塔信教

 塔は大教会と呼ばれ、全ての人間の信仰を表す。

 この黒い塔こそが神が生まれた場所であり、天使の墓場でもある。……らしい。


 まだ、この世が幼かった頃。まだ、生と死の境界が曖昧な頃。その時代は混沌の時代と呼ばれ、混沌を正すために𐤀𐤋が生まれた。

 神の一声で、まず空と地と海が生まれた。

 そして、混沌の時代をさ迷っていた“混沌の民”を教え導き、今の人間ご先祖様を作り出したと言い伝えられている。


 その後、神が塔と一体になって眠ったと考えられているのが塔信教。

 神の十戒や、一日三回の礼拝を義務付けられていて、他にも守らなければならない規律が多い。

 しかし、時代が経つとともにこの厳しい教えに耐えられなくなり、平民の間で、この厳しい苦行から救ってくれる“救世主”を信仰する救世主メシア信仰が爆発的に広がった。

 これが、救世主メシア派。後に新教メシア教として発足する。今じゃ世界人口の約半数がこの宗派に属している。僕の家の近くの教会も新教だった。


 足元の小石を蹴った。

 空は精々するほど青く澄んでいた。


「……。サリエルは塔信教なんだよね」


 朝の礼拝をしているサリエルの背中を見ながら僕は呟いた。

 朝の礼拝は夜の礼拝に比べると短いけれど、それでもたっぷり二十分はかかるので、僕は飴を舐めて暇を潰していた。

 やっと立ち上がったサリエルは、ふらつきながら僕の元まで歩いてきた。


「お待たせ」

「いいえ。今日はいい天気になって良かったね。……それじゃあ、行こうか」


 そうね。と、サリエルは微笑む。

 沈黙が訪れないように僕は急いで口を開いた。口の中で小さくなった飴が歯にカチっと当たった。


「ねぇ、サリエル。君は塔信教の“神の十戒”を全て覚えている?」

「……。あら、塔信教に入信するの?」

「まさか」

『今さら入信しても明日には朽ちる命だよ。』

 そう続けようかと思ったが、やっぱり止めた。サリエルもそれに気付いたらしく、寂しそうに微笑んだ。


「一、あるじが唯一神であること。二、主の姿を妄りに造らないこと。三、主の名前を妄りに呼ばないこと。四、人を殺さないこと。五、姦淫を行わないこと。六、年長者を敬うこと。七、盗みを行わないこと。八、人を騙さないこと。九、父母を愛し、子を慈しむこと。十……。自ら命を絶たないこと」

「意外と、普通なんだね」


 そう溢すとサリエルは困ったような顔を作った。


「救われるための宗教ですもの」

「……。そっか」


 そっか。そうだ。救われるために僕らは神を信じ、愛するのだ。

 ……それなら、皮肉なものだな。


「救われるために神を作ったのに、その神のために争うなんてな」


 散らばったコンクリートの欠片を眺めた。

 色味のない、つまらない瓦礫の海がずっと先まで広がっている。その中心には青い空に刻み込まれたかのような塔が黒々と建っている。


 塔信教と新教の紛争は日を追うごとに激化していった。

 塔信教には貴族が多く、お金がたんまりある。反対に、新教はお金が少ない。その代わり世界人口の約半数だ。戦争は混迷を深めた。

 まさに、“混沌の時代”の再来だ。

 敵味方関係なくそこらじゅうでバタバタと死人が出る。飼い犬も野良犬同然に痩せこけ、鼠が死にぞこないへ群がり、人型ひとがたの脱殻には蝿が集り辺りを黒く染めた。

 それでも、血の勝杯しょうはいを啜るべく――いや、神のプライドを護るべくどちらも一歩も退かない。退けない。


 “我らの勝利の為愛国心”と騙り、少女を売り捌き、救いの手を求める者に偽善の手を差し伸べ首を絞め、奴隷を集めては札束に換える。

 新教も、塔信教もやっていることは大体同じで、“尊い神の教え”とはかけ離れてた醜いものだった。


「人は、愛しているものに愛されるためならごみでも食べれるわ」


 サリエルは冷笑を浮かべる。憎しみと軽蔑の籠った目は、真っ直ぐ伸びる塔へと向けられていた。

 僕はなにも答えられなかった。


 動揺する僕とは対照的に、戦いの根源である塔は、ただ静かに僕らを見ろしていた。

 信者が死ぬことすら頓着せず、その偉大な御身を晒している。

 そう。賎劣な愚民がいくら群がろうが、塔の美しさは変わらない。どこまでも凛として、混沌の時代の行く末を見届けようとしているのだ。


 ……神が生まれ、天使が死ぬ場所――君が還る場所にぴったりじゃないか。

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