.50の口径と、天使
鶴
サリエル
人は何故生きるのか。
冷えた鉄の塊をポケットにしまい前を見た。
瓦解した街。――街と言っていいかすらわからないくらい崩れ荒れ果てたソコはコンクリートの灰色と、鉄の錆色と、真っ赤な毒々しいくらい美しい夕焼け色で染まっていた。
掌の柔らかな感触をそっと握る。
そうすると、それに答えるかのように優しく握り返された。
そこでやっと僕は、繋ぐ手の先の人物を見た。
彼女も示し合わせたかのように僕を見つめる。風に揺れるブロンドも、陶器のような生気のない肌も灰で黒く濁っていた。
それでも、美しかった。
サリエル。と、名前を呼ぶ。名前がないというので彼女の持っていた聖書から、そこに出てくる天使の名前を取った。
挿し絵に描かれていた天使は、サリエルに似て色白で美しい緑眼だった。
「大丈夫? 今日は疲れたのならもうここで休もうか」
サリエルはただ微笑んで一言だけ言った。
「……。ありがとう」
なんて綺麗な笑顔なのだろう。どこからも血が出ずにするりと容易く心臓を取り出されそうだった。
……いや、現に今。僕の心臓はサリエルに握られているのだ。
今、ドクドクと脈を打つ心臓は確かに僕のものだ。しかし、僕の
だから、サリエルが心臓を差し出せと言うのなら僕は迷わず差し出そう。アクセサリーを欲しがれば喜んで自らの爪を剥ぎ見事な首飾りを作ろう。
……サリエルは僕の天使だ。
神は信じない。ステンドグラスの光を受け美しく描かれた神は空襲で焼け爛れてしまったのだから。
だけれど、天使は信じる。
そう。どこまでも残酷に美しい、無垢な少女を天使と呼ぶならば、僕は天使を信じよう。――例え、その背中に羽がなくとも。
僕は手を引いた。サリエルは大人しく付いてくる。
慎重に瓦礫の牙がないところを歩く。
サリエルのブーツも、僕の靴も、底が擦れて薄くなっていたし、片腕のサリエルにはでこぼことした道は危険だった。
加えて、サリエルは足も負傷していた。左足は引きずることしかできないので、僕が杖代わりになっているのだ。
だから、僕はサリエルに気を使いながらゆっくりと歩を進める。
サリエルは、僕について行けば万事が解決するかのごとく、あどけなくどこまでも無邪気に付いてくる。
……なぜ、ここまで無垢についてこれるのか、僕は知らない。知らなくていいとすら思っている。
子供二人が入ればちょうどの、いい感じに手狭の空間を見つけた。先にサリエルを押し込み、空いたスペースに体をねじ込む。
思ったよりも狭かった。意図せずとも足が触れ合う。
背負っていナップサックは外に退けた。
そうして、向かい合うような形になるように座り直すと、彼女の端麗な顔が近かった。足は変わらず絡み合ったままだった。
血の色を映すことのない緑の目は出逢った頃と同じように汚れることなく鈍色の世界に晒されていた。
そう。あの日、僕らが出逢ったとき。サリエルと僕はひとつ約束――サリエルは、交換条件なんて言うけれど、僕はあんな交換が無くともサリエルに従ったはずだ。――をした。
『私を殺す代わりに、このポシェットにあるお金を礼金として全てあげる』
そう言った少女の目はとても冷たくて美しかった。
「……サリエル」
「……え?」
「ああ、いや……。ねぇ、サリエル、パンを食べなよその鞄にまだ入っているだろう?」
サリエルの腰についた、革の鞄を指差す。
元はとても上質なものだったのだろう。今は、掠れ、くたびれている。貴金属類の重いものを入れたらきっとそこが抜けてしまうだろう。
……僕たちが入れるものがパンや飴のような軽いものだけでよかった。
白い指が少し大きいパンを持つ。
まだ、戦争の被害が深刻ではない街で乞食のフリをして得たものだった。
……でももう残りも僅かだ。これからは少し慎重に食べなきゃな。
いや、
空を仰ぐと、真っ直ぐ天に伸びる黒い巨大な塔が闇に溶けずによく見える。黒光りとはこの塔のことを指すのだろう。
……あぁ、あともう少しなのだ。
死神が焦らすようにひたひたと僕らの方へ向かってくる。
ひとつ夜が暮れるごとに、命はゆっくりと磨耗する。擦られ、掠れて、靴と同じようにいつか擦り切れる。
僕たちの命も残り僅かだ。
それでいい。後悔はない。……未練もない、筈だ。
彼女は色素の薄い整った唇でパンを啄む。
空は夕焼け色を失くし、暗澹たる夜の色を深めていた。
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