Jail Fragment [margin]

@the_3rd_Age

第■話 囚人番号871 自然発生説

 これは囚人番号871の正式な記録ではない。


「猫を飼いたいんだ」


 背をかがめ、871は大まじめに声を潜めて言った。

 871は格闘家のように恵まれた肉体を持つ32歳の黒人男性だ。

 彼の経歴を知らない者が今のを聞いたら、その屈強な姿とのギャップに笑ってしまうかもしれない。

 しかし871はプロレスラーでも軍曹でもなく、収監される以前は優秀な動物保護官だった。

 確実な1件の殺人罪で起訴されるまで、絶滅危惧動物の保護活動に人生を捧げるエキスパートであり、絶滅したと思われていた生物をじつに7種も『再発見』した功績を持つ有名な研究者だった。


「あなたが個人的にペットを飼うことは許可されていませんよ」

「だから先生に頼んだんじゃないか。もしやってくれたら、俺に出来ることはなんでもする」

「たとえば、どんな?」

「先生が、この先誰かを『消したい』と思ったら、俺は使えるだろう?」

「立場として許容できないですが……そうまで猫が飼いたいなら、なんとかしてみますが」

「さすが先生だ。恩に着る。で……ここからはもっと頼みづらいことなんだけど……」


 871は申し訳なさそうにさらに背中をかがめた。


「猫はぜんぶ黒猫で、少なくとも10匹は飼いたい。無理は承知だ。でもお願いできないかな?」

「10匹も? そんなにどうするんですか。隠して飼えないでしょう?」

「そこをなんとか頼むよ先生。保健所で殺される寸前の猫でいい。できれば大人の猫で、体重は一匹につき4kg以上あると文句なしだ。そんな猫に引き取り手なんか見つからないだろう? かわいそうな猫を俺に引き取らせてくれよ、なあ?」

「信用できないな。本当の理由は?」

「ああ……」


 871は、縮めていた体を起こすと、遠い目で壁を見つめた。


「先日、母が亡くなったんだ。猫は、まあ俺にとっての癒しだよ。実家では動物をたくさん飼ってた。俺が動物愛護に目覚めたのも、母親が捨て猫や捨て犬を保護して育ててきたのを見てたからだ」

「それは、お気の毒に……」


 言葉にしてすぐ、ぼくは矛盾した気分になった。

 母親の死に肩を落とす871は、その反面、何人もの命を奪った殺人者である。


 '89年の目撃を最後に絶滅したコスタリカ固有種のカエル『オレンジヒキガエル』を再発見したとして爬虫両棲類学会の脚光を浴びたその年、871は同じ南米で女性を殺害し、被害者宅の浴槽に遺棄したとして逮捕された。

 近所の住民が異変に気づき浴槽の蓋を開けると、彼らはおぞましい光景を目に焼き付けることとなった。浴槽に浮かぶ女性の遺体と、水しぶきをあげて遺体にむらがる大量のピラニアだった。遺体は一部を残して跡形もなく食われていたため、871が遺体処理のため大量のピラニアを放ったのだと思われた。

 だがピラニアは肉の部分は食べても骨を食い尽くすことはできない。それなのに遺体の骨は肉と同様にきれいさっぱり消えていた。調査でピラニアは熱帯魚ショップでも売られるアマゾン原産の種と同じものと判明し、その結果、逮捕された871の特異性に目が向けられることになった。


「あの女を殺すつもりはなかった。俺が訴えたいのは、魂の質量保存の法則を社会にもっと理解してほしいということだ。地球上の動物は無限に増えたりしない。魂の総量は物質の総量と同じく宇宙ができた瞬間から決まっていて、生物の生き死には有限の魂のやりとりで成り立っている。ある種が死ねば、ある種が生まれる。ある種を殺せば、ある種が復活する――つまりそういうことなんだ」


 871は裁判で訴え、見事に精神鑑定の必要性を勝ち取った。


「つまりあなたの歴史的『再発見』は、すべてその考えがもとになっていると」

「そう。俺は誰がどんな動物を『発生』させるか見ただけで分かる。絶滅したカエルを『発生』させたのは、最後に殺した女のヒモの男だった。本当に女を殺す気はなかった――殺したところでピラニアにしかならない女に殺す価値なんてないだろ?」


 871が自身の特異性に気づいたのは、七年前、冬の保護林で同僚と遭難したときだった。

 滑落した同僚は息こそあったものの手遅れの状態で、871は苦しまないように首を絞めたのち、遺体を雪の中に埋めた。

 救助隊が来た時、同僚を殺したと871は自白した。しかし埋めた場所から出てきたのは同僚の衣類だけで、遺体の痕跡はどこにもなかった。そのため871の供述は極限状態での錯乱として扱われ、同僚は行方不明のまま捜索は打ち切られた。春になって雪が溶けても遺体は出てこなかったため871の自供は最初からなかったものとされた。

 なぜ遺体が消えたのか。答えは同僚を埋めた次の朝にあった。871は寒さで朦朧とする中、ありえない現象を目撃していた。その雪のふくらみがにわかに震えたかと思うと、マンホールから汚水が溢れるように数十匹の野リスが次々這い出してきたのだ。

 殺害した人間の遺体を第三者から観測できない状態にして放置すると、全く別種の生物が『発生』する。それが871の特異性だった。


「もし仮に、あなたが動物を殺して箱の中に入れたら、人間ができるなんてことは?」


 871は肩を揺らして笑った。


「冗談だろ、先生。人間は動物とちがって魂の個体差が激しい。狙って好きな人間を生み出せるなんて、錬金術師でも無理だよ」

「なるほど、そうなんですね」


 871は嘘をつくのが下手らしい。

 カウンセリングの時間はそろそろ終わりだ。


「先生、猫の件、忘れないでくれよな」

「善処しますが、たぶん無理でしょうね。期待させるのも悪いし、この話は忘れてくれると助かります」

「なっ……」


 871は急に梯子を外されたように、立ち去るぼくを恨めしげににらんだ。

 どうか怒らないでほしい。

 これは憶測にすぎないが、もし万が一にも10匹の猫から彼の母親が『発生』してしまえば、『再発見』どころの騒ぎじゃ済まされないのだ。

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