうしているからである。

 個体差の大きい地球人とは異なり、火星人は、極めて差異が少ない。行動には幅があるが、それは、基本的に目的と手持ちのデータが異なっていることから来ているだけなので、その部分さえ分かれば、手に取るように相手の思考や行動の予測がつく。

 それでも、ナーナリューズは、イレニスを「出し抜か」なくてはならない。Galaxiaが破壊され、乗員に危害が及べば、このプロジェクトは失敗に終わる。

 一つだけ、ナーナリューズには有利な点があった。ナーナリューズにあって、イレニスにはないもの。それは、地球人の存在である。

 ナーナリューズは、火星人の常として、詳細な報告を常に出し続けている。イレニスが、あますことなくそれをチェックしているのは、まず間違いない。けれども、地球人に関する限り、どれほど詳細な報告があっても、全てを把握し切ることはできない。だから、イレニスは、対地球人ほどではないにせよ、ナーナリューズに対してもそれなりの警戒心を持っている。

 場所が分かった今、基地の破壊それ自体はそう難しいことではない。よしんば小惑星上での作業が上手く行かなかったとしても、損害が大きくなったり時期が遅れたりするだけで、大勢に影響はない。イレニスは、「大地の守護者」への対処を後回しにしてでも、Galaxiaを破壊しにかかるだろう。

 もはや敵は「大地の守護者」ではない。対処すべき相手は、防衛局の方である。といっても、今、ここからできることは皆無に近いのだが。

 様々な状況を仮定し、想定し得るシナリオと対処を全て洗い直す。何があってもすぐ対応できるように。2、3秒のうちに整理を終えたナーナリューズは、再び目を開いた。


 ハッチをくぐり、3人の男が入って来る。わかばの首筋には、相変わらずフューラがナイフを突き付けており、Galaxiaは拒むことはできなかった。いずれにせよ、ナーナリューズから「一度は必ずハッチを開け」と言われている。人の出入りがある時がベストだとも言っていた。Galaxiaからすれば、敵が増えただけであるようにしか思えないのだけれども。

 この状態で、わかばを守るのは、どう考えても不可能である。火星管制室は、乗員を絶対に外へ出すなと言っていた。なしのつぶてだと思ったら、今度は意味不明の指示である。できれば従いたくなかったが、といって今のGalaxiaに何か他の手があるわけでもない。Galaxiaは、とりあえずこっそりとハッチの鍵をかけた。手動で開けることは可能だが、船のことなどとんと関心のないわかばのことである。この鍵を開ける方法なぞ知らないに違いない。これで、わかばが外へ逃れ出られる可能性は、ほぼゼロになってしまった。

 どの道、外へ逃れ出て生き延びられるとは、到底思えない。思えないけれども・・・

「ご苦労さん」

男たちは、中央制御室へ入って来ると、フューラにそう声をかけた。フューラは、むっつりとしたまま、やってきた者たちを一瞥した。ネクルにグィド、そしてベゼル。一応、基地にいる者たちの顔と名前くらいは、フューラも知っている。

「しかし火星人も何を考えているのだろうな。こんなガキを乗員にするとは」

グィドが言い、わかばに手を伸ばした。嫌がるわかばの頤<<おとがい>>に手を当て、強引に上を向かせる。

「どうせなら、もっと食いでのある奴を送れよな」

「食べてもおいしくないよ」

わかばが言い、グィドとベゼルの二人が下卑た笑いをこぼした。

「下らない話は後だ」

どこかうんざりした風でネクルが言う。そして不意にわかばの足を払った。跪かせ、その頭に銃を突き付ける。

「ロックコードは?」

「現状では、わかばの安全を確保できません。ここで銃を使えば、あなた方も危険ですよ」

Galaxiaが言った。

「贅沢だな」

ネクルの目が細くなる。

 と、不意に天井に向かって光が走り、跳ね返って右側面のパネルを破壊した。

「おっと、悪い、手が滑った。何が危険だって?」

ベゼルが銃をホルダーに戻しながらにやにやと笑う。ネクルは、ぐい、とわかばを銃でついた。

「状況が分かっていないようだから、教えてやろう。グィド」

グィドと呼ばれた今一人の男が大型のナイフを取り出す。

「さて、どこから刻む?指か、それで足りないようなら、耳か、鼻でもいいな」

わかばは、あまりの状況に声もないらしい。悲鳴を上げたのはGalaxiaの方だった。

「やめて下さい!」

 ロックコードを教えれば、彼らはGalaxiaの意識を封じることが可能になる。自分がいなければ、わかばを守るものは何もない。といって、自分がいても、結局彼女を守れないことに変わりはない。今教えなければ、彼らはわかばをなぶり殺しにしそうである。

 ナーナリューズは、乗員を助けたければ、絶対に外へ出すなと言っていた。彼の指示は、彼女が中にいる限り、何らかの助ける方法がある、そういう風に取れる。

 一か八か、火星の管制室を信じて賭ける他はなかった。

「LOCK 2981・・・」

ロックコードを読み上げる。乗員であるわかばであれば、コードがなくても個体認証でGalaxiaにロックをかけることができる。だが、彼らはそれを知らないようだった。

 一人がシステムDからロックコードを入力するのが見える。

----わかばを助けて下さい・・・----

祈りに似て、言葉にならない思考が走る。そしてGalaxiaの「感覚」は全て遮断された。


「何をしたの」

わかばが不安と怒りの混じった声を上げる。わかばに銃をつきつけていたネクルは、冷ややかに言い放った。

「宇宙船に意識は必要ない」

「必要ないって・・・Galaxia!」

わかばが呼びかけるが、返る答えはない。

「返事をして!Galaxia!」

「立て」

ネクルはわかばを銃でつついた。

「船さんどうなったの?死んじゃったの?」

「機械が死ぬか。立て」

「立ちなさい」

フューラがわかばの腕をつかみ、立ち上がらせる。わかばは、不安な目をフューラに向けた。

「ほら、歩けよ」

グィドが今一人の仲間、ベゼルと共にわかばを歩かせ始める。やや遅れて、ネクルとフューラが続いた。

「あの子をどうするつもりだ」

フューラが尋ねる。ネクルは肩をすぼめた。

「別に。後は奴らが好きにするだろう」

突いたり引き起こしたりしながらわかばを引きずって行くグィドたちの方へとあごをしゃくる。

「・・・・・・」

「気に入らない、という目だな。だが、やめておけ。あれを助けようとすれば、お前がやられる。あれはいわば戦利品の一部。連中から取り上げたら、暴動が起こる。私にも抑えることはできない。気にすることはない。所詮奴らに都合よく作られた家畜人間だ。生きている値打ちもない」

ネクルは、軽く伸びをした。

「お前には分からないだろうな。地球との行き来を封鎖された後のこの基地がどれほど悲惨な状況下に置かれて来たか。気をつけろ。皆常に気が立っている。まあ、そんな状況も、間もなく終わりそうだが」

作戦は上首尾。ネクルはひどく機嫌がいい。

「君の功績は本当に大きい。長く歴史に刻み込まれるだろう。この船さえあれば、火星人どもを滅ぼすことも夢ではない。火星人を滅ぼし、地球のドーム都市を破壊して、我々真の地球人の手に地球を取り戻す」

ネクルが拳を握りしめる。フューラは、小さく息をのんだ。

 聞いていない。船を手に入れるのは、火星人を滅ぼし、地球を地球人の手に取り戻すためだと、レディン----この作戦の指揮者である----は言っていた。火星人の支配を逃れ、人間が人間らしく生きられる世界を作るのだと。

 ネクルは、わかばを助ける気はさらさらないらしい。フューラは目を伏せた。

 地球のドーム都市を破壊する、それはすなわち、ほとんどの地球人を殺戮することに他ならない。

 真の地球人。真の、地球人。ドーム都市の住人は、本当の地球人ではないのだと彼は言う。ならば、例えば自分もその一人ということになるだろう。フューラの父母は、元々ドーム都市の住人である。フューラもドーム都市で生まれた。フューラの家族がドーム都市を出たのは、フューラが2歳の時である。「人間らしい」生き方を求め、ドームの外へと集団で移住した。それを指揮したのは父だったと聞いている。

 ベゼルに突き倒されてわかばが転ぶ。それをグィドが引き起こし、歩き方が悪い、と殴り倒した。倒れたところをまた引きずり起こし、蹴り倒して力一杯踏みつける。

 気付いた時には、身体が先に動いていた。不意を打たれたネクルが身体を二つに折り、床に転がる。フューラはそのまま、背後からグィドとベゼルに襲いかかった。

「逃げろ!」

わかばに声をかける。

 船には、巨大迷路状に張り巡らされたダクトがあり、上手くそこに入り込んでしまえば、そう簡単に見つけることは出来ない。

 わかばを縛るロープを切り、男たちとの間に割って入る。

「どこからでもいい、ダクトに入り込め!」

指示を飛ばし、フューラは向かってきたベゼルと組み合った。状況が飲み込めないわかばは、まだ呆然と立ち尽くしている。

「何をしている、早く!」

 わかばが走り始める。が、あろうことか、わかばは出口へと向かっていた。ネクルが基地に支援を要請しながら、のろのろとこちらへやって来る。あばらの数本は折れているはずだが、まだ動けるらしい。

 ハッチまでたどり着いたわかばは、扉を開ける方法が分からないことに気がついて、愕然とした。どこかにスイッチはないかと探すが、見つからない。

「このくそガキ!」

グィドが襲いかかってくる。とっさにわかばは左へとよけた。

 何かがおかしい。グィドの動きがひどく鈍いのである。それは、他の者たちも同じだった。ひどく動きにくそうだ、と思う間に、皆は床に倒れこんでしまった。

 一体何が起こっているのか分からない。そうっとつついてみるが、動く気配はない。

「フューラ!」

わかばは同じく倒れているフューラを見つけ、揺さぶった。手を鼻のところへ持って行くと、かすかに息の気配がする。生きてはいるらしい。

 わかばは、中央制御室へと急いで引き返した。

「Galaxia!」

声をかけてみる。Galaxiaは、相変わらず返事をしない。彼らにGalaxiaが何かしたのかと思ったのだけれども。

「船さん!Galaxia!・・・Galac!!」

いくら叫んでも、船は反応しない。何をどうすればいいのか分からない。悩んだ末、通信機に手を伸ばした。このくらいなら、使い方が分かる。常に見守っている、とシャハンは言っていた。どうか、上手くつながりますように----


「Galaxiaからの通信だ」

ドゥイズが言った。管制室内に緊張が走る。

「助けて!」

第一声はそれだった。Galaxiaが動かない、と。

 画面の向こうにわかばがいた。顔を打ち身で腫らし、今にも泣き出しそうにしてはいるが、とりあえず脅されている様子はない。

「わかば・・・!」

水嶺が両手で口元を覆う。ロスハンが、カメラの前へ水嶺を押し出した。

「お姉さんだ」

画面に現れた水嶺を見て、わかばは少し安堵したらしい表情になった。

「わかば、大丈夫?怪我は?」

「うん、大丈夫。でも船が・・・Galaxiaが大丈夫じゃないの。ロックコードがどうとかって。それで、動かなくなっちゃった」

「ああ、それなら、大丈夫よ。Galaxiaは、そうね、どう説明したらいいかしら。少し奥に押し込まれているだけだから。ロックを解除すれば、すぐ戻るわ」

「そうなんだ。良かった!」

わかばがほっとした様子になる。脇からナーナリューズが割り込んだ。

「わかば、敵はまだ船内に残っているか?」

「あれ、変なお兄さんもいるんだ」

「変なお兄さん?」

言われた意味が分からず、ナーナリューズが訝しげに聞き返す。

「ああ、それは私のことだ。水嶺が変な紹介をするから」

ロスハンが言い、隣から顔を出した。同じ顔。

「え?え?え?お兄さん、双子だったの?」

「やあ、わかば。無事なようで何より。ところで、変なって言うのやめてくれないかな。ぼくはロスハン。こっちはナーナリューズ。このプロジェクトの責任者だ。ちなみに、双子じゃない。まあ、ある意味そうだと言えなくもないけど」

「ロスハン、余計な話はまた後だ。まだ終わっていない。わかば、敵はまだ船内にいるのか?」

「敵・・・?うん、いる。通路でみんなのびてる。急に倒れたの」

「何人いる?」

聞かれて、わかばは、指折り数えた。

「ええと、3人」

「3人くらいなら、救命艇に入れられるな。わかば、どこでもいい、ロボット格納庫から汎用ロボットを起動して、その3人を救命艇に乗せるよう指示を出せ。君の力では無理だろうから。救命艇の行き先座標は・・・」

「待って。ロボット格納庫ってどこ?はんよーロボットって何?起動って?救命艇はどこにあるの?」

思わぬ事態にナーナリューズが黙り込む。小さくため息をつき、言った。

「マニュアルを読んでいないのか」

「マニュアル?ああ、あの何か難しいことがいっぱい書いてあった青いデータカードのあれ?」

「そうだ」

重要箇所だけで良いから先に目を通しておくよう言ってあった筈なのだが。

「待ってね。ええと、どうしたっけ・・・あっ」

わかばは、小さく声を上げた。

「どうした」

何かあったのかと緊張が走る。

「家に忘れて来た。家で見ていて、そのまま・・・」

火星人なら、絶対にあり得ないミスである。火星人たちが凍り付く。

「船に予備あるかな?」

とわかば。

「中央制御室に完全版があるが・・・」

「どこ?探してみる」

わかばに任せていたらいつになるやら分からない。「大地の守護者」たちよりわかばの方がある意味厄介そうである。ナーナリューズは言った。

「いや、いい。Galaxiaを動かした方が早い」

今、ものすごく「役立たず」と言われたような気がする。わかばは思ったが言わなかった。

「Galaxiaのロックを解除して・・・」

「ロックを解除って?」

「君ならロックコードがなくても、個体認証が使える。それで解除できる」

「こたいにんしょー?」

「君の網膜パターンでいい」

「もうまくぱたーん?」

どうやら、わかばはちんぷんかんぷんらしい。何をどこまで説明すれば分かるようになるのだろう?

「今は一つ一つの単語はいい。とにかく、スキャンカメラを覗けば、自動で判別される」

「・・・う、うん」

「スキャンカメラはシステムDコンソールの脇にある。先にシステムDから・・・」

「システムD?」

聞かれて、ナーナリューズが絶句する。まさか、システムDすら知らないとは。脇でロスハンが吹き出した。

「わかば、やるじゃないか。ナーナリューズをここまで追い込んだのは、多分君が初めてだ」

「システムDは・・・」

気を取り直したナーナリューズが言いかける。それを水嶺が止めた。

「私がやるわ。わかば、向かって右手は分かる?」

「うん、分かる」

「そのいちばん右の方に機械があるわね?それがシステムD。場所で言えば、ここ」

図を表示させ、場所を示す。

「画面に触れて、何も出なければ、右にスイッチがあるから、まず起動して」

水嶺の指示に従い、わかばが動く。

 1分、2分・・・しばしの後、不意に声が響いた。

「わかば!無事ですか」

Galaxiaである。ナーナリューズが言った。

「Galaxia、時間がない。特殊機器X-2533を停止。すぐに離陸に取りかかれ。そこに長居は無用だ」

「X-2533停止しました。離陸シークエンス開始します。わかば、手当をしないと」

「それも後回しだ。敵が船内に3人残っているそうだな。まずは彼らを拘束して、安定航行に入ったら救命艇に乗せるんだ。目的地は火星上空でいい。救命艇の操作システムは必ずロックしておくこと。後は、こちらで処理する。とにかく急げ。麻酔薬は4、5時間は持つはずだが、効きには個人差がある。目を覚ますと厄介だ」

「敵が3人、ですか・・・?」

Galaxiaは何やら訝しげである。

「3人だよ」

とわかば。納得が行かないらしいGalaxiaが何やら言いかける。が、わかばは、強引に通信を切ってしまった。

「わかば、聞きますけど、まさか数が数えられないんですか?」

「いくらわたしが馬鹿でも数くらい数えられるよ」

「私が見たところ、廊下で伸びているのは4人ですが」

「フューラは敵じゃない」

はああああ。Galaxiaが大仰にため息をつく。

「馬鹿だと思っていましたが、本当に馬鹿ですね。何をされたか忘れたんですか?あなたにナイフを突き付けて殺すと脅した相手ですよ?」

「でも、悪い人じゃないよ」

「勝手に密航してあなたを傷つけて、私を脅迫して。十分悪人でしょうが。それも分からないほど頭が悪いんですか?」

「わたしが怪我をしたのは、暴れたからだったじゃない。もう忘れたの?」

「忘れてはいませんが、そもそもあなたを拘束しなければ、そうはなりませんでした。あなたこそ忘れているんじゃありませんか?」

「それに、フューラが助けてくれた」

「フューラが?いつ?」

「あなたが何も返事をしてくれなくなってから。水嶺お姉さんは、あなたが奥の方へ押し込められてたんだって言ってたけど」

「ロックをかけられて、船との接続を絶たれていたので、何も聞こえず、見えず、何も言えない状態にあったんです。でも、フューラがあなたを助けたとは、一体どういうことです?」

「あの怖いおじさんたちから、逃がしてくれた。駄目だよ、Galaxia。あのおじさんたちと一緒にしておいたら、フューラはきっとすごくいじめられる」

わかばの言葉にGalaxiaが少しばかり考え込む。そこへ、丁度自動音声の案内が割り込んだ。

「乗員は着席、保護装置をセットして下さい」

「わかば、離陸の準備が整いました。座ってベルトを締めて下さい」

Galaxiaに言われ、わかばが椅子に座ってシートベルトを締める。

「待って、Galaxia、フューラは・・・?」

「一応、4人とも固定してはあります。簡便なものですが、まあ、大丈夫でしょう。さて、私はしばらく離陸作業に集中します。話はまた後で」

Galaxiaは言うと、後は自動音声に任せて何も言わなくなってしまった。


 ナーナリューズの作業完了の合図があってからおよそ12分。既に白い船は基地から遠ざかっていた。乗員も無事だという。Galaxiaの意識が封じられてすぐに艦隊を全速で基地へと向かわせたが、やはり間に合わなかった。元々成功率はそう高くないと思っていた。ナーナリューズが無策のままGalaxiaを囮に差し出すはずがない。

 イレニスは、小さく息をついた。ナーナリューズは、彼の性質上仕方のないことではあるが、地球人に甘い。問題の基地の人間でさえ、極力生かそうとする。彼の話では、船内に入りこんでいた3人を確保し、ご丁寧にも救命艇へ乗せて火星へと送り出したらしい。連中が何かの拍子に上手く拘束を解いて救命艇を奪わないとも限らないというのに。そんなリスクを冒して生かしておいたところで、得るものは大してありはしない。とりあえず、迎えの系内船を出したので、遠からず問題の3名を確保できるだろう。

 ナーナリューズのプロジェクト内に一人協力者がおり、こちらは既に捕らえてある。全部で4人。だが、イレニスはそんなものはどうでも良かった。

 背景を探れ、とナーナリューズは言っていた。必要ならば、自分たちで引き受ける、とも。だが、イレニスは断った。ナーナリューズに預けて、彼らが脱走等問題を起こさないとも限らない。「大地の守護者」が何を考えているかなど興味はない。大事なのは、彼らの行動であって、事情や背景ではない。とにかく、彼らは火星に敵対し、火星を危険にさらす。彼らを処分しない理由は、ない。

 基地からの反撃は全くない。ともあれ、当初の予定通り、Galaxiaは基地の動きを抑えるのに成功したらしい。

 人間が動けないのであれば、さして大きくもない小惑星を打ち砕くのは造作もないことだった。これで、ひとまず大きな懸念事項は解決した。

 艦隊に帰還命令を出す。

「共同作戦完了」

イレニスは言い、Galaxiaの管制室との接続を切った。

 管制室にいるのは、水嶺を除けば火星人ばかりである。それでも、イレニスの完了宣言に、ほっとした空気が流れた。彼らもまた、それなりに緊張して見守っていたらしい。

 ナーナリューズは、何も言わず管制室を出て行った。ロスハンが時計に目を走らせる。18時46分。

「水嶺、少し休んだ方がいい。いや、食事が先だな」

そうね、水嶺は、急にどっと疲れが来たらしく、ぐったりとした様子で言った。

「一人で大丈夫?ぼくは、ちょっとシャハンたちを見て来ないと」

「大丈夫よ。小さな子供じゃないんだから」

「どうだか。ぼくが言わないと、君はすぐ徹夜したり食事を抜いたり、いい加減をするからね。大人なら自分の身体の面倒くらいきっちり見るものだと思うけど?とにかく、絶対きちんと食べて、きちんと休むんだ。いいね。見てないからってサボっちゃだめだよ」

「はいはい、分かりました、先生」

水嶺が苦笑交じりに言う。ロスハンも少し笑って見せると、部屋を出て行った。


 ぐでぐでのぐだぐだで、どよどよの、だらだら。昨日は13時から夜22時までぶっ通しだった。今日は朝6時からこの方ずっと会議室に缶詰にされている。終了予定は21時だが、ロイズの発表が抜けた分、1時間前倒しでスケジュールが進んでいる。とりあえずロイズ以外のスタッフ全員の発表は終わっていて、目下全体討議の真っ最中・・・ではあるのだけれども。

 もはや何かを議論するというレベルにはなく、お互い自分でも何を言っているのか、そもそも、何を考えているのか、はっきりしない風である。

 もういっそ皆で昼寝でもした方がいいんじゃないのか----そんなことを思いながらけだるく議長をやっていたホーファーは、ナーナリューズ----襟章によれば、彼のはずである----が入って来たのを見て少なからず驚いた。まさか彼が来るとは思わなかった。それは皆も同じだったらしい。だらけ切ってとろけかけていた空気が一気に引き締まった。

「もういいか?」

ひそひそひそ。ナーナリューズに尋ねる。彼が来たということは、裏で彼らが何を画策し、何を行っていたにせよ、終わったということだろう。ナーナリューズは小さく頷いた。

「あー、それでは」

ホーファーは、強引にまとめに入った。やや遅れてロスハンが顔を出す。

「あれ、もう終わり?」

至極残念そうな顔。

「ちょっと聞きたかったのに」

「録画してあるから、気になるならそれを後で見ればいい」

これ以上やっていられるか。ホーファーは冷ややかに言うと、さっさと会議を締めくくった。散会になって、皆がやれやれ、と立ち上がり伸びをする。お互い話す元気もないらしい。波が引くようにさあっと皆出て行ってしまった。

「それで、何がどうなった?」

ホーファーが尋ねる。

「とりあえず問題は全て解決した」

ロスハンが明るい調子で答えた。

「安心していいよ。少し遅れたけど、Galaxiaは順調に航行を続けている」

「そうか」

ホーファーとシャハンは、ほっと安堵の息をついた。もし何か起こっていれば、大変な騒ぎになっているところである。

「水嶺は?」

シャハンが尋ねる。

「大丈夫。大分疲れてはいるけど、まあ、彼女、タフだから。食事を取って寝ると思うよ」

「ならいいんだが」

「ん?まだ何か気になることがある?」

「いや、その、本当に解決したのか?」

「さっき言ったじゃないか。解決したよ?ぼくが嘘をつくとでも?」

「そういうわけではないが・・・」

「ああ、ロイズのことなら、残念ながら、クロだった。決定的な証拠が別に見つかったから、彼を戻すことはできない。内容については・・・」

ロスハンはナーナリューズをちら、と見、小さく肩をすぼめた。

「教えられない」

「そうか」

言ったシャハンは、まだどこか釈然としない風である。

「まだ何か気になることがある?」

「ああ、うん、全て解決して特に問題がないというなら、ナーナリューズ、どこか悪いんじゃないのか」

シャハンの言葉に、ロスハンとナーナリューズははっとした風になった。

「顔色が悪い・・・わけでもないが、その、なんというか、少し変だ」

「私にはいつも通りに見えるが」

ホーファーが首を傾げる。

「別にどこが悪いわけでもない。大丈夫だ」

ナーナリューズは微かに笑ったようだった。

「『存在理由』に反することをしたので、少し、そうだな・・・君らの言い回しを使えば『気分が悪い』ということになるか?」

「ちょっと違うな。ぼくもいい表現を思いつかない」

ロスハンが言った。

「しかしシャハン、よく分かるね。地球人はぼくらの顔すら見分けないのに」

「シャハンの特技だからな」

ホーファーが口を挟んだ。

「ルカスが彼を火星へ送った理由の一つだよ。シャハンは、何故か火星人の表情が分かるらしいんだ」

「そう難しくないと思うが。それで、本当に大丈夫なのか?何やら小難しい理由で悩んでいるようだが」

とシャハン。

「悩んでいるわけではない。それに、君らを見ていたら落ち着いた」

ナーナリューズの不思議な台詞に、二人の地球人は顔を見合わせた。

「何もした覚えはないが?」

シャハンが首を傾げる。ホーファーが冗談めかして言った。

「私らが能天気だと言いたいのかもしれないぞ。で、悩むのが馬鹿馬鹿しくなった、と」

ロスハンが笑った。

「一面、真実を突いているかもしれないな」

言われて、ホーファーがむっとした風になる。ロスハンは、すかさず突っ込んだ。

「おいおい、怒るなよ。自分で言ったんだろう」

ホーファーがぐっと詰まる。シャハンは思わず笑ってしまった。遅れてホーファーも笑い出す。部屋には、くつろいだ空気があった。

 見れば、ナーナリューズは、あるかないかの笑みを浮かべていた。満足そうな笑みだ----シャハンはそんなことを思った。10年以上の付き合いになるが、ナーナリューズの考えることは、未だによく分からない。とまれ、元気が出たようで良かった、そんなことを思う。

「そうだ、シャハン、ちょっといい酒を持ってきたんだが、どうだ?」

ホーファーが不意に思い出した風で、急にそんなことを言い出した。

「酒類は持ち込み禁止だぞ」

とシャハン。火星では、原則としてアルコールは禁止されている。

「簡単に持ち込めたぞ?セキュリティ・チェック、甘すぎるんじゃないのか」

「自分で持ち込んでおいてそういうことを言うか?」

「嫌なら飲まなくていい。ガドウィル産のうまーーーーい酒なんだがな」

「いや、それは、その、なんだ・・・」

困ったように、シャハンがロスハンとナーナリューズを見る。

「私は遠慮しておこう」

ナーナリューズは言った。

「ぼくは参加したいけど、駄目かい?」

とロスハン。

「えー、黙認されたということでいいのかな?」

ホーファーがシートを丸めてマイク状にし、ロスハンに突きつける。

「いいと思います、議長!」

ロスハンがふざけて言った。ナーナリューズが出て行く。出て行きしな、いつもの彼らしい調子で釘を刺した。

「参加するのは構わないが、飲むなよ、ロスハン」


 フューラ、遠く懐かしい声が自分の名を呼んでいる。父の声。駆け寄ると、幼い自分を抱き上げ、もうお祈りはすんだかい、とそう聞いてきた。

 どんな時も、祈りを忘れてはいけないよ。神様が悲しむからね。お前だって、大切な相手に無視されたくはないだろう?無視されたら、悲しいだろう?神様は、いつだってお前のことが大好きで、いつも傍にいて、見守っていて下さる。たとえ世界の全てがお前と敵対するとしても、神様だけは、きっとお前の傍にいて下さる。無論、お前が間違ったことをすれば悲しまれるし、正しく善き行いをすれば喜ばれる。大好きな人には喜んでいて欲しいだろう?だから、神様を悲しませてはいけないよ。

 いつもいつも、父はそう言っていた。

 どれほど辛く悲しい時であっても。

 神様がいらっしゃれば大丈夫。母はそう言っていた。

 父と、母と。世界は温かく光に満ち、そして優しかった。

----フューラ・・・----

母が自分を呼ぶ。起きなさい、フューラ。もう起きる時間ですよ、と。

 もう少し。母さん。あと少しだけ----

 言おうとしたが、身体が重く、上手く言えなかった。あと少し、この温かに優しいぬくもりの中で眠っていたい----

 はっとして目を開く。

 見慣れない景色だった。頭がよく回らない。

 ゆっくりと記憶が甦り、フューラは慌てて飛び起きた。何か大きな影が目に入り、ぎょっとして身構える。よく見れば、それは巨大な猫のような、犬のような、丸い身体のぬいぐるみだった。白とピンクを基調にした、可愛らしいしつらえの部屋。

 自分がひどく場違いな気がして、落ち着かない。フューラは、ベッドを抜け出そうとして、激痛にしゃがみ込んでしまった。

「大丈夫?」

不意に声をかけられ、腕が伸びてくる。反射的にその腕をつかんで引き倒しそうになり、辛うじて踏みとどまった。

 鳶色の目をした少女。わかばである。

「ここは・・・?」

「わたしの部屋。この船ってば、一人用だから、ベッドがこれしかないの。これ、ごはん。何が好きか分からないから、適当に作っちゃった。嫌いだったらごめんね」

「ベッドがこれしかないといって、じゃあ、お前は?」

「わたしはGalaxiaのところで寝るから大丈夫。元々ほとんど使ってないんだ」

わかばは言って、ぺろりと舌を出した。

「だから、気にしないで。んーと、お手洗いは左手奥。シャワー室もあるから、自由に使ってね」

「いや、待て。一体何がどうなっているんだ。ネクルたちは?」

「ネクル?」

「銃を持って乗り込んできただろう?」

「ああ、あの怖いおじさんたち?もういないよ。救命艇で火星に行っちゃった」

「火星に?」

フューラが眉を顰める。

「うん。そうしろってナーナリューズ・・・だっけ。変なお兄さんの双子のお兄さんみたいな人が言った」

「何だ、その、変なお兄さんの双子のお兄さんって」

「わたしもよく分からないんだよね」

わかばは言って首をひねった。

「そっくりだから双子かなと思ったんだけど、変なお兄さん・・・ロスハンが、違うって。でも双子みたいなものだって。訳分かんない。ひょっとして三つ子とか、四つ子とかかな?」

いや、私に聞かれても。というより、そもそも、聞きたいのはそういう話ではないのだが。フューラは思ったが、何しろ相手は子供である。

「ええと、それで、わかば。私は何故ここにいるんだ?手当をしたのはお前か」

「手当をしたのは、Galaxiaのロボットだよ。フューラがここにいるのは・・・ごめんね。怪我してたし、あの怖いおじさんたちと一緒にしたら、きっとひどいことされると思って」

分かるような、分からないような。どうやら、わかばの仕業らしいということだけは分かった。彼女なりに精一杯考えたのだろう。

「とりあえず、冷める前に食べて」

わかばは言い、そして部屋を出て行った。


 ナーナリューズがオフィスに戻ると、イレニスが来ていた。白い虫のようなものを手にしている。

「地球人たちのところか」

そう聞いてくる。

「様子を見てきた」

とナーナリューズ。

「それで?」

「今のところ、シャハンとホーファー以外は何も気付いていないようだ」

「気付かれたのか」

「内容は二人とも知らない。ただ、何かが起こっていると勘付いただけだ」

イレニスの表情が険しくなる。ナーナリューズは、軽く手を振った。

「あの二人なら心配ない。問題が解決したと分かった今、不必要に騒いだりはしない」

言ったところで完全には信じないだろうとナーナリューズは思った。地球人の行動は安定しない。それは今までのデータから明らかである。そうである以上、イレニスが完全に地球人を信じることは、恐らくない。

「それより、」

あまりイレニスの注意を彼らに向けるのは得策ではない。ナーナリューズは話を変えた。

「話があって来たのだろう?」

言われて、イレニスは、ああ、と頷いた。カタリ、手にしていた「虫」を机に置く。1センチにも満たないこの小さな虫に似た物体は、実は小さなロボットである。

 微小なこのロボットは、センサと薬液を入れるボトルが搭載されており、一応の飛行能力を持つ。自動的に生体を認識し、密かに近づいて薬液を注入する。これもまた、元々は旧文明時代の遺物である。発掘されたものを解析し、一部改良が施してある。

「一体どうやった」

イレニスは言った。

 「虫」の使用自体は、イレニスも了承していたことである。「虫」は、Galaxiaが基地に到達した時点で活動を開始する予定になっていた。実際、基地の人間たちが倒れたところを見ると、予定通り作動したのだろう。だが、何故かGalaxiaの乗員だけは無事だった。イレニスの艦隊が「間に合わなかった」原因は、ここにある。乗員が無事でいたために、予定より早くGalaxiaは、基地から離脱した。ほんの少しの差である。

「『虫』のコントローラーには識別機能がある」

「虫」は、実働部隊たるロボット群とは別に、コントローラーが存在する。「虫」からのデータはコントローラーに送信され、そこで処理される。「虫」はコントローラーの指示に従って動く。

「それは知っている。地球人をターゲットに設定してあった」

乗員たるわかばも地球人である。イレニスには、何故わかばだけ除外されたのかが、不思議でならなかった。

「地球人は、個体差が激しい。特にわかばは子供で小さい。ターゲットから除外するのは簡単だ」

 火星人は、「個体差」の重要性を認識していない。一般的な火星人にとって個体差とは、データの誤差<<傍点>>でしかない。それが何か大きな意味を持つことがあるなどとは、夢にも思わないのである。

 予想通り、イレニスも「地球人の個体差を利用する」ことは思いつかなかったらしい。ナーナリューズやロスハンは、これまでに、幾度も地球人の個体差について報告を出しているが、それでも、火星人たちの理解は進んでいない。

 イレニスのように地球人に関心の強い者ですら、やはり個体差がもたらすものを過小評価----ナーナリューズから見るとそう見える----している。今回は、それがあったからこそ、辛うじてイレニスを出し抜くことができたわけではあるが。

「なるほど、分かった」

イレニスは言った。必要な情報を得たイレニスが帰って行く。ナーナリューズは、席に着くと、今回の報告書をまとめにかかった。


 久しぶりに飲む酒が、身体中に染み渡る。

「うまいな」

シャハンがしみじみと言い、そうだろう、とホーファーが自慢げに胸を張った。

「知り合いが作っているんだ。結構人気で手に入れるのは難しいんだぞ」

「そうか・・・いいな、地球は」

「言ってみたらどうだ。『酒を飲みたいので帰ります』って」

「はは、いいな」

シャハンが上機嫌で笑う。Galaxiaが航行している以上、当分は帰れない。他のスタッフは規定の休暇で返すとしても、責任者たる自分が帰るわけには行かない----シャハンはそう思っている。何より、わかばのことが心配だった。ただ一人、宇宙空間を遠く旅している。せめて管制室にはいてやりたかった。

 酒が飲めないロスハンは、一人水をちびりちびりとやって二人の様子を面白そうに眺めている。

「飲めばいいのに」

ホーファーが言った。

「そうしたいのは山々なんだけどね、」

ロスハンは、ちん、とグラスを指ではじいた。

「ぼくらはアルコールに耐性がないんだ。うっかり摂取すると命に関わる」

「それは気の毒に。酒は浮き世の玉箒<<たまばはき>>ってね。飲むでもなく、うまいものを食うでもなく、何かに興じるでもなく。一体君らは、仕事以外で何をしているんだい?」

ホーファーが尋ねる。

「うん?ぼくらだって食べるよ。寝るし、それから・・・」

「そうではなくて、人生の愉しみというのかな。生命維持と仕事以外に何をしている?」

「特に何も」

「つまりなんだ、仕事のためだけに生きている、と?」

「そうだよ」

ひどくうれしそうにロスハンが笑う。

「やれやれ、1に仕事、2に仕事、3に仕事、か」

とホーファー。シャハンが苦笑交じりに言った。

「そういや、専識者の連中なんか、自分の仕事をしている時は嬉々としているもんな」

「そうか?いつ見ても仏頂面に見えるが」

「好まない仕事をさせてみろ。違いがすぐ分かるから」

「好まない仕事って何だ?」

「うーん・・・地球人の相手、とか?」

シャハンの言葉に、ロスハンが異議を挟んだ。

「それはちょと違うな、シャハン。人による。例えば、ぼくなら、君らの相手をするのはすごく、そうだな・・・君らの言い回しを使うなら、楽しい。でも、例えば電波の専識者連中なら、嫌がるだろうね。逆にぼくは、電波のことを考える方が嫌いだ」

「つまり、専門による、ということか」

ホーファーは、自分の知る火星人の記憶をたぐりながら言った。

「なら、ナーナリューズのような汎識者はどうなるんだ?」

とシャハン。

「汎識者だろうが専識者だろうが、基本は同じだよ。ぼくらは、それぞれ『存在理由』を持っている。それに必要なこと、沿ったことをするのは好もしいと感じる。でも、そうでないことや反することは、極力関わりたくない」

「ナーナリューズがさっきそんなようなことを言っていたな」

「うん。この『存在理由』君らが言うところの専門どころでなく、ずっと根源的で根本的なものなんだ。絶対的と言ってもいい」

ロスハンは、どこか遠くを見る風になった。

「君らには、分からないかもしれないな。例えば、電波の専識者たちは、電波研究のために・・・そう、地球式に言うなら、生きている」

ホーファーは、とても信じられない、といった様子で言った。

「それはそれは・・・また、なんだ、随分と大変だな。そこまで電波を愛せるものなのか?」

「愛、か。確かにそうも言えるかもしれないな。地球風に言うなら、だけど。いや、そんな言葉じゃ足りないかもしれない。むしろほとんど『自分自身』と同義、という方が近い」

「存在理由、と言ったな。ということは、まさかとは思うが、それが失われたら・・・」

「そう。ぼくらは死ぬしかない」

はっとしてシャハンとホーファーが息をのむ。火星人の「死」について話を聞くのは、二人とも初めてである。

「例えば、さ・・・どうしても、『存在理由』に完全に反する選択をせざるを得ない事態に陥ったら、その個体は死ぬことを選ぶ。そのくらい絶対的なものなんだ」

「ちょっと待て。ナーナリューズは、大丈夫なのか?反することをしたとか何とか言っていたが」

「彼なら大丈夫。確かに、彼にとっては好ましくない選択をせざるを得なかったけど、でも、彼は、それが自分の『存在理由』たる仕事を推し進める上で必要だと知っている。だからこそ、反する選択をあえてしたのだし、それに耐え得た」

「それならいいが」

シャハンは、まだ心配の残る風でつぶやいた。ふっくらとロスハンが笑う。

「ありがとう、シャハン」

おかしなところで礼を言われて、シャハンは思わず聞き返した。

「え?」

「なんでもない。まあ、君らが気にすることではないよ。これはぼくらの事情であって、君らには関係ない」

そうは思えないのだが。シャハンは思ったが、どうにも上手く説明ができない。と、ホーファーが横から尋ねた。

「なあ、その『存在理由』とやらは、それぞれに違うのか?」

「違うよ」

「君とナーナリューズも?」

「もちろん。そもそも、ぼくは専識者だし、彼は汎識者だ。気になるの?」

「気にならないわけがないだろう。君の『存在理由』は何だ?」

ホーファーが尋ねる。

「ぼくの『存在理由』はねえ・・・秘密」

にかっとロスハンが笑う。言うつもりはないらしい。

「ぼくのは秘密だけど、ナーナリューズのなら教えられるよ」

「おいおい、人のを勝手にいいのか?」

シャハンがあきれ気味に言う。

「本来、別に隠し立てするほどのものでもない。外から見えるものだしね。ナーナリューズは、火星と地球人の協調可能性を探り、可能であれば、その協調を推し進めるためにいる」

ロスハンの言葉に、二人はなあんだ、といった風になった。ロスハンが言ったことは、つまるところ、ナーナリューズが今こなしている仕事であり、その程度のことは、ホーファーたちもよく知っている。

「結局なんだ、火星人は仕事のために生きている、と」

どこかつまらなさそうにホーファーが言う。

「まあ、それも人生、なんだろうさ」

本人たちがそれで幸せならいいじゃないか。シャハンはそんなことを言い、ぐい、とグラスの中身をあおった。

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星野光の彼方 山狸 @yama_tanu

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