第351話 隔絶
トアが5回目の誕生日を迎えた頃、魔王城の庭園に世界鏡は現れた。
その時点で終焉の世界の記憶を知る者は、現世界においてトアとロザリアのみであった。
世間では失われた八岐の一角――ダームズアルダンが一度崩壊し、ダームズケイル帝国と名乗り始めて早8年が経過していた。ウラノスの狂乱である。
その裏にアドルフが潜んでいることは、記憶の共有により二人も理解していた。
グレイベルクが異世界召喚を行うまで、あと12年。
ロザリアとトアにはそれまでにやるべき事があった。
魔国シャステインの女王――カサンドラの協力を仰ぎ、魔国ラグパロスの王――イグノータスの説得に踏み切ったロザリア。彼女は魔王の直系血族のみに宿る固有スキル《支配》を有しておらず、ルシウスのように記憶の共有ができない。最も効果的だと思われた手段――終焉世界の記憶の共有は、言葉で伝える以外になかった。
目指すは友好条約。
その先は魔国統一である。
一方で、当時のルシウスにとって魔国統一など発想もなく、即不可能であり考えるまでもない。話の通じない
ロザリアの謁見の申し出を許可したイグノータスは、互いに手を取り合うべきだという彼女の提案をのんだ。それはルシウスにしてみれば奇妙でしかなく、何か裏があるに違いないと考えるのはごく自然なことだった。
ただイグノータスには裏などなかった。
ロザリアは、当時イグノータスが近々踏み切ろうとしていた計画のすべてを言い当てたのだ。
それはロザリアを死に追いやり、殺害の濡れぎぬをカサンドラに着せ、シャステインとウルズォーラが未来永劫、手を取り合うことがないように仕組むといった話だった。まさに終焉の世界で起きた出来事である。ロザリアは殺され、トアは姉を失ったショックから記憶喪失と多重人格という重い病気を患うことになる。そして政宗と出会うまで、城に監禁された生活を送るはめになったのだ――。
「私には未来が見える」
広間の中央に立つロザリアのその一言が、イグノータスに畏怖の念を与えた。
「このまま悪意で動き続ければ、あなたに未来はない。それはあなたの大切な弟たちにしてもそうよ。彼らは混乱期に死ぬことになるわ。そのとき、あなたは傍にいない。みんな死んでしまうのよ」
「それは脅しか、ロザリア。確かに俺はお前を殺すつもりだ、間違ってねえ。だがお前がそれを知っていようがなんだろうが、何も変わってねえ、揺れもしてねえぞ?」
「脅しではないわイグノータス、これはあなたのためであり、私たち自身のためでもある。今から12年後、世界に異世界人がやってくる。私たちが本当の意味で手を取り合わなければ、世界は必ず崩壊に向かうわ。人間も獣人も魔族も滅びて、世界は魔物だけの世界になるのよ」
「魔物だと?」
「いずれ世界を滅ぼすほどの力を持った王が現れる。誰もかもが彼の前では無力となり、魔物は解き放たれる」
すぐに呑み込めるほどイグノータスは純粋ではない。玉座の両隣に立つフェルゼンとビシャスは兄の判断を待った。
「トアが《支配》を完全にマスターする頃、記憶の共有によってそれが嘘でないことを証明する」
そしてひとまず謁見は終わる。イグノータスはそれまで手は出さないと約束した。
ロザリアは《感情感知》に優れていた。そのことからもイグノータスがその場しのぎの嘘をついていないことは明確に見ることができた。
※
ルシウス、カサンドラ、イグノータス、ロザリア。そしてトア。この面々が共に円卓を囲むまでに、それほど時間はかからなかった。
「まず人間と獣人との間に友好関係を築くわ」
ロザリアが提案したのはとある三国との友好条約だった。
「一つは要塞都市アルテミアス、二つ目が王都ラズハウセン、そして三つ目が、獣国ネイツャート・カタルリアよ」
話がつかめず不満げな3人を前に、未だ二人だけが知る記憶をロザリアは話した。
「トアが17歳になるまでの12年間のどこかに、アルテミアスの王女スーフィリア、ラズハウセンのシエラ、獣国の白猫族ネム、この3人の元に世界鏡が現れるわ」
トアとロザリアの前に現れた世界鏡については、既に話が済んでいる。記憶を知らない3人が疑問に思ったのは、何故その3人の元に世界鏡が現れるのかということだった。
それは彼女たちが世界鏡の送り主である王の友人だからだとロザリアは説明した。
政宗は世界鏡の発生時期を設定していた。シエラとスーフィリアは共に17歳から18歳の時期に、ネムは4歳から5歳の時期だ。
さらに話は帝国と冥国の件に移る。
「時間にしてトアが17歳の頃かしら、帝国がラズハウセンを襲うわ。その前に、今から10年以内に獣国が帝国の手に落ちる」
ロザリアの計画は次の通りだ。
まずビヨメントに住むカリファを訊ね、彼女の忘却魔法を解除する。そして彼女と共に冥国を訊ね、ゼファーの肉体回収後オブジェクト生成に入る。
ゼファーが生き返ればアドルフはどうにかなるだろう。すると自動的に帝国とウラノスも止まる。
ウラノスが止まれば獣国が襲われることもなくなり、ネムの両親なども助かるはずだ。ラズハウセンが襲われることもなく、シエラの姉――ヒルダが死ぬこともない。
今現在までに発生している被害はどうしようもないが、これから起こるものについては対処できるだろう。
ウラノスの息子三人の対処についても同時進行で対応した。
峡谷都市パルステラ――ジェイド、極寒の地モッドヘルン――ラージュ。
そしてラズハウセンの現白王騎士団に最年長で加わっているラインハルトである。
彼らの帝国への送還についても決められた。
パスカンチンとユートピィーヤ、エヌマサンやイキソスなど、いくつかの問題を最後にして会議は終わった。
話や計画を進める一方で、ロザリアには一つ気がかりなことがあった。それはグレイベルクが起こす戦争についてだ。
ヨハネスの乱心がきっかけとなり、グレイベルクは魔国領に目をつけ領土を奪おうと戦争を始めた。手始めに攻め入ったのはラグパロスで、イグノータスは暇つぶしに応戦したのだ。
勇者召喚の目的は対魔族用魔法使いの補充だ。ラグパロスに勝つことのできる強い魔法使いを欲したことに始まる。
だがラグパロスとの友好関係が成立しつつある今、イグノータスはグレイベルクが攻めてこようと相手にしないだろう。彼も変わった。
そしてそれは政宗が召喚される未来を奪っているように思えたのだった。
だが問題はなかった。
それは終焉の時代においてアルフォードが言った言葉に由来する――グレイベルクという血筋は、その根底から腐っているのだ。
ヨハネスは乱心後、ラグパロスへの侵攻を開始した。
そして時は現在に至る――。
※
日高くんは自分が見てきたすべてを託した。ネムくんの両親や、シエラさんのお姉さん、トアトリカさんのお姉さんもそうだ。
ロザリアさんにいたっては現公魔国の魔王だというから驚いた。
世界は、彼が行った最後の悪戯によって再生された。
そして彼の見たかった本当の異世界となり、今、俺の目の前に広がっている、はずだ……。
だがこれは本当に君の見たかった、欲しかった世界なのだろうか。
「ご主人様、ネムはネムというのです」
「ご主人様?」
「マサムネ、私はシエラと言います。今はラズハウセンという国で白王騎士をしていまして……」
「マサムネ様、わたくしはスーフィリアです。あなたの妻です」
「ちょっとスーフィリア、嘘言わないの」
「嘘ではありませんよ、トア」
日高くんはしどろもどろだ。かつての君もそうだったのだろうか……。
柱の陰に佐伯を見つけた。その傍には木田もいる。何やら二人で学校でのことを謝るのだとか言って、それからというもの、ああやって陰からチャンスを窺っている。
「ご主人様、こちらネムの母様と父様なのです、それでこっちはミーミなのです」
「マサムネ、こちらは私の姉、ヒルダです」
「マサムネ、私の姉様を紹介するわ」
「はじめまして、姉のロザリアです」
「マサムネ様、わたくしは一人っ子です……」
目の前にいる日高くんは記憶の中の彼と外見上は変わらない。終焉の世界での彼は27歳だったが、成長は23歳で止まっていた。
彼の
俺には一条幸村の記憶が伝えられている。
伝え方は一人称視点での記憶の再現だ。ただしそれは俺のみに限られる。
俺は終焉の世界において最後まで彼の隣に存在していた。彼はあの時点の俺の記憶をそのまま今の俺に経験させたのだ。
だから今の俺は、あの世界の一条と変わりがないはずだ……。
断言できないのは、俺自身がそれを証明できないからだ。俺が思考する内容と、あの世界の俺が思考する内容が一致しているとは断言できない。
日高くんに関する記憶については、一人称ではなく、三人称視点で伝えられている。映画の世界に入って主人公の背中を追うような感じだ。
つまり認知させる程度にとどめたんだ。
彼は濃厚的な共有をしなかった。
俺たちと自分との間に、ごく自然的な他人という、隔絶的な何かをしっかりと置いたのだ。
彼はとうとう自分を理解させなかった。できたはずなのに。
トアトリカさん、シエラさん、ネムくん、スーフィリアさん――4人にとって現状は幸せであるに違いない。
ただときおり笑顔の裏が見えるような気がして、それがとても寂しそうに見える瞬間がある。喪失感とでも言えばいいのか、彼女たちは喜んでいるはずで、それぞれの笑顔に嘘はないはずだ。
なのに俺は納得できていない。
妙だな。
二度と抜け出せない、隔絶された世界に閉じ込められているような気分だ。
心の中で正気に戻れと言って、俺は頭を振る。
空白。無力だ。
後には脱力感だけが残った。
「分からないよ、俺には……」
目の前の彼はニトではない。
アマデウスでもない。
紛れもない日高政宗だ。
なのに……。
君は本当に、これで良かったと思っているのだろうか。
その答えを聞きたくて仕方がない。
君にはこの光景が見えていたはずだ。
ここにはあの世界から失われたすべてがある。
人間も魔族も獣人も手を取り合い、今後も今以上に差別や隔たりはなくなっていくのだろう。
ここには何もない。
記憶を共有した者たちがいて、それだけだ。
でも君が望んだというのなら……。
分かったよ。そういうことにしておこう。
ただ気がかりなのは慣れだ。
俺たちは君のことなど忘れてしまうのだろうか。
そしていつか、目の前にいる日高政宗が唯一の君となっていくのだろうか。
「ここには、君だけがいない……」
ふと思い出して笑みがこぼれた。
アリエスを前に、佐伯と共闘して俺たちは君を守ろうとした。必死に。
日高くん。あの佐伯が、君に気さくに助けを求めていたんだよ。あの佐伯がだ。
そのとき、何故だかここにいないはずの君が笑ったような気がしたんだ。
俺と佐伯と君という、かつて決して理解し合うはずのなかった3人がここにはいる。
それだけは認めるよ、他の一切は認めないけど。
でもそうなると、俺よりも君の方が偽善者ということになるが、それでもいいかい?……。
広間と吹き抜けの天井。
異世界の空は青く、雲は流れる。……。
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