第7話 さらけ出そう本音

 先生と会ったのは土曜の昼過ぎだった。


 奈良国立博物館を目の前に佇むかわいらしい日本茶カフェで先に待っていた先生の顔は、なんだか憑き物が取れたような清々しさを醸し出していた。


「わざわざ来てくれてありがとう」


「いいえ。で、どのようなお話ですか?」


 すぐさま運ばれてきた抹茶のシフォンケーキとコーヒーに一口手を付けた私は改めて先生を見つめ直す。そして改めて、この人やっぱりカッコいいなと思うのだった。


 平静を保とうとしているが、今口に入れたケーキの味すらろくに覚えていないほど内心は不安でいっぱいだった。


 コーヒーをすすった先生は一息入れると、ためらいもなく話し出した。


「名残惜しいけれどれも、やはり俺が君と付き合ったのは早計だったと思う」


 あまりの予想外の展開に「へ?」と言葉を失ってしまった。


 なぜ? てっきり先生は謝ってこれからも付き合い続けてほしいとでも言ってくるかとばかり思っていた。まさか向こうから別れを切り出されるなんてこれっぽっちも思っていなかった。


 不意を突かれて固まる私に、先生は矢継ぎ早に話し続けた。


「本当ならちゃんとデートを重ねて、ステップを踏んでから付き合うのが妥当だったろう。でもお前が他の誰かに先に取られるんじゃないかと思うと怖くて、あの場で告白してしまったんだ。本当にお前には迷惑をかけてしまってすまなかった」


 そしてぺこりと頭を下げる。この展開を期待したはずなのに、突如なんだか異様な罪悪感に襲われ、私は「あの、頭を上げてください」と慌てて返してしまう。


「先生のお考えは分かりましたが……じゃあ、私だから付き合おうと言ったのですか?」


「コスプレしたお前に好意を持ったのは紛れもない事実だ。だが初めに見たときはまさか東野だったとは気が付かなかったよ。実質一目ぼれのようなものだな」


 普通ならこっぱずかしくて使わないような単語を平然と言ってのける。


 けれども私はああ、やっぱりと胸がぎゅっと締め付けられるように痛んだ。やっぱりこの人はコスプレした私しか見てないんだ。


「それじゃあ先生、もし私よりマキナの格好が似合っている子がいたら、そっちに告白していましたか?」


 イラついた様子で、責めるように訊き返す。


「いや違うよ。俺はお前だから付き合いたいと思ったんだ」


 きっぱりと断るものの、こんなのは予想の範囲内だ。私は間髪入れず「なぜですか?」と問い質した。


 実を言うと私はあれこれと理由をつけて自己弁護をする先生の姿を見てみたいと、少しばかり意地悪なことを考えていた。コスプレ衣装のままコンビニに突撃してしまったのはまあ私のせいだが、その原因は元はといえば先生にあるのだから。


 だが先生はしばし「うーん」と考えると、あまりにもあっけらかんと答えたのだった。


「なぜって言うと的確には答えられないな。昔から東野が生真面目で努力を惜しまないところ、周りと円滑に話しを合わせながら自分のやりたいことを貫くところ、家庭科の実習で作ったケーキを職員室まで持ってきてくれたところ、コスプレ好きで話が合いそうなところ。そういうのを全部ひっくるめて好きだ、付き合いたいって思ったんだ。イベントでの出来事は最後に背中を押すきっかけみたいなものだな」


 なんだかもやもやする答えだった。私はてっきり先生が「お前のここが好きだ、あそこも好きだ」と必死にひねり出してくるかとばかり思っていたが、期待が外れて肩透かしを食らった気分だった。


 だけど、そう期待通りに答えられるより幾分か嬉しくも思っていた。コスプレも含め、私というひとりの人間を好きになったんだと素直に言い切ってくれたのだから。例え嘘であったとしても気分は悪くない。


 やっぱりこの人、根は善人なんだなと改めて感じ入る。だがそんな私を置いてけぼりに、先生はコーヒーを飲み終えると苦々しく続けたのだった。


「だけど東野に嫌な思いをさせたのは事実だ。俺は彼氏としてダメだな。本当にごめんな、好きでもないのに無理矢理付き合わせてしまって」


 先生の言葉に私は妙な引っ掛かりを覚え、ふと視線を逸らしてしまった。


 先生が私のことを好きでいてくれているのは十分に伝わった。そして先生が私をマキナコレクションのひとつとしてでなく、東野かなえというひとつの人格として好いていることも。


 それなら、私自身は先生のことをどう思っていたんだ?


 好きでもないのにだって? いや、そんなはずはない。テンパっていたとはいえ好きだからこそ付き合うのをOKしたのだ。高校時代の人気ナンバーワン教師に告白されて嬉しくないわけがない。そうだ、何せ先生は憧れの……。


 その時、私は頭を強く殴られた気分だった。


 私が先生と付き合おうと決心したきっかけを思い出すと、結局私も先生と同じようなものだったことにようやく気付いたのだ。


「本当に名残惜しいけど、ありがとう。短い間だったけど、最高に楽しかったよ」


 女々しいな、俺。そう自嘲するように笑いながら、先生は手元にお茶代の千円札を2枚すっと置くと、すぐさま席を立つ。


 このままだとダメだ、私は一生後悔する。直感だがそんな気さえもした。


 それもそのはず、去り行く先生の後ろ姿は私がかつて憧れていた『自堕落先生』と完全にかぶっていたのだから。


「待ってください!」


 他のお客のことなどかまっている余裕などなかった。気が付けば私は席から立ち、先生を呼び止めていた。

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