第349話 最後の悪戯
17歳の時、シエラは白王騎士に迎えられた。
玉座の間で執り行われた通例的な儀式を終え、白王騎士団本部の扉を潜ったシエラを待ち構えていたのは――。
「ようこそ、白王騎士団へ!」
部屋の前で「よし」と小さく意気込み、元気よく扉を開けたシエラの顔面は、直後に白いパイでぐちゃぐちゃに汚れていた。
何が起こったのか分からず、すぐには理解できず呆然として動けなかった。
右手にオリバー・ジョーの姿があった。白王騎士の白い着衣を羽織っている。
「シエラ、よく来たな、ここが白王騎士団本部だ、歓迎するぞ!」
そう言っておかしな音のなる笛をピーピー鳴らして出迎える。
左手にはレイド・ブラックの姿があり、
「ぎゃはははー、ジャストミートじゃねえかシエラ。仕方ねえから今日はお前の白王入りを祝ってやるよ!」
腹を抱えて泣くほどに笑っている。シエラの顔に貼りついたパイが床にぼとっと落ちると、レイドはさらに笑った。
「な、なんですか、この騎士にあるまじき浮ついた光景は……」
シエラは沢山のカラフルな装飾に彩られた室内に愕然とした。
テーブル横に立つ姉のヒルダが「私はやめた方がいいって言ったのよ、でもオリバーとレイドが絶対に開くべきだって……」
「開く?」
「てめえの祝賀会に決まってんだろうが」とレイド。「てかいつまできょとんとしてんだ、中に入って、ほら、まずは飲め」
シエラにラズビールのジョッキを手渡すレイド。
「オリバー、私の顔にパイを投げつけたこと、アンナに言いますからね」
「それだけはマジ勘弁してくれ」
シエラは「冗談です」とまんざらでもないように笑った。
序列一位、オリバー・ジョー。
序列二位、ダニエル・キング。
序列三位、ヒルダ・エカルラ―ト。
序列四位、レイド・ブラック。
序列五位、エドワード・スコッチ。
序列六位、エミリー・アンダーソン。
そして新たに迎えられた序列七位、シエラ・エカルラート。
それぞれは既にジョッキを掲げていた。
「みんなジョッキは持ったか!」
オリバーの声に全員が「おー!」と返す。
「よーし、じゃあ改めて。シエラ、白王入り、おめでとー!」
カーンと、ジョッキの奏で合う軽快な音が響いた。
そのときだった。部屋の真ん中に光源が現れた。一同を突如光源が襲い、それぞれは眩しそうに手で遮って顔を伏せた。
光の収まったあと、室内に目をやるとそこには謎の鏡があった。一同は鏡を前にジョッキを掲げている腕を下ろすことを忘れた。
その禍々しくもどこか懐かしいアンティークのような鏡を前に「なんだ、襲撃か?」とレイドは外へ集中を向ける。だがラズハウセン国内の空気も、街中に漂う魔力の波動にも変化はない。
「私はシエラです……シエラ・エカルラ―ト」
突然、鏡に向かってシエラが名乗ったのだった。それぞれは奇妙なものを見るようにシエラを凝視した。
「……はい、見えます」
鏡に映るその青年の姿は、シエラ以外、誰にも見ることはできなかった。
「おい、どうしたシエラ」とオリバー。「何か見えるのか?」
しんと緊迫する室内。そこへ、部屋の扉が突然に開き「オリバー様!」と何やら落ち着きのない伝令が現れる。
オリバーは苛立ちを浮かべて、
「騒がしいな、取込み中だぞ!」
「す、すみません。そ、その、
「なんだと!?」
立て続けに起こる理解しえない出来事に、オリバーは頭を抱えた。
「大森林の女王が、小国に一体何の用だ……」
気張ったように伝令は言った。
「白王騎士は、玉座の間に集合せよとのことです!――」
※
時を同じくして、鏡はスーフィリアの元にも現れる。
17歳になる彼女は父――フレデリックの玉座の傍に立ち、アルテミアスの国政に関わっていた。
「公魔国より大臣――イグノータス・ロゼフ殿がお見えです!」
大扉が開くと中央の赤いカーペットを歩き、イグノータスは現れた。両隣には側近――フェルゼンとビシャスの姿がある。
玉座から見下ろすフレデリックと程よい距離を保ち、丁寧にお辞儀するイグノータス。フレデリックは冷ややかな視線を下ろし「魔族がアルテミアスに何用だ」と訊ねた。
「謁見をお許しいただき、ありがとうございます。私は大臣のイグノータスと申します。この度は、スーフィリア殿下にお会いしたく参りました」
フレデリック王が不満げな声色で訊ねる。「娘に何の用だ?」
そのときだ。
今ほど、イグノータスがほどよく設けた空間――玉座とイグノータスの間に光源は現れた。
フレデリックは何事かと驚きながら光を遮る。イグノータスは「予定通りだ」と呟きニヤついた。
スーフィリアの足が一段ずつ、ゆっくりと壇上を下りた。その禍々しくもどこか懐かしい鏡に、惹かれるように、そっと近づいて縁を触った。
「……どなた、ですか?」
※
シエラとスーフィリアが世界鏡を受け取る6年前、ネムがアノールフェリアの地に誕生した。
世界鏡が現れたとき彼女は4歳だった。それは住み慣れた民家の庭でミネルヴァに猫拳の稽古をつけられている時のこと――。
「ミーミ、もう猫拳は
「ネム、猫拳は白猫族に伝わる伝統的な武術なのだ、学ばずして白猫族は名乗れんぞ」
「じゃあ名乗らないのです」とそっぽを向くネム。ミネルヴァが「ネム……」と困った顔をすると、無邪気な笑みを見せた。
「ミネルヴァ様!」
民家の門に犬族の護衛――カユウの姿が見えた。ミネルヴァは彼女の隣に見えた、二人の見知らぬ者に、癖で鋭い視線を送った。
「カユウ、そちらは?」
一人は赤毛だった。もう一人は薄いピンク色の髪をしていて、ネムほどではないがまだ子供であるように思えた。
「公魔国よりお越しいただきました。こちらは大臣のカサンドラ様」
「大臣!?」
「はい。そしてこちらが……」
「トアトリカと申します、私は魔王の妹にあたります」
「魔王の!?」
突然の訪問、それも獣国ではなくアノールフェリア滞在中に直接訪ねてきたこと、さらにはそれが大臣と現魔王の妹ということに、ミネルヴァは何事かと動揺した
そしてカサンドラが簡単な話へ踏み切ろうとしたときだった。
背に眩しい光を感じ、ミネルヴァは振り返る。
そこには庭に立つネムの姿があり、彼女は、その禍々しくも懐かしい鏡を見つめていた。
※
それはネムが鏡を受け取るより、8年前のことだ――。
魔王城の大庭園に、幼少の、小さなトアトリカの姿はあった。
「姉様、あれは何?」
白い花畑の中からぴょこんと薄いピンク色の頭は飛び出し、彼女は不思議そうに、城と庭園の堺にある広々とした白いテラスのある方向を見た。
傍には姉のロザリアの姿があり、それはトアの成長した姿と瓜二つだ。
「何って?」
「ほら、あそこに何かある!」
「どこよ?」
ロザリアはトアの指差す方を確かめた。
テラスにあったのは、一枚の大きな鏡だった。
トアはロザリアと手を繋いで鏡の前までやってきた。その立派な鏡からは禍々しさと、どこか懐かしさが感じられた。
「これは……」
ロザリアは戸惑い、躊躇いながらそっと鏡に触れた。トアも同じように鏡を見つめた。ロザリアの横顔を不思議そうに見上げた。
「姉様、これは父様の?」
「分からないわ」
テラスの見える城内にルシウスとエレクトラの姿が見えた。どうやら庭園に訪れたようで、その隣には人型のカーペントの姿もあった。
「ルシウスよ、あれがお主の娘か」
「ああ、トアトリカとロザリアだ」
「ん、あれはなんだ、我への贈り物か?」
「なんの話だ」
「ん、そうではないのか。ではあれは何だ、お主の小さきせがれが何やら物色しておるぞ」
異変に気付き、急いで駆け寄るルシウスたち。
鏡の傍まで来ると、ルシウスは辺りを警戒し、
「これは……。ロザリア、トアを頼む」
まずはトアを鏡から離した。それからロザリアと同じように鏡の縁をなぞるなどして確かめた。
「――誰?」
そのとき、トアが鏡に向かって問いかけた。
彼女の目は鏡に映る自分にくぎ付けだった。
不気味なその様子に一同は静まり返る。
「トア、どうしたの?」
ロザリアが心配そうに顔を覗き込むも、
「誰、どうしてそんなところにいるの?」
「トア、どうしたの!」
ロザリアの血相が変わった。鏡に語り掛けるトアが、まるで意識を持っていかれたように夢中だったからだ。肩を掴まれても体が揺れるのみで気づかない。鏡から目を離さない。ロザリアの声にも反応しない。誰の声にも反応しなかった。
「なっ、なんだこの光は!」
突然、何の反応もなかった鏡から眩い光が放たれた。ルシウスは反射的に顔を腕で覆い、エレクトラやカーペントも同様に光を遮った。ルシウスはトアを鏡から遠ざけるよう言うが、視界の眩しさにそれどころではなかった。
光はトアとロザリアを包み込んだ……。
光が生んだ一瞬の時。その白い世界に、トアとロザリアの姿はあった。
目の前には世界鏡がある。
「どうしてそんなところにいるの?」
トアには見えていた。鏡の中よりこちらを見つめる、一人の青年の姿が。
青年は言った。
「トア。今はまだ分からないかもしれないけど、そのうち俺が誰だか分かる日が来る。だけど俺を見つけても……絶対に関わってはいけない」
青年の声色は寂しさを帯びている。そして震えていた。
「あなたは誰?」
「今に分かるさ。誰でもない、他人だよ」
トアと青年はまるで懐かしむかのように、互いにすでに知っているかのように見つめ合った。
だが青年の姿が見えていたのはトアだけではなかった。
「一体、これはどういうこと……」
青年はロザリアのその反応から気付いた。それから少し驚いて「好機だ」とつぶやいた。
「ロザリアさん」
「え……どうして、私の名前を知っているの?」
「すぐに分かります。でも、まさかロザリアさんにも見えるとは思いませんでした。それだけトアの魂と密接にあったのかもしれませんね……。さあ、鏡に額をつけてください。トアも一緒に」
「鏡に額を?」とロザリア。
「二人に伝えたい、見せたいものがあるんです。それは言葉で伝えるには難しいけれど、見せるだけなら一瞬です」
先に額をつけたのはトアだった。「これでいいの?」とトアは躊躇いなく。
「うん、それでいいよ。さあ、ロザリアさんも」
「ちょっと待って、一体何を見せるつもりなの?」
「……すべてです。トアに会って、好きになって、俺のせいで死なせてしまって……そして俺が今、鏡の中にいる理由、そのすべてをお見せします」
青年の口調は穏やかだった。表情は優し気だった。一切の曇りがなく、だが晴れているとは言い難い。常にどこかに寂しさを感じさせた。
ロザリアはトアの隣に並び、額を鏡にそっとつけた。
「ありがとう……」
青年はそう言って、静かに笑った。
※
「ロザリア、鏡からトアを離せ!」
光が収束してすぐ、ルシウスは傍のロザリアに言った。
だが彼女がすぐに動かなかったので、仕方なく自分で引きはがそうとする。
「マサムネ!」
離れることを嫌がるように、トアは鏡に手を伸ばし悲痛な声を上げた。
しゃがみ込み、トアに目線を合わせ、
「トア、何か見えるのか?」
だがトアは答えない。その視線はルシウスではなく鏡を見つめている。
もう一度訪ねると、トアの視線はゆっくりと動き、「父様?」と答えた。
「どうした、鏡に誰かいるのか?」
「鏡?」
「ああ。今、誰かに話しかていただろ?」
トアは気が抜けているかのように答えない。おかしなことだが、涙は出ていないというのに、何故か悲しみに暮れたあとのようだとルシウスには感じられた。
注意が散るように、トアの視線はまた鏡を見た。すると悲観的に見えていた表情が薄っすらと笑いだしたのだった。
ルシウスは奇妙だと心配になる。だがトア以上に奇妙なものを見て、さらに分からなくなった。ロザリアが口を手で押え、両目から涙を流していたのだ。それは溢れ出る悲しみを抑えようとしているようにしか見えず、一体何があったのかと混乱する。
「ロザリア……トア……一体何があったんだ?」
トアは幼い声で呟いた。
「誰もいない」
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