最終話 ニトの怠惰な異世界症候群

 意識廟と同化したこの世界に校舎を再現してみた。

 屋上の淵に立つ。背後にフェンスはない。


 指先から灰となって、くゆる煙のように消えていく身体で、すっかり見えなくなってしまった空を感じる。

 グラウンドも体育館もアスファルトも、すべてが灰色に見えていたあの瞬間、俺は生まれて初めて、ここで自発的な行動をしたんだ。


 みんなともう一度、冒険がしたい。最後に思うのはそれだけだ。

 まだ行っていないバノームの隅まで冒険して、知らないものを見て、それから海を渡って戯国にも行きたいと思う。

 それすら可能だろう。

 だがそれすら叶わなくなってしまったんだ。


 4人の姿は鮮明に思い浮かべることができる。

 記憶の中のトアは美しく、シエラは清く、ネムは可憐で、スーフィリアは妖艶だ。未来の過去という矛盾した空間で、日高政宗を取り囲みながら振り切れない幸せを浮かべている。

 それは一見不幸に思えるかもしれない。ただそれもいつしか慣れてきて、ごく自然な日常の一部に染まっていくはずだ。深く感激させた映画の残り香は、数日もすれば消えてなくなる。そして消えたことにも気づかない。


 ならば俺も加われば良かったか。

 まだ遅くない。今すぐに初期化して、この想像の中にいる主体性を失ったかのような日高政宗の中に入ればいいんだ。

 今度こそ上手くいく、誰も死なせない。ただその場合、俺は終焉の世界での記憶を失うことになるが……。

 

 ……断言できる。

 俺は今度こそ、すべて理解した上で失敗する。


 腕の中で眠る息のないネム。なぜネムは自殺を選んだのだろうか。

 シエラは俺を封印するために命をかけた。助けようともせず、ただ佇んで見下ろす俺を見て、どう思っただろうか。

 スーフィリアは俺に刺し殺されたのに、まるで愛おしいくらいに微笑んでいた。

 トアは死の直前まで、ごめん、ごめんと謝り続けていた。


 4人の死の直前、直後の表情が頭から離れない。この4年もの間ずっと頭の中に流れている。

 俺は空想上で会話をして、どうにかその答えを見出そうとしてきた。考える時間は十分にあった。でも見つからない。

 俺は問い続けている。何度も何度も死の直前の4人に訊ねる。するとネムは泣き疲れ、シエラは虚ろな目をし、スーフィリアは笑って、トアは謝って、死ぬ……。


 まさにこの魔術は初期化だったんだ、あの世界には何もない。どこまでいっても俺だけは無理だ。それに気づいた。

 慣れて忘れてもいつかアダムスの姉のように思い出し、その瞬間、遠ざかった過去との距離を知って叫ばずにはいられなくなる。みんなに会いたいと渇望し、その瞬間にも現実が突き刺して慟哭どうこくで世界をまた滅ぼすんだ。

 俺は確実に、また深淵に染まる……。


 そうやって考えて考えて、考えていくうちに、ふと、一番考えちゃいけない何かに触れた気がして……。

 頭の片隅からチャイムのが聞こえる。


「俺って、今何回目なんだろうか……」


 漠然と意味不明な言葉が出てきた。

 いやいや、違う……そんな訳ない。


「――マサムネ」


 懐かしい声が聞こえた。


「……トア」


 左隣にトアの姿があった。薄いピンク色の髪を風になびかせ、気持ちよさそうに風を感じている。


「それで、出発はいつ頃になりそう?」


「ん、出発?」


「冒険のことよ。行くんでしょ?」


「……そうだな。うん、そろそろ行くか」


「マサムネ――」


 背後で声がした。


「シエラ……」


「その、私も旅に連れて行っていただけませんか?」


「……ああ、もちろんだ。一緒に行こう」


 シエラはトアの隣に並んだ。


「ご主人様はネムがお守りするのです!」


 右隣にネムがぴょこんと現れた。幼い手がそっと手を握った。


「……頼もしいな。じゃあ、背中はネムに任せたよ」


 ネムはニッと無邪気に笑った。


「マサムネ様、わたくしの命はあなたと共にあります」


 スーフィリアがネムの隣に現れて、「いつまでも傍におります」と言った。


「ありがとう。俺のこの命もスーフィリアと共にある。もちろん、みんなとも一緒だ」


 屋上の端に沿って並び、俺たちは互いに見つめ合った。何かいいことでもあったように微笑み合って、それから手を繋いだ――。


 空は灰色なんかじゃなかった。出発を前にして、視界のすべては薄いターコイズのような色をしていた。そして気持ちは軽かった。

 そのとき、俺は妙に幸福だった。




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ニトの怠惰な異世界症候群~最弱職〈ヒーラー〉なのに最強はチートですか?~ 酒とゾンビ/蒸留ロメロ @saketozombie210

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