彼の手から躊躇いもなく発射された銃弾は、無防備な門番の眉間へと当たった。

 初めに犠牲となったのは右側の門番。次に、左側。

 一瞬の出来事だった。

 高い耳障りな爆発音が辺りに響いた時にはもう二人の門番は頭から血を流して倒れていた。


「サリエル」


 動かなくなった門番に身震いする隙すら与えず、彼は私の名前を呼んだ。

 彼の汗で湿った手が私の手に重なる。そして、労るようにそっと優しく私の手を握った。


「行こう」


 私の返事を待たずに、彼は走り出した。


 右足に力をいれて地面を蹴る。

 でこぼこした道は走りにくく、左隣で彼が支えてくれていても何度もバランスを崩してしまう。

 ……転べば死ぬ。

 銃声を聞き付けた兵士たちが集まってくるのを背中で感じていた。


 彼が立ち止まる。息が荒い。

 私もうまく息が吸えていない。たった十メートルの距離だ。けれど、半月をパンと水だけで過ごした体には堪える。


「っ……サリエル、大丈夫?」

「ん、うん」

「入るよ」


 私を抱え直すと、彼は、塔へと迷いなく入っていく。

 半ば彼に引きずられるように私も塔の入り口をくぐる。


 塔は、均等な大きさの石を積み上げただけの単純な作りだ。でも、そのなかで黒い石で造られた螺旋階段だけは、美しい。

 今では腐食が進み、あちらこちらに苔が生えていたり、欠けていたりしているが、造られた当時はそれはものすごい立派なものだったのだろう。


 彼は黙々と階段を上がる。

 私も、唯一自由な右足を懸命に動かした。


「止まれ!」


 後ろからの怒号が響いた。

 石の塔はその声を恐ろしく反響させる。


「塔へ入ることは、塔信教、メシア教の双方で固く禁じている。わかっているのか」


 兵士の声は冷たく鋭い。

 後ろを振り返って兵士がどのくらい近くにいるのか見たい。声が反響して、遠いのか近いのかすらわからない。

 怖い。なにが? 兵士が? ……もうすぐ死んでしまうのに?

 いっそ兵士に捕まってしまった方が楽に逝けるだろう。なのに、私の足は塔の硬い階段を確かに登っている。


 彼が殺してくれるとはわからない。

 明確な殺意を持って人を殺すことは難しい。ましてやただの少年だ。

 ……それでも、私はこの少年に託すしかなかった。大人の新教徒だと保護という名目で良いように使われるだけだろうし、塔信教には頼りたくなかった。


「そうか!」


 左から彼が声をあげた。

 パズルのピースを全て埋めたときのような満足げな声だ。


「ねぇ、サリエル。塔信教には十戒の他に三つの教えがあったよね? それを暗誦できるかい?」

「……な、んで」


 何をしたいのだろうか。

 わからない。彼のことは最所から最期までわからない。

 頼む。と、彼の口が動く。


「その一、六年の、祭事を除き……っ、一切の、塔への立ち入りを禁ずるっ」


 私の声が塔へと飲み込まれていく。喋りながら階段をかけ上がるのはこうも辛いのか。


「その二、塔の周り、神の加護内は、住居及び、建造物の一切を禁ずる」

「その三、塔への……攻撃は、如何なる場合であれ、御体への、攻撃と見なすことっ」


 言い終わると、ありがとう。と彼は呟き、私の背中を優しく押した。

 彼の支えを無くした体は、途端にバランスを崩してしまう。なんとか階段に手をついて這うように階段をよじ上る。

 上らねば。と思ったのだ。

 私が一段、二段と上る前に耳元で凄まじい爆発音が聞こえた。

 何発も何発も打ち込むような大きな音。


「な、に……なにやって……」


 掠れた息が自分のものでないような気がして、ひどく声が遠くにいるように感じた。

 ゆっくりと彼の方へ目をやる。体向ける勇気はなかった。

 砲音が止んでもなお、耳の中にこびりついているように感じる。嫌な音。

 くるりと彼がこちらへとふり返った。

 そして、ばつが悪そうに笑った。


「ごめん」


 それは、それは何に対しての謝罪なのかはわからない。

 たった数段。それをやけに焦れったく上ると、彼は私の前で膝をついた。


「動けるかい?」

「はぁ……、ごめんなさい。少し待ってもらってもいい?」


 なんとか落ち着いた声を出した。

 彼はわかったと微笑むと、更に言葉を続けた。

「もう警邏隊どもは追ってこないよ」

 そう囁き、腰を支えて階段に座らせる。

 そして、彼も私の隣に腰を下ろす。

 彼は退屈げに、手に持っていた拳銃をガチャガチャと弄り始めた。

 ……どうやら弾を詰めているみたいだ。


 次、この銃丸が貫通するのは……。


「落ち着いた?」

「ええ……」

「なら、進もう。最上階まではあと少しだから」


 曖昧に頷いて彼の肩を掴む。彼は慣れた動作で私を抱え起こすと、顔を少しだけ近づけて、労るような優しい笑みを作った。

 それから、私の腕をしっかり掴むと、階段をゆっくりと上がり始める。私も、彼に合わせてゆっくりと右足に力をいれた。


「……あっ」


 赤い花が視界の隅で咲いていた。

 螺旋の曲がり角で静かに折り重なって、その毒のように真っ赤な花弁を散らしていた。

 座っていたから見えなかっただけだ。見えなかったからといってそこにいない訳ではない。

 ……追いかけてきた兵士が死んだのはわかっていた。

 彼が殺したことも、私が見殺しにしたのも知っていた。

 けれど、彼の後ろの景色には兵士たちの姿はなく、……それで安心してしまったのだ。


 兵士の口が動く。

『次はお前の番だ』血を滴らせ兵士はそう言った。赤く染まった口に、見開いた目に憎悪を乗せながら。

 知っている。そのつもりだ。

 右手を失った。父も母も亡くした。

 父がくれた鏡も、母がくれた櫛も全て、全て燃えた。

 私にはポシェットの金貨しかない。

 それでも、これからもっと物価は高騰するだろう。この金貨くらいじゃ足りないほどに。

 それならどうすればいい? 片翼しかない鳥が飛べないのと同様。片腕しかない人間は働けない。

 働けないのなら金は減る一方だし、いずれ尽きて、どのみち死んでしまう。

 でも、あの教会に保護されたままでいても今と大して変わらないだろう。

 いや、今の方がいい。食事は教会よりもずっと粗末だが、自分の意思で歩き、自分の意思で死ぬことができる。


 私のような、戦争で体の一部が欠けた娘を積極的に集め、保護していた優しい教会。

 けれど、裏ではその娘たちの体を売る浅ましい教会だった。

 一年目は優しく、二年目は少し厳しく、三年目には服を剥ぎ、犯す。

 逆らえば、鞭で打たれる。

 ……二年目で、教会が姦淫をしていると気づけたのは奇跡だった。

 礼拝堂で、主の前で、十戒に背くのだ。それがどれほどの苦痛か、屈辱か……。


 私にはなにも残っていなかったけど、塔信教の信者としての微かなプライドはあった。踏みにじられ、血にまみれた決して美しいとは言えないプライド。

 だから、逃げた。プライドを守るため、塔信教我が主に殺されぬよう。


 逃げて、逃げた先で気づいた。

 美しいまま死ぬ。

 これが、私のできうる限りの小さな抵抗だと言うことに。

 でも――


「……まさか、塔へ自殺しにきたなんて前代未聞よ。私たちが初めてかも」


 不意に口から溢れた言葉は、ずいぶんと幼稚だった。

 彼は、少し驚いたように目を開くと、少しだけ立ち止まって私の顔を眺めた。


「ここは……」

 彼は、またゆっくり階段を上り始めた。

「ここは、天使の墓場だからね」


 その横顔は、少し微笑んでいるように感じた。


「さ、着いたよ」


 数段上るとそこにはもう祭壇があった。

 他の踊り場と大差なく、そこは質素で所々が朽ちていた。


 ここが、私の死に場所なのか。


 そっと、床に座る。

 今になって足がじんじんと痛んだ。


 ――ねぇ、ママ。私、大人になったら画家になってママの絵をたくさん描くわ

 ――あら、嬉しいわ。ありがとう……


 ああなんで、今、思い出したのだろう。

 もう半月も、名前を捨て、サリエルとして生きてきたつもりだ。なのに、なんで……。

 優しい両親は死んだ。

 残ったのはポシェットの金貨だけ。

 アルバムも、油絵の具も燃え尽きた。

 ……私の名前を知る人はいない。

 なのに、どうしようもなく名前を呼んで、抱き締めて欲しかった。


「サリエル」


 呼ばれたのは新しい名前。

 彼はゆっくりと銃を向ける。


 そうか。私は――


「待っ……――」


 頭の中に鋭い銃声が響いた。

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.50の口径と、天使 @743

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