第3話 本当の敗者

 唐突にゴスロリ少女のお願いを聞かされても、素直にうんとは言えない。

 愛莉は先ほどの言葉を反芻した。

『ノンの大事な人を、どうか助けて欲しいんだ』

 愛莉は自分の姿を冷静に見つめ、助けて欲しいことは山ほどあれど、到底今の自分が誰かを助ける側に回れるとは思わなかった。

 四つん這いで制服は埃だらけ。最近はあまり栄養のある食べ物を食べてないから、見るからに肌もカサカサだ。

「ノンの名前はノン・エウゲーニャ・ルービンシュタインだ。気軽にノン様って呼んでくれていいぞ」

 そんな愛莉の様子を微塵も気にすることなく、自らをノンと呼ぶ少女は愛莉に向かって右手を差し出した。

「お前の名前は?」

 一点の汚れがなく、雪結晶のように透き通った手を見て愛莉は一瞬躊躇ったが、埃のついた手を制服で払ってから、ノンの右手を握り返した。

「私の名前は稲葉愛莉です。……ノン様」

「えー。そこは、『気軽にノン様ってどうやって呼ぶねーん!』って、ツッコムところ……だぞ!」

 言いながら、ノンは握った愛莉の右手を両手で無理やり引っ張り上げた。

「うわっ、あっ、ちょっ!」

 思いがけない真上への力に引っ張られ、愛莉は立ち上がってしまった。

「何、するんですか! 私、今の姿を誰かに見られたら……」

「お前と対等に話すために四つん這いになってみたが、あれは思った以上に痛くて我慢ができない。だからお前が立てばいいと思ったんだが……ダメだったか?」

「ダメなんです! 私……全てを賭けて、負けた、敗北者なんです。この制服を見てください。私の貧相な姿を、虫けらのように扱われる様を、どうか見てください。誰が見たって、私が人を救えるような存在じゃないって、そんなことぐらいすぐにわかります!」

 息を荒げながら、 心で思っていたことを嘘偽りなく言い放った愛莉を見て、ノンは掴んでいた両手を離した。

「本当に、そうなのか?」

「……っえ?」

「ノンは、さっきあいりーんがお尻を蹴られて転がる姿をそこの柱の陰から見ていたが、それでもなお、ノンはあいりーんが敗北者だなんて、微塵も思ってないぞ」

 深い翠の双眸が愛莉を真っすぐに貫く。

 それだけで、愛莉の心中が全て見抜かれてしまうような恐れと、逆に全てを理解してくれるような安心感が一瞬のうちに同居し、混ざりあい、不思議な感覚となって愛莉を満たしていった。

「どうして。なんで、ですか……?」

「ふぅ。……そこは、『あいりーんって何ですか!? いきなりなれなれしく呼ばないでください!』ってツッコムところ。だぞ」

 眉を垂らした呆れ顔でノンは一息つくと、冗談の通じなさそうな愛莉の真剣な顔に気圧されてか、先ほどまでの余裕のある表情を捨て、長い睫毛を瞬かせながら静かに語りだした。

「あいりーん……愛莉は、最後の矜持を捨てなかった」

「最後の、矜持?」

「先日のパンの売り上げ勝負の時、愛莉は最後に黒石の奴からこう言われたはずだ。『ボクの奴隷になるなら勝たせてあげる』……とね」

「なっ!? なんで、それを」

「知っているのかって? 簡単なことさ。あいつはこれまで自分の奴隷をあんな風に作り上げてきたんだ。対戦相手の青年も、黒石が手を貸している。学園のアイドル椎名望の握手券なんて、大量の数を一般学生が手に入れられないことぐらい、愛莉にだってわかるはずだ」

「そんな……じゃあ」

「そうだ。愛莉が絶望に打ちひしがれて優しく声を掛けてきたあいつこそ、今回愛莉が勝負に負けることになった元凶だ」

 こともなげに言いのけるノンは、表情を変えないまま、滑らかに事の顛末を話していく。ノンの喋る意味を理解するのに必死だった愛莉だったが、ある一つの疑問が思い浮かんだ。

「なんで……あなたは、ノン様は……こんなこと、知っているんですか?」

「何で知っているか? 本当は企業秘密と答えたいところだが、無二の親友であるあいりーんには嘘偽りなく答えてあげよう。ノンの秘密兵器だ」

 言いながら、背中に背負っていた小柄のポシェットに手を入れ、ごそごそと探してから小型マイクを取り出した。

「俗にいう盗聴器ってやつだ。これでどんな相手の心内もイチコロよ」

「は?」

 予想外のアイテムが出てきて呆気に取られていると、ノンはスマホを取り出し、幾分の操作の後、愛莉に聞こえるように音量を上げた。

「スマートに仕事を終えたようだな」

「黒石のアニキの言った通り、パンにしか頭に無い女だったお蔭で、コンビニでパンを買うより楽勝でしたよ!」

「あぁ。こちらも、手筈通りにやれて良かったよ」

「そうなんですか? てっきり、俺ぁあの女も今まで同様、アニキの奴隷になるもんだと思ってやしたが」

「おいおい……君は、ボクを何だと思っているんだい? いくら何でも、手当たり次第に女の子を奴隷にしたって面白くないだろう? たまには、すぐに折れる女なんかよりも、もっと上品で、高潔な精神を持った女を堕としたくなるもんだ。その点、あの女はいい。パンを潰されて絶望に打ちひしがれた時も、ボクが衣服を剥いで迫った時も、あと一歩のところで芯を取り戻す。あんな女は今時中々いないんだ。誇り高い精神を、あぁ、隅から隅までこっなごなのぐっちゃぐちゃにしてやりたい。その様を見て、頭を踏みつけながらワインで一杯やりたいもんだ」

「へぇ……そうですか」

「君にはわからないだろうね。道端に芯強く咲くタンポポを踏みつける快感が。正義を語る偽善者が靴を舐めて命乞いをするあの骨の髄まで痺れるような快楽が。ジェンガを一つずつ積み上げてぶち壊す爽快感が……あぁ、彼女の顔が真の絶望で染まる、その時が楽しみだなぁ」

「そ、それは良かったですねぇ。あ、アニキ。それはそうと、謝礼の方は……」

「そうだね、君は存分に働いてくれた。そんな君には真実をプレゼントしよう」

「は? いや、謝礼は俺に奴隷を一人分けてくれるって話じゃ」

「ボクの奴隷を君に? っは、冗談にもなってない戯言だね。一つ言っておくけど、ボクは君とは住む世界が違う。君みたいなしょうもない身分でしかいられないような奴が奴隷なんて、昔の人達だったらヘソからお茶を沸かしちゃうよ」

「……ざけんなよ? 俺は、お前の言う通りに働いたんだ。約束を破るってんなら」

「飯島ぁ!!」

「んなっ! まさか、あいつらは、俺がパンを売りさばいた奴ら!」

「てめぇ! この前のパンについてた握手券、全部偽物だったじゃねぇか! 責任取って全額返金しろぉ!」

「なにっ!? そんな、俺は、ただあれを黒石の野郎から受け取っただけで……はっ! 黒石の野郎はどこだ!」

「学園のアイドルの握手券なんて、あんな大量に手に入れるには相当の資金が必要だ。それじゃあどうするか、答えは簡単。バカを使って偽りの握手券を売捌けばいい。……じゃあね、薄ら寒いバカ野郎。君にはこんな真実がお似合いだ」

「待て黒石! お前、絶対にぶっ殺す!」

「お前が待てよ嘘つき野郎! おい! こいつが逃げないように囲め囲め!」

「ひぃっ! 助け、やめっ!」

 それから先は、ノイズが混じって途切れてしまった。

 黒石と愛莉の対戦相手だった青年とのやり取りを聞いて、心の整理がおぼつかない愛莉は、どういった表情を作ればよいかもわからずにいた。

「これが今回の勝負の裏側ってわけだけど……どうだ?」

「……どうって、どうもこうもないです」

「どうもこうもあるから、こんなことになっているんだけど」

「そんな、こんなことって……」

「黒石が非情だと思うか? でも、ギャンブルで勝つって、こういうことだぞ」

 相手の裏をかいたと思ったら、更にその裏をかけられる。

 これが、本当の勝負ってやつなのか。

 だとしたら、なんて自分は浅はかな考えで勝負に挑んでしまったのだろうと、愛莉は知らない世界での出来事に戦慄した。

 こんなの、勝てるはずがない。

「でも、まだ負けていない」

 愛莉の心を読むように、ノンは続ける。

「今の話を聞いてわかっただろ? 黒石は絶望に喘ぐ愛莉をその手に収めることで、ようやく欲しいものが手に入るんだ。逆に言えば、愛莉がどんな絶望に飲まれようとも、諦めない心がある限り、黒石には負けていないことになる」

 ノンの声に熱が入り、愛莉の両手を強く握りしめた。

「どんな逆境にあっても諦めない心をもって、人を思いやれる愛莉はすごい。ノンには到底無理だ。全てを諦めるのなんて簡単だから、今頃命を投げているだろう。どんな暗闇の中でも、たった一人でも立ち上がれる、そんな愛莉だからこそ……もう、お前にしか頼めないんだ」

 見ると、大粒の涙を零し、顔を真紅に染めあげながら、ノンは必死に言葉を紡いだ。

「もう一度頼む。お願いだ。どうか……どうか、ノンの大事な人を、助けてくれ……」

 愛莉の両手を掴んでいた手を背中に回し、ノンは愛莉に抱き着いて大声で泣いた。

 見境の無い乳飲み子のように一心不乱に泣き続けるノンを見て、愛莉は父親の言葉を思い出した。

『愛莉。お前は、たくさんの人を幸せにすることができる、優しい子だ』

 何故、愛莉を選んだのかは未だにわからなかった。

 これも、黒石の罠で、また絶望の淵に立たされるかもしれなかった。

 正直、何が正しくて、何が間違っているかなんて、この時の愛莉には判断できなかった。

 ただ、目の前の少女を助けたくて。

「大丈夫だよ」

 独りぼっちで泣く辛さを、味あわせたくなくて。

「大丈夫。私が、助けてあげるから」

 無意識に、抱き返し、

「だから、ね。笑顔になって」

自分のみすぼらしい姿も関係なく、

「お姉さんが、世界一おいしいパンを、作ってあげるから」

愛莉は、精一杯の笑顔で、ノンの頭を撫でた。

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