31-2.諦めてくださらなかったのね
談話室のある本館から渡り廊下を使い、西館のカフェテリアへと向かう。
朝から秋人に呼び出されるなんて、絶対に面倒なことが起きたに決まってる。
少女漫画ではこの頃どんなイベントが起きたっけなぁ。ゴールデンウィークの初デート回の後だから〜……と、思い出しながらカフェテリアの二階席へと上がるが、その顔触れに首をかしげることとなった。
「えぇっと、これはいったい何事ですか?」
いつもの窓辺のテーブルに秋人がいるのは当然だ。むしろいないと「はあ?呼んどいてどこ行きやがった」となる。
問題はそこからだ。
「ごきげんよう桜子様。ご無事でなによりですわ」
「図書室に姿が見えないから心配したわ」
「いやいや遥、今日の場合は図書室にいないから無事なんだよ」
来栖川さんに遥先輩に、世良先輩まで……。
朝のカフェテリアで見かけることなど滅多にない三人が、当たり前のように秋人と共にテーブルを囲んでいた。
なにより最大の疑問は、秋人がソファーの背に深むもたれ、なにやらぐったりと疲れた様子でいることだ。
もう一度言おう。これはいったい何事ですか?
「無事というのは?」
「まあまあ。とりあえずこっちに来て座りな」
世良先輩は幼児でも呼ぶかのようにおいでと手招きする。どうやらこの場を取り仕切っているのは彼らしい。
私は素直に従い、いつも座っている三人掛けの猫足ソファーに腰を下ろした。ふわっとしながらも安定感のある座り心地は、身体によく馴染む。すごく落ち着く。
「桜子ちゃん、ここまで一人で来た?」
「え?ええ、すれ違いざまに挨拶を交わしただけで、どなたとも一緒ではありません」
「神出鬼没の徘徊癖が功を奏したってわけだ」
「はい?」
徘徊?え、徘徊って言われた?
幼児のように呼び寄せられた次には、老人のように言われた?
「世良先輩……いえ、もうこの際秋人でも構わないわ。説明してちょうだい」
「お前が大嫌いな面倒ごとが起きた」
「その内容を教えてと言っているの。説明は来てからすると、あなたが電話で言ったでしょう?」
「…………」
「なぜ黙るの?!」
言い知れぬ恐怖を感じ「ねぇどうして?!」と肘掛けに乗った腕を叩いても、どういうわけは秋人は何も言ってくれない。
それどころか珍しいことに、気まずそうに視線を明後日の方へ向けるだけ。腕を引っ張ろうが叩こうが、どさくさに紛れて日頃の恨みを込めて手の甲をつねってもされるがままだ。
「来栖川さん、遥先輩。いったい何があったのですか?」
「この様子では本当に何も気づいてらっしゃないですね。どうしましょう遥様」
「こういうところが見ていて楽しいのだからいいんじゃないかしら?」
「お願いですから誰か私と会話をしてください……!」
ここまでくると、呼んだはいいが言うのも避けたいぐらいに面倒なことが起きたに違いない。
ア゛ーーーーもう嫌!次から次にあれやこれや!やっぱりちょっとぐらい八つ当たりしたっていいんじゃないのぉ?!
「桜子おま、痛ッ、いつまでつねって……」
頭を掻きむしりながら叫び出したい。しかし公衆の面前で実行するわけにはいかないので、幼馴染みの手の皮膚をむしり取る勢いでギチギチとつねることで発散した。
その時、世良先輩が「おっ」と声をあげた。
「やっと来たね」
待ってましたとばかりな先輩が見ている方へ目を向ける。
するとそこには、階段を登りきったばかりであろう雪城くんがいた。
こちらの顔ぶれを見て、驚いたように瞬きを繰り返す。たぶんさっきの私のああいう顔をしていたことだろう。
「宝生寺さん、今度は何をやったの?」
はぁ〜〜〜〜ん?!今度は?!なんだその前科があるみたいな物言いは!!
「第一声がそれっていかがなものかしら」
苛立ちが増加し、にっこり笑いつつも秋人をつねる手に力が増す。
すると流石に耐えられなくなったのか、秋人は「ちょ、離せバカッ、さすがにヤバい……!」と抵抗を始めた。なんだよさっきまでされるがままだったくせに。日頃の恨みはこの程度ではないんだぞ。
しかしうるさいので、秋人の手を捨てるように解放する。
それを横目で見ながらこちらへやって来た雪城くんは、先輩達や来栖川さんに挨拶をしてから、
「それで、何があったの?」
ストンと私の隣に座った。
…………うん、まあ、仕方がないよね。普段だったら「ひぃ!ファンに見られたら嫉妬の炎に焼かれる!」と思うところだけど、なにせ他に座れる場所がないのだ。
「あいにくと、私もつい先ほど呼ばれて来たばかりです。秋人にお聞きになって」
お誕生日席の一人掛けに秋人で、窓に背を向ける位置の三人掛けに私。そしてテーブルを挟んだ席には雪城くんが座っているのが見慣れた光景だけど、今朝はそこに来栖川さんと遥先輩が座っているのだ。
となれば空いているのは、私が一人で座っている三人掛けのみ。
まあ、ここは公共の場だし、三人掛けだから両端に座れば充分に間が空く。万が一ファンに見られても大丈夫だろう。
ちなみに世良先輩は、遥先輩側の肘置きに浅く座っている。ちゃっかり嫁の隣をキープとは朝から見せつけてくれますね!ありがとうございます!
「でもこの顔ぶれは、君関連のことが起きた時のものだよ。早めに自供したほうが罪は軽くなるんじゃない?」
「ではあなたの例の十九回の確認について、今この場で問い詰めて差し上げましょうか。早いほうが罪が軽くなるんですものね」
「ああ、まさか今度こそバラを携えたストーカーにプロポーズでもされた? 秋人、相手の学年と名前は分かってるのか?」
「一ヶ月も前のこととは別件に決まっているでしょう。ねぇそれよりも十九回について──」
「残念ながら桜子様、別件ではないかもしれません」
えっ、と。冷ややかに睨みつける私と、決して目を合わせない雪城くんの声が揃った。
来栖川さんは短めの髪を耳にかけ、ふうと憂いの吐息をこぼす。
「私が登校して教室へ向かう途中にいたのです」
「な、なにが?」
「二年三組の教室の前に、緋鞠様が」
「まあっ、教室の前にヒヨコがいたの? いったいどこの養鶏場から逃げ出して来たのかしら」
耳の聞こえが悪くなってきたとは思っていたけど、ここまでくると本当に耳鼻科で診察してもらったほうがいいかな。
それとも近頃いろいろあったから、その疲れせい?
今朝は睡眠時間が短かったし、今日は一番高い入浴剤を入れた湯船にゆっくり浸かって、いつもより早めにベッドに入って寝てしまおう。
「棟方さんに話しかけていたので、まさかと思えば……。案の定、桜子様はまだ登校されていないのか尋ねていたようですわ」
「こういう場合はどこへ連絡するべきかしら?保健所?区役所?」
「これはまずいと思って、慌てて図書室へ向かいました」
「その図書室に俺と遥はいたんだけどね。珍しく桜子ちゃんがいないなーって話してるところに来たんだよ、寒鳥が」
「桜子様を見かけていないか聞かれて、今日は来てないみたいと答えたらすぐに出ていかれたわ」
「あらあら、ずいぶんとすばしっこいヒヨコなのですね。いっそ猟友会に連絡するべきでしょうか」
品良くコロコロ笑う私の肩に、さっきまでつねっていた秋人の手が乗る。
ちょっとやめてよ。なにその哀れみの目は。なんで首を振るの。やめて。ほんと、マジで、お願いだからー!
「教室にも図書室にもいないならここだと思ったんだろうな。俺一人しかいないと分かると、挨拶だけしてさっさと降りてったよ」
そしてそれと入れ替わるように、図書室で合流した来栖川さんと先輩二人がここへ来て、三人の話を聞いた秋人が行方不明の私に連絡。ここへ呼び出したという流れらしい。
見たくない現実に、私は無言で顔を両手で覆った。
特定の人物に対し、つきまとい、うろつき、押しかけといった行為を執拗にする者。
ええ、そうです。世間ではそれをストーカーと呼びます。
「……きっと、私を茶道部の部室に誘うおつもりなのでしょう。お断りしたのに、諦めてくださらなかったのね」
「茶道部?」
顔を覆ったまま嘆く私に、雪城くんが不可解そうに反応した。
「寒鳥先輩が宝生寺さんにこだわっているのは以前からのことだけど、どうして茶道部に?」
「部長が彼女なんだよ」
やっぱ君も知らなかったのか、という世良先輩の表情は、まだ現実を見たくない私にはわからない。でもきっと遥先輩と顔を見合わせて肩をすくめていることだろう。
「桜子ちゃんも壱之宮君も知らなかったみたいだし。君ら三人、自分の興味ないことに本当に無関心だよね」
「いくら名前を聞くのも嫌がっていても、定例茶会に誘われる可能性を伝えておくべきだったわね。ごめんなさいね桜子様」
「い、いえっ、遥先輩が気に病まれるほどのことではありません……!」
あろうことか遥先輩のしゅんと落ち込む声が聞こえ、私は慌てて手を外した。
「知らずいた私の落ち度です。それに、もし事前に寒鳥様が部長と知っていても、今回は事情があったので参加していました」
先日の茶道部主催の野点に出席したのは、噂騒動を完全に終わらせるためだ。
あの場で荒ぶる肉食女子達を鎮めることは、最初から計画に組み込んでいた。たった一人、関わりたくない人がいるだけで、最終段階になって計画を変えることはしなかっただろう。
「なにより、誘ってくれた子達のこともありますから」
岩下さんと前野さんの緊張した顔と、私が参加させてと返事をした時の和らいだ笑みが思い出される。
何かと周囲と距離が空きがちな私に、二人はそれこそ魔王戦に挑む勇者の如く勇気を出して誘ってくれたのだ。あの時点で部長が誰か知っていても、きっと参加させてと言っていただろう。
ましてやドタキャンなんて、絶対にしなかった。
だから誰が悪いと言うなら、修正力だ。
少女漫画では、水族館での初デート回によって宝生寺桜子が壱之宮秋人と朝倉千夏の関係を知って、破局のために動きだす。その放たれる第一の矢は寒鳥緋鞠だ。
秋人と千夏ちゃんの水族館デートが終わった今、修正力は私と寒鳥様を、漫画通りの宝生寺桜子と寒鳥緋鞠の関係に修正しようとしていると見ていい。
でも対抗策として私が影響力を強めたから、力が拮抗して、お茶会では会ったけど今朝は会わなかったのだろう。
「私なら大丈夫です」
影響力の効果は確実に出ている。そもそも修正力なんぞに負けてやるつもりなんて、これっぽっちもないのだ。
よって問題なし!私は野生動物並みの逃げ足の速さで回避し続ける!
「それで来栖川さん、どうして先月の件が別ではないのかな?」
雪城くんによって話題が最初に戻された。
「もしかして、あの花の贈り主が寒鳥先輩だと?」
「ええ。なんといってもバラでしたもの」
「たしかに可能性としてはかなり高い。でもその証拠はないよ」
私の机の上に、差出人不明の花束が置かれていた怪事件。しかもそれが百本の真っ赤なバラで、あまりの気持ちの悪さに周囲にいた全員が悲鳴をあげたことから、『二年三組赤薔薇事件』と一部で呼ばれている。
先生達から聞いた話では、敷地内に設置されている防犯カメラに花束を持った人物は映っておらず、目撃者もいないらしい。完全犯罪である。
それなのに来栖川さんは雪城くんに対して、「当たり前のことを言っているだけです」と言いたげな態度だ。
先月のバラと、寒鳥緋鞠。この二つがどう繋がる……?
「バラ……えっ、バラ? 雪城くん、あなたがお焚き上げしたのって本当にバラでした?」
「お焚き上げって……。うん、バラだったよ。でも大丈夫だよ、あれはもう灰すら残ってないから」
「色は?」
「赤。どうしたの?もしかして本当にショックで、記憶障害おこしてる?」
「叶うなら今すぐ記憶喪失になりたい」
私は再び顔を覆って現実を拒んだ。
しかし非情にも、来栖川さんが「お気づきになられまして?」と現実を突きつけてくるではないか。
「いいえ、あれは……そう、シャクヤク。赤いシャクヤクでした」
「視力はよろしいのでしょう」
「真っ暗でなにも見えませんわ」
「宝生寺さん、さっきからどうしたの?」
雪城くんだけが未だに理解できていないらしい。お茶会に不参加で、さらにこの場に遅れてきたのだから当然だろう。
そんな彼に説明できるほど私のHPは残っていない。すでにライフゲージは真っ赤である。
すると現実を拒み続ける私に代わり来栖川さんが、
「先日のお茶会で緋鞠様が着てらしたのは、赤いバラ柄のお着物。簪もバラでしたわ」
あなたが灰にしたのと同じ花ですわ、とご丁寧に説明してくれた。
特定の人物に対し、恐怖や不快感を与える物を送りつける者。
ええ、そうです。それもまた、世間ではストーカーと呼びます。
「ふふっ……」
静まり返ったカフェテリアに、私の虚ろな笑いが木霊した。
おぉ、修正力! なぜお前はそんなにも仕事が早いのだ!!
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