30-3.この世界は都合よくできていない




「そうですわっ!桜子様、もしよろしければ今度、茶道部へいらっしゃいませんか?」



 私は女の子は好きだ。特に美形は。美幼女だったらもう最高。

 でもそれは美しく咲き誇る花を眺めたり、愛らしい小鳥のさえずりに耳を傾けたりする感覚。花を手折るのも小鳥をカゴに閉じ込めるのも趣味ではないし、ましてや自分が花か小鳥になるつもりはない。

 だから名前に花を持つ私は、鳥を名前に持ったガチ百合パイセンを前にしてひたすら考えた。

 一秒でも早くこの場から離脱する手段を。



「部へですか……」


「茶道部は普段、茶室で活動しているんですの。そこでおもてなしいたしますわ」



 うきうきと張り切ったガチ百合パイセンこと寒鳥様の横から、半東役の茶道部員が現れた。うちの部長がすみませんと申し訳なさそうな顔で来栖川さん達にお茶を配る。

 私と一緒に会に現れたのに、私の分しかお茶を持ってこないって、部長とか亭主以前に人としてどうかと思う。

 私は出てきそうなため息を飲み込み、心の猫を集合させた。



「誘っていただけるのは大変光栄ですが、申し訳ございません」



 軽く首を傾げて困った顔をしてみせる。



「しばらくは試験に備えたくて……。それに試験後も、習い事や家の用事がございますので難しいかと」



 関わりたくないので断るのは当然の選択だけど、別に嘘はついていない。

 本当は全然優等生じゃないのにそう思われている私は、油断しているとあっという間に劣等生だ。定期テストの前は猛勉強と決まっている。

 習い事は茶道と華道と日本舞踊。それぞれは週一回でも、掛け持ちしているせいで一週間の半分は予定が埋まっている。

 そこに家や会社関係の付き合いも加わることを考えると、むやみやたらと約束はできない。



「そうですかぁ……」


「守れるか不安な約束はしたくありませんので、どうかお許しください」


「い、いえっ、とんでもございません!」



 血統書付きの美猫達をフル装備した私に隙はない。

 しおらしい私を見て、寒鳥様は慌てて首を振った。そのあまりの勢いに、彼女の髪を彩る真っ赤なバラの簪が引っこ抜けてしまいそうだ。



「桜子様が誠実でいらっしゃるからこそですわ。お気になさらないでくださいませ」



 急にお誘いしたわたくしの方こそ……と謝罪の言葉を続ける寒鳥様を、周りはなんとも表現し難い目を向けている。

 特に紫瑛会の二、三年生なんて「いったい何を見せられているんだ」という顔だ。とても良家のお嬢様がしていい顔ではないけれど、気持ちは分かる。たぶん私も第三者だったらそんな顔をしてた。



「あの態度の違い……。私達が断ればどんな嫌味が飛んでくることか」


「桜子様もお可哀相に。ようやく稲村様から解放されたのに、今度はあの方だなんて」


「というか緋鞠様、桜子様にお茶を飲ませる気なくないですかぁ?」



 それなっ!ほんとそれなっ!!

 聞こえてくる会話に、心の中で力強く同意した。

 野点とは風景を楽しみながら、ゆったりとお菓子とお茶いただくものだ。にもかかわらず寒鳥様は、私に渡してきたお茶を飲むタイミングを与えず、生き生きと話しかけ続ける。亭主なら亭主らしく窯の前に座っていてほしい。

 しかし残念なことに、当の本人にそのつもりはないらしく、ずれた簪を直すだけで去る気配はこれっぽっちもなかった。

 こうなった以上、自力でどうにかするしかないかぁ……。



「あら、私としたことが」



 改めて猫をすっぽり被って、うっかりといった苦笑いを貼り付けた。



「いけませんね、いつまでも亭主である寒鳥様を独占するなんて。どうぞ皆様のところへ行って差し上げてください。お待ちのようですよ」



 少し離れた席に座る女子生徒の集団へと水を向ける。

 すると寒鳥様は何度か迷うような素振りを見せたが、「そのようですわね」とにこやかにうなづき、律儀に頭を下げてから彼女達の中に加わった。亭主として招待した側のはずなのに、待ってましたとばかりに歓迎されている。

 それを見届けて、私はずっと我慢していたため息を思い切り吐き出した。



「お疲れ様でした」


「来栖川さんも無言無表情を貫いてくださって……」


「もう一分ここにいられたら、鬱陶しいから取り巻きのところへ行けと言ってしまうところでした」


「オブラートに包んでちょうだい」



 来栖川さんは「危なかったですわ」と茶化したように言いながら、ちらりと横目で寒鳥様の方を見ていた。

 少し派手めな、それでもお嬢様らしい座り姿の内部生女子が六人。中心にはひときわ派手なバラ柄の着物の紫瑛会の三年生。

 その組み合わせに、甘いお茶菓子の収まった胃がちくりと痛んだ。


 何を隠そう、あの七人は少女漫画で見知った組み合わせ。つまり宝生寺桜子の手下の寒鳥緋鞠と、その手下として主人公である朝倉千夏にネチネチと陰湿な嫌味を言う噛ませ犬キャラ六人なのである。

 漫画の通り、仲がいいらしい。これも修正力の影響かと思うと……うぐぅ、胃が痛い!お家に早く帰りたい!!



「ご挨拶は済ませたし、お茶をいただいたらお暇………………」



 己の手の中でもうすでに冷たくなっている茶碗を見下ろし、はたと気がついた。

 え……飲むの……?寒鳥様、いや寒鳥緋鞠が自ら立て、自ら渡してきたお茶を?

 全力で関わらないように生きてきたのに、なぜかとんでもなく好かれているガチ百合パイセンのお茶を?飲むの?



「さくらぁ、それ飲む気?」


「飲まない方がいいよぉ」



 瑠美と璃美だけでなく、棟方さんと北園さんも口は挟まないが、その顔にはやめた方がいいとはっきり書いてあった。



「お茶会なのだから、飲まないというのはさすがに失礼じゃないかしら……」



 私は潔癖症ではないし、小さい頃から茶道教室に通っているので、他人が立てたお茶を飲むことに抵抗はない。

 このお茶だって、少し冷めてるだけで毒を仕込まれているわけではないんだ。飲んでも身体に害はない。精神には大ダメージだが。



「お客様に冷めたお茶を飲ませる方が、よっぽど失礼ですわ」



 お茶より何倍も冷え切った声が聞こえたと同時に、横から伸びてきた手に茶碗を抜き取られた。

 あ、と間抜けな声が出るが来栖川さんはお構いなしだ。前野さんを呼び寄せると、当たり前のように彼女のお盆に茶碗を置いてしまった。



「悪いけど、これは下げてちょうだい。あの方には気づかれないように注意して」



 前野さんは言われなくても分かってるとばかりに力強く頷く。そして岩下さんと連携して、寒鳥様と取り巻き達から茶碗を隠しながら校舎の方へと行ってしまった。

 涼しげなツバメ柄と、可愛らしいナデシコ柄。似合う着物は対照的でも、二人は息がぴったりなようだ。



「せっかく招待してくれたのに、変なことに巻き込んでしまったわ」



 あーあ、誘ってもらえて本当に嬉しかったのに。ウワサ騒動の収束作業を終えたら、みんなと仲良くおしゃべりしてお茶を飲もうって楽しみにしてたのに。

 部長が寒鳥緋鞠というだけで、台無しになってしまった。



「棟方さんと北園さんもごめんなさいね。居心地が悪かったでしょう」


「い、いえ、大丈夫です」


「驚きましたけど……えっと、ほら、桜子様はとってもお綺麗ですから!」



 同性も惚れるお顔です!、と北園さんは精一杯のフォローをしてくれた。優しさと健気さで泣きそう。でもそれフォローになってないよ。

 どうにか愛想笑いに見えない愛想笑いを浮かべて穏やかにお礼を言った。











 それからおおよそ二十四時間後の、翌日放課後。場所は学内でも限られたものしか利用を許されないカフェテリアの二階席。

 定位置である窓辺の三人掛けソファーに座った私は、アイスティーを一口飲んだ。



「それで、騒ぎの鎮火へのご感想は?」



 ストローから口を離してそう言えば、これまた定位置である上座の一人掛けソファーに収まった秋人はひょいと肩をすくめる。

 利用できる人数の少なさの割に広々とした空間には、私達しかいない。



「お前だけは絶対に敵にまわしたくない」


「それは先週も聞いたわ」


「今日で改めて思ったんだよ。完璧に元通りにしやがって……」


「正確には『ウワサが消えた以外は元通り』ね。過ごしやすくなって良かったわねー」



 当初の計画の通り、強まった私の影響力により、お茶会での発言はあっという間に女子生徒に広まった。

 秋人と雪城くんのファンクラブにいくつかあるらしい鉄の掟。そのうちの一つである『半径五メートル以上近づくことなかれ』が再び徹底され、先週までギラギラとした目で群がっていた肉食獣達は淑女へと戻った。まあ、心の中は獣のまま、虎視眈々と狙い続けているんだろうけど。

 ともあれ、嘘八百なウワサは綺麗さっぱり消え、二大巨頭はファンの女の子からちょっと遠くから熱い視線を向けられ、そんな彼らに近づいても文句を言われないのは同じ特権階級の者だけという日常に戻りましたとさ。めでたし、めでたし。



「あとは先週言った通り、集まる女の子の対処を自力で対応できるようになってちょうだいね」



 それができなきゃ全部ぱあになってしまうわ、と念を押す。



「…………善処する」


「あらあら覇気がないわねぇ。大丈夫よ、壱之宮秋人あなたならできるわ」



 斜め前に座る現実の幼馴染みは気が重そうにしているが、私は知っているのだ。

 少女漫画の壱之宮秋人も、学園生活やパーティーなどで良家のお嬢様方から言い寄られるシーンが何度もあった。けれど彼は自力で……ちょっと冷たいとも言えるがクールでかっこいいとも言える、失礼にならない口調と態度でかわしていたのである。

 現実が漫画とまったく同じになるとは思っていない。けれど現実の秋人にも、そのポテンシャルはあるはずだ。

 むしろ私の予想では、間違いなく秋人は自力で対応できるようになる。



「桜子」


「やっぱりできない、なんて言葉は聞かないわよ」


「ちげぇよ。……お前、今回の本当の目的ってなんだ?」



 汗をかきはじめたグラスの中で、からっ……と氷が鳴いた。



「それなら先週言ったじゃない。投資」


「それは表向きだ。透也は丸め込めても、付き合いの長い俺に通用すると思うなよ」


「私が嘘を吐いたと言いたいの?」



 クリームダウンの兆しを見せはじめた紅茶を、ストローでくるりとかき回す。

 からころと夏らしい音に混ざって、幼馴染みのうんざりするほど冷静な否定の声が聞こえた。



「投資ってのは本当だろうな。そこは疑ってないし、協力もしてやる。ただ、それだけじゃない」



 そうだろう?、と問いかけているようで、その声はもうすでに確信している。

 やっぱりこうなったか……。お互いの考えがある程度分かってしまうのは便利でもあるけど、こういう時はすごく厄介だ。



「あーハイハイ。そうよ、他にもあるわよ」



 舌打ちを飲み込みために、アイスティーを一気に吸い込む。苛立ちのあまりストローを噛んでしまいそうだ。



「どうも私、女の子達の間で儚いというか、吹けば飛ぶようなか弱い生き物に思われているみたいなのよ」


「か弱い?誰が?」


「私が」


「一卵性の双子の妹でもいたか?」


「一卵性ならきっとその妹も健康優良児よ」



 長ったらしい始業式がようやく終わって、ちょっと疲れたと言っただけで保健室へ連れていかれそうになったり。

 誕生日に机の上にバラが置かれていたら保健室へ連れて行かれたり。しかもその話は、ショックでぶっ倒れて運ばれたと脚色されて広まったり。

 本当は、インフルエンザだろうがノロウイルスだろうが、世間でなにが流行しようがピンピンしている超健康優良児なのに。実に謎である。



「か弱いと思われたうえに、あなたとのウワサが蔓延したままの状態で、お母様と泉おば様が私達の婚約を押し進めたとするでしょう?」


「したくない」


「私だってしたくないわよ」



 自分が聞き出そうとしたくせに、なぜ話し始めた途端に顔をしかめる。いいから聞けよ。



「壱之宮の御曹司と宝生寺の令嬢の婚約。こんな日本経済に影響がありそうな組み合わせ、あっという間に話が広まるわ」


「だろうな。ガセネタのウワサですら、俺らの知らないところで広まってたわけだし」


「でもあなたには朝倉さんがいるのだから、当然、何が何でも白紙に戻そうと反発するわよね」



 当然だと頷くのを見て、私もよろしいと頷く。



「そんな時に私が交通事故にあったらどうなるかしら」


「は?」


「まぁ別に大きな病気でも構わないけれど。とにかく、儚くてか弱くて繊細で温室育ちな深窓の令嬢である私に何らかの悲劇がふりかかって長期入院したら、周りはどう思うかしらね?」



 誰もが羨むような相手との婚約。ビッグカップルの誕生に反対の声など上がらず、社交界は祝福ムードに湧くだろう。

 だが御曹司が一般家庭のお嬢さんのことが好きだからと言って婚約を拒否。直後にか弱い令嬢に悲劇が。



「きっと事情を知らない周りはこう解釈するでしょうね。幼馴染みに拒絶されたショックで身体を壊してしまった可哀想な令嬢。そして分不相応な相手と一緒になろうとする愚かな御曹司と、御曹司を誑かし幼い頃から仲睦まじい二人を引き裂いた悪女、と」



 本当は――――少女漫画とは真逆で、私からすれば鼻で笑ってしまうような内容だ。でもきっと、そう思われてしまう。



「そんなことになったら……」


「だから『考えられる中で、最も避けたい状況を作り出されないように動いた』と私は言ったのよ」



 少女漫画は、宝生寺桜子というラスボスの退場をもってしてめでたし、めでたしとしていた。だが現実はその後も続いていくのだ。

 傷物になった私と、誰もが反対する関係の秋人と千夏ちゃん。どう考えても私達三人を取り巻く環境は泥沼化するだろう。

 想像した内容はあまりにも泥沼過ぎて、関係者が二、三人死ぬような映画が一本作れてしまいそうだ。

 二部構成で完結したはずの少女漫画が『ひまわりを君に The Movie』として銀幕デビュー。内容は愛と金と権力にまみれたドロドロサスペンス。

 なにそれスクリーンにポップコーンを投げつけたい。ネットに「クソ映画作ってる暇があるなら春原くんのスピンオフ作れ」って書き込みたい。



「好きでもない男にフラれた挙句、傷物令嬢として世間から腫れ物扱いされるなんて。この宝生寺桜子のプライドが許さないのよ」



 ウワサは嘘八百だし、私もか弱くなんかない。そう分からせるために派手に動き、不安要素を芽の段階で摘んだのだ。

 私はふんっと強気に言い切って、アイスティーを飲み干す。グラスに残ったのは四角い氷。すべてがとけるには、まだまだ時間が必要な大きさと量だった。

 秋人は床を見たり天井を見たりを繰り返したが、しばらくして「二つだけ確認がある」と口を開いた。



「今の、俺がもう一回聞いてくるって分かってたから、俺用に作っておいた理由だろ?」


「その根拠は?」


「出来すぎてる。先週の話も今の話も、筋が通り過ぎてて何かが引っかかる」


「つまり根拠のないのね。言いがかりだわ。二つ目は?」


「話の前置きに、なんで『もしも』って言わなかった?」



 ────ああ、お互いの考えが分かってしまうのはつくづく厄介だ。



「こういう話の時に言うだろう。あくまで仮説で、可能性の話だって。なんで今、言わなかった?」


「重箱の隅をつつくような男は嫌われるわよ」


「誤魔化すな」



 その時、テーブルの傍に置いていた私のスマートフォンが震えた。きっちり三コールで止まったそれは、迎えの車が到着したと報せる運転手からの連絡だ。



「時間切れね」


「桜子!」


「そんなに気になるなら自分で考えたらいかが?望んだものが必ず得られるほど、この世界は都合よくできていないわ」



 どうせ考えたところで分かりっこない。

 私が持つ少女漫画の知識と、目の前の現実。二つがどこが違って、どこまで同じなのかを考えた結果の行動なのだから。

 言ったところで理解してもらえるわけがないのだから。



「すべては『もしも』の時への備えよ」



 空っぽのグラスの中で、不安定に積み上がった氷が崩れた。

 からん、と一際大きな音をたてて。



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