第350話 リスタート!日常!
昼休みのチャイムが鳴る。
虐めの始まる合図だ。
売店で佐伯と木田のエサを買って、教室に届けて昼の日課は一先ず終わる。
そんな感じで、高校に入学してからの2年間、俺はこの二人の奴隷だ。
自分が虐められていると認められない。だから友人であるフリをして、無理やりやらされている訳じゃないと言い訳できるギリギリの関係を演じている。
意味のない日々だ、誰に言い訳しているのかも分からないし。
でも仕方ない。
その日はチャイムの残響が消えるまで席に着いて、待った。珍しく二人は何も言ってこなかった。それどころか絡んですらこなくて、日課は始まらなかった。
今日に限ってなんだろうか。おかしなこともあるもんだ。
だが今日という日を迎えた無敵の俺には、もう関係ない。
席を立ち、教室を出て廊下を歩いた。
虐めの5層構造というものがある――。
被害者、加害者、観衆、傍観者、そして観察者だ。
つまり虐めの現場において、無関係な者などいないという考え方だ。
だけど現実は違う。
みんな自分は関係ないと思っている。
気づいているのか気づいていないのか、そんなことは関係ない。ただ楽しければいい。娯楽と同じだ。
だから俺は自販機ではなく、屋上へ向かうんだ。
既に多くの学校では、屋上は生徒が立ち入らないよう施錠して、封鎖しているらしい。だがこの高校では常に解放されている。
つまりこういうことだ――。
「生きるのが辛くなったら、いつでも飛び降りてどうぞ……」
こんなことを呟く俺は正常ではないのかもしれない、頭がおかしいのかもしれない、狂っているのかもしれない。
「でも狂ってるのは俺じゃなくて、この世界なんだよ……」
声に出してみても何も変わらない。フェンスの先、その向こう側はずっと大空だ。
いつもと変わらない景色を眺め、柵をよじ登り反対側へ降りた。空を見上げて目を
フェンスの内側では、昼食を食べながら友人と楽しそうに語り合う何人かの生徒たちの姿が見えていた。汚い横目でじろじろ俺の姿を見て、違和感を抱きながらひそひそして、それから足早に屋上を出ていった。
うん、くだらない連中だ。
空はいつものように灰色だ。
校舎もグラウンドもアスファルトも、いつも通り全部同じ色をしている。今日だけは違う色であってほしかったけど、そうもいかないようだ。
見納めて、ゆっくりと瞼を閉じる……。
足がすくんでいる。かかとを上げて、ゆっくりと前のめりに体重を預けるようにした……。
体が地を離れる寸前の、慣れない浮遊感というものを感じた。でも直に馴染むだろう。
そして馴染む頃、俺はもう死んでっ――。
「……は?」
足は地を離れてはいた。離れてはいたが、俺の右手はまだ地上の中かと繋がっていた。服の袖がフェンスに引っかかったのかと思ったが、
「死んではダメだ……」
「……一条」
知らない間に、一条がフェンスの外にいた。俺の右手を掴みもう一方の手でフェンスを掴んで、繋ぎ止めている。
「死んではダメなんだ、日高くん……」
「何で……」
それは一条に問いかけたのでもない。
それは漠然とした、対象のいない問だった。
一条が目の前にいることも、そして俺の手を必死そうに握っていることも、何も意味も理由も分からない。
ただ一つ、何故だか視界が潤んでくるような気がした……。
手を取れ――偽善の欠片も感じさせない声で、一条は言った。
フェンスがきしんでいる。
「……放せ」
「日高くん!」
一条は俺の手を放さず、手を掴めと叫んだ。
でもそのとき一条の手がフェンスを離れた。崖っぷちにあった足も地を離れ、俺たちは少しずつ屋上から遠ざかっていくのだろう、そう思った。
だが慣れない浮遊感は始まってすぐ、また何かによって止められた。
「ぐっ……」
人が踏ん張り、力んだ時の声が上から聞こえた。
「一条……放すんじゃ、ねえぞ」
頭が真っ白だ。
よりにもよって、何故こいつがここにいるのか……。
それは佐伯だった。一条と同じように、片手で一条の手を掴み、もう一方の手でフェンスを掴み繋ぎ止めていた。そして一条が俺の腕を掴む。
「佐伯、なぜ君がここに?」と一条。
「余裕ぶってんじゃ、ねえよ、クソが」
佐伯は顔を真っ赤にして奥歯を噛み、一条のように必死だった。
「やめろよ……なんだよそれ。お前らみんな、訳が分からない。人の決意を無下にしやがって……」
「悪いな」佐伯は言った。「もう、引き返せねえぞ……」
「……」
「世界が、滅ぶか……三人とも、助かる、かだ……」
「佐伯、まさか、君も鏡を?……」
――佐伯の手がフェンスを離れた。
最後の最後まで意味不明な奴らだった。
他人のために、何でそこまで必死になれるのか分からない。
佐伯にいたっては主犯じゃないか。訳わからん……。
だがそれももういい。
もうどうだっていいのは、浮遊感にも慣れてきたからだ。
地に戻る頃には、俺は生を抜けている。不本意だが二人も道連れとしよう。
グッバイ、俺の日常……。
人は理解できないものを恐れる――。
拒絶する。傷つける。殺す。
ただ一人一人特別な存在なのだからそれも仕方がない。だからこそ人は決して理解し合えないのだ。
ただ特別でなかったとしても理解し合えたとは思えない。それは密接にあったはずの生すら、俺には理解し得なかったからだ。
生の終わりを目前にして、死を目前にして、ここまで来ても尚、その両方が理解できない。となると一度完全に関係性を絶つしかない。
浮遊感の最中にまで絡みつく、この生という得体の知れない実感を隔絶するんだ。
だからこそ俺は、この何者にも理解し得ない死に身を投じることにした。
死にたかった訳じゃない、生きたくなかっただけだ。誰にもその違いは分からないだろう。
でも大丈夫だ、世界が滅ぶことはない……。
日高政宗が死ぬだけだ。
※
「成功した……成功しましたぞ、陛下!」
「とうとう私たちは成功したのですね!」
ここはどこだろうか……。
意識が戻ると、俺はどこかも分からないだだっ広い室内の真ん中に直立していた。まるで生きていたころと同じ感覚だ。
正面には何があったのか歓喜する王冠の男と、白いドレスを着た女、杖をつく老人の姿があった。まるで王様と王女、賢者のようなに三位一体の雰囲気を感じる。
俺の両隣には一条と佐伯の姿があった。何だか真面目ぶった顔をしているというか、神妙な雰囲気だ。
「佐伯、君は世界鏡を見たんだな」
「ああ。お前もだろ」
「そうか……日高くんは左目も使ったんだな」
「まあ、そういうことだろうな」
後ろが少し騒がしい気がした。
振り返ると、そこには何人かのクラスメートの姿があった。ざっと10人以上はいそうだ。
「ようこそ勇者たちよ、よくぞ参られた。余はグレイベルク王国47第国王、ヨハネス・グレイベルクである!」
王様が偉そうに自己紹介した。そして謝罪したいことがあるといって、俺たちをここに呼び出した理由について語り始める。なんでも、俺たちは勇者召喚なんていう魔法の類を用いて召喚されたのだとか。自殺は失敗したようだ。
「一条おかしいぞ、なんでグレイベルクが栄えてんだ、てか俺らが召喚されてる時点でだ」
「俺も疑問に思っていたところだ」
「そのための世界鏡だろ。他の4人に送ったってんなら、一番の問題だったこの国から変えるはずだ」
「とりあえず、日高くん、ステータスと小声で言ってくれないか?」
「え?」
二人が意味不明に会話を弾ませていると思ったら、急に一条がそう言ってきた。
「ステータスだ。それで正面にステータス画面が表示される」
「……お前」
どうやら一条は自殺の後遺症で頭がおかしくなってしまったらしい。表面上は無傷に見えるが……ということは佐伯もか。
「日高くん、頼む、俺を信じてくれ」
「あ、ああ、分かったって」
ヤバイ奴になってしまったみたいだ、とりあえず言うことをきいてやろう。
私語を慎めとでも言うように王様や王女がじろじろ見ていたから、できるだけ小声で「ステータス」と従ってやった。道連れにした罪悪感から言う通りにしてしまった部分もある。
直後、ブオーンと古いPCが立ち上がるみたいな音がして、目の前に半透明のモニターが表示された。頭が真っ白になった。
「嘘、だろ……」
俺も頭がヤバくなってるらしい。
「《状態》と、それから《称号》の欄を見られるか?」
「えっと……」モニターは指で操作することができた。「あ、あった」
「何と表示されてる」
「《状態》は正常で、それから《称号》は勇者?」
そう答えると、一条は何故か安心するみたいに溜息をついた。
「大丈夫だ佐伯、成功はしている」
佐伯が笑みを浮かべた。アイコンタクトなんかして気色悪い奴らだ。いつの間にこんなに仲良くなったのか……。
「――お静かに願います!」
王女の声が広間に響いた。そして、それは明らかに俺や二人に対してのものだった。鋭い視線が睨みつけている。
「姫様、少しよろしいですかな」と右手の老人が言う。「少し会話が聞こえておったのですが、この者ら、異世界人だというのに何故かステータスのことを知っておるようなのです」
「ステータスをですか?……それはつまり、他の方々もそうなのでしょうか」
王女の疑問に俺たち以外のクラスメートたちは「ステータス?」「なんだステータスって?」「ゲームによくあるやつか?」などと口々にざわついた。
「どうやら知っておるのはこの者らだけのようですな」
「そうですか。なるほど、それは非常に不思議ですねえ」
王様と王女、賢者の冷たい視線が一斉に佐伯と一条、そして俺へ向いた。
今にも殺されそうな眼光だ。ここがどこかも知らないのに、なんだこの状況は……。
「おい一条マズくねえか、この状況
「大丈夫だ……日高くんを信じろ」
「追放後にでも抜け出して、俺たちで探しにいった方が良かったんじゃねえか」
「大丈夫だ」
「へっ……分かったよ。日高を信じる」
「なあ、さっきから俺を信じるとか何を言ってっ――」
不意に横から照明を当たられたみたいになって目を細めた。何か差し迫るものを感じて玉座の方へ視線を向ける。目の前の視界を青い光源が埋め尽くしていた。
「え……」
――死ぬ。
何かは分からないが反射的にそう思った。直後、視界にキラキラと輝く刃が見えた。それが中心に切り込むと青い光源は二分し、俺にぶつかりかけた光は空中で掻き消えた。
「まさか……それは勇者のつるぎですか!?」
王女が大げさなくらいに驚いていた。
「異界の者がなぜ使える、言い伝えと違うぞ」憤慨する王。
「佐伯、援護しろ!」
黄金の剣を手に、一条はそう言った。
「――《
佐伯の頭上に巨大な炎の玉が現れた。何とか戦隊みたいに左手を掲げている。この火を出したのは佐伯か?
頭が真っ白になり何が起きているのか分からない。
「衛兵、その者たちを捕らえなさい!」
おしとやかだったはずの王女の顔は般若のように醜く歪んでいた。咆哮のように雄叫びを上げ、拘束しろと叫んでいる。何もしてないのに……。
「佐伯、日高くんを守れ!」
「お前分かってんのか、俺らまだレベル1なんだぞ!」
「あ……そうだった」
「おい日高、お前なんか強力な魔法とか使えねえのかよ」
「え、まっ、魔法!? え、これって魔法だったの!?」
「佐伯、日高くんは何も知らないんだ」
「けどよ、これ無理だぞ?」
「それに今の彼には深淵も宿っていない、もう日高くんはいないんだ」
「……分かってるさ」
一条が何か酷いことを言った気がしたが内容的に考えて後遺症のせいだろう。
「何をしている衛兵、早くその者らを捕らえぬか!――」
王様が玉座から立ち上がった。
広間のあちこちに見える柱から銀の甲冑を着た衛兵がかしゃかしゃと音を立てて集まった。俺たちはあっさりと包囲されて、
「剣を捨てろ!」
一人の衛兵は槍を突きつけ一条を脅し、
「魔法を解除しろ!」
ある衛兵は剣を突きつけ佐伯を脅した。
俺はその二人の真ん中で何もできず、足をぶるぶると震わせているしかない。二人はまたこそこそと訳の分からないことを話している、それでまた衛兵に脅されて――。
「――《
突然、周囲の衛兵が発光して絶叫を上げた。
すると一条は一瞬驚くも、安心したように笑みを浮かべて、
「どうやら上手くいったようだな」
「みたいだな」佐伯も笑っていた。
地鳴りがして突然に広間の屋根が剥がれた。竜巻でも起きたのかと思考を巡らせたところで、上空の青空を黒い翼を持った何かが通過した。
「……ドラゴン?」
その巨体は紛れもなくドラゴンであるように思えた。ゲームで見たことがある。そしてふと、その背から何か飛び降りる人影のようなものを見た。
影は降下して徐々にはっきりとした姿となる。人だ、女性のようだ。
途中から空気に乗ったようにふわふわと宙を漂い――。
「マサムネ……」
薄いピンク色の髪をした綺麗な女の子だった。彼女は頭上に下りてきて、俺の名前を言った。
人間離れしたその艶やかな肌、可憐さに、俺は圧倒されて声が出てこなかった。
彼女は手を広げていて思わず俺も手を広げた。それから抱きしめ合う形で、俺は彼女をキャッチした。
この人は誰なのだろうか。彼女は潤んだ瞳で見つめた。
俺が黙っているとどこか寂しそうな顔になって、それで俺は、
「君は、誰?」
彼女はもっと悲しそうな顔をして、涙を拭った。
「私はトア……トアトリカ」
「トアトリカ?」
綺麗な名だ。まるで永遠を象徴とするような……。
「……え、えっと、俺は政宗」
俺が名乗ると彼女はやっぱりどこか悲しそうな顔をした。それからその表情を隠すようにして笑った。
「お取り込み中のところ申し訳ない」と一条。「助けに来てくれたこと、感謝する。だがトアトリカさん、状況は思わしくないようだが」
「大丈夫、みんなも来てるから」
「――魔族が、どこから入った」
金髪の王女がトアの背後に現れ、短剣を首元にかざしていた。
だがトアは動じず、笑みを浮かべた。その刹那、王女の体を何かが襲い遠くへ持っていった。目で追うことができず、次に気付いた時には王女は大きな岩の手に拘束されていた。
「姫様!」
玉座付近の老人が杖で何かしていた。途端、地中から木の根っこが突き出した。「待っていてくだされ、姫様!」と地中から伸びて宙をくねる根の先端に飛び乗り、老人は近づいてくる。
「――《
木の葉のように乱れ舞う氷の刃が突然現れ、根を切断した。老人はバランスをくずし根から地上へ落下した。
そこに銀髪の女騎士の姿があった。
「その風貌……白王騎士か」
「白王騎士をご存知とは、光栄です。森の魔法使い殿」
「小癪な小娘め。見事なレイピアじゃが、儂にそれを向けるか?」
「氷結晶のレイピアです。これは森の木々も凍らせますよ?」
「――《
老人の顎に小さな女の子の拳がさく裂した。
その少女は急に視界に現れて、油断していたのか老人は受け身も取れず殴り飛ばされてしまった。
「ご主人様はネムがお守りするのです!」
猫のような耳が特徴的な白い少女が、目の前で勝利の拳を掲げていた。
「アリエス!……アルバート!……」
玉座の前で王がご立腹だ。
壇上の階段をどしどしと下り、右手に魔法の類で砂色の大きな槍を出現させた。
「――《
突然王の腹を突き破って光の玉が飛び出した。腹から血をドバドバと垂らし階段の途中から転がり落ちて、王は腹ばいに倒れた。
階段に、青い髪の美女の姿があった。手には白い杖を持っていた。
「マサムネ様、ご無事で何よりです」
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