第8話 神様はいつも見ている

 突然の声に先生は振り返り、驚いた顔のまま固まっていた。店内でくつろいでいたお客さんも一斉に私に視線を注ぐ。


 気まずさは半端ないものだった。イベントで飽きるほど衆目に晒されているこの身だが、ここはコスプレ会場でもなんでもないただのカフェだ。だがそんな雑念を振り払うように、私は声を張り上げる。


「私だって、先生とお付き合いしたいと思ったのは漫画がきっかけなんですよ」


 突然何を言い出すのか、先生は「へ?」と小さく声を上げて立ち尽くす。


「昔、好きだった漫画に『自堕落先生』ってのがあったんですが、それに出てくる先生がすっごく好きでした。で、そのキャラが藤谷先生にホントそっくりで、私いつも授業受ける時もずっと藤谷先生と自堕落先生を重ね合わせて見ていたんです」


 まっすぐに先生の瞳を見つめ、私はマシンガンのごとくまくし立てた。先生も客も店員も、誰一人口をはさまないのは気のせいか、それとも私が雑音をシャットアウトしているのか。


「私だって同じです、先生のことを好きになったきっかけはそんなんでした。でも授業受けている間に藤谷先生と自堕落先生とじゃ違う部分も見えてきて……自堕落先生に似ているからじゃなくて、藤谷先生一個人として憧れるようになっていったんです。じゃないとあの時、先生の告白に乗るわけないじゃないですか!」


 私が何を言っているのか、先生も十分に理解し切ってはいないだろう。だが驚きに丸まっていた先生の眼は既にいつもの優しい表情に戻り、まるでこちらの言葉一字一句すべてを受け止めようという気概さえも漂わせていた。


「謝るのはむしろ私の方ですよ。良くしてくれているのに先生のこと勘違いして、変に疑ったりして。私たちは付き合うまでに至る経緯がかなり特殊なだけで、嫌いになっていたわけではありません。これからはもっと、お互いに本心をさらけ出し合ってお付き合いしていきましょうよ!」


 思ったことすべてを吐露した時には、私は両肩で息をするほどに疲れ切っていた。


「東野……」


 先生はいつもの穏やかな微笑みを浮かべ――いや、よく見たら目が少しばかり潤んでいるような気がする――て、立ったばかりの席にすたすたと戻る。


 そして椅子を引いて座り直すと、にこりと今まで見た中で一番の笑顔で「ありがとう」と言ったのだった。


「ええ」


 微笑み返して応える私。だがふと気が緩むと、他のお客さんがこちらをちらちらと見ながらひそひそと話しているのに気付き、途端頭の先まで真っ赤になってしまったのだった。


「ちょっと場所を選ぶべきでしたね……」


 今さらどうにもならないのだが、顔を伏せて目の前の現実から逃避する。


 その時、私の視界に机の隅に積まれていた小さなチラシが飛び込み、気を紛らわすため思わず手に取ってしまった。だがふと読んだ内容のあまりのタイムリーさに、私は先生にチラシを見せてこう言ったのだった。


「先生、せっかくですしここ行きませんか?」




 新緑に囲まれた奈良公園、時折鹿の家族が顔を覗かせる舗装道を抜けると、突如立派な朱塗りの社殿が現れる。


 ここは春日大社、古都奈良の文化財として世界遺産にも登録され、建造から1250年もの歴史を誇る由緒正しき神社だ。


 そして同時に縁結びの神様としても有名である。大社の一角に鎮座する夫婦大國社には、大国主神と須勢理毘比売の夫婦神が祀られているのだ。夫婦で神様が祀られているのは全国でもここだけのようで、そのご利益にあずかろうと女性を中心に多くの人々が参詣している。


 私たちは本殿にお参りすると、すぐさま件の恋愛成就の御社に向かった。やはりパワースポットとしての評判は本物のようで、多くのハート型の絵馬や須勢理毘比売のシンボルである杓子が奉納されている。


 賽銭に5円玉を放り投げ、私と先生は同時に2礼2拍し、心の中で願いを唱える。


 最後に一礼した時にふと先生の横顔を見ると、言われようのない達成感に浸っているようなそんな顔をしていたのだった。


「何を願ったんですか?」


「かなえのことをもっと知れますようにってな」


「そんなの神様じゃなくて直接私に聞けばいいじゃないですか」


「そう言うお前は何を願ったんだ?」


「先生のマキナ好きが治りますようにって」


「ひどい言われようだな。だいたいマキナが好きでどこが悪い、言われてもどうにかなるものじゃないし、どうにかするつもりも無いぞ」


「やっぱり先生、女心わかってないですね」


 そう軽口をたたき合いながら私たちは並んで社殿を去る。だが、この時の私の胸の高揚は何物にも代えがたく、かつてないほどに高鳴っていた。


 ドキドキだのぎゅっと締め付けられるだのそういう表現とはまた違った、身体の奥底から活力が無限にみなぎってくるような感覚。心から本当に許せる人と一緒にいることが、こんなにも素晴らしいものだなんて。


 初夏の日差しが木々をすり抜けて木漏れ日を照らし出す。梅雨の季節も間もなくだが、これから雨が降るたびに春日山の新緑もより逞しく、より鮮やかになっていくことだろう。

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イケメン教師は教え子のコスプレにしか興味がない! 悠聡 @yuso0525

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