銃口

 今、塔を“保護”しているのは塔信教だ。

 伝統を重んじる排他的な塔信教により、塔は厳重に護られている。

 塔周辺は五人の屈強な男が銃の鈍色を光らせて警邏しているし、ひとつしかない塔の入り口には二人のこれまた強靭な体の門番が目を光らせていた。


「……どうするの?」


 サリエルが僕の顔を覗きこむ。

 僕らは塔を仰ぎ見る位置にまで移動していた。門番との距離は十メートルもない。

 大きな瓦礫に身を隠しながら、僕らはその時を待っていた。


 サリエルは、もう殺してくれとばかりに僕の腕を握る。

 その時を待っていたのは僕だけのようだった。

 僕はそれに気づかないふりをしてサリエルの名前を呼んだ。


「ねぇ、サリエル」


 僕が低く彼女の名前を呼ぶと、サリエルはそっと顔を近づけた。

 僕も彼女の耳に口をつける。


「僕の拳銃はかなり殺傷能力が高い。装弾数は五発……」


 サリエルが顔をしかめる。


「……。新教メシア教には、そんなに高い威力の銃は少ないはずだけど?」

「盗んだんだ」

「いつ?」

「そんなのは今、どうでもいいじゃないか」


 面倒だ。と、ジェスチャーで示したが、サリエルは僕の腕を強く掴むと首をふった。


「だめ。盗みは禁忌よ」

「……」

「もう一度聞くわ。いつ?」

「……君には敵わないな」

「ありがとう」


 サリエルは、毒気の孕んだ美しい微笑みを作った。

 ……あぁ、なんて美しいのだろう。花は毒を秘めるほど、人を魅了する。

 を裁き、啓蒙する崇高な少女。今日、純正な天使へと生まれ変わる僕の天使。

 彼女は、瞳に、頬に、唇に婉美な毒を含んでいるのだ。


「……君と会う直前だよ。……いや、盗んだ直後に君に会ったと言うべきかな」

「そう」


 もうなにも言うことはない。と、サリエルのか細い指が僕の腕から離れた。


「……。話を続けるよ」

「ええ……」


 サリエルは、僕の話を聞くために黙った。

 僕はなるべく声を低くして話した。


「弾は五発入ってる。あと、もう十発分持っているけど、弾丸を装填リロードしたことないから手間取るかも。……門番彼らとの距離はおおよそ十メートル。まぁ、一、二メートルの誤差があったとしても射程範囲内だ。ここで、弾を二発使う」

「門番を殺すの?」


 サリエルは不思議そうに僕の顔を見た。

 殺すことについては咎めないつもりみたいだ。


「この銃の威力は高いけど、殺せないんじゃないかな」

 僕は正直に答える。

「なぜ?」

「僕は基地内でしか銃を打った試しがない。それに、たぶんだけど防弾チョッキを中に着てるだろうから……」

「あぁ、的にしやすい胴体は狙えないのね。そうすると、露出してるのは、せいぜい顔ぐらいかしら……」


 真剣に考える彼女の顔を見て、僕は自然と顔をほころばせていた。

 今日、死んでしまうとは思えない生気に満ちた顔だ。

 不意にエメラルドの目が、僕を見つめた。


「待って」

「さっきから、君が思案しているのを邪魔せず待っているよ」

 僕が茶化すと彼女は渋い顔をした。

「そうじゃないのよ」

「うん。知ってる」

 彼女は眉間にシワを寄せると、軽く息をついた。

「塔の中に入るのね?」


 彼女の顔はとても険しかった。

 僕はゆっくり首肯うなずいた。


「元からそのつもりだ」

「ダメ」

「なぜ?」

「塔に入ってはならない。それは、メシア教でも同じ掟でしょう」


 神が寝る塔は原則立ち入り禁止だ。

 六年に一度の、塔信教、救世主教合同の祭りの時だけ、塔信教の会長が塔の最上階にある祭壇に酒を捧げるために塔へ入ることが許されている。

 それ以外は如何なる理由があろうとも入ってはいけない。


 それが“”を信仰する上での重要な掟だ。


「百年前の先祖様が作った下らない掟だ」

「塔へ入る理由にはなっていないわ」

「……サリエル。君は僕の天使だ」


 サリエルの長い髪を掬う。

 泥や砂ぼこりで汚れて灰色に汚れているのに、柔らかな、美しい髪だった。


「天使の墓場は、この塔の最上階だ」


 サリエルはなにも言わない。

 僕ももうなにも言わないでいた。サリエルも僕に反論するつもりはないようだった。

 

 塔の左側にちらほらと人影が見え始めた。

 警邏隊が交代を始めたようだ。


「……。時間だ」

 サリエルは僕の顔を見つめていた。

「サリエル。走れるかい?」


 サリエルは黙って頷いた。

 足の悪い彼女には十メートル走ったあとに、階段をかけ上るのはキツいだろう。

 できるだけサポートしなくては。

 それでも、彼女を楽に死なせてあげられるのかはわからない。警邏隊に捕まってしまえば子供だからと殺されない可能性もある。


 息を吸った。変わらず清々しい空気が喉を通る。


 身を低い姿勢に保ちながら、そっと瓦礫から門番を狙う。

 十メートル。思ったよりも遠く、瓦礫に隠れながらだと狙いにくい距離だ。

 塔は平然として僕らを眺めている。

 銃口を向ける少年に、銃口を向けられている門番。

 風は涼しく爽やかに、一時の平和を謳っていた。


「……嵐の前の静けさね」

 サリエルが低い声で呟いた。

 言い得て妙だ。僕はそっと頷いて、サリエルに微笑みかける。

 そして、そっと引き金に手をかけた。

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