32-1.そういう運命なんじゃありません?
私は激怒した。必ず、かの邪知暴虐の修正力を除かなければならぬと決意した。私には恋心がわからぬ。私は、メンタル硬度二である。来世はマンチカンとなり、可愛い幼女と遊んで暮らしていきたい。けれどもガチ百合パイセンに対しては、人一倍に敏感であった。
「宝生寺さん、大丈夫? 」
体格差があるが故に少し身をかがめて覗き込んでくる王子系クォーターフェイス。その整った顔面に、全体重を乗せた拳をめり込ませてやりたいと思ったことはあっただろうか。
「ねぇ雪城くん。私考えたのだけれど、私の誕生日が広まったのは、誕生日を理由にクラス委員を押し付けられた話が広まったから。あれがなければバラは置かれなかったと思うの」
「そうだね」
「私は辞退を申し出たわ。私などと一緒では、委員長の志村くんがやりにくくて可哀想だと思ったもの。そう、あの時言いましたよね」
「……そうだね」
「あのままいけば私はクラス委員にならずに済んだかもしれない。なのにどこかの誰かさんが余計なことを言ったせいで、一気に場の空気が変わり、引き受けざるを得なかったわ」
「…………そうだね」
「その誰かさんは、どなただったかしら?」
「……………………僕だね」
「首を差し出しなさい」
修正力の前に貴様を除いてやる。
我が宝生寺家の蔵に眠る日本刀の錆にしてやる。
折り紙つきの名刀だ!スパッと一刀両断、首級を挙げてくれようぞ!!
「透也。お前ってなんでそう、桜子の地雷を踏むのがうまいんだ」
「そういう運命なんじゃありません? 潔く諦めたらいかが?」
「こういうのをバタフライ効果というのねぇ」
「蝶どころかモスラ目覚めさせちゃった感あるけど」
大丈夫なのコレ?、と世良先輩は言うけれど、これっぽっちも大丈夫じゃない。
副委員長にさえならなければ誕生日情報は出回らず、赤薔薇事件なんて起こらなかった。あの時にこの男が推薦するようなことを言わなければ!!────と思う一方で、冷静な自分もいた。
座り慣れたソファーの背もたれに体を預けて、ふうっと深く息をつく。胸に溜まった諸々をまとめて追い出せば、自然と頭も冷えてくる。
「とはいえ、後輩にバラを百本贈る人がいるなんて、まともな者には理解も想定もできないものね……」
しかし前世の記憶がありまともではない私は、修正力に気づいた時、これまで避けまくっていた側近キャラと嫌でも関わることになるかもしれないと頭の片隅で考えていた。
あのクラス委員決めそのものに修正力が働いていたのか、はたまた副委員長を押し付けられたことを修正力に利用されたのか。
そこまでは分からないけれど、ガチ百合パイセンこと寒鳥様との関わりは宝生寺桜子として仕方がないこと。なるべくしてなった事態だ。
「それに誕生日が広まったことそのものは、そう悪いことではなかったのだから。雪城くんに責任なんてありはしませんね」
「本当に許してしまってよろしいの、桜子様?」
来栖川さんは薄く笑うと、「いい機会ではありません?」と首を傾げた。
「誕生日が広まったことで、茶道部の子達と関わりができてお茶会に誘われた。おかげで来栖川さんとお茶ができた。ほら、損なんてしていないわ」
野点に誘ってくれた茶道部員。岩下さんと前野さんの名前は、彼女達が手渡してくれた誕生日プレゼントで知ることができた。
それがなければ名も知らぬただの同級生。たまたま廊下ですれ違いざまに挨拶を交わしただけ。野点に誘ってもらえなどしなかっただろう。
副委員長を押し付けられ誕生日情報が広まったからこそ、これまで遠かった彼女達との距離がほんの少しだけど縮まった。
私にとってお得な連鎖。椅子に座っただけで、ピタゴラ装置が動いて目の前にケーキが運ばれてきたみたいなものだ。
「それとも来栖川さんは、私とお茶をするのはお嫌だったかしら?」
同じように首を傾げて微笑みを返せば、来栖川さんの形のいい眉がピクリと動いた。
「……卑怯な言い方だわ」
「先日のお返しよ」
むうっと来栖川さんは軽くむくれて黙り込む。普段ツンと澄まし顔が多く、あまり表情の崩れることのない彼女のそれはかわいいの一言に尽きた。
「でも桜子ちゃんは気にしなくても、横の彼はそうはいかないみたいだよ」
世良先輩の指摘に従い横を見る。
「あらあら秋人、そうなの? 私自身が気にしていないのだからいいじゃないの」
「逆だ、逆。それは俺にじゃなくて逆向いて言え」
「花の贈り主だって証拠がないもの。解き明かさなければ、妖精さんが置いていったという説が永遠に存在するわ」
「その頭のゆるいファンタジー説も後ろのに言え」
「小さいおじさん説もあるわ。学園の敷地内に生息してる小さいおじさんの群が運んできたの」
「単体じゃなくて群かよ」
「壱之宮君、桜子ちゃんのペースに飲まれてるよ」
話題のすり替えに失敗した。なんてことをするんだ世良先輩。
はたと我に返った秋人は、あごで後ろを見ろを促してくる。
「えぇ〜……」
やだよぉ、相手したくないよぉ。
あれ? 超局地的に重力増した?、って思うぐらい空気が重いんだもん。
さっきから一言も発していないし、かろうじて視界の隅っこに見えた姿は、いつぞや見たロダンの考える人状態なんだもん。
また地獄の門を見つけたのか。そこは地獄の一丁目。通るためにはすべての希望を捨てなきゃいけないんだぞ。
「妖精さん説と小さいおじさん説、どちらがお好みですか? おすすめは笠地蔵説なのだけれど」
下を向かれてしまえばこっちだって覗き込まなければならない。あいかわらず腹立つぐらいお綺麗な顔していやがる男だ。好みじゃないけど。
その顔面と家柄なら勝ち確。たいていのことはどうにかなる人生勝ち組なんだから、希望を持って生きてこ? 私、生首に興味ないから大丈夫よ??
「笠地蔵説だと、やっぱり君がどこかで何かやらかしたってことになるね」
「やらかしたのはあなた。私にきたのはそのしわ寄せです」
「……フォローする気ないだろう」
「さあ? どうかしらね」
私が身を引くのと同時に、雪城くんは上体を起こして息を吐いた。
「贈り主は誰であれ、置かれたきっかけをつくったのは僕だ。言い訳のしようがない」
「結果論でいえば、そうなってしまいますね」
そこについては否定できない。
「でもあの時点で、花が置かれると想定できました?」
その答えもまた──できない、だ。
自分がどういう存在で、どういう人からどういった感情を持たれているか。
すべてが漫画通りではないにせよ。それに近い状態であると分かっていた私にすら、百本のバラなんてパンチの効いた品が机に置かれるなんて想定できなかった。
そんなヤベェことをするヤベェ奴が同じ学校にいるなんて、あの日まで誰一人、想像もしていなかっただろう。
「あなたが花を処分してくれたと聞いて、これでも私、すごくホッとしたのよ。ですのでそれで十分です」
と言ったところで、この男には意味がないのだろう。そのあたりはこれまでの経験、少し前の釣り合いうんぬんのくだりで学習済みだ。
すると案の定「でも……」と見せなくていいねばりを見せる。
分かってはいたけど折れとけよ、ここで。本人が気にしてないって言ってるんだからねばるな。律儀が一周回って面倒くさいに変わってるよ。
まあ、自分は無関係だと悪びれずにいるよりもずっと好ましいけど。
「仕方がありませんね」
被害と思っていない被害者が、加害者でもない人に譲歩。どう考えてもおかしな状況だ。
でもお咎めなしを撤回しないとこの場が収まらないのだから、私が折れるしかなかった。
「どう言っても気にするというなら、手を出してください」
「手……?」
「首でもかまいませんよ」
「いや、首はちょっと」
差し出した手のひらを揺らせば、おずおずと私のものより大きい手が重なった。
重さはほとんどない。たぶん何をされるか警戒して、いつでも引っ込められるようにだろう。
「今回は誰にも想定できなかった事態ですし、悪いことばかりではなかったので気にしておりません。ただし、次に同じようなことがおきたら……」
逃げられないよう、その手の甲にもう一方の手を添えて、にっこり微笑むと──
「あなたがフランスに婚約者がいるのに恋人募集中だと、SNSに拡散希望で投稿しますので。ゆめゆめお忘れなきよう」
──思いっきり、つねった。
力いっぱい。躊躇なく。これまでの恨みつらみ、具体的には例の十九回の確認の憎しみを込めて。さっき秋人にやったよりも三倍の、雑巾の水を一滴残らず絞るが如くギチギチと捻り上げた。慈悲などない。
ありがとう来栖川さん。たしかにいい機会だったわ。
情け容赦ない痛いにくぐもった呻き声が聞こえたがやめるものか。貴様に対する怒りはこの程度では収まらぬわ、この平穏な日常の破壊者め。
「桜子様、鍵アカじゃありませんでした?」
「い、今それ……っ……!」
「全体公開にするのもやぶさかでないわ」
「宝生寺さ……ちょ、いつまで……」
「やぶさかであれよ。なんで一回消した噂をもう一回流すんだ」
「これ、秋人お前これっ、よく耐え……!」
その時、朝のホームルーム開始十五分前を知らせるチャイムが校内に響き渡った。
スピーカーのある天井をつい意味なく見上げてしまう。だが手は止めないし、苦悶の声なんて私の耳は受け付けない。
「そろそろ許して差し上げて桜子様。雪城様も理解されたようよ?」
「ていうか、あらゆる意味でいっぱいいっぱいになってて可哀想だよ。予鈴鳴ったし、ほら一時休廷」
先輩二人に言われてしまっては仕方がない。ぺっと捨てるように雪城くんの手を解放した。
花の犯人が誰なのかは不明なままだけど、第一容疑者である人物が私の周りをうろついていることは事実だ。わざわざ伝えてくれた来栖川さんや先輩達にお礼を言って、その場は解散。各教室へと散った。
授業中、はてさてと私は授業そっちのけで考えた。
赤薔薇事件のあった誕生日の頃は、まだ修正力の存在には気づいていなかった。けれど気づいた今、改めて考えれば犯人は絞れる。
側近キャラは四人いる。つまり容疑者は四人。
そのうちの一人、最も可能性が高いかつ最も関わってはいけない人物は、現在成瑛の高等部にいないことは把握済み。
高等部の正門と裏門には守衛室、敷地内には防犯カメラが複数設置されている。部外者が誰にも見つからず敷地に入り、さらに私のクラスと席──席替えをして二年で唯一出席番号順ではない──を把握するのは不可能だ。よって白、除外。
次に三年男子と一年女子の二人についてだ。
この二人はたしかに側近キャラだったけど、少し事情があって宝生寺桜子のそばにいるキャラクターだった。どちらもバラを置くような性格はしていない。
そもそも挨拶すら交わしたことのない、ごく稀に廊下ですれ違うことがある程度の赤の他人だ。敷地侵入は可能だけど二人も白だろう。
そうなると最後の一人が、寒鳥緋鞠だ。
他の三人と違って、彼女とは紫瑛会に選ばれるほどの良家のお嬢様同士として、どうしても顔を合わせたり挨拶を交わしたりする機会があった。断じて親しくはないけど、初等部の頃から顔見知りではある。
お金持ちのお嬢様なら、五万の花束ぐらい余裕で買える。
在校生なら校内に入り放題。部活をしていれば後輩との繋がりがあり、二年である私のクラスと席を把握することも不可能ではない。
「んー……」
三時間目である数学の小テストを解くフリを続けながら、シャーペンをくるりと回してさらに考える。
……いやもうホント、考えれば考えるほど疑惑が深まっていく。ライトグレーが漆黒へと変わっていく。
なにせ相手はあの、側近キャラとはいえあまりにも宝生寺桜子至上主義だったせいで、少女漫画ファンからガチ百合パイセンとあだ名を付けられていたぐらいのキャラクターだ。
崇拝する桜子様のためであれば、なんでもする。その顔を曇らせるものがあれば、その存在を排除する。
それが『ひまわりを君に』の悪役令嬢の側近の一人、寒鳥緋鞠だ。
修正力によって漫画通りになり始めているのなら、バラの花束ぐらい当然のようにやってのけそうである。
おのれ修正力。お前が存在するせいで、私は誕生日の朝に戦慄する羽目になったんだ。しかもストーカーに跪かれてプロポーズされ、ショックのあまりぶっ倒れて保健室に運ばれたなんて尾ひれのついた噂を流されたんだぞ。
それを聞いた遥先輩と世良先輩が、心配して様子を見に来てくれて。三年生にまでご心配おかけして申し訳ございません、という気持ちでいっぱいだ。
……………………あ、れ?
それっておかしくない?
修正力が働いた結果、寒鳥様がガチ百合パイセン化したのなら……?
それに修正力には『人の感情は操れない』と少し前に結論づけた。そうでなければ私は春原くんと連絡先を交換するような間柄にはなっていない。この結論が正しいとすれば……。
「はい、そこまで。一番後ろの席の人は、自分の列の分を回収してー」
数学教師の声に、ぷつんと思考の糸が途切れてしまった。それまで張り詰めていた教室の空気が途端に和らぎ、動き出す。
指示どうりにすべてのテスト用紙が教卓に集まると、ちょうど終業のチャイムが鳴った。
「桜子様、いかがでした? 私どうしても最後の問題が解けなくて……」
机の上を片付けていると、ぐったりとした様子の南原さんがやってきた。
周りを見れば他にも出来を確認し合うクラスメイトがちらほらといる。
「最後の問題は応用問題だったものね。一応すべて埋めたけれど、私もあまり自信がないわ」
本当は最後の問題だけじゃなくて、別のことばかり考えていてろくに見直しもしていないから、全体的に自信がない。
苦笑いで誤魔化していると、棟方さんが「最後だけならいいじゃないですか」と言葉と一致しない晴れやかな笑顔でやってきた。さてはこの子、すべてを諦めているな。
「足し引きと九九ができれば生きていけると思うんですよね、私」
「せめて割り算もできてちょうだい。そういえば北園さんと傘崎さんは?」
「ああ、あの二人なら日課ですわ」
「日課」
頷く二人に、私は理解すると同時に頭痛を覚えた。
あのストーカーコンビ、姿が見えないと思ったら、また秋人と雪城くんを追っかけていったのか。よくもまぁ飽きることなく毎日やるね。
「毎回まかれてしまうのでしょう? それって楽しいのかしら?」
「悔しいけどそれがいいと、前に言ってましたわ」
「いつか隠れ場所を突き止めてみせる〜とも言ってましたね」
「……楽しそうで何よりだわ」
というか秋人も雪城くんも行方不明なら、こっちのストーカーについての推理を誰に聞いてもらおう。
さすがに南原さんと棟方さんには言えないし。来栖川さんのクラスは、たしか次が体育のはずだから、着替える時間を奪うわけにはいかないし……。
ならばここはひとつ、勝負に出るとしよう。
「ごめんなさい。私少し、三年生の教室に行ってくるわ」
「えっ?! 三年生ですか?!」
席を立つ私に、棟方さんは「それは……」と戸惑いを見せる。
お茶会に出席しているし、今朝も彼女が寒鳥様に応対していたと来栖川さんから聞いている。三年生と聞いて、あの胸焼けのするあだっぽい顔を思い出してしまったのだろう。
「大丈夫よ。神田遥先輩と少し話して、すぐに戻るつもりだから。ただもし今朝と同じことがあれば……」
「任せてください。先生に呼ばれて職員室に行かれたと言います!」
「ありがとう、助かるわ」
それと同時に変なことをお願いしてしまうことを謝って、私は足早に教室を出た。
バラの犯人は寒鳥様ではない。
会ってしまうリスクはあるが、蛇の道は蛇という言葉もある。
その考えが間違っているか否か。知恵を借りるため三年生の教室へと向かった。
桜子さまは儚くない 三崎かづき @kaduki08
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