30-2.やり過ぎたわね


 悪役令嬢・宝生寺桜子には、取り巻きが大勢いた。

 そのなかでも四人、読者から側近や信者と称されるキャラクターが存在する。その四人がひとりずつあの手この手で主人公・朝倉千夏の障害となるのだ。

 結果は……まぁ、一時はうまくいっても最終的にはセオリー通り、返り討ちにあっていたわけだが……。

 とにもかくにも、その悪役令嬢による妨害工作として放たれる第一の矢が、寒鳥緋鞠かんどりひまりなのである。



「ようこそお越しくださいました。どうぞこちらへお掛けくださいませ」



 モダンなバラ柄の着物がよく似合う、ぽってりとした唇が印象的な悪役令嬢の側近。

 表向きは寒鳥様と呼んでいる彼女は、この会に合わせてメイクをしているらしい。普段からのあだっぽさに拍車がかかっていた。

 しかも私に向けられる笑みは、嬉しさを隠そうとも思っていないもので、チークなんて必要ないぐらい頬はほのかに赤い。

 雪城くんを見上げる綾崎さんの姿が思い出されて、ギチギチと胃が痛んだ。



「本日はお誘いくださりありがとうございます。友人達と楽しませていただきます」



 猫をすっぽり被って、当たり障りない笑みと定型文の挨拶のみを返す。

 通常だったら、会の雰囲気などの話題で会話を続けるが、なにしろ相手が相手だ。会話どころか今すぐ帰りたいぐらいである。

 そんな心情を察してくれた来栖川さんが、続けざまに「お天気にも恵まれて」と会話に入ってくれた────その瞬間だった。



「珠妃様も、他のみなさんも、どうぞ楽しんでらして」



 バラ色だった頬から色が失せ、満面の笑みは貼り付けた愛想笑いに変わる。

 にこやかに細められた目にちらつくのは、敵意。



「寒鳥様」



 私はとっさに、けれど態度と声色はやんわりとしたものを装って二人の間に入り、中庭の一角へ顔を向けた。

 すると視線を追ってそちらを見た寒鳥様が「まあっ」と丸みのある高い声を上げる。



「校長先生がお見えになりましたよ」


「わたくしとしたことが……。教えてくださりありがとうございます」



 いくら小難しい作法のない気楽な野点、しかも高校の部活動だとしても、茶席である以上それなりに決まり事はある。

 茶道部のトップが亭主で、高等部のトップが正客。校長の相手をするのは部長の役目だ。

 寒鳥様は「失礼いたします」と軽く頭を下げて、今度は真面目で品のいい茶道部部長の顔で校長の元へと去っていった。



「タイミングよく校長先生が来てくださって助かりましたね」


「ええ、本当に……」



 やれやれと肩をすくめる来栖川さんに頷き、ようやく緋毛氈のかけられたベンチに座る。

 口からは自然とため息がこぼれ落ちた。



「ねぇねぇ、さくら」



 くいっと袖を引かれ、どちらか確認すれば璃美の方だった。



「どうしたの?」


「さっきの人って紫瑛会の三年生だよね?嫌いなの?」



 吐き出したばかりのため息が、高速でのどへと帰ってきた。何も飲んでいないのにむせそうになる。

 のどにも口にも力を入れてどうにか耐え、「とんでもない」と首を横に振った。



「昔から、さっきのように気にかけてくださる方よ」


「ふぅん」



 璃美は瑠美と顔を見合わせると、揃って「そっかぁ」と首を傾げながらも引き下がった。

 私と親しい二人なら、もう察しているだろう。明らかに愛想笑いだし、最低限のことしか喋らないし、普段の私を知っていれば態度が違うことぐらいすぐに分かる。

 でもこれは誤魔化さなければいけない。紫瑛会内ですら触れるべきではないとされる面倒ごとに、二人を関わらせるべきじゃない。

 もちろん、口は挟まないが気にはなっている様子の棟方さんと北園さんも。来栖川さんすらも。



「来栖川さん、やっぱりあの方のお相手は私がするべきです」



 私だからこそ分かる。

 寒鳥様が一瞬だけ見せた敵意、あれは少女漫画の寒鳥緋鞠と同じものだ。

 寒鳥緋鞠が、崇拝する宝生寺桜子の邪魔をする者へと向けるもの。朝倉千夏へと向けるもの。

 一度その気になってしまえば、人を傷つけることに躊躇いがない人の目。



「あちらに他の紫瑛会の方がいらっしゃいますので──」


「お断りいたします」



 どうぞそちらへ、と。

 そう続くはずだった言葉は、凛とした声に消されてしまった。



「桜子様とお茶ができる機会はめったにありません。それを自分から捨てるなんて、お断りいたしますわ」



 シトラス系の爽やかで瑞々しい香りが近づいてきた。

 来栖川さんは離れるどころか、肩がぶつかってしまいそうなぐらい詰め寄ってきたのだ。しかもツンと澄ました顔で「絶対に嫌です」と念を押してくる。



「それとも桜子様は、私が隣なのはお嫌ですか?」


「そ、そのような言い方は卑怯なのでは……?」



 嫌なわけあるか。

 同じスクールカースト上位者といえど、クラスが違えば顔を合わせる機会は少ない。この野点に彼女も誘われていると知った時、久しぶりにおしゃべりができると心から嬉しかった。

 それに仲がいい子となら何をしたって楽しいし、しかもそれが美少女なら顔を眺めるだけで私はウハウハなのだ。

 でも今ばかりは本当に状況がよろしくない。来栖川さんだって分かっているはずだ。



「あっ、あのぉ」



 どうすればいいんだと澄ました横顔に悩んでいると、遠慮がちに声をかけられた。



「あら岩下さん、前野さん」



 私をこの会に誘ってくれた二人が、それぞれ両手でお盆を持って立っていた。

 茶道部員は全員和装と決まっているらしく、岩下さんは控えめで愛らしいナデシコ柄、前野さんは自由に空を飛ぶツバメ柄。その性格によく似合う着物だ。



「お、お菓子をお持ちしました!」


「どうもありがとう。お二人は半東なのね」


「はひぃっ!」



 岩下さんの返事は完全に裏返っていた。誘われた時もそうだったけれど、なんで彼女はそんなにも緊張しているんだろう。

 私って威圧感あるのかなぁ。でもこうやって声をかけてくれて、顔も青くないので、恐怖心からの緊張ではないとも思える。

 どっちなんだと苦く笑いつつ、プルプルと震える手で差し出される小皿をすくい上げるように優しく受け取った。

 青楓の落雁に、水輪の和三盆、杜若の琥珀糖が一つずつ。初夏が一皿に収まっていた。



「こういうものを見ると、もうこんな季節なのかと驚いてしまいますね」



 前野さんから難なく小皿を受け取った来栖川さんが、青楓の落雁を摘まみ上げて言った。

 さっきまでの拗ねた態度はいったいどこへいったのか。なんとも機嫌のいい端麗な横顔に、私は何度目かのため息をついた。

 わざとだ……。ああいう言い方が私に最も効果的で、しかも茶道部員である岩下さん達の前で部長の陰口を言うわけがないと分かっていた。だから彼女達がお茶菓子を来る直前にああ言ったんだ。



「楽しんだ者勝ちかしら……」



 諦めて和三盆をかじれば、横からクスクスと笑い声。



「せっかくあの小うるさい番犬がいないのですから、私は楽しませていただきます」


「番犬……?」



 なんのことだとじっと見つめて答えを待つが、来栖川さんは落雁を食べて微笑むだけだった。

 どうしても知りたいわけではないし、ここは気を取り直して、本来の目的に戻ろう。


 とは言えど、はてさてどうしたものか。


 この野点で、ウワサに関する一連の騒動を終わらせる。最初からそういう計画だった。

 女子生徒が集まれば自然とどこかで恋愛話が始まるだろう。そうなれば今一番ホットな話題である、二大巨頭は揃ってフリーでした問題を誰かが議題にあげるはず。すかさず私が遠回しに、肉食獣っぷりに肝心の二人が困っているから抑えろと言えばミッションコンプリート。そう思っていた。

 ところがどっこい、現実はどうだ。



「ねぇ、このお店知ってる?明後日にオープンする、チーズケーキの専門店なの」


「あっ日本初出店の!」


「そう!一緒に行かない?日本限定のケーキがあるらしくて、食べたいなって思ってたの」



 スマートフォンの小さな画面を一緒に覗き込みながら、スイーツ情報にはしゃぐ子もいれば。



「夏の流行りはオフショルらしいじゃない。でも私、似合わないのよねぇ」


「だったら着なければいいのよ。似合わないものを着て醜態を晒すよりずっといいわ」


「諦めるのは良くないです。いろんなブランドが新作を出しているんです、似合うデザインがきっとありますよ!」



 肩を撫でてため息をついたり、トレンドよりも似合うものをと胸を張ったりと、ファッション情報にそれぞれ持論を展開している子もいた。

 他にも週末はどこそこへ行ってきたと自慢する子、再来週に控えた中間テストを嘆いている子。お菓子を食べながら周囲の声を盗み聞きしてみるけれど、不思議なことに、それらしいことを話す声はまったく聞こえなかった。

 けれど一方で、時おりちらりと視線を感じる。



「やり過ぎたわね……」



 これはもしかしなくても、気を遣われている。

 いや、できれば二大巨頭に関する情報を提供してもらいたいけど、第三談話室でも一件が尾を引いていて話題に出していいのか悩んでる、といったところかな。

 どうやら先日のプロパガンダは、私が想像していた以上の効果を発揮してしまったらしい。完全に読みが外れた。

 どうにかして話題を誘導しなければ……!



「せっかくの会なのに、女の子ばかりなのね」



 中庭全体を見回してから言うと、お菓子の小皿を配り終えた前野さんが「はい」とうなずいた。



「男子に声をかけた子もいるんですけど、みんな断られてしまったりらしくて。あとは誘う勇気がなかったりで」


「そう……。頑張って準備したのに残念ね。でもやっぱり、こうやって女の子ばかりだと参加しづらいのかしら」



 前野さんは「そうかもしれません」と苦笑し、



「桜子様が来てくださるなら、壱之宮様と雪城様も来てくださるかもと誘って……みた子も、い、いるみたいで……」



 途中までスムーズだった言葉は、か細く消える。

 しまったと顔を強張らせるのは前野さんだけでなく、違う話題で盛り上がっていたはずの周りもだ。岩下さんにいたってはひどいもので、お盆をぎゅっと胸に抱えて今にも卒倒しそうな顔色だ。

 だが私は「誘ったけれど断られてしまったのね」と、飄々と返した。



「さすがの彼らも、女の子に囲まれるのは居た堪れないものがあるのね。ああ、だからここ最近はやけに疲れたような顔をしているかしら」



 なるほど、そういうことなのね。

 一人で勝手に納得しながら琥珀糖を食べてみせれば、張りつめた空気がゆるみ始める。

 視界の端では諸星姉妹がこっそり「ノイローゼ?」「ノイローゼ!」と肩を揺らして笑っているが、今は触れないでおく。



「環境の変化に戸惑うのは仕方ないけれど、そうやって距離を置きすぎるから誤解を招いてしまうと思うのよねぇ」



 そう思わない?、と誰に問うわけでもなく小首を傾げる。

 すると真っ先に反応したのは、秋人ガチ勢の北園さんだった。一度棟方さんと顔を見合わせてからそっと口を開く。



「壱之宮様と雪城様が疲れているというは……?」


「季節外れの花疲れ中なんですって。困ったものね」


「私には花見客ではなく、ふれあい動物園のヒヨコのように見えますわ」



 薄ら笑いの来栖川さんによる、遠回しだが私よりはかなり直接的な呟きにうっかり笑い出しそうになる。

 たしかにそっちの方が正しい。ここ数日の彼らと、それを取り巻く女子生徒達の様子は、孵化して早々ふれあいコーナーに放り込まれた哀れなヒヨコとそれを触ろうと追いかけ回す幼女の図だ。

 まあ、追われてる二匹のヒヨコの将来は、可愛げなんてこれっぽっちもない雄鶏。迂闊に近づけば、鋭い爪のついた足で飛び蹴りをしてくるような邪悪な生き物である。



「ねぇねぇさくら、今度動物園行こー?」


「ふれあいコーナーあるところ!」



 ついに耐えきれず「ヒヨコ!」「やだ可愛い〜」とキャラキャラ笑い始めていた諸星姉妹が、なんとも楽しそうに言った。



「いいわね。真琴にバレー部の練習がお休みの日を聞かないと」


「来週は?」


「テスト週間だから部活ないよ?」


「テスト週間はテストに向けて勉強する期間でしょう。成績落としたら夏休みにセーシェル行けなくなってしまうわよ」


「うわぁ〜そうだぁ〜」


「もぉ〜さくら最近テストのことばっか言う〜」



 双子が双子らしく揃って頭を抱え、やだやだと子どものように駄々をこねるせいで、周囲の空気は完全にゆるんだ。

 顔を強張らせていた周りの子達は、誰からともなく話し始める。



「環境の変化って……」


「それはあれよ、例のウワサがでまかせだった件」


「そういえばあれからルールが曖昧になってしまっていたわね」


「お二人のご迷惑になるなんて言語道断ですわ」



 うんうん、その調子、その調子。

 私の言葉を積極的に読み解いて、頷きあって気持ちを一つにしているファンの皆さん。

 どうやらウワサ払拭の騒動後に曖昧となっていたファンクラブ鉄の掟の一つ『壱之宮様と雪城様を煩わすことなかれ。最低でも半径五メートルは離れて静かに鑑賞するべし』を改めて徹底させるようだ。

 ファンの情報拡散スピードは速いことを考えると、きっと明日には、ゴールデンウィーク前と同じ状態に戻ることだろう。

 無事にミッションコンプリートした私は、小皿に残っていた青楓の落雁を味わった。

 するとそこへ、声をかける人物がいた。



「お茶をお持ちいたしました」


「ああ、どうもありが……っ、とうございます」



 途中で「ア゛ーーーーッ!」と絶叫しなくて済んだのは、間違いなく、長年培ってきた猫かぶりスキルの効果だ。

 心の猫を総動員して、空いた小皿を回収して茶碗を渡してくれる人物を、寒鳥様をなんてことないように見た。



「お口に合いましたでしょうか?」


「はい」


「本当ですかっ!実は桜子様が来てくださると知って、わたくしが厳選した一品なんですの」


「そうでしたか」



 ああ、最悪だ。完全に捕まった。ウワサ騒動の終息ばかりに気を取られて、この人の存在をすっかり忘れていた……。



「わたくし、ずぅっと桜子様をご招待したいと思っておりました。それがようやく実現して、本当に……!」



 達成感に目を輝かせ、満面の笑みを向けられるのに比例して、私の胃はキリキリと絞め上げられていく。

 それでもどうにか微笑みをキープしていると、はたと気がついた。


 ────いや、なんで亭主役の人がお茶運んできてんの?!


 点てたお茶を運んできたら、たまたま私が食べきるのが見えたから渡すことにしたというのはあり得ること。でもそれは半東の役目であって、亭主の役目ではないのだ。

 正客である校長はどうしたんだ。目だけそちらへ向ければ、校長は初夏の日差しにハゲた頭を輝かせ、のほほんとお茶をすすっていた。チクショウ、役立たずめ!



「来てくださると聞いた時は、とっても嬉しくて。ですが欲を言えば、わたくし自らご招待させていただきたかったですわ」



 お菓子を食べきっているのは私だけじゃない。来栖川さんに諸星姉妹に、棟方さんに北園さん、私の近くにいる全員すでに食べきっている。

 にもかかわらず、回収したのは私の小皿だけ。他の子にはすぐにお茶を持ってくると声をかけるどころか、一瞥もくれない。

 完全にいないものをしている。私しか見ていない。



「今日の装いを選ぶ時も、桜子様にお会いできるならとっておきの物をと思っておりましたら、好きな人にでも見せるのかと母に笑われてしまいましたの」



 キャッ言っちゃった!、とばかりに寒鳥様は赤らんだ頬をお盆で隠し、その向こう側からは照れ笑いが聞こえてくる。

 その反応はどう見ても、好きな人を前にした乙女のそれだ。



「うっわ」


「ヤッバ」



 諸星姉妹が顔を引きつらせて呟いた。

 それはもはや本人達も無意識。うっかり心の声が口からこぼれ出てしまったようだった。

 そして今すぐ帰ろうとばかりに私の両腕を軽く引き、



「この人、紫瑛会の人じゃなくて」


「ヤバい人なんだね」


「気づいてもそういう事は口に出してはダメよ」



 私にしか聞こえないほどに小さな、二つで一つの囁きを、否定はしなかった。



 悪役令嬢の側近、寒鳥緋鞠。

 彼女の宝生寺桜子に対する感情は、少女漫画作者はあくまで憧れによる崇拝と述べていた。しかし過剰ともとれる描写から、一部ネット上のファンからは親しみを込めてこう呼ばれていた。


 ガチ百合パイセン、と。





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