31-1.戻ってこい
それだけはやらない。やってはいけないと心に決めていたことを、ついにやってしまった。
「秋人に八つ当たりなんて……」
最悪、とため息と共にこぼれ落ちた自己嫌悪は、窓を叩く雨音にかき消される。
雨の降る朝の校内はいつにも増して人気がない。長い廊下には先の先まで電気がついているのに、妙に薄暗くてほこりっぽい匂いがした。
「これからは慎重に動かないといけないっていうのに。やらかしたわ」
ぶつくさ言っている間に、目的の場所にたどり着いた。
目線を上げれば、手前から第四談話室、第三談話室、第二談話室と書かれたプレートが各扉の上にかけられてある。
これまではこのエリアに近づくことすらなかった。そして先日の一件を終えて、もう二度と来ることはないだろうと思っていた。
でもどうしても確かめたいことがあって、私は人の少ない朝を狙ってここへ来ていた。
「あっ、開いてる」
まず第四談話室のドアノブをひねると、あっさり扉が動いた。
音楽室や美術室といった授業で使う教室は、使わない時は施錠されているけれど……。持ち出されても困る物がない、もしくは談話室らしくいつでも誰でも自由に使えるようにしている、ということだろうか。
金持ち学校のくせに防犯意識低いとは何事か。でも今はありがたい。するりと侵入して、目的のものに歩み寄った。
壁際に置かれたオーディオの真横にしゃがみ込み、あることが確認できればすぐに廊下へ出る。
一つ飛ばして第二談話室でも同じ作業をして、また廊下へ出る。
「第一も確認したいけれど、あそこはあそこで曰く付きだからパスして、と」
廊下の角を曲がった先の、一つだけ離れた場所にある第一談話室。平和にスクールライフを送りたいのならスルーしておくべきだ。
となると残るは本命、第三談話室のみ。
宝生寺桜子にとっては馴染み深い場所で、私にとっては因縁の場所だ。
本当は入りたくないけど、ここで逃げれば女がすたる!
「女は度胸ッ!」
ノブをがっちり掴み、勢いよく開け放った。
電気の付いていない薄暗い室内。雨音がやけに大きく聞こえる。春の間だなんて別名がついているくせに、春要素は飾られた名画プリマヴェーラの複製画しかない。
後ろ手で扉を閉めて、噂騒動のプロパガンダで使ったオーディオへと真っ直ぐに近づいた。
「やっぱり、ここだけ他の部屋と機種が違う……」
第四と第二に置いてあったオーディオは同じだったのに、この第三談話室のものはパッと見で違うと分かるデザインだ。
それでも念のため確認をしておこう。
オーディオの裏側を覗き、見つけた製品表示シールの情報を確認する。電化製品の裏か側面に貼られた、メーカー名や型番、製造年が印刷されたアレだ。
シールの情報を頼りにスマートフォンで検索をすれば、どうやら日本メーカーが去年の秋に発売した最新モデルらしい。
第四と第二は、スマートフォンの音声を無線で受け取り再生することのできない、少し古いオーディオだった。
そういった機能があるのは……噂を消すために会話音声を聞かせるという方法が可能だったのは、この第三談話室だけ。春の間は嫌だと思ったところで、ウワサを消すにはここに来るしかなかった。
「修正力……だよね、きっと……」
口に出した途端、じっとりと手の中で嫌な汗が滲んだ。
わかってる。大丈夫。これでいいんだよ。
秋人との噂が流れていると知った瞬間、私の中で修正力の存在は確定した。今さら驚くことではない。
むしろそれを考慮して、修正力を逆手にとったプロパガンダという方法を選んだのだから。
────私は、間違えてなんかない。
修正力が働き、この世界が少女漫画とほぼ同じように進むのなら。漫画にあった『宝生寺桜子が放課後の第三談話室で放つ言葉は、聞いた取り巻きにとって善で、真実で、ある種の洗脳に近い効果がある』という設定が生かされるはずだ。
そう考えて舞台をこの第三談話室に、春の間に決めた。
結果はどうだ、翌日には見事に噂は消えたじゃないか。
────ほら、私は間違えてない。あの判断は正しい。
噂が消えた途端に殺気立っていた肉食女子も、茶道部の野点の翌日には淑女に戻っていた。
あれはわざと大々的な方法で噂を消し、学園内での私の影響力が強くなったからだ。
そう、影響力。修正力に対抗する唯一の方法こそが、記憶している未来を変えようとする私の影響力だと思う。
高等部に進学してから今日までのことを思い返すと、確かに少女漫画と同じ出来事が起き、同じ人間関係が出来上がっている。
しかし『私』という一点において、それは適応外なのだ。
本来の宝生寺桜子は、壱之宮秋人と朝倉千夏のデートの準備なんて手伝わないし、雪城透也とは顔を合わすたびに微笑んでいるが目は一切笑っていない睨み合いだし、春原駿とは連絡先の交換どころか視線すら交わらない。
『私』という異物は、間違いなく、少女漫画のストーリーに影響を及ぼしている。
そこで私は思い至ったのだ。修正力にも修正ができないぐらいに、漫画の舞台である学園内での影響力を強めよう、と。
────計画はうまくいって、私が一を言えば周りが五動くぐらいにはなった。これでいいんだ。間違えてない。
それでも、もしすべてが少女漫画のストーリー通りになっても大丈夫なよう、布石は打った。
最も避けたい最悪の事態とは、漫画の通りに
真面目で優しくて、曲がった事が許せない似た者同士な彼らのことだ。自分達の関係が周りにとって不幸にしかならないとならば思い悩む。別れるという決断を下す可能性だってある。
私のせいでそうなるなんて死んでもごめんだ。
だからそうならないよう、私と秋人はお互いを幼馴染み以上に思っていないと周りに知らしめた。
きっとこれで婚約話を蒸し返されても、親が勝手に言いだしたことだと分かってもらえるし、交通事故は偶然のタイミングだったと思われるはず。
────私が交通ルールを守れば事故だって避けられるし、もしも現実になっても、漫画の宝生寺桜子は怪我だけで済んでいたんだ。死ななきゃ安い。だからこれでいいの。
初めて入った第三談話室で、悪役令嬢の席に座らされたけど。
言葉一つで大勢を操るのは、悪役令嬢と同じだけど。
「────これで……これでいいの……」
私が犯した唯一の間違いは、秋人への八つ当たりだけだ。
前世の記憶なんてふざけた形で自分の未来を知った時、例え未来を変えることができず、漫画の通りに疑われ、疎まれ、裏切られても、周りのせいにしてはいけないと決めていた。
だってそれは仕方がないこと。それが宝生寺桜子の役割なのだから。
私の努力が足りないだけで、彼らはなんにも悪くない。大好きだった物語の登場人物たちを責めるのは間違いだ。
そう決めていたから、耐えてこられた。
お母様と秋人の母親が、私達の関係に夢を見て、夢を現実にしようとしても。
秋人が千夏ちゃんに惚れたはいいが、初恋をこじらせて、いつまでもダラダラモタモタイジイジして関係が進展しなくても。
亀より遅くとも進展したらしたで、雪城くんからこれでよかったのかと繰り返し確認されても。
紫瑛会だの内部生だの外部生だと、時代錯誤としか思えない思考回路をお持ちの選民派共が好き勝手にしようとも。
『ひまわりを君に』という作品が今も変わらず好きだから。この一年間、あらゆる感情を腹の奥底に押し込んで、用意しておいた微笑みを貼り付けて耐えることができたんだ。
「それなのに、自分で考えろだなんて……。意地が悪かったわね」
秋人は秋人の考えがあって、雪城くんがいる場では丸め込まれたフリをして、いない場を狙って私に改めて疑問をぶつけたのだろう。
けれど私はそれを、
『テメェの幼馴染みなんぞになったせいでこうなってんだろうが。頭になに詰まってんだよ。愛用の金属バットで叩き割ってやろうか。もっと脳みそを使え。先の先まで予想して、一挙手一投足一言一声に気を配れ。そんなんだから悪役令嬢につけこまれるんだよ極限バカが』
という八つ当たりで返した。
さすがに言葉には出さなかったけれど、一年間押さえつけていた感情が少しだけ溢れて、態度や口調に現れてしまった。
言い訳をすれば、ちょっと疲れてしまったのだ。
修正力に気づき、噂され、第三談話室に入り、果ては何かした覚えのない寒鳥緋鞠に猛烈に好かれていて……。着々と、少女漫画と同じになっていく。
その事実に心が軋み始めたところにきて、しつこく踏み込まれたのだから、誰だってプチッとなるだろう。
それでついうっかり、してはいけないと決めていたことをしてしまった。最悪だ。
何より、ちょっとしたことですぐに覚悟の揺らぐ自分の弱さが大嫌いだ。
「ああ……」
なんだか頭がぼんやりする。身体が重たい。立っているのがつらい。
昨日は自己嫌悪しまくりでなかなか寝付けなかったから、そのせいだろうか。それともこの雨を連れてきた低気圧のせいだろうか。
ふと、一つのイスが目に留まった。マホガニー材のアンティークチェアは、まるでこの第三談話室に置くために作られたような態度で、そこにある。
まだホームルームまで時間があるし、少し座って休もうかな。どうせ朝からここに来る人なんていやしないんだ、少しぐらいなら……。
一歩、そちらへ近づいた────瞬間、手の中でサイレンのような甲高い電子音が上がった。
「ヒエッ?!」
びゃっと垂直に跳び上がり我に返れば、ずっと握ったままだったスマートフォンが震えながら甲高く鳴いている。
「え、あっ、ちょ、マナーモードに……!」
授業中に鳴ろうものなら教師に没収され、放課後になるまで返してもらえない。そんな面倒ごとが嫌な私は、毎朝図書室でマナーモードに設定していた。
今朝は登校するなり談話室エリアに来ていたので、うっかりしていたようだ。
薄暗い室内に慣れた目に、画面の強い光が突き刺さる。けれどめげずに着信画面を見ると、
「秋人?」
今は一番見たくない名前だった。
でも朝からわざわざ電話をかけてきたということは、それなりの要件があるはず。気は引けるけど、出た方がいいと本能的に思った。
すいっと親指を画面上に滑らせて、耳に押し当てる。
「…………もしもし?」
「あ、やっと!お前いまどこにいるんだ?!」
だからテメェは「もしもし」ぐらい言え。欲を言えば「おはよう」も言え。
「平日に学生が行く場所なんて一つでしょう」
「てことはもう校舎の中にはいるんだな」
「そうだけど……」
何かがおかしい。
機械を通した秋人の声は、珍しく焦りと困惑が滲んでいて、耳をすますとどうやら電話の向こうには複数人いるようだ。何やら話し声のような音が入ってくる。
「もしかして何かあったの?」
「あー……とりあえずお前、今は図書室にいないよな。どこにいる?」
「え。えっと、廊下」
なんとなく、秋人に第三談話室と言うのが嫌だった。というか図書室にいないことがなぜバレているんだ。
「廊下って。アバウトな……」
「ねぇ、何があったの?朝から面倒なことは嫌よ」
「説明は直接した方が早い。どこの廊下か知らないが、さっさとカフェテリアに来い」
「だから用件を──」
「いいから。戻ってこい」
いや、戻るって……。その言葉は、もともといた場所におさまる、進んだ道を引き返すという意味だ。
まるでそちらにいるのが正しくて、ここでこうしているのが間違いみたいじゃないか。どこで何をしようと私の自由でしょう?
「なによ、それ」
苦笑である。ここまでくると、もうそれしかできない。
こっちは自己嫌悪しまくりだっていうのに。そんなのこれっぽっちも気にしてないみたいな声をしやがって。
「分かったわよ。そちらへ行けばいいのでしょう」
ハイハイ行きますよ。戻りゃあいいんでしょ。
ため息をつきながら「少し待っていて」と言えば、なるべく早くとの催促が返ってきたので即座に通話を切ってやる。今頃向こうでは切りやがったと文句をたれているだろう。
マナーモードに設定したスマートフォンをカバンに入れて息を吐く。
「あ〜もうホント……ホントさ〜、もうねぇ〜〜」
朝から呼ばれるとか絶対に面倒ごとじゃん。いい加減にしてよ。嫌すぎ。平穏な日常ってどこに売ってるの?
私のメンタルの硬度いくつか知ってる?二ぞ?我メンタル硬度二ぞ?人が爪で引っ掻けば傷ができる程度に脆いんだよ私は!
休ませろや!労れや!!労えや!!!敬えや!!!!はぁ〜〜〜〜〜マンチカンになってチヤホヤされてぇ〜〜〜〜〜〜!!!!!
「あ〜ヤダヤダ、漫画が完結するまで平穏はおあずけってことね。世界が敵とか笑える」
修正力がなんだ。こっちは未来を知っている上に、影響力も強めた人生二回目の金持ち娘だ。
大抵のことはどうにかできる。たとえ間違いがどこかにあったとしても、今はこれでいい。自分の選択を後悔するのは、間違いだったと分かった時にすればいい。
でもそこで止まっちゃダメだ。後悔は一瞬で終わらせて、次の策を考えろ。
メンタル硬度二でも再生能力の高いポジティブ女たるもの、恐れるな。足掻け。諦めるな。私ならやれる。勝てる。
「よしっ、行きますか!」
イスから離れ、この部屋の呼び名の由来である大きな複製画に背を向ける。振り返ることなく廊下へと出ると、窓の向こうで、昨日の夜から降り続いていた雨が少し弱まっているのが見て取れた。
この様子なら、あと数時間で降り止むだろう。放課後には青空も見えるかもしれない。
「っと、早く戻らなきゃ」
手を離せば扉は勝手にゆっくりと閉じていく。完全に閉ざされたその音を背中で聞いた私は、足早にそこから離れた。
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