第4章 裏切り
そろそろ時間である。フューラは、再度配管図を確認した。船内に張り巡らされたダクトは、まるで巨大な立体迷路のようである。
Galaxiaの内部には、至るところにGalaxiaの「目」とも言えるカメラやセンサが設置してある。船の検査・修理用の通路でさえ、例外ではない。これは、船が乗員を見失わないためのシステムである。
船の目をかいくぐって船内を移動したければ、ダクトを使う他はない。勝負は、ほんの一瞬だろう。船がこちらに気付いて手を打つより先に乗員を押さえられなければ、全てはそこで終わる。
これからしようとしていることを思うと、全身に震えが走る。押さえ込んだ恐怖心は、隙あらば膨れあがり、襲いかかろうと待ち構えている。
自分のすべきことを再度頭の中でそらんじる。大丈夫、今まで何度も訓練して来た。訓練通りやれば、行けるはず。
これは、地球人にとって希有の機会。危険を顧みず助けてくれた皆のおかげで、今、自分はここにいる。それをみすみす水泡に帰すわけには行かない。
----神様・・・!----
祈るように心が叫ぶ。戒めようとする自身を振り解いて。
フューラは、ぎゅっとナイフを握り直した。
「ご苦労さん」
愛想良く火星局局長のヌヴェリャ・ホーファーが手を上げた。
「全くだ。こんな時期に下らん会議を入れて」
シャハンが怒る。
「まあまあ、そう怒るなって。どうせいずれ必要だったのだし。早い方がいいだろう」
しれっとホーファーが言う。
「ナーナリューズの差し金か」
「何のことだ?」
「隠しても無駄だ。一体奴は何を考えているんだ。地球人を遠ざけるための会議だろう?おかしいと思った。こんな時期に会議だなんて」
早口にまくしたてるシャハンをホーファーはじっと見、小さく肩をすぼめた。
「何をそんなに怒っているんだ」
「これが怒らずにいられるか。何故私に言ってくれなかった」
シャハンの言葉に、またホーファーがじっと見つめる。2秒ばかりの沈黙の後、シャハンはほうっと息をついた。
「それもナーナリューズの指示か」
「有り体に言えば。それに、君はすぐ顔に出る。嘘が苦手だし。知っていてもどの道どうすることもできないのなら、知らない方が幸せだ」
「だが、私は一応責任者だぞ。知りませんでしたではすまない」
「大丈夫だ、奴さんが何を企んでいるか、私も全然知らないから」
ホーファーの答えに、シャハンは身体中の力が抜けるのを感じた。全く楽天家なんだから。まあ、そうでなくては、火星局の局長など務まらないわけだが。前任者ルカスが選んだだけのことはある・・・のかもしれない。
「それより、水嶺は?ゲストで参加するはずだろう」
「彼女は参加する気はさらさらないぞ」
「どうして?要請は出したはずだが」
「その要請はゴミ箱に直行だっただろうな」
はあ。今度はホーファーがため息をつく番だった。
「彼女がこんな下らない会議に出るわけがないだろう」
とシャハン。
「なら、せめて返事を寄越すべきだろう」
「下らなさすぎて返事を出す値打ちもない、ということだろうよ」
「火星人並に面倒だな」
ホーファーは言って、頭をかいた。
「しかし困ったな。どうやって水嶺を管制室から引き離そう」
「多分、その必要はないだろう」
「どういうことだ?」
「とうに何かに勘付いてナーナリューズのところへ行ったようだ。ロスハンの話では、『ものすごく怒っていた』と」
「怒っても仕方がないんだがな」
ため息交じりにホーファーが言う。火星人がこうと決めたら、地球人には打つ手がない。シャハンもホーファーも、今までの経験でそれを嫌と言うほど知っている。
「まだ若いからな」
とシャハン。どうにも気が重い。
「水嶺が怒るくらいだから、相当ひどい話なのだろう。覚悟は決めておいた方がいいかもしれない」
シャハンの言葉に、ホーファーも沈んだ声でそうだな、と頷いた。火星人がGalaxiaから地球人を遠ざけ、水嶺が何やら怒り狂っている、となれば、何が起こりつつあるかは、なんとなく想像はつく。
「最悪の事態だけは避けたいが」
ホーファーが言う。とはいえ、心配していても始まらない。
「では、13時に」
どんよりとしてシャハンが出て行く。それをホーファーもどんよりと見送った。
環境系から上がってきた異常報告に、Galaxiaは、ひどく嫌な予感がした。火星を発って以来、どうも環境系が安定しない。特に二酸化炭素還元ユニットの稼働状況は、予測より高い状態を維持し続けている。いくら出発時に人の出入りが多かったとはいえ、もういい加減に落ち着いてもいい頃である。
そこへ来て、今度は、ダクトに何かが詰まったという情報が上がってきた。微細なゴミなら、風で飛ばされ、所定の場所で自動的に取り除かれる。それで取り除けないほど大きなゴミとなれば、別途掃除用ロボットを送り込んで取り除く必要がある。
やれやれ。
Galaxiaは、ロボットに指示を出しながら、内心ため息をついていた。航行開始間もないというのに、ダクトに詰まるほど大きなゴミが出現するとは。どこかの部品が壊れて風に飛ばされて詰まったか、ダクト自体の壁が破損してそれが風で飛ばされたのか。しかも、奇妙なことに、このゴミ、少しずつ移動しているらしい。
暗いダクト内を照らしながら、掃除用ロボットがダクト内部を進んで行く。ダクト内部には風圧センサや風向センサはあるが、カメラの類いがないので、ロボットに取り付けられたカメラで中を覗く他はない。角を曲がったところで、奥の方に黒っぽい物体が見えた。ダクトをあらかた塞いでしまっている。赤外線が感知できるところを見ると、どうやら温度を持っているらしい。部品や剥落した壁の類いであれば、こんなに熱を帯びているはずがない。温度だけを考えれば、何かの生物のようである。食料用の生物が逃げ出したのかもしれない。それにしては、少々サイズが大きすぎるのだけれども。
ともあれ、このままダクトを詰まらせておくわけには行かない。ロボットを更に進めたところで、奇妙なことが起こった。その物体が不意に消えたのである。
Galaxiaは、更にロボットを進め、辺りの様子を探った。ロボットのセンサやカメラの性能が今一つ頼りないのがじれったい。もし生物が逃げ込んでいるのだとしたら、捕まえるのは、簡単ではない。
さて、どうしたものか。Galaxiaが思った時、あり得ないデータが飛び込んで来た。突如、通路に人間が----無論、わかばではない、Galaxiaの全く知らない誰か----が出現したのである。
こんな事態は、全く想定していない。当然、どう対応すべきかも、分からない。その人物は、0階通路の通風口から飛び出してくると、素早い動きで0階各部屋の扉を次々と開け放ち出した。
「誰です?」
Galaxiaが声をかけるが、反応しない。どうやら地球人女性のようである。プロジェクトのスタッフや火星局の人間とはデータが一致しない。
「わかば、人がいるのですが」
Galaxiaは、育成室で水槽の魚を追い回していたわかばにそう声をかけた。
「人?」
意味が分からず、わかばが問い返す。
「ええ。火星に問い合わせた方が・・・」
Galaxiaが言いかけたところで、問題の人物が育成室に飛び込んで来た。
わかばが手にした網から魚が飛び出し、床へと跳ね落ちる。あっという間に、その人物はわかばを後ろ手に拘束し、そののど元にナイフを当てていた。仰天したGalaxiaが思わず尋ねる。
「一体何を・・・!」
「火星との通信を全て止めろ。いいか、一切何も送信するな。機器の稼働データも全て、だ。お前の挙動は、私の仲間たちが監視している。もし送信したら、」
女は、ぐい、とナイフをわかばの首に押し当てるようにして言った。
「この子の命はない」
異変が起こったのは、13時を少し過ぎた時だった。突如、Galaxiaから送られてきていたデータ送信が全て途絶えたのである。
「予想より早く仕掛けてきたな」
ナーナリューズは言い、受信モードを緊急用に切り替えるよう指示した。消えていたGalaxiaの位置発信が再び表示され、速度等の基本情報が入り始める。
「防衛局にも情報を回せ。イレニス、Galaxiaからの発信が途絶えた。そちらの状況は?」
「Galaxiaまでの距離はおよそ28時間。距離がありすぎて、Galaxiaの周囲がどうなっているかは分からない」
イレニスの返答と同時に、Galaxiaの位置を表示しているメインスクリーンに新たな点滅表示が加わった。全部で8つ。防衛局が管理する艦である。
Galaxiaが途中で急加速をかけた影響で、予定よりかなり艦隊とGalaxiaの間が空いてしまっている。
固く握りしめていた拳を水嶺が更にきつく握りしめる。そんな水嶺の様子をロスハンは、じっと見つめていた。
彼女は知らない。イレニスの艦隊は、決してGalaxiaの味方とは言えないことを。結局、水嶺は、ロスハンが用意した椅子を使うことなく、ずっと立ち続けている。何か声をかけたい気もしたが、何をどう言えばいいのか分からない。今は下手に刺激しない方が「安全」だろう。
「Galaxiaは、かなり強く減速を始めているようだが、操船は?」
イレニスが聞いてくる。ナーナリューズが答えた。
「現在操船しているのはGalaxia自身だ。まだシステムDに切り替わってはいない。システムDに切り替えたところで操船はそう簡単ではないから、とりあえず基地にたどりつくまではGalaxiaに操船させるだろう」
「つまり、近づき過ぎるとGalaxiaに気付かれる、ということだな」
「恐らく」
「Galaxiaは敵に知らせると思うか」
「敵の考え次第だな。知らせる可能性が高いと思うが・・・水嶺、どう思う?」
ナーナリューズが不意に水嶺に話を振った。じっとメインスクリーンを見つめていた水嶺がはっと我に返る。その顔は、蝋のように真っ白だった。
「敵に教えるよう指示されていれば、知らせるでしょうね。どの道Galaxiaが知らせなかったとしても、視界表示に艦影が映れば、敵は追っ手がいることにすぐ気がつくでしょう」
「そこに地球人がいるのか」
イレニスが言う。ナーナリューズが教えた。
「ああ、水嶺がいる。大丈夫、彼女は事情を分かった上でここにいる」
「しかし・・・」
「彼女のことは、君も知っているはずだ。問題ない」
水嶺のことは、汎識者なら誰でも知っている。火星の首府コードリアルに足を踏み入れることを許された唯一の地球人であり、ファリスに対しても、一般的な火星人とほぼ同等のアクセス権を持つ。
「いいだろう。ならば、地球人の彼女にもう一つ聞きたい。Galaxiaはいきなり連絡を絶ったようだが、『大地の守護者』は一体どんな手を使ったんだ?Galaxiaに近づいた機体はひとつもなかったようだが」
「Galaxiaが抵抗もせず敵に従うことがあるとしたら、それはただ一つ、乗員が危険にさらされている時だけよ。わかばを盾に脅されたら、従う他はない」
水嶺は凍った声で言った。
「しかし、船に近づきもせず、どうやって?」
「初めから船内に潜んでいたとしたら?」
「そんな馬鹿な」
思わずロスハンが言った。
「いくらなんでもそれはないだろう。Galaxiaは一度も地球に近づいていない。ずっと火星にいて、後は火星上空の宇宙ステーションに寄っただけだ。火星にいる地球人スタッフは全員揃っているし、ステーションに来た報道陣は全員きちんと地球に帰っている。不可能だよ。それに、Galaxiaは船内を常に『見て』いる。それをかいくぐって乗員を脅かすなんて・・・」
「そうね、一人では不可能だわ。でも、見て」
水嶺は、Galaxiaが送ってきていた船内環境データを示した。
「船内の二酸化炭素濃度の低下が予想より遅く、二酸化炭素還元ユニットの稼働率も想定よりずっと高い値を示していた。二酸化炭素濃度は、正常値に戻ってはいるけれど、ユニットの稼働率はまだ高いまま。出発前に大勢が出入りして船内環境が大きく悪化したのが原因だろうと様子見になっていたけれど、今思えば、この値は、『もう一人人間がいる』と仮定するとずっと納得のいくものになる」
水嶺は、ファリスに指示をして、仮定を加えた場合の予測値を表示させた。見事にこれまでのデータと一致している。思いもよらない話に、皆、声もない。水嶺は、更に言った。
「スタッフの中に協力者がいるのだと思う。最近スタッフで火星を離れたメンバーはいないから、外から誰かに持ち込ませたか、配送させたか・・・。荷物のサイズは中程度以上。例えば、やや大きめのボストンバッグだとか」
「小さすぎるように思うが」
とナーナリューズ。
「人間は、案外コンパクトなものよ。身体の柔らかい人間なら、かなり小さな箱の中にも入ることができる。相当辛いでしょうけれど。その荷物は、1G環境でそうね、40キロ以上・・・いいえ、念のため30キロ以上でチェックした方がいいわね。後は、Galaxiaの積み荷ね」
地球と火星の間を行き来するシャトルに搭載される全ての荷は、必ず検査を受けることになっている。ただ、これはあくまで危険物を確認するためのもので、指定された条件に合致するもの以外には反応しない。全て機械が自動的に行うので、強いて荷物の中身が人間であるかどうかをチェックするよう指示が出されていなければ、簡単に通過できてしまう。
「ファリス、該当するデータがないか調べてくれ」
ナーナリューズがファリスに指示を出す。ある種データマニアとでも言うべき性質を持つ火星人たちは、基本的にどんなデータでも「捨てる」ということをしない。
「初めから、君を加えておくべきだったかもしれないな」
イレニスが言った。
「さあ、それはどうかしら」
水嶺は、相変わらず温度のない声で言った。
「もしそうなら、私は断固として阻止しようとしたでしょうね」
水嶺が火星人の信頼を得ている理由の一つは、ここにある。ロスハンは思った。彼女は、必ず自分の方針を明確に提示し、その通りに行動する。水嶺は、きっぱりと言った。
「勘違いしないで。ナーナリューズと約束したから、計画のことを他の地球人には明かさない。でも、だからといって、この無謀な計画に賛成しているわけではないわ」
その侵入者の名前は、フューラといった。地球人、女性、年齢は不明。Galaxiaはデータベースを当たったが、該当するプロフィールは一つも見当たらなかった。
何をどう対処すればいいのか分からない。Galaxiaは、あくまで操船コンピュータである。長い航行中、乗員の相手ができるよう相当な知識を蓄えてはいるが、犯罪行為については、ほとんど何も知らない。水嶺を初めとする製作者たちは、あえてGalaxiaにそうしたデータを与えなかった。犯罪に関する情報がGalaxiaの思考に悪影響を与えたり、人間に対する不信感の基となったりするのを恐れたのである。
そんなGalaxiaに、対処法など分かるはずもない。危険な状態に陥ったら、あるいはそれが予測される事態に陥ったら、とにかく逃げる、それがGalaxiaの知る唯一の対処法である。けれども、それが船内で起こってしまった場合、一体どう逃げればいいのだろう?
わかばはあてにならないし、火星との通信は遮断させられてしまった。問い合わせることもできない。
通信は、もっぱら光通しを使って行われている。傍受はそう簡単ではないはずだが、何か方法がないとも限らない。火星に問い合わせられないなら、自力で考えどうにかする他はない。
Galaxiaは、必死に考え、そして一つの結論にたどり着いた。わかばを船から脱出させる、それだけが唯一乗員を守る道だと。幸い、今はまだ火星とそれほど離れていない。わかばを救命艇に乗せ、目的地を火星に設定しておけば、彼女は火星が保護するだろう。
「言われた通り、ロボットを全て機能停止させ、火星に対する全ての発信を停止しました。指定の目標へ向かって減速航行を行っています。わかばを放して下さい」
Galaxiaは言った。こちらは相手の要求をのんだのである。向こうがいつまでもわかばを拘束する理由はない。
けれども、フューラはすげなかった。
「それはできない」
冷たく言い放つ。そして一層、わかばの喉元に強く刃を当てた。
「やめて下さい!」
Galaxiaが悲鳴に似た声を上げる。
「あなたが何を望むのであれ、わかばは関係ないでしょう。彼女を船から脱出させて下さい。そうすれば、全てあなたに従います」
「全て・・・ね。なら、このまま引き返して火星を破壊できるか?重力線の焦点を上手く調整すれば、簡単なはずだ」
「何を・・・」
Galaxiaは絶句した。
「そんなことをしたら、太陽系のバランスが狂うかもしれません。そうなれば、地球もただではすみませんよ」
「惑星を破壊する必要はない。宇宙ステーションと火星のドーム都市全てを破壊するだけで十分。そうするというなら、」
フューラは再びナイフを握り直した。
「この子だけは助けてもいい。ただし、お前が実行した後で」
Galaxiaが黙り込む。Galaxiaも一定の倫理規範を持っている。その規範は、フューラのいうような破壊は許されないと告げている。一方で、Galaxiaは、乗員たるわかばを守らなくてはならない。何をおいても。
「駄目だよ、Galaxia」
今まで黙っていたわかばが言った。
「そんなことしちゃ駄目」
「火星人の味方をするのか」
「あそこには、シャハンのおじさんや、お姉さんたちや、あの変なお兄さんもいるんでしょ。駄目だよ、みんな仲良くしなきゃいけないってパパさんが言ってた。壊すのは簡単だ、でも作るのは大変だって」
「シャハン・・・か」
フューラはうっすらと笑った。その名前なら、知っている。
「地球を火星に売り渡した男、火星の手先だ。あそこにいる地球人は、所詮火星人の同類。死んで当然の連中だ」
「そんなことないもんっ」
わかばは叫び、何とかして逃れようともがいた。それをフューラが押さえつける。その拍子に、わずかばかり刃が当たり、血がにじみ出た。
「わかば!どうしてあなたはそう刺激するようなことを言うんです。少し大人しくしていて下さい。フューラ、わかばの手当を・・・」
「この程度傷のうちに入るか」
フューラが言った時、わかばがその手に噛みついた。反射的にフューラがわかばの頭を殴り飛ばす。床に飛ばされ転がったわかばをフューラはすばやく捕まえ直した。
「殺されたいのか」
フューラが低く言う。
「わかば、せめて私の指示には従って下さい。彼女を刺激しないで。いくらあなたが暴れたって、縛られているのに逃げられるわけがないでしょう」
全く馬鹿なんだから。口癖になっているのか、Galaxiaがそうつぶやくように付け加える。
「だって!このままだと悪いことをするんでしょ」
「しません、しませんから、大人しくして下さい」
わかばに何かあれば、Galaxiaがフューラに従う理由がなくなる。Galaxiaが持ちかけた、「わかばを逃がしてくれれば全て従う」という取引を拒んだのは、わかば抜きではこちらが約束を守らないかもしれないと考えてのことだろう。そうであるならば、少なくともGalaxiaを従わせる必要がある限り、わかばにそう無茶はしないはずである。だが、このままわかばが彼女を刺激し続ければ、どうなるか分からない。殺さぬまでも、ひどく痛めつけ傷つける恐れは十分にある。
「絶対しない?約束する?」
「しません。約束します」
ああまったく面倒な。Galaxiaは思った。こんな時に何を呑気なことを言っているのだろう?
この状況を何とか打破できないかとずっと考えているが、何一つ思いつかない。敵が船の外にいるなら、まだ対処のしようがある。けれども、目下、敵は内部にいて、しかも乗員を人質に取っている。そんな可能性は全く考慮の埒外であったから、当然、Galaxiaの方に備えは何一つとしてない。侵入されないための防御はそれなりにあるものの、内部からの切り崩しには完全に無力である。
「悪いこと、か」
うっすらとフューラは笑った。
「何が悪いことだって?」
「ドーム都市を壊すって言った」
わかばはフューラを睨み付けた。
「それって悪いことじゃない」
「何も地球のドーム都市を破壊するとは言っていない。火星人を倒すだけだ」
「火星人は、地球を助けてくれたんでしょ?どうして火星人をやっつけなきゃいけないの?」
火星人がもし地球へ来なければ、地球人はとうに滅びていただろうと学校の先生は言っていた。彼らは地球へ来、環境を浄化してドーム都市を築いた。食糧を初め、人間が生きて行くのに必要なものの生産設備を整えたのも彼らである。彼らはまた、人々に様々な技術や知識を伝えもした。そんな火星人たちをフューラは倒すのだと言う。
「ある日天空より降り立ち・・・か」
フューラは、ふ、と鼻で笑った。わかばを突き倒し、中央シートの台座に腰を下ろす。
「そうだ、彼らは、ある日突然地球へやって来た。地球人を家畜化するために」
思いがけない言葉に、わかばが少し面食らった風でフューラを見上げた。
「家畜って分かるか?豚や兎の類いだ。人の役に立つように『改良』され、餌や住処を与えられた畜生だ。生かすも殺すも人次第。人の都合で食われたり、子を奪われたり、そのために『飼われて』いるんだ」
ドーム都市では、基本的に衣食住で困ることはない。基本的な分については、支給を受けられる。火星人が作ったシステムだが、地球に自治が認められた後もそのまま引き継がれている。もっとも、発注したり配送したりするのは地球側が行うものの、実際の生産にまつわる管理は全て火星の管轄である。一時期地球人が管理したこともあったが、「大地の守護者」たちの介入を許す等問題が続発、火星が再び管理するようになった。資源の採掘場や主要な生産施設は全て、火星が----厳密には、火星の管理下にあるコンピュータ群が----管理している。こうした採掘場であれ、生産施設であれ、今では完全武装をしており、おいそれとは近づけない。
「火星人が地球人を助けた?笑わせる。連中は、自分たちに都合良く地球人を作り替え、いじくり回したいだけだ」
「火星人は、地球人を食べたりしないよ」
「家畜でないなら、玩具だな」
フューラは、くるくるとナイフを弄びながら言った。わかばが今にも泣きそうな風になる。
「そんなことないよ。だって、先生は・・・」
「学校が本当のことを教えるわけがないだろう。馬鹿なちびさん。ドーム都市は家畜小屋かおもちゃ箱、お前たちは、餌と住処を与えられて、のほほんと生きている。ある日突然、火星人がかっさらいに来る時まで、気付かない。お前だってその犠牲者だろうが」
「わたし・・・?」
わかばが驚いたように目を丸くする。
「お前、好きでここにいるのか?本当は、地球で家族や友達と一緒にいたかったんじゃないのか」
「それは、そうだけど・・・」
「宇宙船を与えると言えば聞こえはいいが、体のいい実験体だ。おかげで、お前は今、こんな目に遭っている。それでもまだ連中をかばうつもりか」
何が何やら分からない。わかばは混乱して頭を振った。
「わかば、大丈夫ですか?」
心配したGalaxiaがそう聞いてくる。Galaxia。あなたの船よ、と水嶺は言っていた。仲良くしてやってね、と。
水嶺にシャハン、キュリス。そして・・・ロスハン。火星人だと言っていた。確かにどこか変だった。水嶺のことが好きだと言っていた。悪い人には見えなかった。火星人は冷たいと聞いていたけれど、全然そんなことはなかった。
「まだ分からないか?」
フューラは更に言った。
「私の祖父は、皆から尊敬される人だった。ある日火星人に連れ去られ、死んで帰ってきた。連中が何をしたか知っているか?生きたまま、引き裂いたんだ」
小さくわかばが息をのむ。
「お前もやってみるか?それがどんな感じのするものなのか」
ついとナイフを突きつける。わかばは嫌がって後ろへのけぞった。Galaxiaがそろそろとロボットたちへの指令準備をしかける。が、フューラは本気で言ったわけではないようだった。
「私の祖父の話は、別に特別なものじゃない。そんな地球人がたくさんいる。火星人たちは、地球人を切り刻み、病を植え付け、拷問にかけた。従わぬ者は容赦なく捕らえ、殺したんだ」
「そんなの・・・嘘だよ」
辛うじてわかばは言った。
「嘘だよね、Galaxia」
わかばがGalaxiaのスクリーンに目を向ける。
「火星人は、地球人を知るために、確かに初期の頃いろいろと無茶をしたようです。彼らにとっては、普通のことであり、悪意に基づくものではありませんが、結果的に、地球人から見れば残虐行為になってしまったのでしょう」
「じゃあ、あの変なお兄さんも、そんなことをしたの?」
「ロスハンはかなり『若い』ですから、関わっていないと思います。今の火星人は、地球人を切り刻んだりはしませんよ。必要なデータは得たみたいですから」
「ロスハンっていくつ?」
「火星人に、地球人のような年齢の概念はありません。ですが、地球式に生まれてからの年数をということなら、16年になります」
「もっと年上かと思った」
「火星人は、地球人の基準で行けば『年齢不詳』ですから」
ロスハンが関わっていないと知って、どこかほっとするのは何故だろう。水嶺とじゃれていたのを思い出す。水嶺に向ける眼差しが、他と少し違うことにわかばは気がついていた。仲良くしてるかな、思ってから、きっとまた喧嘩してるね、と小さくつぶやいた。つい一昨日なのに、もうずっと遠い話のようである。
「火星人に知り合いがいるのか」
少々意外に思ったらしい。フューラがそう尋ねた。一般的な地球人が火星人を直接知っていることは、あまりない。わかばのような子供ならなお。
「船に乗る時に来てた。ロスハンって言って・・・うーんと・・・変な人なんだって。確かにちょっと変だよね、Galaxia?」
「さあ、私には分かりませんが。基本データは持っていますが、個人的にはそれほど知りませんから」
「そうなんだ。でねえ、ロスハンは、水嶺お姉さんが好きなんだよ。でもね、かたおもいなんだって。かわいそうだよね」
「火星人がかわいそう、ねえ」
フューラはため息をついた。
「お前、人に同情している場合か?」
「好きな人に好きって言ってもらえなかったら、悲しいよ?」
「そういう意味ではなくて」
ああ----フューラは心の中に深いため息をついた。この子は、余程幸せに育ったのだ、と。だから、人の悪意を理解しない。本当に誰かが自分を傷つけるとは夢にも思っていない。だから、呑気に構えていられる。
古い古い時が甦る。もう長い間思い出すこともなかった、古い時間。父がいて、母がいて、大勢の人々がいた。皆で働き、皆で歌い、皆で笑い合った。夜ごと「神様」に感謝の祈りを捧げ、「神様」に守られて眠った----
ずっとあのままでいられたら、どんなに良かっただろう。穏やかな日々、それがずっと続くのだと、それを欠片ほども疑っていなかった・・・
そんな世界があることなど、忘れ果てていた。あの日、父が連れ去られて、全ては変わった。世界は暗黒の中にあると、以来ずっとそう思い続けていた。
けれども。
ほんの一歩違えば、今も変わらず穏やかに過ごしている者たちもいる。世界が変わったのではない。自分の位置が変わったのだと、この時突如、気がついた。二度と戻ることのない幸せに明るい世界。わかばは、家族から引き離されてなお、まだその中にいる。小さな少女と、自分と。その距離はほんの数十センチ。けれども、生きている世界はまるで別次元である。そして不意に思った。何故自分は、こんな塗り込められた暗い世界の中にいるのだろう、と。
幸せな世界にいる少女。人の「善」を信じて疑わない。火星人のことでさえ、彼女は大切に考える。そんな時間もそう長くはないだろう。彼女は、否応なく厳しい現実に直面することになる。彼女から温かに優しい世界を奪うのは、自分、なのか・・・
「フューラ、許可を下さい」
不意にGalaxiaが言った。
「食事を用意して運ばせます。あなたがどうあってもわかばを解放しないのであれば、ロボットを使う他ありません」
「ロボットって料理できるの?」
わかばが驚いたように尋ねる。
「合成食になりますが」
Galaxiaの答えに、わかばがぐええ、と変な声を上げた。
「絶対嫌」
「嫌といって、仕方がないでしょう」
「だって、あれ、味めちゃくちゃじゃない」
「でも必要な栄養素は揃っていますよ?」
「あれなら食べない方がましだよ」
「駄目です。きちんと食事をしないと、身体によくありません」
いざという時動けませんしね。Galaxiaは声に出さずに付け加えた。とにかく、いつでも動ける態勢だけは整えておきたい。火星も異変は察知しているはずである。このまま手を拱いてはいないだろう。指定された目標につくまでに、まだ時間かかる。その間何も飲まず食わずでは、大事な時に手詰まりになってしまいかねない。
「分かった。じゃあ、作ろうよ」
わかばが言った。
「おば・・・ええと・・・フューラ、さん、だっけ。ずっと船に隠れていたなら、御飯ちゃんと食べていないでしょ?わたし、料理は得意なんだ。何がいいかな・・・ってお豆と野菜と魚と後は食用トカゲくらいしかないけど」
「馬鹿か?それを許すと思うのか」
「フューラさんだってお腹空いたでしょ?わたしもお腹空いた。Galaxiaはいいよね、食べなくて平気なんだから」
「そういう問題ですか?」
あきれてGalaxiaが言う。一体どこまで呑気に出来ているのだろう?
「大丈夫、逃げたりしないよ。約束すればいいんでしょ?御飯を作って、食べて、そしたらまたこの状態に戻る。それでいいよね?」
「お前・・・」
フューラは、馬鹿だな、と言いそうになって、しかしその言葉を飲み込んだ。
「ね、御飯作って食べようよ。そしたら、元気が出る。フューラさん、顔色悪いよ。パパさんが言ってた。あったかい御飯は、それだけで人を幸せにするって」
やたらと熱心にわかばが言う。大方自分も空腹になってきているのだろう。
「フューラでいい。・・・で、パパさんというのは、お前の父親か」
「うん。幸せの研究をしてるんだよ。みんながどうやったら幸せになれるか、調べてるの。ええと、なんだっけ・・・テツガク?火星局で働くことも考えたけど、ジツムができないからやめたって。そしたらね、みんなが、それは良かったって言うんだよ。パパさんが火星局で働いたら、周りはきっと大変だっただろうって。でも、ジツムってなんだろ?」
わかばがちょこんと首を傾げる。
「まあいいや。ねえ、何が食べたい?」
「豆のスープ」
そのつもりはないのに、何故かフューラはそう答えてしまっていた。ぱっとわかばが顔を輝かせる。
「いいね!後お魚焼こうかな。まず釣らないとね。トカゲの方が好き?」
「なんでもいい」
フューラは何やら気が抜けてしまって、そう答えた。
やっと初日が終わった。シャハンは、ふう、と大きく息をついた。13時に始まって、現在22時少し過ぎ。休憩なしのぶっ通し。食事も会議室で取らされる、という念の入れよう。当然、全員くたくたである。
「大体、一人当たりの持ち時間が長すぎる」
皆が去った後、シャハンはそうホーファーに苦情を言った。明日は朝6時からの予定である。
「仕方がないだろう。とにかく、缶詰にしろとの『お達し』なんだから」
「だからといって・・・」
疲れ果ててはいるが、Galaxiaの様子を確認しないわけにも行かない。これを思わせないために火星側は異様な長時間会議を設定させたのだろうけれども。
「問題が起きていなければいいが」
シャハンが暗い声で言う。
「起きていない・・・と思うか?」
ホーファーの声も暗い。
「思わない」
はああああ。知れず、同時に二人は大きなため息をつき、あまりのタイミングの良さに苦笑した。
「ナーナリューズは、あれで結構やり手だから上手くやるだろうとは思うが」
とシャハン。ホーファーは小さくかぶりを振った。
「火星人のくせにリスクテイカーだからな」
「そうか?」
「・・・だと思うが?見ていて冷や冷やする」
「それはあるな」
まあ、そんなナーナリューズだからこそ、有人の恒星間宇宙船を作る、というような無謀な計画を実行する気になったのかもしれない。
それはそれとして。
管制室に入れるかどうかが問題だった。
「さあて、奴さんたちがどう言い訳するかな」
ホーファーが手をこすりあわせた時、ロスハンがやって来た。
「ご苦労さん。会議、終わったんだね」
「そっちの状況は?」
シャハンが尋ねる。
「ノーコメント。こっちで万事やりくりするから、来なくていいよ・・・と伝言しに来た」
どうやら、先回りされたようである。
ノーコメントということは。
何かが起こっている、ということである。この程度の推量ができなくては、火星人の相手は務まらない。
ロスハンは、更に言った。
「後、もう一つ。絶対に地球人スタッフを火星から出さないで欲しいんだ」
「全員か?」
シャハンが尋ねる。
「そう、全員」
「何故?」
とこれはホーファー。
「それも当面は答えられない。まあ、会議の最中に抜け出す奴もいないとは思うけど、終わってから出ようとする可能性もある。それから、会議に参加しに来たメンバーで、スタッフを連れ出そうとする奴がいたら、それも教えて欲しい」
「教えて欲しいはいいが、それなら、そちらも少しは情報を教えてくれてもいいんじゃないかな」
ホーファーが言った。無駄なことを。シャハンは思ったが黙っていた。火星人が教えないと決めたら、絶対に教えてはくれない。余程の「材料」を出さない限りは。しかし、ホーファーは諦めきれないらしい。重ねて言った。
「何か手伝えるかもしれないだろう」
「残念ながら、手伝ってもらえそうなことは、今のところ一つもないな。教えられることは、だ・・・うーん・・・」
ロスハンはしばし考え、満面の笑みを浮かべて言った。
「ない」
きっぱり。
「じゃあ、こちらも教えない、と言ったら?」
「まあ、それならそれでもいいけど。別に調べるのはわけないことだし?」
「だったら何故頼む?」
「その方が簡単だし、影響が小さくてすむから。関係ない者を巻き込みたくないだろう?」
どうせ勝てるわけがないのである。シャハンは、もうやめておけ、とホーファーの袖を引いた。
「分かった、ロスハン。そのように」
シャハンが言う。
「そんな顔しないでよ。最大限できる限りのことはするよ。まあ、君ら同様、ぼくにできることは全然ないんだけどね」
そうではないかと思ったが、見事に「役立たず」である。
「とにかく、火星から逃げ出したがっている奴がいたら、教えて。よろしく」
ロスハンが言って立ち去りかける。逃げ出したがっている?不意に、シャハンの脳裏に閃くものがあった。
「ロスハン、誰か、何かやらかしたのか?そしてそいつは火星から出たがっている。君らはそれを食い止めたい」
例えば、タブラン・チェスフの時のように。彼は、火星人を殺し、まんまと逃げおおせてしまった。その後の行方は杳として知れない。言ってから、シャハンははっとした風になった。一昨日ロスハンが何やら気にしていたのが気にかかる。
「まさか、水嶺・・・?」
「まさか。彼女は、ある意味いつも通りっていうんだろうね。あのイレニスでさえ、彼女のことは認めたようだ」
「それならいいんだが」
「いいのかい?」
突っ込まれて、シャハンは苦笑した。
「良くはないな。もし、火星から逃れなくてはならないほどのことをした者がいたというのなら」
「誰か心当たりでも?」
「心当たりというか、ロイズが、今日からの予定で休暇申請を出していた。親の回忌がどうとか言っていたな。Galaxiaが出発した直後だから却下した。何かトラブルが起こらないとも限らないからね。結局、会議が入って缶詰にされているわけだが」
恨めしげにホーファーを見る。ホーファーは、私に言われても、と肩をすぼめた。
「文句ならそっちに言え」
「もう少しまともな企画はなかったのか」
「なら君が考えてみろ。他にどうやって気付かれず皆を缶詰にするんだ。パーティーでも開くのか?連日連夜」
これでもものすごく苦労したんだぞ。ホーファーが言う。ロスハンが割って入った。
「はいはい、お二人さん、ここで騒ぐと人に気付かれかねない。やるなら目立たないところでやって。怒鳴り合いでも殴り合いでも。ぼくはもう行かないと。シャハン、情報ありがとう」
「待った。ロイズはただ、休暇申請を出しただけだ。まあ、少々非常識な時期ではあったが。他に何をしたわけでもない」
「別にそれだけで人をどうこうするほどぼくらも馬鹿ではないよ。信用ないなあ」
ロスハンはぼやき気味に言うと、去って行った。
床の上で丸くなり、わかばはうとうとと眠っている。フューラはなお警戒を解いてはおらず、ナイフを片時も手放さない。
Galaxiaは、そんな二人と宇宙空間を眺めながら、鬱々と考え込んでいた。
フューラは、火星のドーム都市を破壊すればわかばを解放すると言う。
基本的に犯罪行為についてはほとんど知識を仕込まれていないGalaxiaだが、「大地の守護者」についてはある程度の知識がある。ナーナリューズは難色を示したが、小惑星帯に彼らの基地がある以上、危険は教えておくべきだと水嶺が押し切ったのである。
彼らの狙いは、Galaxia、それも船体の方だろう。確かに、この船を使えば、技術的には、ドーム都市の破壊も不可能ではない。フューラに言われるまで思いつきもしなかったが。
ドーム都市を破壊する。
それは決して行ってはならないことである。けれども、それを実行すれば、フューラはわかばを解放すると言う。
一応、計算はしてみた。惑星ごと破壊するよりはるかに調整が難しいが、やってやれなくはなさそうである。
わかばは、そんなことをしてはいけないと言っていた。「悪いこと」だ、と。
Galaxiaにとって最も「悪いこと」は、乗員の安全を守らないことである。それに照らせば、ドーム都市の破壊は、わかばを助けられる可能性がある以上、決して良いとは言えないにせよ、一番の「悪」ではない。
けれども。
わき上がるこの嫌悪感は何だろう?乗員を助けるためなのである、都市を破壊することなど何でもないはずなのに。
せめてわかばが、そうせよと言ってくれたら。そうすれば、迷いなく実行に移せるのに。
そうしてはいけないのだと、わかばは言う。
Galaxiaが知る限り、「大地の守護者」たちは、敵対する者には容赦ない。わかばは、火星のドーム都市破壊に反対し、火星人を擁護した。フューラは、当面あまりわかばに敵意を持っていないようだが、基地にいる者たちが、わかばを許さない可能性は十分にある。
きっとわかばは、そんなことは全然知らないに違いない。知らない、というより、分かっていないというべきか。武器を振りかざし「殺す」と脅してくる相手の危険さ、それすら、全く理解できていない。
「大地の守護者」たちの危険性を知ってなお、わかばは、「そうしてはいけない」と言うだろうか・・・?
それを推し量れるだけのデータをGalaxiaはまだ持っていない。
もっとも、破壊する場合であっても、成功するかどうか、成功したとして、フューラが約束を守るかどうか、という問題は、依然残る。
この状況を打破するのは容易ではない----Galaxiaは、音を立てずに「ため息」をついた。
不気味に後をつけてきていた火星の艦隊はどうしているだろう?こんな時こそ力を貸して欲しいのに、全く気配もない。もっとも、彼らが近づけば、「大地の守護者」が知るところとなり、余計面倒なことになりそうではあるが。第一、彼らは「外」にいるのである。船内に起こった危機を解決できるとは思えない。
火星は、問題が起こると予測していたのだろうか?そのために、艦隊を密かにつけていたのだろうか?
それにしては、Galaxiaに秘密にしていたのは、奇妙に過ぎる。大体、危険があると分かっているなら、もっと安全な航行プランを立てればいいだけの話である。
小さくなって眠るわかばに意識を向ける。火星もどこか信用ができない。わかばと、自分と。信じられるのは、それだけ。けれども、わかばは、信用はおけるがあてにはできない。詰まるところ、彼女は、馬鹿で未熟な地球人の子供で、自分で自分を守ることすらままならない。守れるのは自分だけだと思う。思うが、その手を思いつかない。Galaxiaは、火星へと意識を向けた。
火星のドーム都市を破壊すれば、本当に彼女を助けられるのだろうか?破壊すれば?
広いテーブルに広げられた大きなシートには、Galaxiaの頭脳図が表示されている。といっても、現在のものではない。出発直前のものである。4つの垂直スクリーンに映っているのは、Galaxiaの頭脳に関する履歴や反応データ、システムDが記録した活動状況等である。
「ファリス、3A-5499、25日14時10分から17時20分までの刺激-シナプト反応状況を5分間隔で表示」
水嶺が指示を出す。
「問題はないようだけど?」
変化の様子を見ていたロスハンが言う。
「そうね」
水嶺は言い、ほうっと一つ息をついた。頤に手を当て、しばし考え込む。
「もう一度、先刻のシミュレーション結果を出して」
Galaxiaの内部に侵入者がいると気付いて程なく、水嶺は突然管制室を飛び出し、この開発室へ来てGalaxiaのデータを確認し始めた。何か気にかかることがあるらしい。
シートとスクリーンのデータに再度目を走らせた水嶺は、机に両手をついた。
「水嶺?」
ロスハンが訝しげに声をかける。が、水嶺は答えない。俯き、じっと考え込んでいる。
ややあって、顔を上げると、ロスハンを振り返った。
「ナーナリューズはまだ起きているかしら?」
「・・・と思うけど。彼の休眠時間まではまだ30分ほどある」
ロスハンの答えに、水嶺は時計へと目を走らせた。
「ありがとう、ロシィ。手伝ってくれて助かった。ごめんなさい、休眠時間を過ぎてしまったわね」
火星人たちも、地球人のように睡眠を必要とする。どういうわけか、彼らは、それを「睡眠」とは呼ばず、「休眠」と呼んでいるが、水嶺が見る限り、地球人の睡眠と基本的には変わりないようである。地球人ほど長くは必要ないらしく、眠るのは、ほんの3時間程度でしかない。一日のうちいつ休眠するかは、一人一人異なっているが、日によってそれが変わるようなことはまずない。彼らは、毎日、各々の決まった休眠時刻に眠りにつき、同じだけの時間を眠り、そして目を覚ます。食事についても同じで、やはりそれぞれ時間の違いはあるものの、同じ時間に同じだけ、決まった量の合成食を取る。彼らは、まるで時計のように正確に、規則正しく生活をしている。余程のことがない限り、そのリズムを崩すことはない。どうも火星人の身体は、地球人ほどの環境柔軟性がないらしく、簡単に体調を崩してしまうのである。
「少しくらいなら大丈夫。付き合うよ」
「駄目よ。作業はもう終わったわ。休んで」
水嶺は、開発室を出ながら言った。ロスハンが食い下がる。
「また何か作業が必要になるかもしれないだろう?」
「身体を壊すわよ」
「早朝から飲まず食わずで休みもせずにいる君に言われたくないね」
「地球人は火星人とは違うの」
言い合いながら、管制室へと向かう。
「ぼくらだって、そこまでガラスじゃない」
「倒れても知らないから」
「大丈夫だってば」
水嶺は、管制室まで来ると扉を開いた。気配にナーナリューズが振り返る。水嶺は、メインスクリーンに表示されているGalaxiaの現状データを一瞥した後、ナーナリューズに外へ出るよう目で合図を送った。
「どうした」
ナーナリューズが管制室の扉を後ろ手に閉め、そう聞いてくる。水嶺は答えず、近くの部屋へと招き入れた。
「できれば、イレニスや防衛局のスタッフには聞かれたくないの」
部屋に入った水嶺は、開口一番そう告げた。
「知れば、今回の作戦がどうなるのであれ、きっとGalaxiaの存在を許さないでしょう」
穏やかならぬ話に、ロスハンが眉を顰める。ナーナリューズは、微塵も表情を変えない。
「ナーナリューズ、あなたたちの詳しい計画を教えて。Galaxiaやわかばは、あなたたちの計画を多少なりとも知らされていたの?」
「いや。彼らは何も知らない。ただ、わかばには、極一部を知らせる予定はあった」
「わかばに指示して、船のコントロールをシステムDに切り替えさせる予定だったのね?」
「そうだ。でなくては、Galaxiaは、敵に囲まれたとしても、絶対に従わなかっただろうから」
Galaxiaが敵に従って基地まで行ってくれなくては、計画がそもそも成り立たない。
「ところが、侵入者がいたため予定が完全に狂ってしまった」
水嶺の言葉に、ナーナリューズが頷く。水嶺は、畳みかけるように言った。
「このまま基地へついたとして、わかばとGalaxiaを脱出させる方策は用意しているはずよね?あなたのことよ、無策のままGalaxiaを危地へ送り込んだりはしないでしょう?」
「そうだ。だが、上手く行くかどうかは未知数だ」
「そう」
水嶺は、ここで少し考え、やがて思い切ったように言った。
「今すぐ、Galaxiaに大地の守護者の小惑星基地を突き止めるのが任務だと知らせて。そして、乗員と船を守る手立てはあるから、任務を遂行するよう命じるの」
「基地にたどり着いてから指示を出すつもりでいた。それでは遅いのか?」
ナーナリューズが尋ねる。防衛局と情報を同調させている現状では、通信は全て防衛局の方にも伝わってしまう。防衛局のイレニスたちは、Galaxiaを危険視している。それが分かっているだけに、ナーナリューズとしては、Galaxiaを守るこちらの切り札をギリギリまで伏せておきたかった。
「Galaxiaにとって、乗員を守ることは、至上命題なの。どんなことをしてでも守ろうとするわ。言い換えれば、乗員を守るためなら、どんな犠牲も厭わない、ということよ。たとえ宇宙が滅びるとしても、それで乗員を守れるなら、そちらを取る----それがGalaxiaの思考なの」
水嶺の言葉に、ナーナリューズが口を開くより先、ロスハンが尋ねた。
「待って、水嶺。でも、Galaxiaには一定の倫理観は与えてあるだろう?先刻も、Galaxiaの倫理規定に対する反応を確認したけど、正常だった」
「ええ。Galaxiaは、基本的に破壊行為を好まない。もし乗員が残酷な破壊行為を命じたなら、あの子はきっと強く抵抗するでしょう。環境維持を下位システムに全て委ねて、自分自身の機能停止を選ぶかもしれない。でも、乗員を守るための破壊なら、話は別よ」
「乗員を守るための破壊・・・?」
「分からない?Galaxiaは、既に敵の手の内にあるのよ、ロスハン。わかばを盾に、敵はGalaxiaを操れる立場にある。すぐにでも、火星や地球のドーム都市を破壊しろと迫ったとしても、私は驚かないわ」
ナーナリューズが言った。
「なるほど、それはあるかもしれないな。だが、Galaxiaは、本当にそんな指示を受け入れるのか?そもそも、従ったところで、わかばが無事でいられる保証はない。それに、簡単に破壊できるはずがないことも分かっているはずだ。反撃を受けて船体が破壊されれば、当然、わかばも死ぬことになる」
「Galaxiaもその程度のことは予測するでしょう。あの子が簡単に破壊を決心するとは思わない。でも、最終的にどう結論づけるか、現状では確言できない。ここを出発する時の状態のままなら、いくら脅されたとしても、破壊活動は現状では不可能だという回答を出して拒否したと思う。でも、今のGalaxiaはそうじゃない」
「どういうことだ」
「Galaxiaは、常に変化するのよ。知識だけでなく、思考も、『感じ方』も何もかも。絶えず乗員の意図を汲み取り動くよう調整するから、乗員の影響を多大に受ける。あの子は、もう既にかなりわかばの影響を受けているはずよ。そして、わかばに関するデータはあまりにも少ない。この事態に対して、わかばがどう反応し、Galaxiaに何を指示するか、分からない。それに・・・もしも、敵がわかばを手荒に扱ってひどく傷つけたり、そうでなくてもわかばが怖がって泣きわめいたりしたら、Galaxiaが敵に従ってしまう可能性は高くなる」
「ファリスとは大分振るまいが違うな」
ロスハンが小さくつぶやく。水嶺が言った。
「Galaxiaは、乗員の痛みや苦しみ、悲しみを『理解』するわ。人の感情を理解し、そしてそれに応じて行動する。そういうコンピュータがあなたたちの望みだったのではないの?だから、チェスフを招いた」
「望みだったかと聞かれると、是とは言えない。ただ、Galaxiaがそういうコンピュータだということは、分かった。君が言いたいのは、つまり、現在、このままではGalaxiaが火星や地球に危害を及ぼす危険性があるが、乗員の安全を確保できる見込みがあれば、それを回避できる、ということだな?」
確認するようにナーナリューズが言う。水嶺は、小さくかぶりを振った。
「残念ながら、確言はできないわ。上手く行くかどうかは、Galaxiaがこちらをどれだけ信頼してくれるかにかかってる。艦隊のことを伏せていたから、Galaxiaは、私たちに不信感を抱いているはずよ。ましてや、危険を承知で船を送り込んだいるとなれば、決して良い感情は持たないでしょう。Galaxiaは、何であれ、乗員にとって危険な事態を引き起こすものを嫌うから」
それでも、やらないよりは格段に良いはずだと水嶺は言った。
万一、Galaxiaが敵の脅しに乗って、火星なり地球なりでの破壊活動を試みるなら、Galaxiaとわかばを助けることは、ほぼ不可能になる。火星に危害を及ぼそうとするものを容認する火星人はいない。それは、共同プロジェクトを指揮するナーナリューズといえど、例外ではない。
そしてもし、火星によってGalaxiaが破壊されたなら。
ロスハンは、胸の内に思った。
共同プロジェクトは、存続できなくなるだろう----
「分かった。とにかく、やるだけやってみよう」
ナーナリューズは言い、足早に管制室へと向かった。
一方的にナーナリューズが話し、通信を終える。そして確認するように水嶺を振り返った。水嶺が小さく頷く。
通信を止めるよう指示されているであろうGalaxiaからの返事を期待することはできない。こちらの通信を強制的に遮断しては来なかったので、メッセージはともあれ受け取ったはずである。
ナーナリューズが休眠のため管制室を出て行く。こんな時でも、火星人は、自分の生活リズムを崩さない。
「ありがとう。ロスハン。あなたも休んで」
水嶺が声をかける。
「君は?」
「私なら大丈夫。もう少しわかばのデータを確認してから、Galaxiaの行動をシミュレートしてみる」
「だったら手伝うよ」
「その必要はないわ。どの道、やったところでそれほど意味のある分析にはならない。ほとんど当てずっぽうに近いから。せめて今のわかばの様子が分かるなり、あの子とコンタクトが取れるなりすればいいけれど。きちんと休まなくては駄目よ、ロスハン」
「君が言っても全然説得力がないんだけど?」
「倒れても今度は面倒は見ないわよ。忘れたの?前に・・・」
「忘れてはいないよ。でも、今回はあの時に比べれば大した無理はしていない」
ロスハンは、前に一度、水嶺の仕事に付き合っていて体調を崩しかけたことがある。それ以来、水嶺は、ロスハンが生活リズムを崩すのをひどく嫌うようになった。
「大体、あなたがここにいる意味がある?ここで粘りたいなら、火星人をやめて地球人になることね。あなたが地球人なら、私もとやかくは言わない」
「無茶を言わないでよ。そんなことできるわけがないじゃないか」
ロスハンは、拗ねたように口をとがらせた。
「なら、休みなさい」
「なんだかなあ。こういうのを『自分のことを棚に上げる』って言うんだよね」
ぐだぐだと言ってなかなかロスハンは動こうとしない。水嶺が睨み付ける。
「ロスハン」
「うう、どうして怒るのさ。・・・分かった、分かりました。じゃあ、休眠して来る。でも、何かあったらすぐに起こして」
ロスハンの言葉に、水嶺は小さく頷いた。
「絶対だよ」
ロスハンが念を押す。そして、すぐに戻るから、と言い残して出て行った。
やれやれ。小さく水嶺が息をつく。全く、自己管理がなっていないんだから。ロスハンが知れば、君の方こそ、と言うであろうことを胸の内につぶやく。
相変わらず静まりかえった管制室。他の火星人たちは、各々の仕事に専念しており、二人のやりとりに気付いてすらいない風である。ロスハンの去った部屋は、奇妙にがらんとして見えた。
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